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ディジタルヘルス改革の張本人が語るイスラエルの戦略的な取り組み

2018.08.28

Updated by Hitoshi Arai on August 28, 2018, 13:04 pm UTC

本サイトで8月8日公開の記事「データからスタートしたイスラエルのディジタルヘルス」でも一部紹介したが、イスラエル保健省のShira Lev-Ami氏により紹介されたイスラエルにおけるディジタルヘルスケアへの先進的な取り組みについて、その詳細を報告する。

Shira Lev-Ami氏は、過去7年間、Former CIO & Director of DigitalHealth, Ministry of Healthという立場で、イスラエルにおけるディジタルヘルスの戦略を立案し、具体的に国の仕組みとして作り込んできた張本人である。現在は、SpringYaという企業のCEO & Co-founderとして、AIを応用したプラットフォームを提供している。

プライベートでは3人の子供を持つ母親であり、とても穏やかな語り口だが、ご自身が"addicted to healthcare innovation"と言われるように、本分野に強い信念と意志をもって取り組まれて来た。

▼写真1 イスラエル保健省のShira Lev-Ami氏
写真1 イスラエル保健省のShira Lev-Ami氏

イスラエルには4つのHMO (Health Maintenance Organization:保健維持機構)があり、100%の国民の保険がカバーされている。国民はどのHMOに属するかを選択する自由があり、また、4つの組織それぞれが、より良いサービスを提供するための投資という形で競争している。

HMOはコミュニティケアも提供しており、ホームドクターといわれるような地域のかかりつけの医師はHMOに所属する。

病院は、政府、HMO、及び他の組織、の概ね3者の出資により運営されている。ディジタルヘルスケアの基本となるディジタルデータについては、30年以上に渡り、コミュニティケアの仕組みから収集が行われてきた。その後、病院でも仕組みが整い、既に20年以上、データ収集が行われている。

年々、複雑かつ興味深いデータ、Criticalな情報も取得できるようになってきた。これらの情報はデータベース化され、病院だけではなく、企業や研究機関でも利用でき、相互のコラボレーションも進んでいるという点が特に重要である。

イスラエルが国としてディジタルヘルスに積極的に取り組むのには、次の4つの理由があるという。

1)国としてのヘルスケアサービスを質的にも量的にも強化する

2)地域や環境によって受けられるサービスの格差を最小化する

3)イノベーションを加速する

4)国の成長エンジンとする

▼写真2 イスラエルが国としてディジタルヘルスに積極的に取り組む理由
写真2 イスラエルが国としてディジタルヘルスに積極的に取り組む理由

このような明確な思想の下に、国とHMOという核となる組織が主導することによって、20年、30年に渡りデータの取得を地道に実行してきているのである。このデータ共有のおかげで、イスラエルではどの病院に行っても自分のカルテを元にした診療が受けられる。この一貫性は、患者にとっては大変大きなメリットであるはずだ。

日本の電子カルテは、残念ながらスタンドアロンのシステムで、その利用は病院内で閉じているために他の病院から参照することはできない。個人情報保護の観点から、と聞くが、カルテデータを共有しているイスラエルはサイバーセキュリティー先進国であり、個人情報保護に甘い訳がない。

要は、ある課題があるときにそれを乗り越える「意志」が国、保険機構、などの関連機関にあるかどうか、の問題であろう。事なかれ主義では、何も新しい進歩は生まれない。

また日本では、ヘルスケアは一般に「医療」「福祉」「厚生」面から捉えられるが、イスラエルの特徴は、ヘルスケアを「イノベーションの素、経済の成長エンジンとなる機会」と捉えて、その戦略を立てていることであろう。

この考え方の違いは、非常に重要だ。ヘルスケアを「コスト」視点で考えると、財政赤字などの議論に巻き込まれ、長期に渡る施策の継続に支障が出る可能性がある。しかし、「収益を生み出すもの」と位置づけ、実際に関連する研究開発やビジネスを促進することで、施策の継続性を前向きに担保できているのだ。

その戦略を示した 5年前に作られたチャートが写真3である。

▼写真3 イスラエルのディジタルヘルス戦略
写真3 イスラエルのディジタルヘルス戦略

彼らは、医療の記録を電子データとして集めることからスタートした。そして、次のステップとしてそのデータを共有する仕組みHIE(Health Information Exchange)を構築した(写真3の左下)。また、このデータを医療だけではなく、研究や分析、AIやビックデータ解析でも活用できるようにしたこと(写真3の右下)が、もう一つの重要な点である。

これらの基盤の元に、「患者志向」と「システム志向」の2つの側面からの様々な取り組みをしている。何処の病院で受診しても同じデータが見られるようにすることで、サービスの質を向上させるだけではなく、できるだけ病気を起こさないような「予防」「予知」を重視したプロアクティブなアプローチを実現することを目指している。

また、システム面では遠隔医療などを活用して、継続できるる医療を目指している。イスラエルの中央年齢(上の世代と下の世代の人口が同じになる年齢)は30.1歳であり、日本の46歳に比べてはるかに若い国である。日本のように、高齢化による社会保険の財政負担が問題になる段階には至っていない。

