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情報の流通形態と社会組織

人と技術と情報の境界面を探る #002

2017.04.17

Updated by Shinya Matsuura on April 17, 2017, 12:51 pm JST

温故知新ーー故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。

出典は「論語」。原文は「子曰、温故而知新、可以為師矣。」で、「子曰く、故きを温ねて新しきを知る、以って師と為るべし」と読む。「過去のことを調べれば、現代の新しい事物も知ることができる」という意味だ。孔子は思想家・哲学者であると同時に政治家でもあったから、この言葉は社会と歴史の関わりについて述べたものと見て間違いない。

実際問題として、この指摘は、半分正しく、半分正しくないというべきだろう。現在の社会がなぜこの状態なのかは、過去を調べていくことで見えてくる。

が、そこに見いだした法則性や規則性が、未来にも通用するかといえば、必ずしもそうではない。過去はもう確定したものとして現在につながっているが、未来はまだ確定していない。飛躍や断絶が起きる可能性は常にある。昨日の延長線上に安易に未来を想定することは、未来を読み間違える可能性を高める。むしろ「明日は明日の風が吹く」と考えておくべきだろう。

それでも、過去を調べてそこになんらかの規則、法則を見いだすことは、未来を予想するにあたって有益だ。まずは2つの流通に注目することで、社会の形やありようを考えていこう。最初は通信ーー情報の流通だ。
 
 
通信の起源を遡ると、相互に危険を知らせ合う動物の叫びにまで行き着く。特定の鳴き声が危険を知らせる。これは鳴き声即危険ということで、情報量1ビットの通信と考えてもいいだろう。

群れの中の一体が危険に気がついて叫ぶと、それを聞いた個体が次々に叫びを繰り返して危険を伝えていく、という行動は、哺乳類でも鳥類でも一般的だ。音が届く範囲には限りがある。叫び声を聞いた別の個体が同じ叫び声を繰り返せば、それだけ広い範囲に危険だというシグナルが伝わることになる。危険に対応できるだけの短い時間内に、鳴き声によって危険の存在を伝えることができるかどうかが、群れの大きさを決める。

つまり、動物の群れは鳴き声によるネットワークで規定されている。鳴き声は、動物の身体構造で規定されている。身体が作り出す鳴き声という通信手法の限界が、群れのサイズ及び複雑さの限界だ。
 
 
一方人間は科学技術を持っているので、身体を超えた手法でネットワークを組むことができる。科学技術によりネットワークが高速化、大規模化の方向で進歩すれば、人間の“群れ”、すなわち国家のような巨大組織は変化する。

13世紀、アジア大陸で広大な領土を誇ったモンゴル帝国は、国土を駅伝で結ぶジャムチという制度を作った。主要道路に宿駅を設けて、公用の鑑札を持つ者は宿駅で馬を交換することができた。なにか伝えるべき情報があれば、使者が宿駅で馬を交換しつつ皇帝の元へと走り、皇帝は国土のどこでなにが起きているかをいち早く知る。

アジア大陸を覆う巨大帝国が成立した理由のひとつは、馬という遊牧民にとって基本的な道具を、情報流通のために組織的に利用する技法が発明されたことだった。
 
 
18世紀末のフランスでは、ナポレオン・ボナパルトによって腕木通信による情報ネットワークが整備された。建物の屋根や丘の上などの高所に三本の長い腕木を組み合わせた腕木信号機を配置し、腕の上げ下げで情報を次々と近隣の腕木信号所に伝えていく。情報の伝達速度は意外なぐらいに速く、分速80kmにまで達した。ただし、夜間や悪天候時には隣の腕機信号機が見えなくなるので使えなくなる。

欧州大陸を戦場としたナポレオンの戦争では、この腕木通信のネットワークが勝利に大きく貢献した。つまり、国民皆兵を基礎とする国民国家は、腕木通信という通信技術によって支えられていたのである。

