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「訓練でトリアージはやっていましたけど、実際に経験するとは思ってもみませんでした」石巻赤十字病院 阿部 雅昭氏(後編)

2012.03.23

Updated by Tatsuya Kurosaka on March 23, 2012, 17:36 pm JST

平時から「断らない救急」を掲げてきた石巻赤十字病院では、震災時もその姿勢を貫き通した。次々と搬送されてくる患者を受けいれるだけでなく、自衛隊の指揮所や市の災害対策本部としての機能まで担うことになった大混乱の中でも医療機関としての役割を果たせたのは、日頃の訓練があったからこそだという。(聞き手:クロサカタツヤ インタビュー実施日:2011年10月28日)

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▼石巻赤十字病院 企画調整課 課長 阿部雅昭氏
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自衛隊を通して被災状況を把握

──インターネットは今回、何か役に立ちましたか?

阿部:正直、まったく使い物にならなかったですね。いつの時点から使えたのか、ちょっと私は記憶にないですが。

通信全般については、被災直後に自衛隊が来たというのがポイントなんです。市役所が冠水したため災害派遣できた陸上自衛隊が入れなくて、病院に防災無線があるので、こちらに来て、4日の朝までここに指揮所を作ってたんですよ。

通常は市役所に入って、そこに本部を作って警察とか消防とか連絡を取る。だから、最初は職員をひとり、無線機持たせて市役所に行かせたんです。そこに本部ができるってのがわかっていましたから。だけど、実際には自衛隊がこっちに来てしまった。

──この病院が事実上の災害対策本部になっていた?

阿部:しばらく本部になっていました。石巻市長も、地震発生時に仙台に出張していて、すぐ戻って来たんですが、市役所は自衛隊が入れないくらいの冠水ですから、当然市長も入れませんでした。石巻市長もここに二日泊まって、防災無線で市役所と連絡をとっていました。一時、ここが本部みたいになってしまいました。

そのことで良かったのは、自衛隊が冠水区域を全部調べて、地図に全部書くんです。それを見ることができたので、市内の様子がわかった。通信が途絶えた中で、それが非常に役だった。孤立感はありましたけど、脇に自衛隊がいてくれたっていうのと、自衛隊を通して情報が入るので、安心感がありました。

▼石巻市内の住宅街。津波で破壊された家の隣は、建物が取り壊されて更地になった土地(2011年10月28日撮影)
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──自衛隊は今回、直後に入った中ではほぼ唯一、外部との連絡がとることができました。ただ、彼らも松島基地が被災したので、厳しかったはずです。

阿部:当院の医師を、ここに来た自衛隊がヘリコプターに乗せてくれました。それで、この辺をグルッと回って、どういう状況かをカメラに収めてきて、大変なことになっているってわかったんです。本来なら民間人を自衛隊機に乗せるのは、そう簡単に判断できないようですが、でも乗せてくれた。

あの人達は、阪神淡路の教訓で、地震が起きた瞬間に災害派遣があるという前提で、準備していたそうですね。だから、そういう風に阪神淡路の教訓を活かしている組織があるにもかかわらず、通信ではまったく活きてないんですよ。

──NTTドコモは自衛隊と共同で、緊急時の復旧訓練を行っていました。ただ、NTTドコモとはいえ、社員は一会社員、一民間人に過ぎないので、会社として判断できなかったり、そもそも被災地へのアクセスを失ってしまうと、動きにくい。

阿部:だから上の判断なんですよね。そしてトップって、一番上だけじゃなくて、それぞれの範囲ごとのトップでもある。自衛隊はそれをやったと思います。

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日赤なのに毛布が配れなかったことが忘れられない

──通信に関して、現時点では問題はありませんか?

阿部:問題ないです。無医地帯が一箇所残ってしまったので、そこだけはしばらく救護班を出していたので、救護本部はしばらく病院の中に残したままだったけど、それが9月で終わったので、通常の体制には戻りました。

ただ、この辺の医療が全部、市立病院も含めて駄目になったので、病床数が絶対的に足りません。現在、駐車場に仮設病棟を作っていまして、それで50床増床する計画です。

▼津波で被災し、機能を失った石巻市立病院。2012年3月現在、2015年の再開を目指した復興計画案が検討されている(2011年10月28日撮影)
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それと、通信ではないのですが、今後のためにトラックを購入しました。病院が何でトラックかというと、毛布などの資材をを運ぶために。これはちょっと自慢なんですが(笑)。

当院は今回、ずっと支援されてきました。だから、次にどこかで起きたときに一番最初に行かなければという強い思いがあります。やれるものからやっているんです。

──災害はあって欲しくないですが、現実には震災直後の4月にも大きな余震がありました。そういう備えは必要ですね。

阿部:私が記憶に残っているのは、初日に毛布を配れなかったことなんです。近くの中学校の体育館が避難所になっていて、そこに入った市役所の職員が夜中くらいに「毛布がありませんか」と来たんです。

「日赤なら毛布がある」というイメージがあったんでしょうが、実際にはその時になかったわけです。日赤として、必要とされたときに毛布が配れなかったのでは、何をやってるんだという思いになります。

それで何もしなければ、NTTと同じになってしまいます。それこそ自己批判しないと駄目だと思うんです。なんで日赤が配れなかったんだと。毛布一枚あれば、避難所でもし凍死した人がいれば、それで助かったかもしれないですよ。

