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AI執筆者の出現に人間のライターはどう向き合うべきか

AI journalists vs human showdown

2017.05.30

Updated by Ryo Shimizu on 5月 30, 2017, 07:49 am JST

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 先日、とある企業内で開催されたプライベートセミナーで、「どのようにしてAIに関する最新の情報を集めているのですか?」という質問を受けました。

 二秒ほど考えて、「面白い質問ですね、僕はAIを使ってAIの最新の情報を得ています」と答えました。
 会場はまさか、という空気に包まれます。

 「どうも信用していただけないようなので、ご紹介しますね」

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 筆者は手慣れた操作で自社のマストドンアカウント、https://mstdn.uei.co.jp/@infoを開きました。

 「今、AIに関する最新論文はコーネル大学の図書館に毎日10〜20本アップロードされています。この全てを読むことは、いくらなんでも不可能です。時間がいくらあっても足りません。そこで私は、毎朝一日分の論文をコーネル大学から取得し、取得した論文のアブストラクト(概要)を自動翻訳して投稿するマストドンアカウントを作りました。いくら英語が得意な人でも、普段日本にいると、英語モードにアタマを切り替えるのに時間がかかります。最初から翻訳されていれば、ひと目見て自分にとって注意を払うべき情報かどうかを判断することができます」

 さらには、毎朝一度にドカッと来るのではなく、30分おきに投稿されるというのもポイントで、これだと偶然目に入ったAIの最新論文でインスピレーションを得る機会を人工的に作ることができます。オーギュメンテッド・セレンディピティと呼んでもいいかもしれません。

 もちろん心に余裕があるときは、このアカウントのページを見れば常に最新24時間の論文のサマリーが読めますし、もっと余裕があれば直接コーネル大学のarxivをあたればいいのです。

 筆者は少し前まで、海外の最新記事を社内向けに翻訳するチームを設置していました。しかしその仕事はいまやAIに取って代わられつつあります。

 これだけの規模とスピードの情報はもはや人間では捌ききれないからです。
 実際、人間による翻訳チームを持っていたときよりも、AIに翻訳させたほうが質、量、ともに高い水準のものが安価に作れます。これは素晴らしいことです。そしてそれまで翻訳チームで働いていたはずの学生アルバイトは間接的には職を失いましたが、もっと創造的で重要な仕事に就いています。

 今や筆者がハッキリと意識し、口に出していることは、「日本人が英語を必要以上に勉強するのはほとんど無駄である」ということです。

 既に自動翻訳が相当なレベルまで来ていますし、当たり前ですがこれは文法を適切に守った結果ではなく、ニューラルネットワークによって「かなり軽薄に」人間が訳した文章を見よう見まねでAIが模倣しているに過ぎません。そして残念ながら、それで十分なのです。

 筆者がよく和訳の引き合いに出す、ジョン・F・ケネディの演説ですが、これは英文法を忠実に守ると、とても普通に読める日本語には訳すことが出来ません。

 重要なのは、文法に忠実であることではなく、意味や雰囲気に忠実であることで、もしかすると翻訳者の最後の仕事として「文章のドライブ感をちゃんと翻訳する」という仕事が残るかもしれませんが、それを行うのに必要なのは英語力ではなくむしろ日本語の文章がきちんと書けることです。

 「正しい英文法」は教科書に載っているのだというひとつの幻想があります。
 これは「正しい日本語文法」が教科書に載っているという幻想よりも強い幻想です。

 日本人の誰も、国語の教科書に「正しい日本語文法」が載っているとは考えていません。国語の教科書には文法の説明がほとんどありません。

 むしろ「疑問文」「付加疑問文」のような文法用語は、英語の時間により強く意識します。その意味で英語は日本語と違う言語を学ぶという点では有用ですが、古文漢文を学ぶのと重要度は同程度です。

 いつでもAIの支援が得られるというのが確定している今、頭のなかにワードバンク8000だかを詰め込むことはほとんど無意味です。

 英文和訳という仕事や同時通訳という仕事はこれからどんどん機械に置き換わっていくでしょう。極論、こうした仕事は英語と日本語さえわかれば誰でもできる仕事です。プロの翻訳者とはいえ専門用語を正しく訳すことはできません。本来、たとえば技術者同士の会話の通訳をするなら、技術に精通した上で両国の言語に精通しているべきですが、言うまでもなくそこまでスキルの高い人は通訳よりももっと創造的で給料の高い仕事につくことが出来るので、通訳のレベルがこれ以上あがることはありません。

 そして技術者同士の場合、ほとんど数式とプログラムだけでコミュニケーションをとることができるので、そんなに高度な英語は必要ありません。

 さて、ではライターはどうでしょうか。
 筆者が高校生の頃、原稿料はページあたり2万円程度でした。これでも当時から随分安い原稿料と言われていましたが、連載が毎月8ページあったので、原稿料だけで月に16万円程度の収入になりました。変形A4版の雑誌だったのでページあたりの文字数は1200字くらいで、毎月埋めるのに苦労したものです。

 とはいえこの原稿料は高校生のアルバイトとしては悪くありません。
 ところが21世紀に入ると、原稿料はだんだん減っていきました。

 出版不況というのと、そもそも雑誌がどんどんなくなっていって、書籍もどんどん売れなくなっていったからです。

 ところが最近になって文字あたり原稿料はむしろ上がっているということに気づいてきました。
 契約の関係上、具体的な金額は書けませんが、高校生の三文ライターだった頃に比べると、要求される文章ボリュームは少なくなり、単価は維持されるか上がるようになりました。