19世紀中葉には電池とリレーの実用化により、有線の電信が通信に使われるようになった。特に1844年にアメリカのサミュエル・モールスが、長短2つの符号を組み合わせて文字情報を送信するモールス信号を発明したことで、電信は長文も高速に送ることができる通信手段として急速に普及した。

有線通信は、通信線を敷設しさえすればどこまででも伸ばしていくことができる。1850年には早くもドーバー海峡に最初の海底ケーブルが敷設されて、国際通信が始まり、1866年には大西洋を挟んだイギリスとカナダが海底ケーブルで結ばれた。イギリスはフランス経由で欧州と、カナダは地上の通信網で北米大陸全体とつながっており、大西洋を挟んだ北米大陸と欧州とが通信でむすばれるようになったのである。

その後イギリスは国際通信を国営化し、植民地支配の重要な手段として、積極的に植民地への海底ケーブル敷設を進めていく。20世紀初頭には南アフリカ、インド、オーストラリア、さらには太平洋を横断してアメリカ西海岸に到達する世界一周の通信網「オール・レッドライン」を作り上げた。 

植民地を多数抱える世界帝国は、有線通信網の上に成立していたのである。
 
 
技術開発は止まらない。1876年、アレクサンダー・グラハム・ベルが世界初の実用的な電話を発明した。19世紀末の1894年には、グリエルモ・マルコーニが無線通信の実験に成功し、空中を飛ぶ電波による通信の普及が始まった。有線の通信は基本的に送信側と受信側が1対1だが、無線は1対多であっても構わない。

20世紀に入ると、音声を無線に乗せて不特定多数に届けるラジオ放送が始まり、従来の紙と活字のメディアとは異なる、新しいマスメディアとしての地位を確立していった。電離層での電波反射を使った長距離無線通信、動画像を送信するテレビ放送技術、地球を巡る衛星を使った電波中継による全世界通信網――これらの技術は、資本主義社会の経済発展の基礎となった。

第2次世界大戦後に始まった、資本主義対共産主義の東西冷戦は、最終的に1991年のソビエト連邦崩壊で決着が付いた。ほぼ同時期、情報流通に巨大な革命が起きた。通信・放送のデジタル化と、IPプロトコルに基づくインターネットだ。アメリカでは1980年代末から一般ユーザーにインターネット接続を提供するプロバイダーが出現しはじめ、1992年からはインターネットの商用利用が始まった。日本でも1994年にインターネットへの一般からの接続が開放された。
 
 
それから四半世紀。様々な変化が起きた。もっとも大きな変化は、ネットを通じた経済活動が一般化したことだろう。音楽、動画像、書籍、雑誌、新聞ーーすべてのコンテンツはデジタル化されて、ネット経由の購入が可能になった。それどころか、ネット経由の決済が可能になったことで、BtoBもBtoCも、“ブツがある現場に赴かない買い物”が一般化した。今や、その気になれば、生活に必要な物資のすべてをネット経由で購入することもできるだろう。

実に大きな変化だ。が、待って欲しい。一体、デジタルとネットは、どんな新たな社会組織を実現したろうか。我々の生活は大きく変わったが、社会体制はといえばアナログ時代と同じ資本主義社会ではないか。

馬を駆使した通信システムがモンゴル帝国の基礎となったように、腕木信号がナポレオンの国民皆兵国家を下支えしたように、有線電気通信が植民地を抱える世界帝国を可能にしたようにーーデジタルとネット通信技術は新たな社会形態を可能にするのではなかったのか?

実のところ情報の流通だけを考えていては、社会の変化を説明できない。もうひとつの流通、つまり人とモノの流通を絡めて考えていく必要がある。

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松浦晋也(まつうら・しんや)

「自動運転の論点」編集委員。ノンフィクション・ライター。宇宙作家クラブ会員。 1962年東京都出身。日経BP社記者を経て2000年に独立。航空宇宙分野、メカニカル・エンジニアリング、パソコン、通信・放送分野などで執筆活動を行っている。自動車1台、バイク2台、自転車7台の乗り物持ち。

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