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AI革命の行き着くところ。Store of Abilities

Store of Abilities; The Ultimate Goal of AI research

2019.12.24

Updated by Ryo Shimizu on December 24, 2019, 10:22 am JST

ほんとうの答えというのはいつも目の前にある。
けれども、そうであることに気づかない。こちらに準備ができていなければ。

先日、東京大学の暦本先生に講演をお願いした際に、「AIの完成形はIoTではなくIoAなんですよ。Internet of Abilitiesです。必要な能力(Ability)を必要なときに必要なだけダウンロードして使うようになるんです。人間がスマホのようになるんですよ」と力説されていた。

暦本先生は映画「マトリックス」で、トリニティがヘリコプターの操縦方法をダウンロードするシーンを指して言う。

ネオ「ヘリは操縦できるか?(Can you fly that thing?)」

トリニティ「まだよ(Not yet)」

そしてトリニティは脳にヘリの操縦方法をダウンロードして操縦する。
ヘリコプターの操縦というのはものすごく難しい。僕はラジコンヘリと本物のヘリの両方を操縦したことがあるが、どちらも飛行機とは比べ物にならないくらいに難しかった。

それが単にアビリティをダウンロードすればできるようになるのであれば、これほど楽なことはない。

このときは「面白い考え方だなあ」くらいしか思わなかった。
しかし、先週末、月に一度やっているAIコースの講義で暦本先生の講演の振り返りをやっているときに気づいた。

「暦本先生はInternet of Abilitiesと呼んだが、実際に必要なのはアビリティのAppStore。すなわちStore of Abilitiesだろう」

すると、目の前がぱっと開けたような気がした。
答えは最初から目の前にあったのだ。

僕の講義はギリアのカフェゾーンで行っている。ギリアのカフェゾーンの一面は、巨大な書架である。

これこそがまさしくStore of Abilitiesの原型だった。
それで理解したのだ。

なぜ子供の頃の僕が、あれほど図書館に入り浸ったのか。
なぜ僕が、誰にでもプログラミングができるようになるべきと考えるようになったのか。
なぜ僕が、人間拡張という概念にこれほど強烈に惹きつけられるのか
なぜ僕が、プログラミングが好きで、次に数学が好きで、次に歴史や映画や物語や写真が好きなのか。

すべては最初からそこに答えがあった。

かつて僕の親友は、「本は自分だけの先生」と言ったことがあった。
確かに、賢いと言われる人たちは本が好きだ。

あるとき、ある女性が「最近初めて本棚を買ったんです」と言ったときにものすごくびっくりしたことが有る。本棚がない家など想像したこともなかったからだ。子供の頃から、ぼくの家には壁という壁に本棚があり、むつかしい電気工学の本や三相交流の本、それを成立させるための数学的理論の本や、半導体の本、三国志、老子、孟子、美術史、美味しんぼ、レンズマン、赤川次郎、胡桃沢耕史などなど、無数の本があり、それに囲まれて育った。

父は僕が本を欲しがったとき、それがどれだけ高価でも好きなだけ買ってくれた。

つまり最初から答えはそこにあった。

本だ。
本を読むことは、自分に新しい能力を追加することに等しい。

ところが、これは同時に非常に難しい。
一筋縄ではいかないのだ。

例えば僕の両親は「活字は良いがマンガは駄目」という教育方針だった。当時としては普通の考え方だろう。しかし今の僕はそれは誤った考えだと思う。マンガからだって学ぶことは多い。ひょっとすると、活字以上に多いかもしれない。マンガはマクルーハンの言うところのモザイクであり、絵と文が効率的に組み合わさった表現手段である。

エンターテインメントとして見たときに活字は良いがマンガは駄目というのは全くの的外れだろう。どちらも等しく価値がある。

ただし、能力拡張という点のみから見れば、漫画を読んで能力を直接拡張することはとても難しい。目的がエンターテインメントなのだから、能力(たとえば知識)を拡張するという点では、意図的に誤った情報が散りばめられていることが少なくない。民明書房は存在しないし、アン肝はどれだけ新鮮でもフォアグラとは別物である。

最も効率的な能力拡張はなにかといえば、明らかにプログラミング入門書である。
なぜならば、プログラミングだけは、誰がやっても、本の内容を理解してもしなくても、同じことをすれば必ず同じ結果になる

