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明晰な知能とはどういうことか

What is the bright intelligence?

2016.09.22

Updated by Ryo Shimizu on 9月 22, 2016, 17:50 pm JST

 「頭の良さ」とはなんでしょうか。

 よく、「あの人は頭がいい」とか、しばしば「彼は地頭はいい(けど性格が・・・)」とかいいますが、どんなに頭が良い人でも囲碁や将棋でAIに勝つことはできない時代に突入しています。

 ということは、「頭の良さ」を測る尺度が必要です。
 人類全員が囲碁を遊んでいるなら話は簡単なのですが、そうでもないから「頭の良さ」を証明する方法がなくて困るわけです。

 ひとつの指標として、日本人の約半数が経験する大学受験を例に用いてみましょう。学校基本調査によると、2016年の満18歳人口は119万人、そのうち大学受験をしたのは河合塾の推定では67万人です。

 この67万人がセンター試験や模試を受け、自分の実力を測ることになります。
 受験専用AIである東ロボくんについて考えてみましょう。

 東ロボくんは2011年に国立情報学研究所(NII)がスタートしたプロジェクトで、2016年までにセンター試験で高得点をマークし、2021年までに東大に合格することを目標としたAI開発プロジェクトです。

 2015年6月には、東ロボくんの成績は5教科合計で551点(全国平均416.4点)、偏差値は57.8で、これは大半の受験生よりも優れていることを意味しています。特に数学と世界史では偏差値65を超えていて、まさしく驚異的とも言える成績です。

 反対にニガテとしているのが本来受験では点数が取りやすいといわている国語や英語、そして物理です。

 物理の問題は実は寓話が多くどちらかというと国語に似ています。設問を読んで頭の中で理論構築をしないと解けない問題もあるので、数学に比べると少し高度な知性が必要なのかもしれません。

 とはいえ、ここまでの成績が出せるということは本当に驚きです。

 AIが発達すると人間の知力や学力の差に今ほど高い価値がなくなる可能性があります。

 2016年に偏差値57.8未満の受験生は既に原始的AI以下の学力ということになります。日本の大学教育で入学後に学力が上がる見込みはほとんど期待できないので、ここからピークアウトしていくことが予想されます。

 ということは、少なくとも学科試験においては既に大半の受験生よりAIの方が賢いということになってしまいます。

 日本の半数は受験社会です。受験を本気で考えている人は子供の頃から受験を意識して勉強を続けます。筆者が小学生の頃も両親から大学に行くようにと熱心に勧められ、ひたすら勉強に打ち込む日が続きました。それでも生来の飽きっぽさから学校の勉強に挫折し、常に手を抜いて最低限度の成績で第一志望に合格するということを繰り返す、今思えばある意味で要領のいい、別の見方をすれば落ちこぼれた少年時代を過ごしました。

 筆者の育った田舎町では、大学受験で国公立に行こうとするなら行くべき高校の選択肢がほとんど一つしかなく、その高校に入れるように勉強しない人は、そもそも大学受験を諦めた人だ、と見做されました。少なくとも筆者の周囲にはそういう価値観の人が少なくありませんでした。筆者が公立小学校から国立の大学附属小学校に転入することになったのも、国公立大学に進学して欲しいという両親の強い希望があったからです。

 そしていざ大人になってみて、少年の頃、あれだけ嫌だった受験勉強をしなかった、公立小学校時代の友人と久々に再会することがありました。

 そしてなんと、彼らは彼らでとても幸せそうだったのです。
 

 いったいぜんたい、あの受験勉強と格闘した日々はなんだったのか。
 筆者は今になっても、あの頃、球の体積を求める公式を覚えた意味がわかりません。これは本当は無意味なことなんじゃないか、そう疑問を感じながら過ごしたのです。

 僕の居た環境では、受験社会に身を置いた途端、勉強をしない、勉強ができない人間は「落ちこぼれ」と呼ばれ、バカだのクズだのと平然と言われます。それも先生からです。

 まあ確かに、受験勉強に興味が湧かなかったというのは、親や先生方の世代から見れば「賢くない」振る舞いだったのかもしれません。その頃は確かに、学歴が高い方が収入も高いという関係が成り立っていたのでしょう。

