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反東京としての地方建築を歩く10 「宮崎県の消えた建築と新しい建築」

反東京としての地方建築を歩く10 「宮崎県の消えた建築と新しい建築」

2020.07.22

Updated by Tarou Igarashi on July 22, 2020, 14:24 pm JST

2020年3月、宮崎県を訪れた。菊竹清訓が設計した「都城市民会館」(1966年)の保存問題が、最初に起きたとき以来になるなので、10年以上ぶりである。あまり知られていない建築かもしれないので説明しておこう。

都城市民会館は、モダニズムの記録と保存に取り組むDOCOMOMO Japanが、重要な建築として選定したものである。明治以降、西洋の動向を模倣していた日本の建築が、初めて世界を追い抜いた時代の貴重な傑作である。鉄筋コンクリート造の構造の上に、放鉄骨の梁が放射状に広がるホールを乗せたダイナミックなデザインは、半世紀に及ぶ菊竹の活動の軌跡においても、最も先鋭的な造形を展開したものだ。

▼都城市民会館
都城市民会館

世界的な視野で見るならば、同じく高度経済成長期に誕生した「東京タワー」(1958年)よりも、重要な作品である。東京タワーは、映画『三丁目の夕日』で効果的に使われたように、戦後の日本史にとっては意味があるかもしれない。だが、既にパリの「エッフェル塔」(1889年)が半世紀以上前に存在しており、そのパラダイムを追いかけた構築物である。一方、怪獣のような異形のシルエットをもつ都城市民会館は、世界中でただ一つ、ここにしかない建築だった。

しかし2007年、これが消滅の危機に陥っていた。当時、都城出身の東国原知事がメディアを賑わせており、宮崎県を積極的にアピールしていた。その彼が、世界に誇るべきランドマークを失う事態を無視していたのは残念だった。このときは、議会で解体費用の予算まで可決し、絶望的な状況を迎えていた。だが、地元の大学が活用すると声を上げ、首の皮一枚というところで逆転し、延命されることになった。しかし、結局、上手く保存活用されないまま時間切れとなり、他に有力な再活用案も出ないまま2019年に解体された。

優れた建築を破壊し、どこにでもあるような凡庸な開発を進めるのは、オウン・ゴールに等しい行為ではないか。いや、単純にもったいない。こうした状況を受けて、建築家の豊田啓介らのグルーオンは、レーザースキャナーを使い、建築全体をデータ化するうデジタルアーカイブ・プロジェクト(クラウドファンディングのサイト)を発足させ、3次元点群データとして保存したものがウェブ上で公開されている

さて、宮崎市では新型コロナウイルスの影響によって、残念ながら見学しようと思っていたほとんどの公共建築が閉鎖していた。坂倉準三による色タイルが印象的な「宮崎県総合博物館」(1971年)、岡田新一による石材を多用する重厚な「宮崎県立美術館」(1995年)、安井建築設計事務所による列柱廊を持つ「宮崎県立図書館」(1987年)などである。もっとも、今回の主な目的地は、注目すべき現代建築が登場した延岡市と日向市だった。

▼宮崎県総合博物館
宮崎県総合博物館

▼宮崎県立美術館
宮崎県立美術館

▼宮崎県立図書館
宮崎県立図書館

乾久美子による「延岡駅周辺整備プロジェクト」(2018年)は、2020年に国内で最高峰の建築賞である日本建築学会賞(作品)に選ばれた。これは、筆者と山崎亮がゲストキュレーターを務めた「3.11以後の建築」展(金沢21世紀美術館、2014-15年)に出品してもらったことがあり、完成したら見に行きたいと考えていた建築である。

延岡のプロジェクトは、2011年にデザイン監修者のプロポーザル・コンペで乾が選ばれ、その後、山崎が率いるコミュニティ・デザインの事務所も参加し、市民とのワークショップを重ねた。また乾事務所は、類似したプログラムやスケールの施設を数多くリサーチし、デザインに反映させている。

▼延岡駅前の複合施設「エンクロス」
延岡駅

完成した駅前の複合施設「エンクロス」は、カルチュア・コンビニエンス・クラブが運営を担当し、1階に待合所、スターバックス、地域特産品の販売所、キッズサービス、2階に蔦屋書店などが入っている。筆者の訪問時は、すでにコロナ禍によって、2階の全スペースと一部の施設が閉まっていたため、普段のアクティビティは観察できず、完全な状態ではなかったが、それでも新しい公共空間が生まれたことは現地で実感できた。

決して派手な建築ではない。むしろ、国鉄時代に造られた古い駅舎の手前に、その空間を延長したかのようなデザインが特徴である。つまり、グリッドのフレームに基づく、水平方向に長いシンプルな建築だ。形は微地形を吸収しながら、ていねに調整されており、躯体が持つ縦横のプロポーションの美しさ、柱と大きなガラス面の開口が奏でるリズムは、凛として美しい。

一階の天井高は低く抑える一方(2.1-3.2メートル)、二階は高さ3.9メートルの伸びやかな空間とし、それぞれに個性を与えながら、二階のアクティビティが地上にもよく伝わる工夫がなされている。透明なガラスを通じて、東西自由通路の階段からも書店の様子がよく見える。他にも、駅前広場、跨線橋、駐輪場、交番、トイレなどで、乾はデザイン監修を担当し、全体の風景に統一感を与えた。

