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やがて訪れるデータ・エコノミー社会の将来像〜ビッグデータだけでは見えない情報社会の真実〜[第1回]公文俊平氏「情報を根本から考える」(1)

2013.02.20

Updated by on February 20, 2013, 16:00 pm JST

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高度に情報化が進んだ現代社会において、情報やデータの重要性がいっそう高まり続けています。しかし、情報やデータの利用を加速させる背景やそれを支える技術の発達、また具体的な利用実態となると、全容の把握は困難を極めます。

個人の生活動向や企業活動が様々な形でデータ化されるようになった、いわば「データ社会」とでも呼べる状況が生まれようとしている昨今、従来は収集が難しかった種類の情報が大量に捕捉・蓄積可能になりました。

企業内で蓄積するデータと、それらの情報を分析するための技術や知見も高度化することによって、蓄積したデータを分析理解することで過去に思いつかなかった新たなサービスやビジネスの仕組みが生み出され、経済活動の新たな活力となることが期待されています。

また、更に一歩進んだ形で、経済や社会を回す柱となる原動力が、蓄積したデータから得られる知見に移った「データ中心社会」というビジョンの模索も、進みつつあります。

一方で、このような事態が進んだ先に訪れるであろう「データ社会」または「データ中心社会」という社会像は、実のところ曖昧としています。例えばビッグデータという言葉が、定義が不明確なままに氾濫している状況ひとつとっても、共通理解が定まっていないことを示唆しています。またそうした不明確な言葉が出回ることでつかみどころのない不安感を感じている人も出つつあります。したがって社会や経済、ビジネスや生活といった足下から、データ社会とデータの利活用の実態がどのようなものになるか、足下から模索していくことが必要になっています。

そこで、現代社会における情報の利活用、さらにその先にある「データ中心社会」を構想する基礎として、IT産業、金融、流通、社会科学や工学、情報処理などのさまざまな分野のエキスパートにインタビューを実施しました。

第1回目は、社会の中、とくに経済活動における情報やデータの位置づけについて手がかりを得るために、情報社会について多くの論考を残している多摩大学教授・多摩大学情報社会学研究所所長の公文俊平氏にお話をうかがいました。

「情報」にはまともな定義がない

──「データ社会」「データ・エコノミー社会」とは何なのかを考えようとするほど、まずはデータによって表現される「情報」の定義を確認する必要があります。しかし、多くの文献や論考を見ても「情報」という言葉を皆が都合の良い言葉として使っています。

公文氏:「情報」についてのまともな定義がないのです。理系の人も文系の人も違ったことを言っていて、言葉だけが一人歩きをしている。データは少しましかもしれないけれど、これも考えてみるとわからないことだらけ。『情報文明論』の中で長々と定義を試みているけど、だれも問題にできていない。

だから、まずは定義から本気で悩んでください。さしあたって「情報はこんなもの」と適当にやられたのでは、もう動きが取れない。

──経済のアナロジーから議論を少し具体化してみます。例えば、貨幣は現在、銀行口座の残高として表現され、硬貨や紙幣という実体がなくても価値があると見なされています。日常においてもクレジットカードや電子マネーなどで、実物の貨幣を持たなくても生活を送ることができます。つまり、口座残高という情報に、ダイレクトに価値があるように感じるようになってきています。

公文氏:価値の前に、貨幣を紙として持たなくてもいいのならば、それを何として持つのか。それを情報と言ってしまったら、わけがわからないまま。

私の預金通帳の中に、いくら残高があるというのも情報です。しかし、残高情報をあなたが知っても使えませんが、実際何かを支払ったり引き出したりの出来る私にとっては意味がある。この違いは、情報が単体で存在しているのではなく、もっと別の実体的な関係を代表しているから発生するものです。

データもそうです。スマートフォンに保存されているデータや、サーバーにログインするためのアクセスキーも、実体的な関係を代表しています。この関係性を切り離して単に「情報」と言ってしまったら、それで終わり。ましてそれを評価して値段をつけるなんて、簡単にできる話ではありません。

──情報の価格付けに関する試みは、これまでもありました。たとえば生産関数を用いて、マクロ経済的に社会全体でのデータの価値を推定算出するというものです。あるパラメータを定めることで、情報の価値算出はできますが、実社会においてパラメータは常に変化しますし、生産関数を用いることにも十分な吟味が必要で、まだまだ発展途上といえます。

一方で、現実としてあふれ出してきているデータを活用することでデータ・エコノミーを実現しようという議論が活発化しています。しかし、例えばネット上からくみ取れる情報と、企業が内部に蓄積してきた情報は、本当に同じ情報として扱って良いものか。情報の分類、定義の仕方をいったいどこから考えればいいのでしょうか。

公文氏:元に戻って考えないといけません。データ・エコノミーといいますが、データもエコノミーも、いまひとつわからない言葉です。

かつても「情報の経済学」や「情報の経済理論」が流行った時期がありますが、結局わけがわからないうちに誰も言わなくなってしまった。あのときも、情報の価値として一番わかりやすいのは、手に入れるのに掛かった費用で見ることでした。また、情報を独占的に使うことで得られる利益も、ある程度推測できます。

一方、需要と供給から考えると、売る側にとって情報はコピーが無限にでき限界費用も小さいため、コストから価格を決める必要がない。買う側は、売る側が別の人間にも売っていたら、買う意味が半減ないしはゼロに近くなる。つまり、値段を決めようがありません。

経済学をいくら勉強しても、経済が何かということはほとんど教えてくれない。ですが、皆わかったものとしてあつかいます。そういう状況で人は生きていかないといけないし、ビジネスをしなきゃいけない。実に難しい問題です。

(2)「情報」を定義するには本質的なアプローチが不可欠 に続く

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