映画『杉原千畝 スギハラチウネ』に見る情報収集:第二次大戦時のリトアニアのユダヤ人と日本
2016.02.22
Updated by Hitoshi Sato on February 22, 2016, 12:30 pm JST
2016.02.22
Updated by Hitoshi Sato on February 22, 2016, 12:30 pm JST
2015年12月から上映されている映画『杉原千畝 スギハラチウネ』が興味深かった。年末年始に見た人も多いかもしれない。杉原千畝氏は、外交官として、ロシア語、ドイツ語だけでなく英語フランス語など数カ国語を操るインテリジェンス・オフィサーとしてリトアニアに赴任している時に、ナチスドイツの魔手から逃れようとするユダヤ人らにビザを発給した。そのことから「日本のシンドラー」とも言われている。
https://www.youtube.com/watch?v=hIfNVu5G220
杉原の任務は、現地の情報を収集して分析して報告すること、つまり諜報活動だった。いわゆるスパイである。映画の中でも独ソによって分割されて国がなくなってしまったポーランド政府のスパイであるペシュを杉原の運転手として雇い、2人で協力しながら諜報活動を行っていた。
当時は現在と違ってテレビやインターネットもないから簡単に情報を収集することはできない時代だった。杉原自身も自分で足を運んで、得意の外国語を駆使して多くの人と会って話を聞いて、情報収集し、その情報を元に分析して、ドイツの大島大使ら上司に報告していたことが映画の中でも見られる。例えば、家族でピクニックをして記念写真を撮ると見せかけて、ペシュがドイツ軍のソ連侵攻に向けた動きを撮影して、その写真を元に杉原は大島大使に説明していた。
何でもかんでもあらゆる情報がネットで瞬時に入手できる現在において、改めて情報収集において「自ら足を運び、直接人と会って話をして、自分の目で見る」ことの重要性を再確認させられるものだった。情報だけなら簡単にネットで入手できる時代、それら多くの情報の中から、何が正しくて、どのように分析して正しい解を導いていくかの判断をするには、現在でも「自ら足を運び、直接人と会って話をして、自分の目で見る」ことが重要である。
▼リトアニアの首都ビリュニスにある杉原氏の記念碑
戦前のリトアニアはユダヤ人が多く住んでおり、ユダヤ人が築いた高い文化が花開いていた。とりわけビリニュスには6万人のユダヤ人が住み、「北のエルサレム」と呼ばれており、イディッシュ文化の中心地だった。それがホロコーストでほとんど破壊されてしまった。
そしてリトアニアは非常に親日的な国である。その要因は杉原が第二次大戦時にユダヤ人へビザを発行したからだと思われているが、リトアニア人の多くは当時、ユダヤ人に対して嫌悪感を抱いていた。映画の中でも、町の中でリトアニア人がユダヤ人に暴力を働いており、杉原夫人が車の中から運転していたグッジェに尋ねるシーンがある。リトアニア人のグッジェは淡々と「ユダヤ人だからです」と答えていた。リトアニアでは当時、ユダヤ人というだけで差別、迫害の対象であり、ナチスが侵攻してきたことに対して堂々とユダヤ人迫害に加担したリトアニア人も多かった。
当時、多くのリトアニア人は進んで自らの意志でナチスに加担してユダヤ人の虐殺を手伝っていた。彼らの貢献ぶりが大きかったので、ナチスは彼らをポーランドに連れて行って、ポーランドでのユダヤ人虐殺を手伝わせた。
杉原ビザを貰えても、これは「しくまれた策略」ではないかと疑うユダヤ人もたくさんいたそうだ。映画ではビザを貰ったユダヤ人は喜々としていたが、シベリア鉄道でロシアを横断して、ウラジオストックから船で日本に到着する代わりに、恐怖のスターリン配下のロシアへと連れて行かされるのではないかと疑っていた人も多くいたそうだ。そのくらいユダヤ人は騙され続けていたのだ。さらに日本通過ビザを受けたユダヤ人はウラジオストックまでロシアを横断するために、恐ろしいソ連秘密警察の許可を必要としていた。それでもリトアニアにいてもナチスかロシアに殺されることから、もはや背に腹変えられずに日本へ向かった。日本へ向かう船に乗れた時は相当に安堵したことだろう。
▼リトアニアの首都ビリュニスにある国立ユダヤ博物館と記念碑。「グリーンハウス」と呼ばれている緑色の木造の建物で、迫害されたユダヤ人の歴史資料のほか、杉原氏に関する資料も多く展示されている。
▼リトアニアでのユダヤ人犠牲者の記念碑
現在のようにテレビやインターネットがあって、情報が瞬時に入って来る時代と異なり、当時の日本人はユダヤ人なんて見たことがない人の方が多かっただろう。そもそも一般の日本人はユダヤ人を知らない人も多かっただろうし、当時ドイツでユダヤ人が迫害され、大量虐殺されていたことを知っている日本人もほとんどいなかったのではないだろうか。大量に難民としてユダヤ人が入国してきて、初めて見るユダヤ人に驚いたことだろう。個人的にはこの辺りの日本人の反応や、ユダヤ人の見た日本の生活や文化の視点を映画の中で盛り込んでもらいたかった。
