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考えすぎという罠

The trap of too deep considering

2016.01.06

Updated by Ryo Shimizu on 1月 6, 2016, 07:00 am JST

 熟考または熟慮という言葉があります。

 この「考える」という行為に「熟する」という漢字の組み合わせ、すなわち深く考える、よく考える、という単語は英語には直接対応するものはないようです。

 研究社の「新和英中辞典」では、「熟考」を検索すると単に「consideration」という言葉が出てきます。
 言うまでもなく、「考える(consider)」の名詞形ですから、特に「よく考える」という意味はありません。

 例文でも「Money is no consideration(金など問題ではない)」などとでてきます。
 considerationを単に「熟慮」と訳そうとすると無理があります。軽いのです。日本語の「熟考」に比べて、英語の「consideration」は実に軽い。

 ですが、軽いということが必ずしも悪いこととは限りません。
 世の中には考えすぎた結果、おかしなことになることが少なくないからです。

 スタートアップの世界には、考えすぎと考えなさすぎの2つの悪癖があります。
 この2つはどちらもなかなか自分では気づきにくく、他人から指摘されても修正するのが難しいという点で似ています。

 また、そしてどちらの場合も早い段階で失敗します。その意味では考えすぎと考えなさすぎは兄弟のようなものです。
 ソドムとゴモラ、バットマンとロビン、宮川大助・花子、R2-D2とC-3PO、そんな感じでしょう。

 
 しかし、考えなさすぎは、時には美点でもあります。
 考え過ぎて一歩も前に進めなくなるよりも、なんとなく「えいやっ」と決めたら、そこに向かって突っ走っていく、オフロードしていく、そういう気合と根性がなければそもそもスタートアップなどやろうとは考えないはずです。

 しかし、考えなさすぎてもやはりダメなのです。
 時には立ち止まって、深く考える時間も必要です。
 

 しかし深く考え過ぎると、どんどん自分の考えがまとまらなくなって気が付くと一歩も進めなくなっている・・・・なんてことになります。

 これはちょうど水泳に似ています。

 息継ぎしなければ溺れてしまうし、かといって息継ぎばかりしていても前には進めません。

 そのせせこましい運動が嫌なら、そもそも泳ぎなどしなければ良いのです。
 自転車やジョギング、登山などと違って、水泳は休んだら負けのスポーツです。プールならまだしも、海で遠泳などしようものなら、泳ぐのをやめることは死を意味します。

 それでも、考えなさすぎは考えすぎよりはマシです。
 なぜなら、形はどうあれ考えずに動いた結果、状況は刻々と変化していくからです。

 状況さえ変わらないような状態に陥り、気が付くと身動きがとれなくなっている、というのは考えすぎのパターンです。

 
 よくある「考えすぎ」案件は、特に新人作家に多い傾向です。

 曰く、「まだ書くべき時期が来てない」「最初から傑作を書くために構想を練っている」などなど、口ばっかり達者な自称クリエイターが世の中には跳梁跋扈しています。

 よく指摘されることですが、こういう人たちはひとたび実際に何かを作ったら自分に才能も能力もないことがバレてしまうため、そして自分自身でも決してそれを認めたくはないため、むしろ積極的に作品を作らないことによって自分は偉大なクリエイターになれる(かもしれない)という可能性に酔いしれているのです。いわばシュレディンガーの猫的なクリエイターと言えるでしょう。作品が一つもない場合、いずれ創りだされる作品が駄作か傑作か、誰にもわからないわけですから。

 もちろん、かなり高い確率でその人は傑作を作ることが出来ないことは周囲にも本人にもわかっています。それでも実際に「しょぼい自分」を確認したくないので、ひたすら守りに入り、精一杯の去勢を張って生きるのです。

 とはいえ、この「考えすぎ」はまだ無害な方だと思います。
 本人が周囲から滑稽に思われる点以外では、特段、本人以外は誰も不幸せにならないからです。

 深刻な「考えすぎ」案件は、スタートアップの中にあります。

 スタートアップがスタートする、まあ今風にキックオフと呼ぶことにしますが、スタートアップがキックオフする瞬間は、ほぼ全員が「考えなさすぎ」という状態を保っているはずです。

 「これがこうなってあれがこう。よし、なんとかイケル!」と考えてキックオフスタートアップは少数派ですし、そもそもそこまで堅実なビジネスはスタートアップとは呼ばれず、単に「独立」と呼ばれるでしょう。それはそれで素晴らしいことです。

 私は以前、アメリカ西海岸の「考えなさすぎ」スタートアップの副社長をしていたことがあります。

 当時はまだiPhoneが登場するはるか前で、日本での携帯電話コンテンツの隆盛を遠目に見ていたアメリカの投資家が、「アメリカ本国でも携帯電話コンテンツがブレイクするはずだ」という皮算用で膨大な投資をしていた頃です。