 しかし、「求められる賢さ」の質が、時代とともに変化していることは厳然たる事実です。

 たとえば、ほんの半世紀ほど前のエリートは字が綺麗でなければ務まりませんでした。

 きれいな字を速く正確に書けることが知性の根幹を成す重要要件です。なぜならば、ワープロが普及していない時代、文字を綺麗に書けなければ情報や知識の共有もままならないからです。

 そして、計算を正確にできること、複雑な数式の概念を理解して実際に数式を使えることが重要でした。

 例えば、文系であっても、経済学部などでは重回帰分析などで非常に複雑な計算をしなくてはならず、基本的な教養としての数学的知識が要求されます。

 ところが今はどうでしょう。重回帰分析はExcelの機能一つで呼び出せます。K-meansもRの関数ひとつです。

 大量の計算を人間がする必要性が薄れているのです。
 高度な手法をブラックボックス化し、誰でも使えるようにするのがプログラミングの持つ潜在的なパワーです。

 つまり、パーソナルコンピュータの出現以後の世界では、「賢さ」に必要とされる性質が変化してきているのです。そしてこれはあらゆる道具の進化に言えることです。

 たとえば離散コサイン変換を知らなくても誰でもJPEGが扱えます。離散コサイン変換を知らなければいい写真が撮れないと考える写真家は居ないでしょう。

 道具の原理を解き明かすことも重要ですが、時代が進んでいくと道具の多くはブラックボックス化され、道具そのものの性質を知るよりも、道具のより高度な活用法を習得するほうが価値が高くなります。

 たとえば、自動車の構造に詳しくなると、自動車を作ることが出来ます。それはそれで高度なことですが、大半の人々は自動車を作るわけではなく、自動車を上手に運転することの方が重要です。自動車の免許を習得するときに簡単な原理は学びますがほとんどの部分に関してはブラックボックスとして学ぶし、それで充分、自動車を使うのに不自由しなくて済むわけです。

 自動車を使うにもいろいろあります。
 マイカーとして使って通勤や通学に使うこともできますし、いろいろな人を乗り合わせて大量に輸送するバス会社を立ち上げることもできます。タクシー会社も同様です。もしかしたら、荷物だけを運ぶ宅急便の会社もいいかもしれません。Uberのように、スマートフォンで時間のあるドライバーを集めて、アプリひとつで呼び出せるタクシー会社を作るという手もあります。

 これが「道具のより高度な使い方」です。Uberを立ち上げるのに4サイクルエンジンの内燃機関に関する知識は全く不要です。気がつけばEVになっているでしょうし、EVになるときにモーターの原理を知っている必要もないのです。

 だとすると、東ロボくんが挑戦し、破壊しようとしている価値、すなわち受験勉強の持つ潜在的な価値は、近い将来無意味化する可能性があります。

 これは成功したIT企業のトップが軒並み大学中退であることと無関係ではないでしょう。

 誰も指摘しないのですが、そもそも何かを学ぶために何らかの資格が必要であるという発想そのものが間違いなのです。

 かつてはそれは物理的な制約、すなわち教室の広さとか採点の煩雑さとかがあるために、学問を求める人々を選別する手段として入学試験というのが設置されたわけです。

 しかし、学問を学ぶ自由は本来誰にでもあるはずで、海外の大学では授業をインターネットで公開しているケースも少なくありません。まあこのへんは商売として講義をやるのか、それとも広く学問を共有したいという思いで講義をやるのかの違いでしょう。

 でも商売として講義をやるのなら、入学試験は非効率的です。経済的に考えれば、生徒は多ければ多い程いいはずだからです。もちろん指導のきめ細かさというのもあるのでしょうが。

 さて、ところで本論に戻りましょう。

 「頭の良さ」とは結局なんなのでしょうか。
 「求められる賢さの質」が時代とともに変化していくわけですが、それとは関係なしに「頭が良い」とされる人はあちこちに居ます。

 大学受験をしないもう半数の日本人も、決して「頭が良い」人がいないわけではありません。

 むしろ受験をする人たちの中にいる頭のいい人の割合と、同数程度にはいるのではないかと思います。

 「頭がいいから大学受験をする」という人もいれば、「頭の良さをそっちには使わない」という生き方を選択する人もいるでしょう。

 その子供が大学受験を目指すかどうか決定する要因の大部分は、両親と周囲の持つ価値観です。両親が「大学なんて行かなくていい」と思っていれば、受験をする必要性もきっかけもないわけです。両親が必要ないと思っていても、子供の周囲が大学受験を目指すムードだったら、それに引っ張られて子供も大学受験を意識するようになるかもしれません。それはそれでありだと思います。

