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脱外注!文化と歴史を織り込んだ手作りの「祭り」がまちと人を変える – 「風雲!小倉城」

脱外注!文化と歴史を織り込んだ手作りの「祭り」がまちと人を変える – 「風雲!小倉城」

2017.12.01

Updated by Yu Ohtani on 12月 1, 2017, 11:32 am JST

※この記事は「小さな組織の未来学」で2015年10月8日、10月13日に公開されたものを加筆改訂したものです。

お祭りはいつから「外注品」になったのか?

現在、日本中の多くの都市で「芸術祭」が開催されています。日本のみならず全世界から著名なアーティストが作品をつくり、全国から観客が集い、場合によってはまちの人口の何倍もの観光客が押し寄せています。しかしよく見てみると、これらのお祭りの多くはまちの外部からマネージャーがやってきて、外部のアーティストを招き、外部からお客さんを呼ぶという、いわば「外注」のお祭りであることが多いのです。

他にもマラソンや阿波踊り、ソーラン節など、行政が綺麗に整備した公共空間で開かれるお祭りは、そのまちとは全く関係のない文脈から、もっと言えばすでにあるお祭りの「コピー」であることが少なくありません。どのまちにも同じようなお祭りがあり、大企業がスポンサーについていると広告だらけで、一層どこのまちのお祭りなのか分からなくなります。

経済効果などの面から、これらのお祭りが全て無意味であるとは言いません。しかし気になるのは、そのまち独自の「オリジナリティ」が欠けているという点です。外部資本に丸投げし、頼り切りで、地元の人々、地元の魅力が見えてこない。しかしお祭りは本来、まちの空間を使って地元の人達が自分で考え、立ち上げ、運営するものです。この本来的な意味での地元のお祭りを取り戻すにはどうすればいいのでしょうか。私たちライプツィヒ「日本の家」が企画・運営者として参加したものなので少々手前味噌ですが、2014年の春に北九州市小倉で行われた「風雲!小倉城」は、まさにこのテーマに取り組んだものでした。

▼風雲!小倉城のフライヤー。ネーミングは某元人気テレビ番組へのオマージュ。
風雲!小倉城のフライヤー。ネーミングは某元人気テレビ番組へのオマージュ。

歴史や文化を織り込むことで地元住民が再発見したまちの魅力

「風雲!小倉城」はプロのアーティストやイベンターに頼らず、地元の人々、地元の企業と商店、地元の行政が協働することで実現した小倉オリジナルの芸術祭です。2014年春に行われたリノベーションスクール@北九州の一企画として、3月21日と22日の二日間にわたって行われました。

城攻め体験!大運動会(3月21日)
小倉城は小倉のまちの真ん中にある、小倉を代表する公共空間です。春には花見客が集い、観光客や地元の人々がのんびり散歩しているような平和な場所です。しかし歴史的には九州の武士たちが築き上げた要塞であり、幕末には高杉晋作率いる奇兵隊と幕府軍の戦いの舞台にもなった「戦いのための空間」でもあります。そびえ立つ石垣、鉄砲狭間、大手門から続く急斜面、攻め手を迎え撃つための高台などがそのまま残り、戦いのために合理的に設計された空間であることが今でもよくわかります。

▼鉄砲狭間からパラシュートを発射し、子どもたちがキャッチする。
鉄砲狭間からパラシュートを発射し、子どもたちがキャッチする。

「城攻め体験!大運動会」の目的は、教科書や展示を見ているだけではわからない「戦いのための空間」という小倉城本来の性質を、子どもたちに「城攻め」を通じて体験してもらうことでした。鉄砲狭間から発射された「うまい棒」つきのパラシュートを受け止め、急斜面を大玉を転がしながら駆け上がり、死角に潜む忍者をかわしながら進むと、その先の高台には忍者の化物が口を開けて待ち受けている……という具合に、5つのステージが用意され、最後に忍者に囚われていた小倉城のマスコット「とらっちゃ」を助け出して小倉城を無事取り戻す、というストーリーでした。

▼パラシュートにくくりつけてあるのは「うまい棒」。これを二人一組でキャッチする。(photo: Naoto Kakigami)
パラシュートにくくりつけてあるのは「うまい棒」。これを二人一組でキャッチする。(photo: Naoto Kakigami)