▼エンクロスの階段から書店をみる
エンクロスの階段

東京の真似ではない、ここだから導かれる建築の姿である。延岡駅の周辺には昭和モダニズムの建築が多く、そうした人工的な環境とも呼応するプロジェクトだった。

延岡駅から電車で30分弱でアクセスできる「日向市駅」(2008年)は、菊竹事務所出身の内藤廣が手がけた都市の入り口である。内藤が1998年から関わり、10年もの歳月をかけて完成に辿り着いている。土木、鉄道、都市、建築、デザインなど、様々な分野の調整に時間がかかるからだ。実際、駅舎だけでなく、駅前広場のランドスケープやストリートファニチャーも一体的に整備し、良好な環境を創出している。

▼日向市駅外観
日向市駅外観

内藤によれば、地産の杉材を使うと決めたことで、全体がまとまったという。例えば、南雲勝志が杉のベンチや車止めをデザインしている。そして建築では、表面の装飾ではなく、プラットフォームを覆う大屋根の構造材として杉を用いているが、鋼材とも組み合わせ、それぞれの長所を生かしつつ合理的な形態を導いている。その結果、杉の集成材による湾曲した約18メートルの梁が約110メートルに渡って並ぶ、特徴的な空間を生み出している。ちなみに、駅の近くの空き地には、大型の模型が展示されていた。

▼日向市駅のプラットフォーム
日向市駅内観

続いて2019年、同じ内藤の設計によって、駅から歩いて5分の位置に4階建ての「日向市庁舎」が誕生した。プロポーザル・コンペによって再び彼が設計者に選ばれ、やはり杉材を効果的に導入している。例えば、コンクリートの庇を大きく張り出させ、そこに杉材の日よけルーバーをつけることで日影をつくり、室内の熱負荷を下げている。

▼日向市庁舎
日向市庁舎

近年、木を使えば日本的な建築という言説が流れているが、日向市の駅と市庁舎は安直に日本らしさを強調するためではなく、構造や環境制御を目的として工学的に向き合った結果だ。他にも、天井、壁、床、あるいは南雲がデザインした什器など、屋内外の仕上げに杉材や檜材を積極的に用い、空間の質を決定している。

計画上の特徴としては、四周にテラスをめぐらせながら、あちこちに「たまり」と呼ぶ市民が自由に使える場所を散りばめてある。出入口や屋外階段も複数あり、開放的な建築となっている。これは、災害時の津波に対し、避難場所として機能しやすいことも意図したものだ。ちなみに、上層のテラスに登ると、駅舎の屋根が見え、二つのランドマークの位置関係が確認できる。

東京のような巨大都市だと、一人の建築家が街のイメージを造ることは難しい。だが、地方都市だと、その可能性が残されている。人口6万人の宮崎県・日向市は、駅舎と市庁舎を内藤が手がけたことによって、街の輪郭を浮かび上がらせた。これらのプロジェクトは、東京の真似をしない地方建築の生きる道を示している。

最後にもう一つ紹介しよう。宮崎駅から電車で約1時間半かかる日南市の油津である。かつて港で栄え、マグロ漁や杉材の積み出しで賑わっていたが、いったん寂れたものの、現在は町おこしで注目されている。日南市の市街地活性化事業によって、2013年に木藤亮太がテナントミックス・マネージャーに選ばれ、ここで暮らしながら様々な空き店舗の活用を実践しているのだ。

例えば、カフェのリノベーション、「ABURATSU GARDEN」(コンテナ群による小店舗)、IT企業を誘致したオフィス、ゲストハウス、レコードを自由にかけるコミュニティ・スペースなどである。他にも油津では、2017年にふれあいタウン「Ittenほりかわ」(商業施設+医療介護施設+子育て支援センター+市民活動のスペース+居住施設)が誕生し、運河沿いの「堀川夢ひろば」でイベントを行い、街の歴史や見所を説明する看板を設置している。

▼ABURATSU GARDEN
ABURATSU GARDEN

▼多世代交流モール
多世代交流モール

建築のプロジェクトとしては「多世代交流モール」がある。コンペの結果、水上哲也が設計者に選ばれ、2015年にオープンした。鉄骨造りのスーパーマーケットの1スパンを減築によって間引くことで二分割し、その間に中庭を設けて両サイドをそれぞれ多目的スタジオなどの集会スペースと飲食スペースにしたものである。延岡市や日向市のような大きな建築はないが、油津では小さな点を線に、そして面に広げるという街造りが進行している。

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五十嵐 太郎(いがらし・たろう)

建築批評家。東北大大学院教授。著作に『現代日本建築家列伝』、『モダニズム崩壊後の建築』、『日本建築入門』、『現代建築に関する16章』、『被災地を歩きながら考えたこと』など。ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2008日本館のコミッショナー、あいちトリエンナーレ2013芸術時監督のほか、「インポッシブル・アーキテクチャー」展、「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」、「戦後日本住宅伝説」展、「3.11以後の建築」展などの監修をつとめる。