次いで数学で、数学は理解しなければならないが、理解してしまえば、プログラムと同じように、誰がやっても必ず同じ結果になる。
つまり、能力拡張がしやすい。

なぜ世の中のほぼ全ての叡智が、プログラムか数学で語られ、共有されているかといえば、これだけが唯一確実に「見知らぬ人に考え方を正確に伝える」手段だからだ。

どれだけ意味不明に思えようと、誰でも「e=mc2」が、エネルギーは質量と光速の自乗の積と等しいことを理解できる。

数式化できるものは誰でも再現でき、誰でも再現できることは応用しやすい。もちろんここに至るまでには、武道で言えば免許皆伝並の修行を経て数少ない人々しかたどり着けない高みに上り詰めなければならないが、数式になれば、結論だけを誰でも再現可能な形で使うことができる。

プログラムはこの能力拡張をさらに簡単にして、ボタン一つで目の前の風景を記録し、わずかな操作で地球の裏側の誰かや、遠い未来の誰かに送ることができる。数式の意味を理解しなくても誰でも使えるのと同じように、プログラムの内容を理解しなくても誰でも使うことができる。

厄介な称号で紹介されることが多いから、誤解されることも多いが、僕は自分が賢いとはまったく考えていない。というか、わからないことのほうが多い。ごく普通の高校生が解ける程度の数学の問題が解けない。いくら説明してもわかってもらえないが、「頑張れば解けるのに解けない」と言ってるのではなく、解くことが根本的にできないのである。今思えば、よくそれで(偏差値が低いとはいえ)大学に入れたと思うが、ほんとうに僕はそれくらい数学が苦手なのである。高校時代に数学で満点をとったことはいちどもない。むしろ落第した回数の方が多い。

惟一の例外が行列とベクトルで、どちらも代数幾何学という分野だが、大学では代数幾何学の最初の単元で挫折して、それ以来、自分の理解できる範囲(すなわち、三次元のベクトルと、それを並べた行列、同次座標、相異なる4つの虚数単位からなる複素数)だけを武器に生きてきた。

専門のはずのことさえ、実際には理解していないことが多い。たとえば離散コサイン変換を知らなければごく一般的なデジカメで撮影されたJPEG画像を扱うことはできない。未だに離散コサイン変換がなんなのか僕はわかってない。それでもなんとかごまかして生きてこれたのは、それを扱うための専門的なプログラム・モジュールを、地球上のどこか別のところにいるもっと賢くて偉大な人が作ってくれたからだ。

でもその彼にしても、僕が得意なことが同じように得意とは考えられない。
人間は決して万能ではない。

プログラミングの真に偉大なところは、「人類が見知らぬ人の力を借りる方法」を提供することだ。
つまりプログラミングとは、根本的には「能力拡張」の方法なのである。

2進数を知らなければLINEメッセージが送れない、と言われたら、誰だって笑うだろう。
同じように、2進数を知らなくても高度なプログラムを書くことができる。今の世の中の大半のプログラマは、2進数がどのようなものかすら知らないのではないか。

すべての間違いの始まりは、「賢そうに見られたい」という人間のさもしい欲望である。
だから、わかってないことをわかったふりをして、わからなくてもいいことをわかることに情熱を傾ける。でもそれは無駄な労力というものだ。人生の時間が無限にあるわけではない以上、人はもっと有効に自分の時間をつかうべきだ。

必要なものは、借りればいい。
それがカタログ化されているものがあるとしたら、それは書架だ。
書架に並んだ本は、それぞれ別々の能力(Ability)を拡張するのに役立つ。ただし直接的に役立つのは、プログラミングか数学の本だけである。そのほかの科学の本でも、数式が書いてあれば(そしてそれが数学的に正しいものであれば)役立つ可能性はある。それ以外の本は(残念ながら圧倒的多数はこちらだが)、読んだところでそのままではほとんど役に立たない。自分が咀嚼して、初めて役立つ。いわばプログラミングの本は栄養でいえば点滴のように直接血液に栄養を運ぶもので、数学は錠剤のように経口摂取するが消化するには自分の身体の状態に依存するもので、その他の本は緑黄色野菜やカレーライスであり、難しく思える本は咀嚼して栄養にするのが難しく、美味しいものはさらっと食べれるが余計な脂肪までついてしまう。

つまり、僕がプログラミングを普及させようという試みは、根本的には「能力拡張」を容易にすることが人類の進歩に直接的に貢献すると考えていたということで、それはStore of Abilitiesとして捉え直すことができる。