 筆者は最近、頭の良い人達と良く会います。
 頭がいいなあ、と個人的に思うのは、目がいい人です。
 視力ではありません。観察眼です。

 同じものを見ていても、「この人はそこまで見てるのか」「この人はその角度から見るのか」といつも驚かされます。

 そして筆者はそういう人こそが、実は本質的に「頭のいい人」なのではないかと考えているのです。

 時代とともに求められる賢さは変化しますが、普遍的に価値を持つ賢さはもしかしたらそういうことなのではないかと思うのです。

 人工知能、特に機械学習、深層学習が最初に目覚ましい進歩を遂げたのは画像認識の分野です。

 そして画像認識が鮮やかにうまくいくようになって初めて、「人工知能は人間より賢くなれるのかもしれない」と考えるようになった人が大勢居ます。筆者もその一人です。

 よく、賢い人を「視野が広い」とか「独自のビジョンを持っている」とか「未来が見えている」と表現します。計画のことを「絵図」と呼ぶこともあります。計画することを「絵を描く」とも言います。また、相手の話がよくわからないときに「話が見えない」と言ったり、予想がつかないことを「見当がつかない」「イメージが湧かない」といいます。これ全て、視覚に関する言葉なのです。なぜ、目に見えないはずの概念や現象を表現するのに、視覚に関する言葉が使われるのでしょうか。

 人間の知能発達は、人工知能とほとんど同じ原理だと考えられます。というか、これまでに分かっている人間を含む生物の神経細胞ネットワークを模して作られたのが今のニューラル・ネットワークですから、似ているのはむしろ当たり前といえます。

 今最も機械学習し易いのは、視覚です。
 つまり、絵を見せるということです。

 それには通常は畳み込みニューラル・ネットワークという仕組みを使います。他の方法でもできるのですが、時間がかかりすぎるのです。畳み込みニューラル・ネットワークを使うと比較的短時間で視覚をトレーニングすることができます。

 そして今や、画像に写っているもののどこになにがあるのか、ということまでも理解できるニューラル・ネットワークまであります。

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 人間の感覚器のなかで最も大量の情報を獲得できる感覚はどれかというと、やはり視覚です。

 視覚の発達が生物にとって最も重要なもののひとつであったことは、他の生物を見ても視覚が発達した生物が多いことから容易に類推できます。

 生物が生き残るためには、外界を瞬時に認識して餌や外敵を見つける機能こそが重要というわけです。

 そして視覚が発達すると、より高度な情報も読み取ることができるようになります。人工知能の視覚の発達段階は非常にわかりやすく、浅い層は縦線や斜め線、曲線といった部分に反応するように発達し、深くなっていくと、縦線と横線が組み合わさって四角、曲線が組み合わさって丸、という、より高次の特徴を捉えるようになります。

 さらに層が深くなると、○が2つと横線一つがある配置になったときに「顔」と認識できるようになります。さらに層を深くすると、それが男性なのか女性なのかも認識できますし、さらに深くなれば、それが誰なのかも理解できるようになります。

 このように、視覚の認識が強くなれば強くなるほど、そのAIは賢くなります。
 

 つまり賢さとは、視覚と深く関係しているのではないかという仮説が考えられます。
  
 ニューラル・ネットワークの最新研究の中心は生成系ネットワークです。生成系ネットワークでは、充分訓練させた視覚の識別ネットワークを使って、逆に視覚情報を生成します。

 乱暴にいってしまえば、生成系を持つということは、人工知能が想像力を持つということです。不意に「可愛い女の子」と言われて、具体的な顔をイメージすることができるわけです。

 
 さらにいえば、この性能というのは、とにかくたくさんのものを見た、というところから向上します。

 ということは人間の知能を発達させるためには、たくさんのものを見て、自分なりにまとめるということが非常に効果的なのかもしれません。

 

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清水 亮(しみず・りょう)

ユビキタスエンターテインメント代表取締役社長CEO。1976年新潟県長岡市うまれ。6歳の頃からプログラミングを始め、16歳で3DCGライブラリを開発、以後、リアルタイム3DCG技術者としてのキャリアを歩むが、21歳より米MicrosoftにてDirectXの仕事に携わった後、99年、ドワンゴで携帯電話事業を立上げる。'03年より独立し、現職。'05年独立行政法人IPAより天才プログラマーとして認定される。

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