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東北復興支援のあり方を考える(4)重要なのは風化させないための「関係作り」

2012.09.10

Updated by Tatsuya Kurosaka on September 10, 2012, 17:19 pm JST

東日本大震災から1年半が経過する中、復興への道のりは険しく、事態は遅々として進まない。いま改めて被災地とどう向かい合い、何をすべきか。(社)RCF復興支援チーム代表であり、復興庁政策調査官も務める藤沢烈氏と、自らも被災者ながら災害ラジオ局やNPO(絆プロジェクト三陸)の設立・運営を通じて復興に携わる、大船渡市の佐藤健氏に、現状と展望をうかがう(なお、本稿は、東北復興支援の現状と課題」(Business Breakthrough 757ch・2012年6月13日放送)の内容を書き起こしたものである)。

(3)人が循環する流れまで作って、復興は完成するはこちら)

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クロサカ:本当にヅケ丼がおいしかったんですよ。

藤沢:それが関係ですよ(笑)

クロサカ:そうなんですよ。もう一回食べにこようっていうパワーって単純ですけど強いですよね。と考えるとこれはいろんな人に教えないといかんな、と思いました。あの時初めてこれなのかもな、と気づきました。佐藤さんのお立場からご意見いかがでしょうか。

佐藤:そうですね、さきほど藤沢さんが仰ったとおりで現地でもいろんな団体は立ち上がってはいるんですが横のつながりが難しいと感じています。外部から支援の話がきても連携が取れていないとマッチングさえも出来ないまま立ち消えてしまう場合もあり、支援を受け入れる側の横の連携を構築していかなければと思います。

それからつい先日、東京の方に「去年は大変だったね」と言われました。確かに去年も大変だったのですが、まちを作って行かなければならない訳ですから、本当に大変なのはこれからなんです。私たちの情報発信力が足りず、皆さんに知ってもらう機会が不足しているということです。テレビの震災情報は減ってしまう訳ですから、私たち個人が出来る範囲で現地の情報発信をして行かないと、本当に風化してしまうんじゃないかと思います。

もう一つ、復興復旧はもちろん重要ですが、大震災を経験して今後の防災減災につながる教育やそのためのコンテンツ構築が重要になると思います。

クロサカ:最後のお話は非常に重要で、これだけIT化が進んでいる社会に住んでいるのに、ものすごい勢いで震災の記憶が風化してしまいっている現実があると思います。取れていたはずの情報がどんどんなくなっている、情報をまとめる機会を失ってしまっている現実もあります。情報を残しておくことも必要ですし、しかしまた、情報の世界でも横の連携が不足しているところがあります。

完全な震災データベースを構築するというのは理想的ですが、おそらくそれは目指すこと自体が間違っていて、少しその気になって情報を探すと、分かる、見つけられるような「連携」をつくるということが重要な気がします。

例えば、あのとき携帯電話だけ持って逃げた人も多かったと聞きますが、その携帯で撮った写真を集めてみる。それをただ集めるだけではなく、その写真を撮った人の情報が紐づいていて、実際に写真を撮った時の状況や場所が一緒に記録されて行く、あの時津波を背にして走りながら撮った写真、そういったリアルな状況を呼び起こすような情報アーカイブを残してく、あるいは整理していくことがこれからは重要になってくる気がしています。

これは言うは易しで、過去に例のない、いろんな意味でチャレンジであると思いますが、だから難しいよねといってあきらめたら次の災害が来てしまう。はっきり言ってしまうと2万人もの方が亡くなってそれかよという話にもなってしまいますから、そこは技術者、お金を出す人いろんな人が手を取り合って進めるべきだと思います。

時間が過ぎれば過ぎるほどデータが発散してしまいますので、すぐにでも取り組むべきだと思いました。

藤沢:出来てないことが多いと悲観的に見がちになりますが、中越地震と比べてみても山古志では2,000人が被災しましたが、この震災は大船渡だけでも4万人が被災しています。桁が2つくらい100倍では効かないレベルのことが一気に起きてしまっている中で、冷静に比較してみると相当善戦していると思います。

メディアもよく報道されなくなっていると批判されてしまいますが、すごく丁寧に報道されている方だとも思います。NGO、NPO、各市町村、県、国どの組織もかなり善戦していると評価していいと客観的に見て思います。ただ、それ以上に被害規模が大きかったので、まだまだ充分じゃないというというのも正直なところですけれど、相当善戦してきています。

これを突き抜けた先にはこの経験が日本にとってものすごく巨大な財産になると思います。もちろん、完璧にとは行きませんが各セクターが4年5年たったのちにもテレビで報道されなくなっても、このような番組やソーシャルメディアもあります。いろんなかたちでの今後5年10年の復興過程の歩みは、日本にとって、世界にとっても価値があることのように思っています。

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クロサカ:佐藤さんとは去年の4月中旬くらいに出会って、その時には既にさいがいFMは立ち上げられていたんですが、率直に申し上げて「こんなに覚醒した人が出てきちゃうんだ」と思いました。ものすごく立ち上がるエネルギーを感じまして、おかしな話ですが東京という安全な場所で被災もせずに暮らしている自分の方が参っているんだなと感じるくらいでした。

藤沢さんもすぐに立ち上がられた。またそういった方々がたくさんいらっしゃったというのが、今回のいい側面での特徴だな、という気がしています。

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その立ち上がった状態を維持している人たちがポツポツといらっしゃる状況で、こういう人たちがどう繋がって行くのかというのは、マスメディアでやりにくいことではありますが、ネットをうまく使って行けば、本当の意味でのネットワークになっていく訳です。

震災復興だけでなく日本が抱えている問題はどこも規模が違うだけで構造は一緒ですから、その人たちが連帯感を持って社会を作り直して行くということが最終ゴールなのかなという気がしました。

この番組の視聴者をまるで無視してしまうようですが、きょうは単純に佐藤さんと藤沢さんが出会えてよかった。ご覧の方も、これだけ鋭いお二人が繋がってよかったなと思って、さらにそこに自分も参加してみたいとか、そういったつながりを私も見つけたいと思ってくださればよいかなと思います。

藤沢:いや今の話は大事で、佐藤さんは今おいくつですか?

