Pokemon Goと人間が求めるもの

Pokemon Go and what people want

2016.07.20

Updated by Mayumi Tanimoto on 7月 20, 2016, 08:01 am JST

イギリスでPokemon Goがリリースされてしばらく経ちましたが、Pokemon Goのニュースを耳にしない日はありません。電車の駅でも、ショッピングモールでも、公園でも、カフェでもプレイしている人がいます。人種も年齢も職業も様々です。

私はポケモンが流行り始めた頃は大学生で、ポケモンというとまず頭に浮かぶのはChinpokomonだったりする大人だったりする上、自分がノスタルジアを感じるゲームは夢幻の心臓IIだったりするわけですが、とりあえず流行りものには飛びつかなければと思い、モバイルバッテリーを片手にポケモンを探しにいってみたわけです。

足にマメを作りながらモンスターを集めてわかったことは、なぜこのゲームが多くの人を魅了するかです。

 

先進国だけではなく発展途上国でも、貧富の差は拡大しています。中流の実質賃金は下がる一方です。格差が広がると、それぞれの生活圏は分断されていきました。

「みんな」が楽しむイベント、「みんな」が行く店、「みんな」が行くレストランは消えました。

スマフォにNetflix、衛星テレビが当たり前になり、「みんな」が楽しむ音楽番組、「みんな」がみるお笑い番組も消えました。

先進国では分断された社会が広がりました。アメリカではトランプ派とヒラリー派で国がまっぷたつに割れ、イギリスは離脱派と残留派で割れました。フランス、ドイツ、デンマーク、イタリアは移民問題で国が割れています。

低所得層は高所得層を憎み、高所得層は生産性の低い人々を白痴と呼び、多数派は移民を排除せよと叫び、キリスト教の世界の人々はイスラム圏を批判し、日本は中国を批判し、ウクライナはロシアを憎んでいる。

世界中に対立と憎しみが溢れかえり、それは、連続するテロや、グローバリゼーションの進展で増幅しています。

誰もがそんな状況に疲れ果てています。

 

そこに登場したのがPokemon Goです。

階層も人種も年齢も政治的信条の異なる人達が、モンスターを求めて町を歩き回り、情報を交換しあい、会話し、笑いあっている。

8,000円のスマフォでも10万円のiPhoneでもプレイできるので、高価な道具やユニフォームを買う必要はないし、ゴルフクラブの会員になる必要もないのです。

画面の向こうではなく、目の前に人がいて、実際に会話したり、一緒にコーヒーを飲めるのです。

いつも通りすぎてしまう公園やタバコ屋の前に行けば仲間がいる。誰かと話をするのにジムに行く必要も、コワーキングスペースのイベントにお金を払って参加する必要もありません。

 

インターネットが普及した頃、世の中はもっと良い方向に進むと思われていました。国境を超えて情報が行き来し、見ず知らずの人と交流することで、生活に喜びとうるおいをもたらすと思われていました。

しかし、ちょっと前からインターネットはサイロ化と憎悪を拡張する道具となり、「普通」の人達が、ソーシャルメディアで同級生の生活を見て、自分の人生の惨めさを実感する場になってしまいました。

しかしPokemon Goには、孤独、憎しみ、格差、妬み、悪口、羨望は存在せず、そこにあるのは、発見、喜び、協力、連帯、楽しさ、対話、です。

 

人間とは、基本的に「善」を求める存在なのです。

 

WirelessWire Weekly

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谷本 真由美(たにもと・まゆみ)

NTTデータ経営研究所にてコンサルティング業務に従事後、イタリアに渡る。ローマの国連食糧農業機関(FAO)にて情報通信官として勤務後、英国にて情報通信コンサルティングに従事。現在ロンドン在住。

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