▼大玉を押し上げていく。こんな急斜面はお城ならでは。
大玉を押し上げていく。こんな急斜面はお城ならでは。

▼大興奮の子どもたち。一瞬で「城攻め」の世界観に入り込んでいった。
大興奮の子どもたち。一瞬で「城攻め」の世界観に入り込んでいった。

当日は70人ほどの子どもたちが集まり、次々に現れるステージに大興奮しながら挑みました。参加した女の子が地元テレビのインタビューに「お城にはよく来ていたけど、こんなふうに楽しめるならまた来たい!」と話してくれたのがとても印象的でした。

▼地元テレビ局のインタビューに答える参加者の女の子。
地元テレビ局のインタビューに答える参加者の女の子。

まちなか体験!リアルRPG(3月22日)
RPGとは「ロール(役を)・プレイング(演じる)・ゲーム」の略で、ドラクエなどのテレビゲームを思い出す人が多いと思います。これを実際のまちなかでやってみたらどうなるだろう、というアイデアから「まちなか体験!リアルRPG」が生まれました。小倉のまちは中世の城下町の構造を今に残し、名所や文化施設、商店街などがギュッとコンパクトにつまっていて、歩いて見て回るのが楽しい、まさにリアルRPGにうってつけのまちなのです。

▼リアルRPGのマップ。
リアルRPGのマップ。

当日は家族層を中心に約70人の参加者たちが地図を頼りに小倉のまちを歩きまわり、5箇所に仕掛けられたミッションに挑戦し、そのあと小倉城の最終ミッションに挑むことで「全クリア」を目指しました。各ミッションはシーボルト、ザビエル、森鴎外、松本清張といった小倉ゆかりの偉人たちと小倉に関するエピソードが関連付けられています。例えば松本清張がよく買い物にきていたという旦過市場には、「現代に迷い込んだ清張を市場に隠されたヒントをもとに探しだそう!」というミッションが。200年前にシーボルトが渡った常盤橋では、「現代の小倉図鑑を編纂するシーボルトを手伝おう!」というミッションが仕掛けられました。

▼シーボルトの小倉図鑑編さんを手伝う参加者たち。
シーボルトの小倉図鑑編さんを手伝う参加者たち。

▼ザビエルと一緒に楽園をつくるミッション。(photo: Naoto Kakigami)
ザビエルと一緒に楽園をつくるミッション。(photo: Naoto Kakigami)

▼旦過市場で松本清張の大好物を探すミッション。小倉の名物「カナッペ」がよく売れた。
旦過市場で松本清張の大好物を探すミッション。小倉の名物「カナッペ」がよく売れた。

ある参加者の方は「長らく小倉に住んでいますが、ここが『長崎街道』という歴史ある道だったと初めて知りました」とおっしゃっていました。参加者の方々は普段何気なく通り過ぎているまちにも、たくさんの歴史的なエピソードがあったり、知らない道があったりすることを新たに発見することができたのです。

有名人、イベント業者なしの芸術祭「風雲!小倉城」を成し遂げるために重要だった3つのポイント

このように、「風雲!小倉城」は2日間で参加者合計150人ほどの小さなイベントではありましたが、小倉ならではのオリジナリティをもった内容であり、参加してくださった方々に小倉の歴史と文化を身近に感じてもらい、まちに興味を持ってもらうことに成功しました。特に「まちをつかって遊びまくる」という点にインパクトがあったようで、地元テレビやラジオにも取り上げていただきました。

▼芸術祭期間中は忍者、女学生、町娘などが街中を歩き回って広報していた。(photo: Naoto Kakigami)
芸術祭期間中は忍者、女学生、町娘などが街中を歩き回って広報していた。(photo: Naoto Kakigami)

このイベントの最もチャレンジングな点は、外から有名な芸術家を呼んだわけでもなく、プロのイベント業者がいたわけでもなく、大手のスポンサーもなしに芸術祭をやったという点です。「風雲!小倉城」の担い手となったのは、地元の商店主、行政職員、学生や若者などの「普通の市民」でした。これをきっかけに「自分たちのまちは自分たちで楽しくできる」という実感を得られた彼らは、小倉で新たなビジネスを始めたり、「風雲!小倉城」で出会った仲間たちとまちのイベントに積極的に関わるようになったり、確実に変化がうまれていきました。これはどのようにして可能だったのでしょうか。3つのポイントに分けてお話します。