 なぜこうした逆転現象が起きるかと言えば、ブログ全盛時代には長い文章が読まれにくくなっているからです。
 むかしは、文章というのはタバコやチューイングガムのようなものでした。

 暇つぶしに読むもの、という意味です。
 その意味では、多少遠回りしても、余計な話があっても、払ったお金(たとえば週刊誌なら数百円)に対して消費する時間が長いほど価値があったのです。

 だから月刊アスキーは不必要なほど分厚くなり、コンピュータの話だけでなくボードゲームや映画、料理、哲学の話まで網羅する総合誌となり、子供の頃の僕なんかはそれを隅から隅まで繰り返し読んだものでした。

 ところがブログ全盛時代になると毎日のように新しいネタが登場し、消費されていくようになりました。さらにはTwitterやマストドンのようなマイクロブログが登場すると、単に暇をつぶすだけならばそうした場所で戯言をつぶやいたり読んだりすれば事足りるようになっていきます。

 相対的にプロのライターの書く記事に求められる質が変化してきた、と筆者は考えます。

 情報を大量に詰め込むよりも、むしろどの情報に注目するべきか絞り込んで提供する、いわばキュレーションの役割が大きくなってきたのです。

 もちろん、大量の情報の中から取捨選択しひとつの記事をまとめあげるキュレーション的能力というのは、昔からライターに求められてきた普遍的なスキルのひとつです。

 しかし、その頃求められたキュレーション能力というのは全体を総括する能力であり、重要なポイントだけを抑えるという方法でした。しかし今やそれは究極的には誰にでも書ける記事になりつつあります。

 たとえばAppleのキーノートスピーチが全世界にほぼ同時配信される状況では、誰もがAppleの新製品についての考察やまとめや感想を書くことが出来ます。今やメディアとブロガーを分ける境目は、熱量だけです。

 メディアが誰にでも書ける記事を書こうとすれば、外部のライターを使うよりも社員にやらせたほうが確実です。
 外部のライターというのは、人にもよりますが〆切をまもらなかったり、酷い時は「〆切直前にPCが壊れた」などといってい言い逃れしたりすることがあるからです。さらに・・・おっと誰か来たようだ。

 とはいえ、メディアにとって一番信用ができるのは毎日顔を合わせている自社の社員ですから、速報性が大事な場合は普通は外部のライターを使いません。そのほうが安くて確実だからです。最悪、編集長が自分で書くこともできます。

 もっとも、「誰でもできる」要約はAIにも出来る可能性が高く、それで済むのならばたぶんどのメディアも最終的にはAIに書かせるようになるでしょう。すでに企業ニュースやスポーツニュースはAIに書かせている例はいくつかあります。天気予報などは、もはやライターを介在すらせずに機械的に更新されていますね。あれと同じ感覚で、ほとんどのニュースをAIが書くようになる可能性は高いでしょう。誰が書いても同じなら、AIにも書けるからです。

 そうしたなかで外部のライター・・・筆者もそうですが・・・に求められる役割は変質的な視点を提供することです。通り一遍のニュースでは伝えることの出来ない、ニュースの裏側にある背景や、独特の視点、切り口、そういったものをできるだけ短いワードで表現する、どうやらこれが今のライターに求められている資質のようなのです。

 そしてそういう意味ではAIはまだまだそこには追いつけません。彼らには固執するなにかがまるでないからです。
 またたとえそれをムリヤリプログラミングによって与えたとしても、浅い言葉しか引き出せないでしょう。

 イメージとしては、高学歴の文系卒が新卒でSIerに入ってきて、それまで全くその分野に興味がなかったのに突然広報担当につけて「私はオープンソース命ですから」と植え付けるようなものです。

 「へー、じゃあRMSについてはどう思ってんの?」

 「えー、RMSですか? なんですかそれはミドルウェアですか」

 「リチャード・ストールマンだよ」

 「すみません勉強不足で」

 みたいな、おまえオープンソース語るならそれくらい勉強しとけよ、という基礎的な知識がないまま空虚な言葉を吐き続けるゾンビのようなものができるだけです。

 当然ながら、そういう人の書いたオープンソース評など読むに値しません。しばらくの間、AIライターはこのレベルのままに留まるでしょう。だからといって人間のライターの地位が安泰である、と言ってるわけではありません。

 いつも筆者が主張しているのは、AIに目下できないことは人間のように生きることです。

 GNUの思想に感動し、憧れ、絶望し、OSSにシフトし、伽藍とバザールを読み、On Lispを読み、Emacs Lispで遊び、といった経験は、AIにはできませんし、そうした偏執的な経験がなければライターの紡ぐ言葉はとても空虚なものになってしまいます。

 そしてむしろ我々人間はたくさんの情報を語るよりもコンパクトに伝えたいことだけを伝えなくてはなりません。
 一方で、編集がほとんど入らないブログ形式の連載の場合、最初から結論だけを書くわけにもいきません。

 実際には、結論ではなくプロセスが大事なのです。

 よく遊び、遊びの中から新しい発見を得ることこそ、本来の人間に必要なことです。
 そしてだからこそ、人間のライターやジャーナリストには個性的な人たちが多いのでしょうね。

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清水 亮(しみず・りょう)

ユビキタスエンターテインメント代表取締役社長CEO。1976年新潟県長岡市うまれ。6歳の頃からプログラミングを始め、16歳で3DCGライブラリを開発、以後、リアルタイム3DCG技術者としてのキャリアを歩むが、21歳より米MicrosoftにてDirectXの仕事に携わった後、99年、ドワンゴで携帯電話事業を立上げる。'03年より独立し、現職。'05年独立行政法人IPAより天才プログラマーとして認定される。

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