佐藤:37歳です。

藤沢:私もこれから37歳になります。クロサカさんも同級生ですよね。30代半ばから後半にかけての方が現地ですごくリーダーシップをとっていました。NPOの方もそうですし、市の方も企業の方も、現地の方も東京から行く方もそうです。なんでかなと考えた時にひとつは「情報」の話があります。

今回広域でダメージを受けたがために従来のピラミッド型が完全に崩れてしまった。現場が情報を集めて上の人が意思決定するというのではワークしない、そんな狭い話ではなくなってしまったというのがあります。セクターを越えて情報を集められるということがすごく必要になりました。

そこで携帯とソーシャルネットワークやメールがすごく効いて、組織を越えて情報をとることができたようです。それがこの年代の特徴だったのではないかと思います。下から情報を取らずに、現場に足を運ぶことも含め、自分で情報を取りにいける。さらにそれを伝播できて、新しい流れをつくることができるというのは今の30代が割と得意でできたことだったのではないかと思うんですよね。

この30代のこのやりかたは成功したとはまだ言えませんが、これが一つのモデルとなりつつあるなと感じておりまして、そういう意味でもきょうは佐藤さんにお会いできて嬉しかったです。

佐藤:やはり私たちは子育て世代なので、防災教育、まちづくり、ノウハウを子どもたちに残して行かないといけないと思います。先ほどクロサカさんが、日本全体の問題だとおっしゃいましたが、まさにそのとおりで、震災で被害はありましたが、それ以外の問題についても日本の縮図だとも思います。

また、今のうちに、この取り組みをモデルケースにしていただいて、次にどこかで災害があったときに持ち越せるものを作っておかなければと思います。次は関東、東南海かもしれません。次のために、今みなさんで手をつないで、今年モデルケースとなるものを作れればなと思っておりますのでご協力ください。

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クロサカ:今後ともいろいろお教えいただければと思います。藤沢さんもおっしゃられた通り、特に今年はかっこいいことを言う前の段階で、信頼関係やネットワークをどう構築するかというプリミティブなことが重要だと、それが佐藤さんのお話からもよく伝わってきたと思います。

藤沢さんとも「今年すごく大事だよね」とよくお話しをしていますがその大事さの実態はテクニカルな話ではないという気がしました。まとめとしてそのあたりお話いただけますか。

藤沢:そうですね。2年目にさしかかり支援する側として、また被災地をも見ているものとしてどんなスタンスで関わって行くべきかを整理しましたので、見ていただければと思います。

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左側が1年目で求められた支援で右側は2年目以降の支援です。1番のポイントは支援から自立、つまり主語が変わります。1年目の主語は外部の支援者で、現地に行って支援をするというものでしたが、2年目以降は住民の皆さんが主語にならないといけません。

NPOも支援者ですから表に立たずに、さきほどの山古志村のおばあさんのような方が表に立ち、我々は間接的な支援をしていかないといけない。これは簡単に言えば飲み会にいくということでいいと思います。

物を渡すとかボランティアをするということも大事ですが、まず行ってみて、そこで関係作っていただいて、土地のファンになっていただきたいと思います。そういった関係作りがこれからは効いてきます。

また対象範囲につきましてもこれまで東北という枠組みで語られがちでしたが、例えば大船渡市で考えても「大船渡市」というアイデンティティは実はありません。5年前まで旧大船渡市と三陸町という2つの自治体に分かれていましたし、もっと辿れば昭和の大合併の際に10個くらいの市町村がまとまって構成されたのが大船渡市です。

大船渡市というアイデンティティを持っているのは市役所の方くらいで、あくまでも住民の方は地域のアイデンティティを持っているというのが実態ですので、そういった方々がこれからその地域をどう復興させて行くか、どういった変化を作って行くのかが問われている段階です。

我々はそれを放っておくのではなく関係を作りながら見守って行って、例えば何かそこから買うとか、店を作るサポートをするとかファンになる、それがこれからの支援のありかただと思っています。

クロサカ: 1年目は求められていたからこそですが大上段の話が多かった、ある意味かっこいい支援をしていこうという流れがあったように思います。

しかし時間が経ち被災地にも私たちの生活の中にも当然変化がありました。その変化を受け止めてかつ、2年めのいま、単純な支援ではなく自立をどうやって支えて行くのかということを考える、まずはたぶん「飲みにきたぜー」、でいいと思うのです。

藤沢:「飲みにきたぜ!」が本質だと思います。それに僕らはまず気付かないといけないと思います。

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クロサカタツヤ(くろさか・たつや)

株式会社企(くわだて)代表。慶應義塾大学・大学院(政策・メディア研究科)在学中からインターネットビジネスの企画設計を手がける。三菱総合研究所にて情報通信事業のコンサルティング、次世代技術推進、国内外の政策調査・推進プロジェクトに従事。2007年1月に独立し、戦略立案・事業設計を中心としたコンサルティングや、経営戦略・資本政策・ M&Aなどのアドバイス、また政府系プロジェクトの支援等を提供している。