フリーランサーやブロガーがカフェや図書館で働いたり、企業の社員が自宅をリモートオフィスとして働くなど、場所や時間にとらわれない「働き方」もポピュラーになってきた。特に都会で、エネルギーを消耗する「痛勤」から開放されたり、子育てと仕事を両立させるような自分に合った働き方を工夫できるなど、多くのメリットが注目されている。
2019.12.13
前編でも参照した日誌の中から、引き続きキブツ生活の様子が分かるいくつかの記録をピックアップする(研修生一人ひとりに確認することは出来ていないため、永森氏以外の日本人研修生の個人名は頭文字にした。また、イスラエル人の名前、都市の名前のカタカナ書きは日誌のママ、括弧は筆者の補足)。
2019.11.22
永森修吾氏は、前回紹介した柳敏昭氏と同様に1967年に、北海道教育大学の学生として「キブツ・ラマト・ヨハナン」へ研修に行った。北海道教育大学には分校が5つあり、永森氏は釧路校、柳氏は岩見沢校だったため、キブツに行く前はお互いに接点はなかった。キブツ体験を通して知り合ったという。今回、永森氏への取材は、柳氏の紹介により実現した。
2019.11.18
キブツには日本からだけではなく、アメリカやヨーロッパからも多くの研修生が居たようで、キブツ滞在はまさに異文化に触れる機会でもあった。彼らは3カ月ほどの滞在で、個人として来ていたようだ。 日本人は、キブツ協会の派遣事業とい […]
2019.10.28
以前、1964年に日本人グループとして始めてキブツ研修を体験した14名のグループのメンバーであった内山拓郎氏を取材して、2回に分けて記事として掲載した。 ・1964年、日本人が初めて「キブツ」を体験した(1) ・1964 […]
2019.10.25
キブツダリアでの研修 シナイ半島で第二次中東戦争が勃発したのが1956年、六日戦争と言われる第三次中東戦争は1967年である。したがって、14名がキブツ研修に出かけた1964年は、ちょうどその戦争の合間の比較的政情の安定 […]
2019.07.17