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大学生のFacebook離れ

Facebook is not enough

2015.10.16

Updated by Ryo Shimizu on October 16, 2015, 09:14 am UTC

 今年も成蹊大学経済学部での授業が始まりました。

 坂井直樹教授の授業枠で始まるこの授業も今年が3回目。坂井教授も今年で定年ですので、私にとっても今年が成蹊大学での最後の授業となります。

 毎回、私にとっても大きな発見のある授業で、この授業を通じて教養としてのプログラミング講座 (中公新書ラクレ)の執筆につながったり、手書きプログラミング端末enchantMOONの開発が大幅に進歩したりといった成果を上げてきました。

 ベンチャー企業の経営者が大学で講義するというのは、単なる報酬の範囲を超えた素晴らしい知見をもたらししてくれます。

 また、授業を通じて知り合った学生のうち何人かは私の経営する株式会社ユビキタスエンターテインメントにインターンやアルバイトとして入ってきて、今も日々私に刺激を与え続けてくれます。

 若い学生たちと話しをしていると、いろいろな気づきや発見があります。
 それが私にとってはとても刺激的で、居心地が良いのです。

 例年、授業の資料などはFacebookで共有するようにしていたのですが、今年の授業では異変が起きました。

 なんと誰も、Facebookを使っていないのです。
 この傾向は初年度からありました。

 授業のためにわざわざFacebookアカウントを作らせるのも可哀想なのでその方法はやめにしました。
 私としては少々ショックな出来事です。

 その頃の学生はFacebookに登録はするものの、ほとんど書き込みをしない使い方をしていました。
 私の周囲では、経営者もサラリーマンも、モデルもジャーナリストも、自分のFacebookのタイムラインに「あれを食べた」「こんな場所に行った」「こんな事件は許せない」といった意見を表明したり、「みんなでご飯を食べた」という写真を投稿したりタグ付けしたりするのが日常的に行われています。

 二年前、最初に成蹊大学で授業をしたときに私は学生から、「なぜ清水さんはFacebookに誰とご飯を食べたとか、こんなイベントに行ったとかを書き込むのですか」と質問されました。

 今の日本の学生は、Facebookをオフィシャルなものと捉えて、就職活動にマイナスの影響が出ることを恐れ、基本的には「サークルを引退しました」とか「大学に入りました」くらいのことしか書かないのだそうです。

 そして個人的な思いや連絡は、TwitterやInstagramやLINEで行うのが普通で、その結果、私とFacebookでリンクされた学生たちはログインすると私の情報ばかりでWallが埋まってしまうのだそうです。
 

 しかしそれでも、2年前の学生は大半がFacebookを使ってはいました。
 ところが今年は過半数の学生がそもそも使っていない、ということになり、時代の大きな変化を感じます。

 私の次の興味は、ちょうど来年から、私の最初の生徒たちが就職して社会人になるのですが、そうなったとき、彼らがFacebookをどう使うか、ということです。

 今の大人と同じように、日常的に使うようになるのか、それとも全く使わないのか。

 そうするとコミュニケーションのあり方が世代によって全く変わってしまうということにもなります。

 
 コミュニケーションのあり方が世代によって変わるのはある意味で当たり前でした。
 大学生が大学生のために作った大学生専用のソーシャルネットワークであったはずのFacebookを大学生が使わなくなる日が来てしまうのが意外と早くて驚きました。

 ちょうど来週水曜日に秋葉原の3331というイベントスペースで私の新刊「プログラミングバカ一代 就職しないで生きるには21」の刊行記念イベントが開催されます→清水亮のプログラミングバカ一代まつり

 これは私の自伝的内容の本なので、正直に言うとこんな本を出していいのかどうか悩みました。
 が、私がボケて昔のことを忘れてしまわないうちに私が若い頃に経験した挫折や感動といったものを共有しておきたくて書いた本です。

 この本のイベントということで、当日は私の昔の写真やサラリーマン時代の同僚を呼ぼうと思っていたので、いろいろな人たちから昔の写真や動画を送ってもらうと、私も忘れていた学生時代のことを思い出しました。

スクリーンショット 2015-10-16 8.59.09

 これが高校時代の私です。

 この頃、コミュニケーション手段というのは今思えばほとんどありませんでした。

 女の子をデートに誘おうと思えば、まず学級名簿から女の子の家に電話をかけて、最大の難関、お父さんお母さんを乗り越え、取り次いでもらって初めてデートに誘えるのです。

 その頃は全く思い至りませんでしたが、今思えば、電話がかかってきた方も大変だったのではないかと思います。
 

 たぶん電話を切ったら先方ではこんな会話が繰り広げられていたのでしょう。

 「いまの電話、デートのお誘い?」

 「もう、そんなんじゃないって」

 「清水くんってアレだろ。ちょっと変わった子だってPTAで聞いたことあるぞ」

 「確かに変わってるけど、そういうんじゃないから」

 「で、行くの?デート。もしかしてもうあんたたち付き合ってんの?」

 「何!ケイコ、お父さんに相談もなしにそういうことをするのは、お父さん悲しいな」

 「だから違うってば」

 一大事です。

 そうか。だからデート断られたのか。

 と今なら思いますが、いや大変だなあと。

 いざデートの約束をしても、その後が大変でした。

 花火大会にかこつけて、駅で待ち合わせたのはいいものの、張り切って浴衣を着て来る彼女を記憶に収めるために親父からお下がりされた一眼レフをとりに家にもどると、交通規制がかかってます。ものの30分で戻れるはずが、自転車で向かうことになってしまったので1時間も遅刻してしまい、彼女は大怒り。

 携帯電話なんて便利なものはないので、お互いの家の人に伝言することでしか連絡をとることができませんでした。

 それでも1時間も待っててくれたというのは、そういう時代だからこそでしょう。

 大学に入ると携帯電話が普通に買えるようになったのですが、それでも当時は携帯電話を持っているのはお金持ちの学生だけでした。

 自分が持っていても相手が持っていないことが多くて、やはり池袋のマクドナルドで3時間も女の子を待たせてしまったことがあります。

 そういう時代に比べると、LINEで即座にコミュニケーションがとれる現代はなんと便利なのでしょうか。

 そして、LINEしなくても、Facebookになんとなく近況を書き込んでおくと、久しぶりに会った知人ともなんの違和感もなく話ができる状況というのは実に便利です。

 私の場合は、Facebook以前にもブログをずっと書いていたので、「いつもブログ読んでるから久しぶりに会った気がしない」と言われていましたが、今やFacebookがあるので、そういう便利な親近感覚を持っていただくにはFacebookは最適なツールではないかと思うのです。

 それに比べると、Facebookを使わずにLINEやTwitterしかしない学生たちは不便を感じていないのか、ときどき疑問に思います。

 でも、学生にとって自分の世界は、大学や学部といった狭い世界と、サークル、アルバイト先、くらいしかありません。

 世界のサイズがそのくらいならば、わざわざFacebookで何年も連絡を取らない人にそれとなく近況報告をするメリットもないですし、むしろ世界が狭い分、自分の情報をあまり発信したがらないのかもしれません。

 これが社会人になると、実はとても便利で、十年以上も会っていない人たちと今も繋がることのできる有難味がわかると思うのですが、もし彼女たちが卒業後、このままFacebookを使わない生活を受け入れるのかと思うと、そこに新しいビジネスチャンスがあるのかもしれません。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。

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