──あの時の東北地方は、本当に寒かったんですね。

阿部:これでもか、というほど悪い条件が重なってました。この辺りは、3月の下旬に、ぼた雪という湿った雪が降るんですよ。でも、3月上旬にあんな感じの雪が降るというのはあんまり経験がないです。

私はその時に、ちょうど仙台出張から戻る途中の高速道路上でした。戻ってきた時、赤井っていうところが、ちょっと手前にあって、そこの川が逆流していました。あれがちょっと遅れていたら、帰れなかったかもしれないし、クルマも駄目になったかもしれない。

そして、戻って来たら、夕方小さな男の子が事務室に保護されてきてぽつんとひとりで座っていたんです。

津波に親と一緒に飲まれたらしいのですが、途中で親とはぐれてしまった。あの子がどうなったかなと、今でも思い出します。そういう思いがあったので、報道は積極的に全部やりました。

そういう気持ちはNTTは持っていないんでしょうか?なぜ、自分で聞きに来ないで、人にやらせたのか。それがなければ、NTTにここまで言いません。あの人達にそういう気持ちがあるのかなと思って。

たぶんNTTだって、酷いところを見ているはずなんですよ。自分の会社でも、職員も家族も含めれば、どうなってたかわからないはずなんですよ。なのに、なんでそんなことを考えられないのか。小さな会社なら、別にそんなの求めないですけども、NTTだったらできるはずですよ。

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「断らない救急」を掲げた普段の訓練があったからやれたこと

──連絡手段がない状態で、救急の搬送についての連絡はどのようにとっていた?

阿部:連絡はとれません。だから、来たものを全部受けていただけですよ。最初の頃は、来た患者をすべてトリアージ(最善の救命効果を得るための治療の優先度決定)しました。だから、本来であれば助かったかもしれないのに、手が足りなくて、そのままなくなってしまった人がいっぱいいるはずです。

訓練でトリアージはやっていましたけど、実際にそういうのを経験するとは思ってもみませんでした。患者は全部受けましたけど、トリアージを行っていました。ですから、平時であればという申し訳ないようなことは、かなりあったと思います。

▼現場で使われていたトリアージタグ。患者の状態によって0(死亡・救命の見込み無し)I(最優先)II(待機)III(保留)の4段階に区分する(撮影日:2011年10月28日)
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ただ、これは、普段の救急も「断らない救急」というのを掲げていますので、できたと思うんです。普段やっていないことは、たぶんできないと思うんです。ここの病院が赤十字病院だったというのは、不幸中の幸いでした。他の組織だと職員の意識もちょっと違っただろうし。

──平時の場合は受け入れ体制の問題が出てきてしまうから、やりたくでもできないという病院は多いですね。

阿部:今までも、仮想患者を一気に押しかけて現場を困らせるっていう訓練をやるわけですよ。私なんかは、こんなのやって意味があるのかなと思っていたけど、意味はありましたね。

その訓練では、マスコミ対策というのもありました。押しかける記者を抑えるようなことを訓練したんです。でも、それは間違いでした。実際にはマスコミの人は同志でしたね。

ただ、訓練が大事だというのが本当にわかりました。私なんかはちょっといい加減な人間だから、そんなのいいやって思っていたところはあります。でもやっぱり大事でした。

──事前の準備と、実際の体験の重要さを示すお話だと思います。病院だけでなく、住んでいる方の震災の記憶を残していただき、今回の震災から教訓を得続けるために、これだけのことがあったんだというのを、ちゃんと記録として残さないといけません。

阿部:いろんな人が来た際、私が案内係なので、被災地を何回も回りました。ずいぶん片付いてますけど、ただ片付いたところに雑草が生えてきて、今の雑草が生えた景色が本当の景色と思われてしまいそうで心配です。

初めて来た人が、ただの野原なんじゃないかって。私たちは、そこに家があって、きちんとした街だったっていうのがわかるけど。最初の方が瓦礫の山だったから、かえってその方が被災地の感じがして、来た人に対して訴える力があるかもしれません。

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▼片付いてきたとは言うが、街のそこかしこには、がれきが積み上げられている(2011年10月28日撮影)
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──今あちこちで、測量したり航空写真を撮ったりということを付き合わせたりしていますけど、もっと細かくやっていかないといけない。

阿部:たまたま小学館から声かけて貰ったことで本になりましたが、病院としても報告書をまとめています。これまでの報告書というと、誰も読まずに図書室に入ってしまうようなものしかないので、誰にでも読んでもらえるような報告書にしようと思っています。

日赤は、熊本赤十字病院が一番すごいんです。日赤発祥の地なので、ちょっと考え方が違って、手術ができるトラックとかがあって、熊本からすぐに駆けつけるんですよ。だから、当院も負けないように。西の熊本、東の石巻と、日赤の中で言われるように、やろうと考えています。

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クロサカタツヤ(くろさか・たつや)

株式会社企(くわだて)代表。慶應義塾大学・大学院(政策・メディア研究科)在学中からインターネットビジネスの企画設計を手がける。三菱総合研究所にて情報通信事業のコンサルティング、次世代技術推進、国内外の政策調査・推進プロジェクトに従事。2007年1月に独立し、戦略立案・事業設計を中心としたコンサルティングや、経営戦略・資本政策・ M&Aなどのアドバイス、また政府系プロジェクトの支援等を提供している。