米中間選挙における民主党の大敗から間もない11月10日、オバマ大統領がアメリカ連邦通信委員会(FCC)に対して「ネット中立性」の保護強化を要請する Net Neutrality: President Obama's Plan for a Free and Open Internet を発表したのは、本連載でも「ネットワーク中立性の死とともに我々は現在のインターネットを失うのか?」という文章を書くなど、ネット中立性の問題を一応追ってきたワタシにとっても驚きでした。
最初に書いた通り、中間選挙で大敗を喫した直後、もはやレームダック化は避けられないなどと言われる中でこういう発表をやられても、アメリカの政治について大した知識がない当方には今回の発表の実効性がどの程度なのかよく分からなかったりします。
ただ今回の発表は、声明文だけでなくそれを語る動画を用意するなどなかなか周到です。ページに Twitter や Facebook のシェアボタンが用意されていたり、声明文が Medium にクロスポストされていたり、今回の発表に合わせてホワイトハウスの技術・経済政策の上級顧問を務める R. David Edelman が reddit の名物企画 AMA(Ask Me Anything)でネットユーザからの質問に直接回答しているのが今風なのでしょうが、特に最後のは行政府の説明責任を考える上でとても羨ましく思います。裏を返せば、これだけホワイトハウスがやるのは、ネット中立性の問題がアメリカの意識の高いネットユーザにとって高い関心事だからでしょうか。
オバマ大統領の声明文の全訳はギズモード・ジャパンの記事で読んでいただくとして、また今回の発表の意味するところ、そしてそれに対する反応については本サイトの「「ISPを公益事業に」- オバマ米大統領、FCCにネット中立性ルール強化を要請」という記事によくまとまっていますが、コンテンツのブロッキングや料金に応じた優先順位付けをはっきり禁じる明確な方針の基盤となる、ISP 事業を「情報サービス」でなく「通信サービス」、つまり電話などと同じ公益事業に分類するという方針は、オバマ大統領誕生時に FCC の政権移行作業チームの舵取りも行ったスーザン・クロフォード教授の、インターネットは公益事業(utility)として扱われるべき、という意見に合致します。
要は、ネット中立性支持側からすると期待通りの内容と言えるわけで、この「ネット中立性」という言葉の発明者であるティム・ウー(Tim Wu)コロンビア法科大学院教授も、オバマ大統領の声明を「大胆かつ勇敢で、明快そのもの」と評価しています。
「ネット中立性」の問題は元々アメリカの話というのもあってか自分の観測範囲では反応が薄いのですが、その中でハッとしたのが、インターネットについて基盤から実装まで幅広く扱う、優れた著作で知られる小川晃通(あきみち)さんの以下のツイートです。
「Openなインターネットのために規制を強化すべき」byホワイトハウス。「The rules I am asking for are simple」らしい。オープンと言いつつ規制強化の話をしてるけど大丈夫かなぁ→ http://t.co/kx5zAjfaLy
— 小川晃通(あきみち) (@geekpage) November 11, 2014
あきみちさんはもちろんご存知でしょうが、FCC は独立した監督機関なので、大統領の声明がそのまま情報通信産業の規制監督の方針になるわけではありません。とはいえ、確かに言われてみると、「オープンと言いつつ規制強化の話を」するのもヘンな気がします。
今回の発表を受け、ISP 事業者であるケーブル会社や電気通信事業者が軒並み猛反発しているのは予想の範疇として、歓迎の声が多いネットユーザ、IT 企業関係者にも例外が見られます。それは例えばマイクロソフトの前 CEO スティーブ・バルマーや、ドットコムバブルで億万長者となり、現在はダラス・マーベリックスのオーナーとして知られるマーク・キューバンですが、いずれも市場競争への信頼と政府による規制への嫌悪が底にあるリバタリアン的心性によるものだと推測します。
