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パステル画から生まれた世界初のデジタル画像処理

2024.09.24

Updated by WirelessWire News編集部 on September 24, 2024, 17:51 pm JST

デジタル技術は、思わぬ手法から発展することがある。火星の表面の撮影データは、人間がパステルによって浮かび上がらせることで可視化され、これによりデジタルはさらに「使える」技術となった。

太陽系探査に欠かせなかった通信手段の確保

ソ連が月や太陽系の各惑星へと探査機を送り始めたのとほぼ同時期から、アメリカの太陽系探査も本格的に始動した。

アメリカで太陽系探査を目指して動き出したのは、米陸軍の資金で運用されていたカリフォルニア工科大学のジェット推進研究所(JPL: Jet Propulsion Laboratory)だった。JPLは、第二次世界大戦時に軍用機の離陸を補助する推進器(JATO:Jet-fuel Assisted Take Off)の研究開発から始まった組織だった。

戦後もしばらくは軍用ロケット技術の研究が中心だったが、1954年になって、陸軍のレッドストーン工廠(アラバマ州ハンツヴィル)にいたウェルナー・フォン・ブラウンのグループと協力して、1955年に行われる国際的な地球観測イベント「地球観測年(IGY)」に合わせて、地球周辺の高層大気や磁場を観測する人工衛星を打ち上げる構想が持ち上がる。この協力体制に基づく研究が、後にアメリカ初の人工衛星「エクスプローラー1号」となり、JPLは「Jet」というロケット研究の名残を残した名称のまま、アメリカの太陽系探査の中核組織へと衣替えすることになった。

太陽系の各惑星へ探査機を送り出すとなると、探査機との通信手段の確保が必須となる。地球は1日24時間で自転しているので、探査機と24時間いつでも通信を行えるようにするためには、概ね経度120度間隔の3カ所に探査機との通信局を設置する必要がある。探査機側の送信出力は1W以下からせいぜい10W程度だったので、地上局は超高感度の巨大なパラボラアンテナを持つ必要があった。

このためにJPLは1958年1月から、陸軍の資金を使って世界3カ所の太陽系探査のための通信施設の整備を開始した。現在でも、全世界のどの国も太陽系探査が行う際に利用する「ディープ・スペース・ネットワーク(DSN)」である。カリフォルニア州ゴールドストーンを中心に、当初はナイジェリアとシンガポールに通信局を置き、初期の探査機の追跡を行っていたが、1958年12月にJPLが陸軍から設立されたばかりの米航空宇宙局(NASA)に移管されると、NASAはDSNに多額の投資をした。

その結果、DSNはゴールドストーン、スペインのマドリッド、オーストラリアのキャンベラの3カ所に多数のパラボラアンテナを持つ巨大な通信ネットワークへと成長した。投資の最大の理由は、1961年から始まったアポロ計画だった。月へ向かうアポロ有人宇宙船との通信を24時間途切れることなく維持するためには、DSNが必須だったのである。

が、DSNの整備が始まった1958年の時点では、そもそも太陽系の遥か遠方まで飛んで行ってしまう探査機とどこまで通信が維持できるものなのかは、分かってはいなかった。理論計算はできる。しかし、太陽系空間の通信環境がどのようなものなのかは分かっていない。理論通り超遠距離の通信が可能かどうかは、実際に探査機を打ち上げて試験を行うしかない。

かくしてアメリカは、まず簡単な通信試験機から、太陽系探査へと踏み出したのである。最初に企画されたのが、月及びその周辺空間の探査機「パイオニア」シリーズだった。通称「前期パイオニア」。パイオニアというシリーズ名は、後にNASAが一連の太陽系探査機シリーズにも使用したので、便宜的に「前期パイオニア」「後期パイオニア」という名前で区別されている。

※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の前半部分です。
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