Image: Esther Lee(CC BY)
20年後:インターネットの自由という夢の死
After Twenty Years: The Dream of Internet Freedom is Dying
2015.09.14
Updated by yomoyomo on September 14, 2015, 18:01 pm JST
Image: Esther Lee(CC BY)
After Twenty Years: The Dream of Internet Freedom is Dying
2015.09.14
Updated by yomoyomo on September 14, 2015, 18:01 pm JST
今でもあのときの記憶がよみがえっては俺を苛む
呪いのように俺を苛む
夢が現実にならなかったら、それは嘘になるのか
それとももっとひどいものなのか
その想いが俺を川に向かわせる
川が干上がっているのは分かっているのに
その想いが今夜も俺を川に向かわせる(ブルース・スプリングスティーン「ザ・リバー」)
前回の文章は、インターネットが一般的になっての20年をソーシャルメディアとネットコミュニティという切り口でワタシなりに総括した仕事についてのものでした。前回の文章は最初に朝日新聞デジタルの20周年記念特集に掲載された大森望さんの文章を引き合いに出しましたが、その後同特集にばるぼらさんの「インターネットの大きな話と小さな話、これまでの話とこれからの話」が掲載されています。
同時期にヨッピーさんのインターネット自分史も話題になりましたが、今年はいろいろな区切りがあり、歴史を振り返りたくなる時期なのかもしれません。
今回は、Medium のテックメディア Backchennel に掲載されたThe End of the Internet Dream という文章を紹介したいと思います。この文章も、これまでのインターネットの20年を振り返る文章、というか正確には先月開催された Black Hat 2015 におけるジェニファー・グラニック(Jennifer Granick)の基調講演の再録ですが、奇しくもワタシがずっと「情報共有の未来」の連載で取り上げてきた話が次々と出てくる感じがして唸ってしまいました。
日本語で読める記事では、ワタシの観測範囲では ZDNet Japan と ScanNetSecurity ぐらいしかないようなので、今回はこれを詳しく取り上げたいと思います。
ハッカーコミュニティを法律面で支えてきたことで知られる弁護士のジェニファー・グラニックが、はじめて Def Con(Black Hatと同時期に開催されるハッカーのイベント)に参加したのが20年前になるそうですが、当時自分は自由でオープンな信頼できる相互利用可能なインターネットを信じていたという話から始めます。
そしてそれは、情報は自由にアクセスできるべきで、コンピュータ技術は世界をより良い場所にするというハッカー倫理への信頼も意味しました。その「インターネットの自由という夢」を実現したくて、彼女は弁護士としてハッカーたちが重要な仕事をできるよう、彼らの弁護を引き受けてきたのです。
しかし、その「インターネットの自由という夢」は死につつあると彼女は警鐘を鳴らします。
好むと好まざるとにかかわらず、我々は自由やオープンさよりもセキュリティやユーザインタフェースや知的所有権などへの関心を優先させてきました。その結果、インターネットはあまりオープンでなくなり、より中央集権化し、より規制が強化されてしまいました。
グラニックは、中央集権化、規制、そしてグローバリゼーションという三つのトレンドを挙げ、これらが我々のコミュニケーションネットワークの未来を規定すると警告します。
このままでは、我々はますます分断され、自分たちの権利に影響を及ぼす決定さえも知ることがなくなり、インターネットはテレビのようになり、20年前に夢見たグローバルな対話は実現されず、インターネットの技術設計は検閲や管理に親和的になる、と。
グラニックが指摘する、テクノロジーの進歩が「監視の黄金時代」につながったという指摘は、ブルース・シュナイアーの新刊を思い出させますが、そもそもグラニックにとって、「インターネットの自由という夢」とは何なのでしょうか?