1. 地元の人的ネットワークとプラットフォームの存在

「風雲!小倉城」は北九州リノベーションスクールの「公共空間活用コース」として開催されました。北九州リノベーションスクールは2011年夏に「空き家などの空間資源を活用し、地域の諸問題を解決する」ことを目的として始まったもので、年に2回のペースで北九州にて行われています。全国から「受講生」が集まり、北九州市内の空き家をいかに活用していくか、チームに分かれて具体的な物件についてアイデアと運用プランを考え、最終的に実際にオーナーにプレゼンするというワークショップです。

2014年春に初めて「公共空間活用コース」が設けられ、市内の公共空間をいかに魅力的に活用できるかということを考え、実行するという課題が課せられました。企画・運営を任された私たち「ライプツィヒ日本の家」が出した答えが「風雲!小倉城」だったわけです。私たちのチームには全国から集った18人の受講生と6人のサポートスタッフ、4人の「ライプツィヒ日本の家」関係者(うち二人がドイツ人)が集結しました。

▼「公共空間活用コース」のメンバー。家守舎、地元のまちづくりNPO、行政職員、建築家、学生、会社員、自営業などが集まり、うち小倉在住・出身者が約半数だった。
「公共空間活用コース」のメンバー。家守舎、地元のまちづくりNPO、行政職員、建築家、学生、会社員、自営業などが集まり、うち小倉在住・出身者が約半数だった。

リノベーションスクールを運営しているのは北九州家守舎という株式会社で、地元の建築家、起業家、研究者らがチームを組んで起こした地元企業です。家守舎は北九州市をはじめ、地元のまちづくり会社、商店会、住民団体、不動産オーナーなど非常に幅広いネットワークを地元に形成しています。

この公私入り乱れる人的なネットワークとリノベーションスクールというプラットフォームがあったからこそ、従来行政が縦割りで管理してきた公共空間で「風雲!小倉城」のような挑戦的なイベントが可能となりました。特にお城は小倉のシンボルであり、今までなかなか思い切った使われ方はされてきませんでした。しかし小倉城の指定管理をしていたまちづくりNPOの方と、家守舎の建築家の方の個人的な信頼関係が起点となり、こんな「バカな」イベントが実現したのです。このように家守舎・リノベーションスクールが市民、行政、地元企業、海外のNPOまでを結びつける人的なプラットフォームとして機能したことで、北九州に新たな試みを生み出すことができたのです。

▼「風雲!小倉城」の関係図
「風雲!小倉城」の関係図

2. 空間を読み解き、イベントを仕掛けるアイデア

まちの歴史は、資料館や教科書で知識として勉強することが多いものです。しかしまちを丁寧に観察してみると、そこには歴史や文化を表す空間的特徴が必ず残されています。「風雲!小倉城」では、現在に残る様々な空間的な特徴を読み解き、それを人々にわかりやすく体験してもらうという点を大切にしました。

お城の空間が「戦いのため」の空間として設計されていること、戦災を免れた市場の空間が迷路のように入り組んでいること、高度成長期に計画された道路開発が人口減少期のいまでもなぜか続いていて、歴史ある街道沿いがアスファルト・ジャングルに変わりつつあることなど、その視点は様々で時に批判的です。こういったまちの特徴や変化に対し、空間的なイベントを仕掛けることで、歴史・文化・都市問題などを文字通り体で感じてもらうことを目指しました。

これは特に、まちの将来を担う子どもたちにとって重要です。まちの歴史を、体を使って汗をかいて体験することは、本やスマホで得た知識よりも子どもたちに染み込み、創造的な思考を養う大切な糧になるはずです。

▼城攻めのリハーサル風景。自分たちでやってみながら大玉を転がすタイミングやルールを決めていった。
城攻めのリハーサル風景。自分たちでやってみながら大玉を転がすタイミングやルールを決めていった。

▼地元の佃煮屋さんにリアルRPGへのご協力を依頼中。快く受け入れてもらえた。
地元の佃煮屋さんにリアルRPGへのご協力を依頼中。快く受け入れてもらえた。

3. 「自分たちで」「そこにあるもので」やってみるという精神

「風雲!小倉城」は、大きなスポンサーもなく、限られた予算内でやりくりしなくてはなりませんでした。しかしだからこそ、その場にあるものを使って必要な物を新たにつくりだすクリエイティビティが生まれたのです。

