皆さんは、ブロガーにとって最も重要な三つの力をご存知でしょうか?
一つ目は「つっこみ力」。これはパオロ・マッツァリーノさんの著書の名前にもなっていますが、ブロガーはつっこみを入れてなんぼです。ニュースをただなぞるだけのブログに意味はなく、そこにつっこみをいれ話題を自分に引き寄せることが大事です。そのつっこみの独自の角度こそがブロガーの個性になるわけですが、ただ奇をてらうと角度があさっての方向に向いてしまいますし、またつっこみの力の加減も重要で、これが弱すぎるとパンチに欠け、しかし、強すぎると不快に思う読者が増えるのに注意が必要です。
二つ目は「スルー力」。この言葉は高林哲さんがITエンジニアに必要な概念として提唱したものですが、扇情的なイエロージャーナリズム、発言小町の釣りトピ、陰謀論、上杉隆にひっかからない冷静な視点を保ち、またネガティブな反応にやる気をなくしたり、読者の注目を集め続けようと無理をして燃え尽きたりしないためにも、必要以上に感情を波立たせることなく受け流すスルー力はブロガーにもとっても大事です。
そして三つ目は「徳力」。ブロガーとして、そして何より人間としての徳の力のことです。これについては言葉で説明するのは難しく、この言葉の元となった徳力基彦さんの存在そのものがそのお手本と言えます。
さて、冗談はここまでとして、その徳力基彦さん率いるアジャイルメディア・ネットワークが主催したブロガーサミット2013に先週末参加しましたので、今回はそれについて書きたいと思います。
今回これが開催されたのは、今年2013年が「日本において主要なブログサービスがはじまって10年という節目」だからとのことですが、実はワタシはその10年前の2003年に、ブログ本のさきがけと言えるレベッカ・ブラッドの『ウェブログ・ハンドブック―ブログの作成と運営に関する実践的なアドバイス』の翻訳を手がけています。が、この日の参加者(あのでかい会場が大体埋まったのには驚きました)でこの本を読んだ人となると0.5%もいないでしょうが。
今回の文章を書くにあたって『ウェブログ・ハンドブック』を軽く再読してみましたが、今でもその内容がそのまま通用するのに驚きました――ということは残念ながらありませんでした。それは当時著者がこれぞウェブログと考えていた、リンク紹介に主眼を置くフィルター型のウェブログの役割が、Twitter などの SNS にほぼとってかわられた、といった後に出てきたサービスの話を抜きにしてもです。
なぜかというと、2008年、つまり5年前にニコラス・G・カーが指摘していたように、もはや単一の「ブロゴスフィア」があるとは言えないからで、今回のブロガーサミットでも清田いちるさんがブログ最大の発明の一つに「permalink(『ウェブログ・ハンドブック』では「永続リンク」と訳しました)」を挙げてましたが、それに尽きるのかもしれません。
つまり、ニコラス・G・カーが言うように「ブログ」という言葉には二つの異なる定義があり、一つはオンラインのコンテンツ管理・公開システムという技術的な定義、もう一つは個人の日記であったり、リンクの見せ方であったり、「ブログ」という言葉が暗に示唆するライティングスタイルで、かつて「ブログ」という言葉を語る場合、このスタイルのほうに重きがあったのに、2008年時点でもそのスタイルについての共通認識は失われ、コンテンツ管理システム(CMS)という技術的な定義でしか共通点が見出せなくなっていたのです。
例えば、ワタシ自身個人のブログを10年やっているのですが、それには自分なりの確固としたライティングスタイルがあります。一方で本連載はブログシステム上で公開されており、これ自体一つのブログです。しかし、同じ人間が書いていても両者は目的もスタイルもまったく異なります。
そして、このライティングスタイルについては以前は一家言あり、10年前であればいわゆるブログ論のたぐいを書くこともありましたが、現在それに興味はなく、そうした意味で今回のブロガーサミット2013に参加はしましたが、「ブログ論」的にはところには期待していませんでした。実際ブロガーサミット2013でも、登壇者に「あなたにとってブログとは何か」という質問が投げかけられ、答えがレイヤー的にばらばらだったのは、上に書いた共通認識が失われたことの反映だったのでしょう。