それは1984年にスティーブン・レヴィの『ハッカーズ』を読んだときに始まった、と彼女は振り返ります。この本に登場する、あらゆる情報は自由にアクセスできるべきと信じる古手のハッカーたちにとって、コンピュータとは、何が正しくて何が間違っているかについて人々が決定をくだせる力を与える存在でした。
この自助精神が当時の自分にはとても強く響いたと彼女は振り返ります。彼女が大学に入り、Hacker Manifesto(ハッカーの良心)を読んで、情報への自由なアクセスを望み、権威を信用せず、世界を変えたいと願うハッカーの存在を知り、その信念は強固になります。
グラニックがインターネットを利用し始めたのは1991年ですが、直感的にこのテクノロジーでどこにいる誰とでもリアルタイムに会話ができるようになることを理解し、「インターネットの自由という夢」がいつの日か現実になると信じるようになりました。
そして、20年前に彼女は刑事事件の弁護士となったわけですが、時を同じくしてアメリカでは通信品位法(Communications Decency Act)というサイバーポルノへの過剰反応に対してクリントン大統領が署名を行い、インターネットに大きな期待を寄せていた彼女を落胆させます。インターネットは誰もがパブリッシャー、クリエイターになる、あらゆるものが揃ったグローバルな場になれるのに、議会はその可能性を潰そうとしている。
同じく通信品位法に憤慨した、1995年に電子フロンティア財団(グラニックもディレクターを務めたことがあります)を設立したばかりのジョン・ペリー・バーロウが書いたのが「サイバースペース独立宣言」でした。この通信品位法は1997年に米国連邦最高裁判所において、表現の自由を侵害するものとして違憲判決がくだるのですが、あれから20年近く経ち、当時多くのハッカーが信じていたはずの「インターネットの自由という夢」は実現していないとグラニックは認めます。
続いて彼女が指摘するのは、デジタル世界に広がる人種差別と性差別です。Google や Facebook といった多様性に配慮した大企業でさえ女性技術者の割合は小さいし、何よりこの基調講演のオーディエンスを見回すと、白人男性が大多数である。これはおかしな話じゃないか。セキュリティコミュニティは歴史的に、学歴や職歴など慣例にとらわれず人材を発見し、育て、報いるのをうまくやってきたのに。多様性を受け入れることこそ、ハッカー倫理の核心ではないのか。
グラニックがセキュリティ界隈の人材の多様性について苦言を呈するのは、我々が利用するテクノロジーを理解し、修正を加える権利が、法律と複雑なシステムを理解する能力の両方の理由で制限されているという現実に対する危機感があるからでしょう。「いじくり回す自由(Freedom to Tinker)」という重要な権利が危機に瀕しており、それにはあらゆる人材でもって立ち向かわなければ適わない、と彼女は見ているのではないでしょうか。
実際、この Black Hat においても、脆弱性についての発表を企業が問題視し、発表者が犯罪捜査の対象となるケースが過去ありました。そうした案件で実際に発表者の弁護士を務めたグラニックは、そうしたネットワーク支配の生贄の実例として、アーロン・スワーツの名前を挙げます。
アーロン・スワーツについては、ちょうど彼の伝記映画『The Internet's Own Boy』が YouTube に日本語字幕つきで全編公開されているのを少し前に観たばかりだったりします。デジタルフリーダムに興味がある方は、もれなく一度ご覧になることをお勧めします。
「いじくり回す自由」、すなわちハックする自由が危機に瀕しているという認識は、今年になってしばらくその活動から離れていた電子フロンティア財団に再度コミットすることを表明した SF 作家のコリィ・ドクトロウも同様のようです。
今日、テクノロジーは我々についての情報をかつてないほど生み出しており、いずれは我々の行動の全体像を作るまでになるだろうが、それは我々市民と企業と政府のパワーバランスを変えるとグラニックは指摘します。これからの20年で、人工知能と機械学習の進化により、我々のデータを扱うソフトウェアプログラムの力はますます大きなものになるはずなのに、知的所有権を盾にそのアルゴリズムに触れることができず、フランク・パスクアーレ(Frank Pasquale)が『The Black Box Society: The Secret Algorithms That Control Money and Information』で書いた、「ブラックボックス化した社会」に我々は置かれることになります。
ソフトウェアプログラムの力が大きくなるにつれ、IoT 時代にはそのセキュリティに関する法的規制が強まることも予想されます。ソフトウェアの法的責任を避けられないのはグラニックも認めていますが、その規制がスタートアップによるイノベーションを阻害し、コミュニケーションネットワークに資金を供給する大企業中心のビジネスモデルが、インターネットのあり方を検閲や支配に親和的に変えてしまうのではないか、と彼女は危惧します。
そしてグラニックは、ティム・ウーの『The Master Switch』(邦訳は『マスタースイッチ 「正しい独裁者」を模索するアメリカ』)を引き合いに出し、個人の趣味から始まったものが大企業の産業と化し、オープンで自由闊達だったものが閉鎖的に変質してしまう、情報技術の典型的な発展の「サイクル」にインターネットもあてはまるだろうか? と問いかけます。
