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五十嵐 太郎 tarou_igarashi

建築批評家。東北大大学院教授。著作に『現代日本建築家列伝』、『モダニズム崩壊後の建築』、『日本建築入門』、『現代建築に関する16章』、『被災地を歩きながら考えたこと』など。ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2008日本館のコミッショナー、あいちトリエンナーレ2013芸術時監督のほか、「インポッシブル・アーキテクチャー」展、「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」、「戦後日本住宅伝説」展、「3.11以後の建築」展などの監修をつとめる。

反東京としての地方建築を歩く13 「群馬県の新しいアート・スペース」

群馬県では、磯崎新が設計した高崎市の群馬県立近代美術館(1974年)が大きなホワイトキューブを備えたアートの器として、いち早く登場した。これは立方体のフレームを反復しており、1970年代に彼が展開したフォルマリズム的なデザインの代表作である。

2021.01.07

反東京としての地方建築を歩く12 「前川國男のまち、弘前」

新型コロナ・ウイルスの影響によってオープンが遅れた「弘前れんが倉庫美術館」は、コンペで勝利した田根剛が設計したものだ。注目すべきは、フランスにも拠点を置いて活躍する若手建築家による日本国内の最初の公共施設であること。もっとも、新築ではない。築約100年になる酒造工場(戦後はシードル製造所として使われた)をリノベーションしたものである。

2020.10.22

反東京としての地方建築を歩く11 「終わらないトリエンナーレとしての名古屋の建築」

津田大介が芸術監督を務めた昨年の「あいちトリエンナーレ2019」は、「表現の不自由展・その後」という企画を組み込み大炎上した。連日報道が続いたため、おそらく日本で最も有名な芸術祭となった。

2020.09.07

反東京としての地方建築を歩く10 「宮崎県の消えた建築と新しい建築」

2020年3月、宮崎県を訪れた。菊竹清訓が設計した「都城市民会館」(1966年)の保存問題が、最初に起きたとき以来になるなので、10年以上ぶりである。あまり知られていない建築かもしれないので説明しておこう。

2020.07.22

反東京としての地方建築を歩く09「東北住宅大賞の10年(後編)」

あいだに東日本大震災を挟み、一年休むことになったが、2010年度の第五回は3.11の二日前に見学した木曽善元による横手の家、2012年度の第六回は蟻塚学による冬日の家が大賞となった。

2020.06.01

反東京としての地方建築を歩く08「東北住宅大賞の10年(前編)」

日本建築家協会(JIA)の東北支部が2006年に創設した東北住宅大賞の審査を立ちあげのときから、およそ10年、担当したことがある。名前の通り、東北六県に建てられた住宅を対象としたアワードだ。そこで審査委員長の建築家、古谷誠章とともに、筆者が担当した10回の歴史を振り返りたい(ちなみに、その後、審査委員長が変わり、筆者は2017年度の第11回まで担当した)。

2020.04.13

反東京としての地方建築を歩く07「建築における沖縄らしさ」

沖縄の建築は、個性的な風土の影響を受けて、独特の表情をもつ。それゆえ、ポストモダンの時代には、象設計集団による傑作、名護市庁舎(1981年)[1] など、地域性の強いデザインが登場した。

2020.02.21

反東京としての地方建築を歩く06「独創的な現代建築が都市のイメージを変えた仙台」

仙台は空襲を受けたこともあり、あまり古い建築が残っていない。ケヤキ並木が続く、定禅寺通りなど、杜の都のイメージも戦後につくられた風景である。冬のケヤキがイルミネーションで彩られる光のページェントも、1985年に始まった。

2020.01.17

反東京としての地方建築を歩く05「建築のユートピア・アイランド、直島」

今でこそ、瀬戸内国際芸術祭や草間彌生のパブリック・アートをはじめとする華やかな現代アートで知られ、多くの観光客を集めているが、そもそも直島は建築の島だった。およそ四半世紀前、筆者が初めてここを訪れたのも、ポストモダンの建築家、石井和紘が設計した作品群を見学するためである。

2019.12.10

反東京としての地方建築を歩く04「重層する建築都市、金沢」

この夏、金沢に公立としては初の建築博物館が誕生した。金沢建築館である。正式名称は「谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館」だが、なぜ人物名が冠せられているのか。それは場所がかつて吉郎が暮らした住まいの跡地であり、息子の吉生が設計を担当したからである。

2019.10.10

反東京としての地方建築を歩く03「久留米の企業が支援した国立の建築」

菊竹清訓(1928-2011)の設計した名作、宮崎県の旧都城市民会館(1966年)が、いよいよ解体されることになり、注目を集めている。6月18日、市民団体が解体差し止めの仮処分の申し立てを行ったが、今後の行方はわからない。1960年代に菊竹は黒川紀章らとともに、部分をとり換え可能とするメタボリズムのデザイン運動を牽引した建築家であり、これは現在に至るまで日本から海外に向けて発信されたもっとも有名な建築論だ。

2019.08.29

反東京としての地方建築を歩く02「建築家が活躍する広島」

全国区で活躍する有名な建築家の事務所は、やはり東京に集中している。その次は関西だろう。しかし、例外的に日本の地方都市において、注目すべき建築家が何人も拠点を置くのが、広島県である。すでに二度の日本建築学会賞(作品)を受賞した三分一博志のほか、ミニマルで幾何学的な作風で知られる村上徹、小川晋一、谷尻誠が率いるサポーズ・デザイン・オフィス、前田圭介、土井一秀、小川文象らの名前が挙げられるからだ。

2019.05.31