▼のぼりを作成中。文字も手描きで書いていった。
のぼりを作成中。文字も手描きで書いていった。

作業場となった元デパートやその近所の空きビルにあったモノ、拾ってきたりもらったモノなどを集め、ダンボール、新聞紙、ビニール、木材、生地などを組み合わせ、なるべく新品を買わずに、のぼり、ハチマキ、パラシュートと発射装置、巨大忍者のハリボテ、刀からはんこに至るまで必要なモノを作っていきました。忍者や袴、着物などの衣装も家守舎や関係者のネットワークで各所から借りることができ、大玉や玉入れの玉などは地元の小学校から借りてきました。元学校の先生に文字をお願いしたり、以前ゼネコンに努めていた人が率先してハリボテを作ったり、作業場の隣の焼き鳥屋さんが着付け役をかって出てくれたりと、こちらも地元の人々のネットワークによって準備が進んでいきました。

▼忍者の親玉を作成中。口が「パクパク」するように工夫した。
忍者の親玉を作成中。口が「パクパク」するように工夫した。

また忍者、侍、町娘などの「役者」を担ったのも受講生とサポートスタッフたちでした。彼らは、行政職員、学生、商店主、サラリーマンなどで、一人として演劇のプロはいません。ほぼ全員が経験ゼロのことで、最初は少し恥ずかしがっていましたが、一度コスチュームを身にまとい、まちに繰り出すと段々と役になりきっていくもの。イベントの宣伝のためにちんどん屋風にまちを練り歩いたときには、いつの間にかオリジナルの曲まで出来上がっていました。衣装や音楽によって、普段の自分という殻を破り、タガが外れて役にのめりこんでいったのです。

▼コスプレ自体初めての受講生たちだったが、本番では見事に忍者を演じきった。(photo: Naoto Kakigami)
コスプレ自体初めての受講生たちだったが、本番では見事に忍者を演じきった。(photo: Naoto Kakigami)

このように、芸術祭といっても仕掛ける側・作る側の主体となったのがあくまで「普通の人々」だったことが「風雲!小倉城」の最大の特徴でした。久しぶりに手を動かしてモノを作ることや、いつもとは違う「役」でまちに繰り出すことで、「あ、自分たちにもこんなことができるんだ!」と仕掛ける側・作る側の人々がポジティブに変わっていきました。

手作りの「お祭り」を機に市民がまちで動き出す

イベント終了後、普段は小倉の商店街で働いている受講生の一人が、「文化祭をやっているみたいで本当に楽しかったです!」と興奮冷めやらぬ様子でおっしゃっていたことがとても印象的でした。「風雲!小倉城」は、仕掛けを考え、作り、演じるということを全部自分たちでやってみるという、「大人が真剣に取り組んだ文化祭」だったのです。このような経験は「自分のまちは自分で変えられるんだ」という確信を生み、様々なかたちで人々がまちに参加する契機となっていきます。

実際に、このイベントをきっかけとして集まった地元市民の何名かは、その後のリノベーションスクール「公共空間活用コース」にも参加していて、商店主や行政職員からなる、まちのイベントを担う市民のネットワークを形成しています。また、あるサポートスタッフの方は夢だった移動式カフェの活動をイベント後に始め、今では小倉を始めとした様々なイベントに参加し、こだわりのコーヒーを振る舞っています。彼らは『風雲!小倉城』の成功体験をきっかけに、まちに関わることの楽しさに気づき、自ら実践を始めているのです。

▼結局、このお祭りを一番楽しんだのは仕掛ける側のメンバーだったのかもしれない。
結局、このお祭りを一番楽しんだのは仕掛ける側のメンバーだったのかもしれない。

お祭りは本来、まちの空間を使って地元の人達が自分で考え、立ち上げ、実行するものです。外部のイベンターにお金を渡して丸投げするものではありません。この本来的な意味での地元のお祭りは、また「まちを手作りする感覚」を取り戻すところから始まるのではないか。「風雲!小倉城」は、そんなことを示しています。

▼「風雲!小倉城」の記録冊子&DVD。
「風雲!小倉城」の記録冊子&DVD。

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大谷 悠(おおたに・ゆう)

NPOライプツィヒ「日本の家」共同代表。ドイツ・ライプツィヒ在住。東京大学新領域創成科学研究科博士課程所属。1984年生まれ。2010年千葉大学工学研究科建築・都市科学専攻修士課程修了。同年渡独。IBA Lausitzにてラオジッツ炭鉱地帯の地域再生に関わる。2011年ライプツィヒの空き家にて仲間とともに「日本の家」を立ち上げる。ポスト成長の時代に人々が都市で楽しく豊かに暮らす方法を、ドイツと日本で研究・実践している。