もしそうならば、インターネットもテレビと同様に中央集権化した企業に仕切られるものになってしまうでしょう。そして、そうならば、多くの人は「インターネットの自由という夢」をもはや共有していないことになります。それどころか、多くの人はインターネットに規制を望んでいる――。
ここでグラニックは聴衆に矛先を向けます。ここでインターネットは企業による支配に向かっていると言うと、私が企業を責めてるように聞こえるかもしれない。インターネットは政府がネットワークを取り締まることでよりクローズドになりつつあるというと、私が警察を責めてるみたいに聞こえるかもしれない。実際、その通りだ。しかし、私はあなた方も責めているのだ。そして、私自身も。人々が望むものが、結果としてますますの中央集権化、規制、そしてグローバリゼーションを後押ししているのだから(彼女はグローバリゼーションという言葉を、政府がインターネットの規制に首を突っ込み、その国民を保護しながら規制しようとする動きとして使っており、ちょっとおかしな感じがします)。
そして彼女は、今も定期的にブログ書いてる人いる? と唐突に問いかけます。自分もブログは持ってるが、今では Facebook のほうが主だと認めます。Black Hat に来ている人なら、自前のメールサーバを持ってるだろう。でも、それ以外の一般ユーザの多くは(スパムフィルタなどを理由に) Gmail を使っている。自分にしても iPhone を持っているが、ジェイルブレイクはしていない。それは Apple の App Store にあがる審査済アプリの安全性を信頼しているからだ。
結局、我々の多くは、「自分たちのもの」よりも大企業が便利さを提供し、責任を肩代わりしてくれる「奴らのもの」を選択してきたのではないかというわけです。グラニックが語る「インターネットの自由という夢」自体もそうですし、思わずブログと Facebook を対比させてしまうところなど、少し前に書いた「思想としてのインターネットとネット原住民のたそがれ」におけるデヴィッド・ワインバーガーとよく似ているのは偶然ではないでしょうし、ワタシ自身5年前、iPad 発売を控えた時期に書いた我々はどれくらい自由であるべきなのかという話を思い出しました。
「自分たちのもの」よりも「奴らのもの」を選択し、プラットフォームによりかかることで損なわれるものとして、グラニックはプライバシーを挙げます。プライバシーは自由に欠かせないものなのに、現実には監視の黄金時代というわけです。中央集権化、規制、そしてグローバリゼーションというグラニックが言う3つのトレンドは、当然ながらプライバシーに抑圧的に働きます。
それは今後、いわゆる IoT デバイスが普及するにつれてますます強まることは明らかなので、「インターネットの自由という夢」に望みをつなぐなら、嫌疑もないのに個人を監視するのを止めるため、法改正が必要だとグラニックは訴えます。そして、セキュリティはプライバシーと対に語られることが多いが、プライバシーを侵害することなくセキュリティを向上させることは可能だとも力説します。
グラニックは講演の最後に、これからの20年について話をします。
自由とオープンさの未来は、20年前に期待していたのよりずっとお寒いように見えます。しかし、それは変えられるとグラニックは訴えます。
そのためには彼女が挙げた中央集権化、規制、そしてグローバリゼーションという3つのトレンドの逆をいく必要があります。
それは包括的(グローバル)な視点を持つことで、社会の安全を守りながら人権をないがしろにしない価値観を両立させることですし、インターネットの end-to-end の原則に立ち戻った脱中央集権化を、例えばエンド端末同士による暗号の利用により実現することですし、非理性的な恐怖にかられた法律の制定を止め、既存のコンピュータ不正防止法や DMCA や愛国法といった法律を改正することです。
その方向に舵を切れば、「インターネットの自由という夢」は今でも実現可能だが、このままなら、インターネットは管理されたクローズドなものに発展し続けるだろう。我々は革命の次のライフサイクルのための技術を作ることを考える必要があるし、これからの20年、我々はインターネットを脱中央集権化し、何か新しくより良いものを作る必要がある――とグラニックは講演を締めています。
うーん、毎回原稿を書くたびに次回こそはもっと短くまとめようと思うワタシの連載ですが、今回はここまでで通常の倍の長さになっており、ここまで読んでくれている人など誰もいないような気もするのですが、「ネット原住民」というかここまではっきりとインターネット理想主義を唱える人の文章がいまどき珍しく、少し前のデヴィッド・ワインバーガーに続いて長々と紹介してしまいました。
ネットユーザは、インターネットに日常的に接してきたがゆえに、その変化を認識できないことがあります。刑務所で6年間過ごしたイランのブロガーが、シャバに出てみるとウェブがテレビのように受動的なものになっており、大企業の不透明なアルゴリズムに依存することの懸念を表明していましたが、この20年の間におけるインターネットの変質をよしとするのか、未来はどうあるべきなのか考えてみる機会になればと思います。
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登録はこちら雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。