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IPS細胞で作った「脳」をコンピューティングに使う未来へ

2025.01.23

Updated by Naohisa Iwamoto on January 23, 2025, 06:25 am JST

コンピューターは、脳を目指して成長してきた。近年のAIの進化を支えるニューラルネットワークも、ディープラーニングも、脳の神経回路を模したモデルを高度化かさせることで、大きな成果を上げてきた。しかし、お手本になる脳とコンピューターを比較すると、圧倒的に消費電力が少ない脳のほうが高効率な学習力を持ち、未知の環境への適応能力を備えている。それならば、脳細胞そのものをコンピューターとして使ったら、これまでにないようなコンピューターが作れるのではないか。

そうした仮説から、ソフトバンク 先端技術研究所は脳細胞をコンピューターとして扱うBPU(Brain Processing Unit)の実用化に向けた研究を進めている。ソフトバンク 先端技術研究所は2022年に発足した同社のR&D部門であり、技術を社会に実装することを目的として事業につながる研究開発を進めている。そのレンジは幅広く、5G関連やAI(人工知能)とRAN(無線アクセスネットワーク)を融合させた「AITRAS」などの現在がターゲットのものから、2030年代の6Gや自動運転、量子コンピューター、さらに2050年以降の事業化を想定したビジョン開発までにわたる。BPUの研究は、ビジョン開発の一部としての位置づけである。

脳オルガノイドの学習能力を検証

BPUの研究で取り扱うのは、IPS細胞から培養した「脳オルガノイド」という神経細胞。先端技術研究所 先端5G高度化推進室 室長の朝倉慶介氏は、「脳オルガノイドに電極デバイスを取り付けて電気刺激を与え、その際の活動電位を計測することでコントロールできるようになる」と説明する。脳オルガノイドに、電気刺激で入力を与えて「学習」させて、その後の入力に対して出力が得られるようにすれば、コンピューターとして動作させられるというわけだ。「未知の環境への適応能力が高い脳の特性を生かし、CPUなどに付加して性能を高めるアクセラレーターになる可能性がある」(朝倉氏)。

脳オルガノイドは本当に学習できるのか。ソフトバンク 先端技術研究所は、東京大学生産技術研究所の池内与志吉准教授と共同研究を行ってきた。その1つの基礎検証として、電気刺激に対する活動変化を確認する実験を行った。1分に1回の電気刺激を30回繰り返す中で、3パターンの条件を作成。1つは1分間隔の電気刺激だけ、2つ目は刺激の間にも1ヘルツの異なる刺激を与え、3つ目はランダムノイズを与えた。

この結果、「1分間隔の刺激だけの場合はランダムな反応があるだけだが、1ヘルツの刺激では特徴的な活動が生じた。逆にノイズを与えると脳オルガノイドの活動量が低下した。これらから報酬、ペナルティの学習に使えることがわかった」(先端技術研究所 先端5G高度化推進室 企画推進課 研究員 杉村聡太氏)。

この基礎検証を基に、脳オルガノイドに簡単なゲームの学習をさせた。成功した時は報酬になる電気刺激を、失敗したときはペナルティになる電気刺激を与える。「ゲームを20分間繰り返したところ、前半10分間に対して、後半10分間は1.5倍の成功率が得られた」(杉村氏)。脳オルガノイドを学習させることに成功したのだ。

複数の脳オルガノイドを軸索で連結し高度化を実証

今回の発表のポイントは、さらにこの先にある。ゲームの学習ができたという状況から、BPUへ進化させるための高度化や精度の向上が求められるためである。東京大学准教授の池内氏は、「IPS細胞を培養していくと、1mm~1cmほどの3次元組織ができる。現在までに脳のいろいろな領域の脳オルガノイドを作れるようになってきた。一方で脳の複雑な回路を再現するには、一部の機能しか持たない脳オルガノイドを組み合わせる必要がある」と指摘する。

これまでに、複数の脳オルガノイドを自発的に融合させる「アセンブロイド」という手法が編み出されている。しかし、2つの領域の細胞を融合させただけで、脳の中の神経回路とは異なる構成だという。「そこで、複数の脳オルガノイドの間に神経回路を作る軸索を伸ばして接合するコネクトイドという手法で、脳の領域間のつながりを再現した」(池内氏)。コネクトイドは、アセンブロイドよりも複雑な活動をすることが確認でき、BPUの研究に弾みがついた。

共同研究では、コネクトイドを使って特定のタスクに対する正答率の変化を求めた。1つの脳オルガノイドだけを使うSolo、2つ接続したコネクトイドのDuo、3つ接続したTrioを対象に実験したところ、SoloよりもDuo、さらにTrioになると正答率が高くなる個体が増えることがわかった。「つないでいくことで性能が高くなっていくことが検証できた」と池内氏は、脳オルガノイドのコネクトイドがBPU実現の1つのステップとして効果があることを説明する。

共同研究によって、脳オルガノイドに電気刺激を与えることで学習できること、さらに複数の脳オルガノイドを軸索でつなぐことで性能が向上することがわかった。朝倉氏は、「まだ脳オルガノイドは生まれたての赤ちゃんのようなもの。それでも、Solo、Duo、Trioの実験でわかったように、培養技術やデジタル側の解析技術が進展すれば、人間の脳の特性を生かしたアクセラレーターとして使えるようになるだろう」という。

すぐに、脳オルガノイドが私たちの生活やビジネスに影響を与えるものではないが、脳の特性を生かせる部分から徐々に技術の応用が始まり、将来にはBPUが活用されるビジョンが見えてきた。

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岩元 直久(いわもと・なおひさ)

日経BP社でネットワーク、モバイル、デジタル関連の各種メディアの記者・編集者を経て独立。WirelessWire News編集委員を務めるとともに、フリーランスライターとして雑誌や書籍、Webサイトに幅広く執筆している。