 この頃は携帯電話の仕事をするというだけで簡単にファンドレイジングができました。

 私の上司はファンドレイジングに命を賭けている男で、そして驚くべきことに、ビジネスにはほとんど何の興味もない人でした。

 ビジネスに関しては特に興味も感心もなく、ただアジテートして、ファンドレイジングすることだけに情熱を傾け、そして実際、ファンドレイジングにいくつも成功しているという、いかにもザ・アメリカのアントレプレナーといった感じの人でした。

 しかし、これは私の会社だけではなく、当時のドットコム・クラッシュ(第一次ネットバブル崩壊)後のアメリカ西海岸のアントレプレナーとしてはごく普通の発想でした。

 さらに驚いたのは、その仕事を通じて知り合った他のスタートアップの人たちも、軒並み、信じられないくらいに脳天気で、「おいおいマジかよ」と真顔でツッコミを入れたくなるような、平たく言えば、ゴミ屋敷にさえも、もうちょっとマシなものが落ちてるんじゃないの?と心配になるような"キラーテクノロジー"でキックオフしたスタートアップが大勢いたのです。

 彼らは軒並み脳天気で、自分たちの製品が世の中を変えるイノベーションを起こすということを本気で・・・信じているようには全く見えませんでした。

 むしろどちらかというと、「自分たちの製品が世の中を変えるイノベーションを起こすのだ」という言葉を、まるで不信心な無精者が急に身内の不幸かなんかに出くわしてうろ覚えの南無阿弥陀仏を唱えるがごとく、とにかく、心のこもらない言葉を繰り返すのでした。

 私は当初、西海岸の起業文化は、もっとアッパーでハイテンションなものだと信じきっていたので、ヒッピーみたいな連中がガレージみたいな子汚い部屋でマリファナなんか吸いながら「ヒャッハーー!」と叫びつつ、「すまんな、どう控えめに表現しても、俺は天才だぜ」ターンッ!とENTERキーをぶっ叩くイメージだったんですが、なんかそういう80年代的な世界はどこにもなく、適当にオシャレなオフィスと、適当にオシャレな家具、適当にオシャレな水と、果物。冷蔵庫、シリアル、ラグジュアリーマンションに、連日のバーベキューパーティ、あったのはそれくらいでした。

 だから、「ザ・ソーシャル・ネットワーク」みたいな世界を期待してシリコンバレーに渡っても、あんなアッパーな連中はどこにもいなくて、死んだ魚のような目をして、個性的ではあるが何に使うのかわからないアプリを見せながら「コノあぷりガ世界ヲ変エルいのべーしょんヲ起コス」と、宇宙人が再生するMP3ファイルの如く合成音声を連呼しているだけでガッカリするのではないかと思います。

 ロサンゼルスでベンチャーを何度か立ち上げ、わりとその筋でも有名な友達がいました。

 彼のオフィスに何度か遊びに行ったのですが、いつ行っても活気がありません。
 みんな凄く広い個室を割り当てられて、食べ放題のシリアルとゴキゲンなコーヒーとゼリービーンズがあるのに。

 言うまでもなく彼らのサービスがどうしようもないからなのですが、私はふと聞いてみたことがあります。

 「なあ、君らはこのアプリが世界を変えると思ってるの?」

 すると彼は答えました。

 「もちろん思ってるさ。ただひとつだけ些細な問題があってね。このアプリを必要としている人はどうやら地球上に3人もいないらしいんだ。なぜなら、このアプリを作ってる20人のスタッフのうち、毎日このアプリを起動している人間はゼロなんだからね」

 ハハッと笑って、彼は私にバナナを差し出しました。

 私は受け取りながらさらに聞きます。

 「どうするのさ」

 彼は答えました。

 「さあな。それについてはいろいろ考えた。考えて考えて考えて、そして、うん、まあ、考えても仕方がないとわかったんだ」

 これが「考えなさすぎ」の人たちです。

 しかしスタートアップはこれでいい、と考えられている時代もありました。

 事実、彼らはそんな状態でも会社を三年は継続させたのですから立派なものです。私からみれば、三年間人の金で遊んでいるようなものでした。そして彼らはまた別のビジネスを思いつきます。それがフィットネスだろうと鯛焼き屋だろうと私は驚きません。彼らは本当のところ、イノベーションを起こそうなんて微塵も思っていないのです。

 では考えすぎの人たちはどうかというと、実はもっと深刻でした。

 やはり西海岸で、とある有名なベンチャーを上場させた伝説的経営者が新しくスタートアップを始めるというので業界の注目を浴びていました。
 私自身も注目していて、彼のところに何度か話を聞きに行く機会に恵まれました。