敦賀に下船したユダヤ人にとって、日本は風変りでエキゾチックな土地だった。人々は規律正しく勤勉で一見したところ穏やかだが、内向的で疑い深くもあった。ヨーロッパでは日本人と中国人、朝鮮人の区別が全然つかなかったが、日本に来て少しずつ日本人の容貌の特徴がわかるようになったと伝えられている。そして神戸に到着したユダヤ人は神戸の日本ユダヤ人協会によって手厚い保護を受けた。神戸には、1940年に約100人のユダヤ人が住んでいて、多くが織物を扱う貿易商だった。彼らはシベリア鉄道が整備された1920年代から1930年代に、ロシア中央部や東欧から満州国に移り、商品を世界各地に向けて船積みするために神戸に来ていたユダヤ人である。そして神戸にいたユダヤ人のほとんどがロシア語を話した。杉原に助けられたユダヤ人のほとんどもロシア語を話した。言葉の壁がないことが相互扶助に役立ったそうだ。日本に到着してから、ユダヤ難民は同胞だけでなく日本人からも深い憐みの心を持って迎えられた。難民の中には相当数のラビと神学生が含まれており、もみあげを長く垂らした顎鬚を伸ばしたユダヤ人は、日本人には珍しい姿だったと伝えられている。
当時の日本にも一部には、反ユダヤ主義的な考えはあったそうだ。日本でユダヤ禍説が新聞雑誌上に現れた最も古いのが大正12年に出版された北上梅石氏の『猶太禍』と言われている。他にも、酒井勝軍の『猶太人の世界征略運動』『ユダヤ民族の大陰謀』は大正13年2月と3月に刊行。また藤原信孝の『不安定なる社会相と猶太問題』が大正13年、『猶太民族の研究』は大正14年3月に発行されている。包荒子の『世界革命の裏面』は大正14年、『世界の猶太人網』は昭和2年に出版されている。しかし多くの日本人にとっては遠いロシアや欧州でのユダヤ人の問題は遠い世界の話であり、「ユダヤ人が世界を侵略する」という、今でも信じ難いような話には、当時も多くの日本人はついていけなかっただろう。
そもそも、多くの日本人にとってユダヤ人やユダヤの文化は、日本の歴史やの社会、文化政治の枠外にあった。まして反ユダヤ主義は一般の日本人にとっては無縁の話だった。日本の社会はユダヤの問題に関心を持たなかったし、ほとんどの政治家や軍人にとってもユダヤ人やその運命は謎めいたものだった。
ドイツ大使館は日独文化協定を締結してから、日本でも反ユダヤ的な展覧会や講演会、反ユダヤ文書の配布などのキャンペーンを展開したようだが、それらは全て失敗に終わっていた。反ユダヤの機運を広めるためにドイツ大使館によって、多くの試みが行われ、展覧会を訪れる人は多かったようだが、政治的関心よりは好奇心からだったそうだ。日本人にはもともとユダヤ人への知識や関心が乏しかったこともあり、急に「ユダヤ人を憎め、嫌え」と言われても受け付けるはずはなかった。ドイツ大使館の取組みは効き目がなかった。反ユダヤ主義者はどちらかというと軍部に多かったが、彼らもユダヤ人の大量虐殺など考えたことはなかった。
当時、日本は自国の歴史や文化と遠くに存在しており、遠い欧州で迫害されて非難してきたユダヤ人を差別、迫害はしなかったが、その一方で朝鮮人を差別、迫害していた。「関東大震災の要因は朝鮮人だ」とデマが流れて、多くの在日朝鮮人が日本人によって虐殺された構造は、ナチスがユダヤ人を迫害した構造とほぼ同じである。これもまた情報を正しく判断できなかったことに起因する悲惨な歴史の1つであるが、日本における朝鮮人問題の歴史は今でも終止符がついてない。
【参照情報】
・映画「杉原千畝」オフィシャルサイト
・『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか:ナチス時代のハルビン・神戸・上海』ハインツ・E・マウル著、黒川剛訳 芙蓉書房出版 2004年
・『日本に来たユダヤ難民: ヒトラーの魔手を逃れて 約束の地への長い旅』ゾラフ・バルハフティク著、滝川義人訳 原書房 2014年
・『それぞれの旅―愛と哀しみのホロコースト』エスタ・ハウツィヒ著、天野宏子訳 原書房 1994年
・『ユダヤ禍の迷妄』満川亀太郎 慧文社 2008年
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登録はこちら2010年12月より情報通信総合研究所にてグローバルガバナンスにおける情報通信の果たす役割や技術動向に関する調査・研究に従事している。情報通信技術の発展によって世界は大きく変わってきたが、それらはグローバルガバナンスの中でどのような位置付けにあるのか、そして国際秩序と日本社会にどのような影響を与えて、未来をどのように変えていくのかを研究している。修士(国際政治学)、修士(社会デザイン学)。近著では「情報通信アウトルック2014:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)、「情報通信アウトルック2013:ビッグデータが社会を変える」(NTT出版・共著)など。