それよりワタシの場合、ネットを通じて知り合えた人と初めて、あるいは久しぶりに顔を合わせる機会を期待していたというのが正直なところです。こういうことを書くと馴れ合いと言われそうですが、ワタシのような田舎に隠棲する人間にとっては大変貴重な機会なのです。
実際、会場裏で何年ぶりかお互い覚えていないくらい久しぶりにお会いした加野瀬未友さんら数名と立ち話をしていたところ、通りかかった清田いちるさんとカイ士伝さんに初めて紹介いただいたのですが、「こちらyomoyomoさん......津田大介を村さ来に連れていった」「あぁ〜っ、あの」というやり取りを前にし、ワタシを紹介する代名詞がブログ本の訳書でも本ブログのようなウェブ連載でもなく、かつてやらかした愚挙なのか......果たしてワタシにとってこの10年はなんだったのだろう、と死にたくなったりもしましたが。
村さ来はどうでもよいとして、総体としてブロガーサミット2013は個人的に楽しめたイベントで、この場を借りて徳力基彦さん、並びにその「徳力」に感謝させていただきますが、微妙な煮え切らなさを感じたのも確かで、ただそれは上記の共通認識の話からすると仕方ないことかもしれません。イベント後の感想エントリでは、意外にも(と書くと失礼ですが)青二才さんの文章が面白かったです。
ちょうど本文を書いている間にカイ士伝さんによるブログの歴史を振り返る「ブログ年表」アルファ版が公開され、それを眺めていて思ったのですが、この10年を振り返る上で、日本ではスコット・ローゼンバーグの『ブログ誕生―総表現社会を切り拓いてきた人々とメディア』のような、重要なブロガーたち(もちろん『ウェブログ・ハンドブック』の著者レベッカ・ブラッドも登場します)の仕事を鮮やかに活写しながら、政治系ブロガーの台頭、ブログとジャーナリズムの関係、ブロガーのプライバシー問題、ガジェットブログとブログの商業化などブログの歴史において重要なトピックを網羅した本が書かれなかったことは残念だったと思い当たります。
『ブログ誕生』とはスタイルが違うものの、これに匹敵する(一部凌駕する)仕事として、日本にもばるぼらさんの『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』があるのですが、この本の刊行は2005年で、この10年のうち最初の約2年しかカバーしていないのは、仕方ないとはいえやはり残念です。
さて、なぜブログを書くのか? 模範的な回答は自分のためとなるでしょうか。ワタシ自身聞かれればそう答えるでしょうが、いわゆる承認欲求もあるでしょう。このあたりについて、レベッカ・ブラッドは『ウェブログ・ハンドブック』において実に率直に書いています。
私はウェブログに恋をしたからウェブログを始めたのだし、自分は語るべきことを持っていると思っていた。私は自分が読むサイトの作者を称賛し、今度は彼らからリスペクトされたいと思った。私は今でも同じように感じている。(132ページ)
ただ優れたブログは承認欲求だけでは語れません。ブロガーサミット2013の中で面白かった発言に、いしたにまさきさんの、自分はカバンなどまったく興味ないと思っていたのに、気が付いたらその話ばかりしているのを指摘されて、結果カバンのプロデュースをいくつもやることになったという話を踏まえた、「ブログは書き散らかしができ、蓄積されると逆に自分のことがわかってくる」があります。
これもレベッカ・ブラッドが『ウェブログ・ハンドブック』に書いているのですが、ブログは単なる自己発信だけでなく、自分自身気付いていない自分の関心や興味に気付かせてくる、自己発見を促すツールでもあります。さらにいえば、これが好き(なはず)だからこれについて書くと思いつめるのではなく、自己発見とともに変化を自然に受け入れる人のブログは長続きするのでしょう。
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登録はこちら雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。