 最初に驚いたのは、製品のイメージが恐ろしく抽象的すぎることでした。

 「なあ、リョウ、君は何のために生きている?生きるとはどういうことだ?」

 あまりにも禅問答的な問いかけに、私は一瞬、言葉を失いました。
 そもそも独学で学んだ拙い英語ですから、こういう問答に的確に応えるのは難しいのです。

 「生きることとは何か。・・・とてもむずかしい問題ですね」

 そう答えるのが精一杯でした。

 すると彼はニヤリと笑い、テーブルからプラムの実をひとつまみとりました。

 「生きるというのは、このプラムと同じさ。皮があっても一皮むけば果実がある。これが人生。これが俺たちの製品の精神そのものなんだ」

 あまりに突飛な答えに頭が混乱しました。
 彼らが作っていたのは、普通に考えれば、ただのWebサービスなのです。

 別にプラムや人生に例えるよりも遥かに簡単なたとえ・・・たとえば紙ばさみやファイルや連絡帳など、いろんな例え方があるのに、よりによって彼はそれをプラムに例えたのです。

 もしかすると、なにか私には想像もつかないような隠喩が隠されていたのかもしれません。
 キリスト教圏でなければわからない特殊なシンボルがあったのかもしれません。

 単にからかわれただけかもしれません。

 しかし西海岸で出会った何人かの起業家は、老いも若きも、しばしばこの、「考えすぎて発想が常人には理解できない領域にぶっ飛んでしまう」ということを体現していました。

 こうなると、もはや技術革新(イノベーション)どころの騒ぎではありません。
 やろうとしていることは宗教革命です。

 そして驚くべきことに、こういう、わけわかんないくらいに考えすぎてしまう人もまた、スタートアップとしてファンドレイジングに成功してしまいがちなのです。

 確かに私が投資家だったら、何かわかんないけど凄いことを言ってそうな気がする人に少しは投資してみたい、と思うでしょう。

 そう、もう気づいたかもしれませんが、西海岸のスタートアップにおけるアントレプレナーとは、投資家を相手にした大道芸人みたいなものなのです。

 いかに投資家の前で魅力的なダンスを踊るか。
 その場で多額の金をディールするか。

 みんながみんな、そんなトリックスターばかりではありませんが、こういうトリックスターが一定数混じっているのがシリコンバレーです。

 私自身もコンサルティングの仕事で、現地のベンチャー企業のデューデリジェンスに関わったことがあります。
 デューデリジェンスとは、要するに値踏みです。

 その企業に本当に値打ちがあるのか、株価は適正か、買うべきか、買わないべきか、それを助言する仕事でした。

 私が評価したのは主に技術面ですが、技術面ほど「考えすぎ」と「考えなさすぎ」の境界線がパッキリと解るものはなくて面白い仕事でした。

 技術面で考えすぎの会社は、まだ世の中に存在もしていない自社プラットフォームの、セキュリティに過剰に配慮した結果、異常にボリュームが大きく、メンテナンスしづらく、プロジェクトの方針転換のし辛い、窮屈かつ柔軟性に欠けたシステムを莫大な費用で作りたがります。

 こういう会社は主にCTOがとても真面目で、以前の職場はMicrosoftやGoogle、IBMといった大企業で、そうした巨大企業の大規模ソフト開発しか知らないから最初からMicrosoft製品のように巨大で複雑なものを作ろうとします。

 考えなさすぎの会社は、自社製品のドキュメントがきちんと整備されていなかったり、特許をとっていなかったり、APIの命名規則がバラバラだったり、設計がそもそも100人くらいのユーザーで破綻するようになっていたり、とにかくデタラメです。

 こういう会社はCEOのパフォーマンス先行で、金を集めたはいいものの、優秀なアーキテクトやエンジニアが定着せず、幾度かの空中分解を経てヘロヘロの状態で追加資金を募っている、という感じです。

 私は結論からいうとどちらのタイプの会社も投資する価値はないと考えます。

 どのスタートアップにも共通しているのは、ビジネスにしろアプリにしろ、新しいプラットフォームを作るということです。
 ということは新しいプラットフォームは、まだ目標関数が定まっていません。
 目標関数が定まっていないのにMicrosoft製品のようなガチガチの作り方をするのは論外ですし、だからといってアルバイトの学生に行き当たりばったりで作らせたシステムを青息吐息で騙し騙し使うというのも違います。

 優れたスタートアップはシンプルかつ柔軟性の高い、日本建築のようなアーキテクチャを骨格としながらも、最低限の実装だけで回るシステムを持っています。こういう会社だけが生き残ることができる会社です。

 実際、私が投資を勧めなかった会社は二社とも吸収合併され、エンジニアは散り散りになっています。
 買収した会社は特許だけが欲しかったのです。考えすぎのソースコードも、考えてなさすぎのソースーコードも全て捨て去られました。

 そして幸い、投資を推薦した会社は今も一線で活躍しています。
 

 考えすぎてもいけない、さりとて考えなさすぎてもいけない。
 バランスをとるのは難しいですね。

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清水 亮(しみず・りょう)

1976年新潟県長岡市うまれ。6歳の頃からプログラミングを始め、16歳で3DCGライブラリを開発、以後、リアルタイム3DCG技術者としてのキャリアを歩むが、21歳より米MicrosoftにてDirectXの仕事に携わった後、99年、ドワンゴで携帯電話事業を立上げる。'03年より独立し、現職。'05年独立行政法人IPAより天才プログラマーとして認定される。

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