反東京としての地方建築を歩く11 「終わらないトリエンナーレとしての名古屋の建築」
2020.09.07
Updated by Tarou Igarashi on September 7, 2020, 11:11 am JST
2020.09.07
Updated by Tarou Igarashi on September 7, 2020, 11:11 am JST
津田大介が芸術監督を務めた昨年の「あいちトリエンナーレ2019」は、「表現の不自由展・その後」という企画を組み込み大炎上した。連日報道が続いたため、おそらく日本で最も有名な芸術祭となった。筆者は、その2回前の「あいちトリエンナーレ2013」で芸術監督を務めている。仙台の東北大学で教鞭をとり、建築が専門ということで、以下の二つのテーマを意識していた。
1)2011年の東日本大震災を踏まえた現代アートの表現
2)建築的・空間的な作品の展開
本稿では後者に関して紹介する。例えば、建築家が作家としてトリエンナーレに参加すること、オープン・アーキテクチャーという建築公開のイベントを開催したこと、そして『あいち建築ガイド』(美術出版社、2013年)を刊行したことなどである。
ちなみに、あいちトリエンナーレは、街中展開という特徴がある。美術館の箱を飛び出して、空きビルなどを活用するため、長者町のエリアが会場になると、来場者はマップを片手に街のあちこちを歩きまわり、作品が展示されたフロアや部屋に入って行く。だとすれば、ついでに街に既に存在する建築も楽しんでもらおう、というのが『あいち建築ガイド』の目的だった。
つまり、街をミュージアムとして見立てたのである。トリエンナーレは3カ月ほどの会期で終わってしまうし、作品も撤去される。だが、建築はそのまま残るから、終わらないトリエンナーレなのだ。
本稿では、名古屋駅前から栄のエリアにかけて、いくつかの重要な建築を取り上げる。もっと詳しく知りたい人は、筆者も数多くの解説を担当した『あいち建築ガイド』を参照していただきたい。名古屋市を中心に155件の近現代建築を掲載した本である。ちなみに、建築だけでなくインテリア・デザインも取り上げるのは、他に例がないだろう。
名古屋の駅前では、モード学園スパイラルタワーズ(2008年)がひときわ目を引く。他にもミッドランドスクエア豊田・毎日ビルディング(2006年)や名古屋ルーセントタワー(2007年)など、もっと大きく高いビルもあるのだが、スパイラルタワーズは文字通り、全体がねじれている日本では珍しいドバイにあるようなアイコン建築である。
▼スパイラルタワーズ(左)、ミッドランドスクエア(中)、ルーセントタワー(右)
実は、三つのビルはいずれも同じ日建設計が手掛けたものだが、なぜこれだけがやんちゃなことになったのか。それは、施主がモード学園であり、理事長がトップダウンでデザインの決定に関与したからなのだ。彫刻的な造形ゆえに、やはり計画は無理をしており、エレベータは止まらないフロアを設けるなど、大胆なシステムを導入している。これは、テナントを前提とする貸しビルではありえないが、ビル全体に系列の学校が入るため可能となった。
トリエンナーレの会場の一つである名古屋市美術館(1987年)は、世界的な建築家として活躍した黒川紀章の作品である。敷地が公園内であることから、高さを抑える必要があり、V字のヴォリュームや地下を掘り込む構成となった。意匠は、既存の要素を引用するポストモダンを展開し、鳥居、京都角屋の装飾、桂離宮の敷石、茶室の間取などの要素が散りばめられている。
▼名古屋市美術館
なお、あいちトリエンナーレ2013では、建築家の青木淳に依頼し、仮設的なリノベーションを実施した。その際、通常は入口ではない背後の非常階段をメイン・アプローチとしたり、吹き抜けに階段を挿入して新しい空間体験をもたらすようにした。興味深いのは、これまで何度もこの美術館を訪れていた地元のアートファンでさえ、名古屋市美術館の側面や背後を初めてじっくり見学することになったことである(いつも正面から入り、正面から帰るため)。
▼トリエンナーレ時の入り口(左)、吹き抜けの階段(右)
実は、青木の重要な作品が栄に存在する。ルイ・ヴィトン名古屋栄店(1999年)だ。同社にとって国内初となる実験的な独立路面店舗である。今でこそ、表参道や銀座のプラダやディオールなど、高級ブランドの店舗を建築家が手がけるのは当たり前になったが、このプロジェクトが大成功したことがきっかけだった。
▼ルイ・ヴィトン(左)、市松模様のプリント(右)
名古屋栄店で注目されたのは、建築家は内部の空間に手を出すことができず、包装紙にあたるファサードとショーウィンドウしかデザインできないという制約事項である。しかし、青木はこれを逆手にとって、ダミエ柄に着想を得た市松模様をファサードのガラス面とショーウィンドウの奥の壁面にプリントすることにしたのだ。これによって、周りを歩くと両者が干渉してモアレの現象を引き起こす。
このデザインは、ルイ・ヴィトンのスタイルとなり、海外の店舗でも使用された。その出発点が名古屋だったのである。また、あいちトリエンナーレ2013に参加している作家の建築が、もともと名古屋に存在していたということも、これを機会に知ってもらおうと考えていた。
最後に、メイン会場の愛知芸術文化センター(1992年)の手前にある立体型の公園「オアシス21」(2002年)を紹介しよう。大林組が設計したもので、やや大味だがビルの谷間に巨大な楕円のガラスの水盤が空中に浮かぶ、というインパクトのある風景だ。これは、ありそうでなかった公共の広場になっている。地上のレベルに床はなく、地下鉄と直結する地下の広場と空中の広場から構成されているからだ。
▼あいちトリエンナーレ2013のオアシス21での提灯行列
考えてみると、名古屋は地下街が発達した都市であり、名古屋的な広場の作り方といえるかもしれない。地下からオアシス21に入ると、狭い空間からいきなり吹き抜けの地下広場が展開する。イベント時に多くの人で賑わっても、地上のクルマに邪魔されず、大屋根の下に一体感が得られる。愛知芸術文化センターへのアクセスも、地上からよりも地下通路からの方が圧倒的に多い。
▼オアシス21で開催されたプロジェクトFUKUSHIMA!
オアシス21には便利なバスターミナルもあり、様々な交通の結節点になっている。階段を上ってガラスの大屋根に辿り着くと、水を張った空中庭園が出現する。この高さから周囲を見渡すと、見慣れた風景が一変する。また、薄い水の膜とガラスを通過し、揺らぐ光が下に降り注ぐ。
▼オアシス21の水を張った空中庭園。和田礼治郎のインスタレーションを展示
ちなみに、あいちトリエンナーレ2013では、空中の水盤に大型の作品を設置し、地下の広場でプロジェクトFUKUSHIMA!の盆踊り大会を開催した。都市空間を有効活用することも、大きな狙いだったからである。
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登録はこちら建築批評家。東北大大学院教授。著作に『現代日本建築家列伝』、『モダニズム崩壊後の建築』、『日本建築入門』、『現代建築に関する16章』、『被災地を歩きながら考えたこと』など。ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2008日本館のコミッショナー、あいちトリエンナーレ2013芸術時監督のほか、「インポッシブル・アーキテクチャー」展、「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」、「戦後日本住宅伝説」展、「3.11以後の建築」展などの監修をつとめる。