マーク・キューバンは今回の発表を受け、ネット中立性の話で自分は初めてアイン・ランドの本で読んだのと同じ状況を見た、と今なおリバタリアンや保守主義者にカルト的な人気を誇る、合理的な利己主義こそを真の道徳と考えた小説家・思想家の名前を引き合いに出します。キューバンは続けて、今回の発表を喜ぶ「人民」を映画やテレビ番組をネットで好きなだけ見たいから政府に保護してもらおうとする存在とみなし、もしアイン・ランドが今生きていたら鉄鋼や鉄道ではなくネット中立性を題材に小説を書くだろうよ、と吐き捨てています。
キューバンは、今回のネット中立性を巡るオバマ大統領、アメリカのネットユーザ、ISP 事業者の立場を、ランドの代表作である「愚鈍で醜悪で無能な人民が、福祉とか公平とか弱者救済とかいうお題目をかさに、有能で美男美女ぞろいの資本家たちを弾圧して搾取していると糾弾する(山形浩生)」小説『肩をすくめるアトラス』になぞらえているわけです。
そうなると ISP 事業者が政府の規制に妨害されながら孤軍奮闘する産業家になるわけで、その時点でおかしいわけですが、フレッド・ウィルソンのケーブル事業者のモデルとインターネットのモデルを比較するブログエントリのコメント欄にもキューバンは出張って多数反論コメントを投下しており、政府の規制に対する嫌悪感の強さが伝わります。
ワタシが以上の一連の反応を見た後連想したのは、ローレンス・レッシグの『CODE』だったりします。以下、訳者の山形浩生による『CODE VERSION 2.0』の訳者あとがきから長めに引用させていただきます。
それを止めたいと思う人がいる。今あるネットの自由と匿名性を守りたい人がいる。そうしたい人は、政府の規制に頼るしかない。でも今ある自由や匿名性は、コードや物理世界の不完全性(意図的、あるいはそうでないもの)に依存している。それを守りたければ、不完全性を人工的に維持するしかないからだ。それを維持するのがだいじだという価値観を明示するのが憲法や法律だし、その価値観を実現するのが政府だ。多くのネットワーク自由論者は、政府規制を弱めることで自由が実現されると思っている。でもそうじゃない。自由は、政府が適切な規制を設け、各種のアカウンタビリティのシステムを確立したからこそ実現されているものだ。自由を守るためにこそ、人は適切な政府の規制を要求しなきゃいけない! そしてそのときの「自由」というのが具体的にどういうことなのか、国民の間で議論して、腹を決めなきゃいけない!
初版刊行時点で、ぼくは本書の議論が受け入れられるどころか、理解されるとすら思わなかった。本書の議論はまず、インターネットの現状についての通俗理解とは正反対だ。さらに、政府が強化したがる管理を止めるために、政府の規制を強化しなきゃいけない! この議論を多くの人は、矛盾した議論だと感じるのではないか。そもそも、政府がネットを規制すると聞いた瞬間に拒絶反応を示す人が多いのも事実だ。今までのネットの成功は、ネットに規制がなかったからこそ実現されたものだ。それを、今後は規制することでネットの成功と自由が保障されるとは、倒錯した話だと感じる人が多いだろう。
ネットはリアルとは別の自由な空間なんだから政府は規制なんかするなと拒絶して済んだ季節はとうに過ぎ、我々はネットに対応する法律を整備し、端的にいえば規制を行使していかなければならないのです。例えば、ビッグデータの利用とプライバシーの問題にしろ、「忘れられる権利」の問題にしろ、我々はしかるべき法整備を進めなければなりません。そのとき重要なのは、目先の利益/不利益の調整ではなく、我々はインターネットをどういう場にしたいのか、そこで何を守りたいのかという根本にある理念や美意識であるべきです。
そうした意味でオバマ政権は、インターネットを自由でオープンな場に保つために、ジョナサン・ジットレイン風に書けば生成的な(generative)プラットフォームとしてのインターネットを守るためにネット中立性ルール保護を求めたわけです。
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登録はこちら雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。