しかし、遅かれ早かれ「高齢化」は人類共通の課題となるとの認識から、"Preveintie, Predictive, Proactive"と"Sustainable Health"という目標を戦略に掲げて「ディジタル化」を進めているのである。

その結果、HMO、病院、軍のすべての医療関連機関が、HIE(National Health Information Exchange)でつながっており、どこへ行っても同じ情報を基に一貫性のある治療を受けることができる仕組みを実現した。Shira Lev-Ami氏は、これを鉄道や道路と同じ「インフラ」である、と言っている。

▼写真4 ケア・コミュニティと様々な組織とのつながり
写真4 ケア・コミュニティと様々な組織とのつながり

さらに興味深いのは、イスラエル政府がヘルスケアでチャレンジすべきターゲットを4つ定めていることである。

1)Elderly Falling

2)Healthy nutrition

3)Patient indentification

4)Personalized medicine

これらのフォーカス分野を定めることにより、より効果的にイノベーションを促進している。網羅的に課題を提示するのではなく、政府が集中と選択を進めることで、民間によるイノベーションが効果的に発生するように仕向けている。これだけでも参考になる施策である。

▼写真5 政府が定めるヘルスケアの重点ターゲット
写真5 政府が定めるヘルスケアの重点ターゲット

このような、様々な「変化(CHANGE)」を起こす戦略・施策は、当然のことながら容易に実行できたわけではない。一連の取り組みを通して、政府が学んだことは、以下の5点だという。

1)変化を促進するためのリーダシップの重要性

2)技術がプロセスや生活文化と組み合わされて「変化」が具体化される

3)アーキテクチャを設計するときには環境全体を俯瞰する

4)仕組みをインプリメントするときには常にユーザー目線に立つ

5)目先の現実に対処しつつも、長期ビジョンを追求する

戦略を具体化してきた本人の言葉だけに、重みを感じる。特に、技術を単に技術として捉えず、それが、人々の生活や文化と結びつくところまで醸成されて本当のCHANGE/変化が生まれるという指摘は、非常に深い洞察と思う。

このような哲学のあるリーダシップの存在がイスラエルのイノベーションを支えているのであり、我々が学ぶところは多い。

そしてプレゼンテーションの最後にイスラエル政府がやってきた3つの具体的な努力をまとめてくれた。

1)データへのアクス環境の整備とデータ保護

2)ヘルスケア・サービス事業者にとっての障壁の除去

3)上記を支えるインフラの整備

の3点である。1)については、データを共有することに対して、プロバイダにインセンティブを与え、そして同時にデータの2次利用に対する先進的な規制を導入した。2)についても、データを活用しようとする人々へインセンティブを与え、また規制を減らした。

日本でも政府が様々な施策を掲げ、例えばNEDOのような独立行政法人を通して民間の取り組みを支援・推進するプログラムは数多くある。ただ、それが挑戦者にとっての本当の「インセンティブ」になっているだろうか?

研究開発に対する資金援助は確かにインセンティブではあるが、公的資金であるがゆえに公平性・透明性が求められ、不正を排除する必要がある。そのために課せられる煩雑な手続き・書類・制約は、挑戦者にとってはインセンティブの阻害要因である。

医療分野における様々な規制も必要だから作られてきたのであろうが、これらの規制がイノベーションを阻害している例もある。

例えばAI(機械学習)を応用した診断支援である。レントゲンなどの画像から病巣を読み取るような事例は、まさに画像認識処理の典型的な応用分野であり、より多くの症例を学習することで判断(診断)の精度は向上する。しかし、残念ながら、病院からのデータ持ち出しは各病院が許可しない。つまり、一病院の中で、その症例を学習しながらアルゴリズム開発することはできても、複数病院の症例を学習するということは現状では不可能なのである。大量のデータを必要とする機械学習の応用では、このような規制は技術開発及び競争力強化にとっての大きな足かせとなるだろう。

今、AI分野での中国の台頭、日本の遅れ、があちこちで懸念されているが、イスラエルの戦略のような「障壁の除去」を積極的に行わない限り、その未来は明るくない。

高齢化という「課題」で世界の最先端を行く日本こそ、ディジタルヘルスケア分野で「変化」を積極的に起こしてきたイスラエルの取り組みを参考に、今からでもやれることから始めるべきだろう。

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新井 均(あらい・ひとし)

NTT武蔵野電気通信研究所にて液晶デバイス関連の研究開発業務に従事後、外資系メーカー、新規参入通信事業者のマネジメントを歴任し、2007年ネクシム・コミュニケーションズ株式会社代表取締役に就任。2014年にネクシムの株式譲渡後、海外(主にイスラエル)企業の日本市場進出を支援するコンサル業務を開始。MITスローンスクール卒業。日本イスラエル親善協会ビジネス交流委員。E-mail: hitoshi.arai@alum.mit.edu