プログラミングが人の能力に直接作用する便利なものだとしても、それを使いこなすにはまだ人に心の準備や訓練を必要とする。
僕はそうした訓練がさほど難しくはないと考えており、特に子供にとっては簡単だと考えていたので、プログラミング教育を推進すべしとIT担当大臣に進言した。この考えは今でも間違っていないと思っているが、より多くの人々が人類の叡智をごく自然に有効に活用するためには、それだけでは不十分であると思った。

AIが実現するのは、根本的に言えば「勉強しなくて良い世界」である。
別の言い方をすれば、「勉強という言葉の意味が変化した世界」でもいい。

今、普通に「勉強」といえば、つらいこと、つまらないこと、退屈なことを乗り越えて、新しい能力を獲得することを意味する。

例えば英語だが、僕は英語ができない。できないが、海外で苦労したことがない。なぜなら外国人だって英語ができないからだ。アメリカ人だって英語が完璧にできるとはいい難い。完璧な日本語がないのと同じように、完璧な英語はない。程度問題に過ぎない。アメリカ人は日本人よりは英語がだいぶマシかもしれないが、500万人以上が失業している。それなのに日本人が決してマスターすることのできない英語の勉強に熱心なのは不思議だ。

海外で仕事をするときに役立ったのは、数学とプログラミングの知識(能力)を持っていたことだ。数式は世界共通語であり、英語のような言葉と違って、誤解を生むようなことがまずない。プログラミングは現実を変容させる能力そのものであり、数式やプログラムで自分の考え方を示せるのならば、それは英語が流暢であることの何百倍も役に立つ。

僕は英語を勉強したことがない。雑学だと思っている。雑学として英語を捉えることは好きだ。それは学研ムーを読んだりするのとあまり変わらない。でもこれからは、すべての学問はそのようなものになるだろう。なぜならば、難しいところはだいたいAIがやってくれるからである。

実用的なことはだいたいStore of Abilitiesに売っていて、人はそれを買うだけでいい。買わなくてもいいかもしれない。Google翻訳はいまのところ無料で誰でも使える。

複雑な数式も、どうやらAIの方がコンピュータ・アルゴリズムよりも速く正確に解けそうだということがわかってきた。

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以前本欄で紹介した論文が正式なものとして発表された。OpenReviewでは執筆者は匿名とされていたが、Facebook AI Researchの研究であることが明かされた。

この結果が示すところは、「直感が論理を超越し、なおかつ正しい」ことを意味する。
数学の達人でなければ得ることができなかったような直感を、AIが獲得できたこと、そして手続き的(アルゴリズム的)な方法では、もたもた時間がかかってしまったり、正解にたどり着くようなことができない問題でも、直感を磨ければ解決できることがわかった。

AIの学習方法そのものが進化している。
AIが進化したと言うよりも、AIに対する人類の向き合い方が変化したというのが正しい。

極めて高度な数学的能力がAIよって代替されることがわかってきたことで、おそらくほとんど全ての職人的・直感的能力はAIのほうがより高度で、なおかつ省エネルギー的に獲得・行使することができる。

となれば、我々は巨大なStore of Abilitesから、好きな本を探すのと同じように、好きな能力を探せばいい。
すると人間は、これまで以上にいっそう個性的であることが求められる。

個性的な能力を磨き上げ、それをAIに学習させてStore of Abilitiesにアップロードする。
また、自分に足りないものは、Store of Abilitiesからダウンロードして、自分を拡張する。

誰でもシェイクスピア並の流麗な台詞回しと、モーツァルト並の音楽的センス、全盛期のスピルバーグ並のエンターテインメント感覚と鳥山明のタッチで自分の好きなマンガを書くことができるようになるだろう。

しかしそうして作られたものだけでは、決してコンテンツ市場を席巻することはありえない。
人類はいつだって「新しい刺激」を求めており、その意味では人類すべてが真の意味での「勉強」をすることが求められる。
すなわち真理の探求であり、人間とはなにかという飽くなき問いかけであり、次なる挑戦はなにかというフロンティア精神だ。

AIによって実現するStore of Abilitiesは、人類の能力差をなくし、人類ひとりひとりが手を取り合い、力を合わせて人類を次の次元へと前進させることになるだろう。インターネットが人類ぜんぶをつないだのと同じように、おそらくそれ以上の進化が起きるはずだ。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。

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