反東京としての地方建築を歩く02「建築家が活躍する広島」 2019.05.31 全国区で活躍する有名な建築家の事務所は、やはり東京に集中している。その次は関西だろう。しかし、例外的に日本の地方都市において、注目すべき建築家が何人も拠点を置くのが、広島県である。すでに二度の日本建築学会賞(作品)を受賞した三分一博志のほか、ミニマルで幾何学的な作風で知られる村上徹、小川晋一、谷尻誠が率いるサポーズ・デザイン・オフィス、前田圭介、土井一秀、小川文象らの名前が挙げられるからだ。
五十年後の宇宙船地球号01:地球の一地点 2019.05.24 ポルトガルのロカ岬に僕はたたずんでいた。ユーラシア大陸の最西端に位置するこのロカ岬。ここは陸の果てで、この先は約5,400kmの大西洋が広がる。海へと沈んでいく夕陽は、アメリカでは今まさに日の出になりつつあることを僕らは知っている。
和力表現事典05「影」 2019.05.17 西洋絵画と日本絵画の違いを端的にいえば、「立体的」か「平面的」かに尽きる。その重要な表現法として「影」の有無がある。「影」による明暗のつけ方によって絵は立体的にも平面的にもなる。
反東京としての地方建築を歩く01「現代建築のまち、黒部」 2019.05.07 建築の世界で起きている「反東京」 現在、日本の建築は世界的に高く評価されている。建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞では、2019年3月に磯崎新が選ばれ、この10年で実に4組もの日本人建築家が受賞した。通算では、日本 […]
和力表現事典04「リズム」 2019.04.12 ヴィジュアル・ポエトリーを追求している詩人、松井茂さんは「型」にこだわる詩人として知られている。型に沿いつつ新しい表現を見せてくれるのが松井流。その松井さんに〈★〉(2003)という短歌を擬した、奇妙な詩がある。詩を図形的に見るという意味での「視覚詩(ヴィジュアル・ポエトリー)」のひとつだ。
エリートと教養 2 大正教養主義と藤村操 2019.04.03 前回はエリートの原点とでも言うべき論点を考えてみました。今回は、教養ということになりますが、これは一筋縄ではいかない。そもそも「教養」という熟語は、漢語としては已に『後漢書』に現れると言いますが、文字通り「教え育てる」ことの意でありました。
和力表現事典03「手触り」 2019.03.08 インターネットの発達のせいか、紙の本や新聞はもうおしまいだ、書店がつぶれる、という話がひんぱんに聞かれるようになって10年近く経つ。そんなとき、紙の本のよさとして必ず語られることがある。それは、紙の本には、モノ(物体)感があり、それを支えている要素のひとつが紙の手触りだ、ということ。
エリートと教養 1 <Noblesse oblige>高貴なる者の義務 2019.03.07 エリートも教養も、日本社会では揶揄や蔑視のニュアンス抜きで語ることのできない概念と言えます。一人称の文章、つまり「私は、」に導かれる肯定的文章の用言に、「エリート」が入ったり、「教養人」が入ったりすれば、これは、噴飯ものだろうし、二・三人称で同じ形容を試みたとしても、何がなし、棘が含まれているようで、使うのに躊躇いがあり、言った後では、慌てて、貶める意味ではないことの弁解を付け加えたりする習慣ができてしまっているように感じます。
和力表現事典02「奥」 2019.03.01 日本語で「奥(おう、おく)」がつくことばを探してみると、「奥地・奥処・奥所」に代表される「深い・最果て・行く末」という意味で使っている場合が多く見つかる。たとえば、日本列島の「奥深い」ところとして「奥州・奥羽」という具合。
スーパー書評「漱石で、できている」1夏目漱石『虞美人草』 大人の世界を知る一歩 2019.02.25 最初の試みとして、何を取り上げようか、かなり迷ったのですが、結局漱石の、しかも表題作に落ち着きました。繰り返し、色々な機会に触れてきましたように、私という人間の相当部分は、漱石によって出来上がっていると言えます。