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ARが習慣化するために超えなければならないこと

2020.01.17

Updated by Ryo Shimizu on January 17, 2020, 07:00 am JST


米ラスベガスで開催されていたCES2020から帰国した。

今年のCESは焦点を絞り切ることが難しく、各社ともにメッセージが散逸した印象だった。
薄型テレビあり、折りたたみ端末あり、IoTありアイデア商品ありといういつもどおりのCESではあったが、これといって全体を通底する大きなテーマのようなものは感じられなかった。

ただ、ARグラスやVRグラスがやたらと展示されていたのが印象的だった。
AR、すなわち拡張現実感(Augmented Reality)と呼ばれる技術が、ようやく人々の手の中に入ってきつつある。

今年はAppleがARグラスに参入するという噂がまことしやかに囁かれている。
あるいは、2006年のiPhoneよろしく、CESにあわせて発表ということもあり得るのではないかと思っていたのだが、今回はそれはしなかったようだ。

AppleがARを推進したい動機は、iPadから10年が経ち、ここ数年のAppleの新製品群がいまひとつ新機軸を打ち出せていないという焦燥感があるからだろう。

実際、ARグラスこそないものの、Appleは数年前からAR Kitを着実にバージョンアップさせており、いつARグラスを出しても既存のデベロッパーが即応できるような体制を整えている。

ところがARには未だにキラーアプリがない。

「Pokemon Goがあるじゃないか」

と言われそうだが、Pokemon GoをARアプリだと本気で信じている人は少数派だろう。
今年はLGが手動するARグラスプラットフォームのnrealがかなり力の入った展示がされていた。

ゲーム、ショッピング、ホーム、などのユースケースが示され、会場は大盛況だった。
にもかかわらず、どうにも渇いた気持ちになる自分を抑えられなかった。これが一般化するとはどうも思えないのだ。

MicrosoftがHoloLensのイメージビデオを公開したのは、もう4年も前のことだ。

実際に筆者も購入し、しばらく使ってみた。
最初は驚くべき体験だったし、実際に驚いた。

しかし視野角は狭く、少し目をそらすとAR世界はかき消されてしまうし、なによりユーザーインターフェースが非常に不便だった。

そして屋外に出ると、やっかいなことがすぐに分かった。ぜんぜん使えないのだ。
たしかにHoloLensのプロモーションビデオを見ると、基本的に家庭やオフィスなど、屋内でのみ使用されている。

HoloLensの映像はたしかに屋外では見えにくくなるが、それでも全く使えないのでは話しが違ってくる。

それから4年たった今年のCESでは、初代HoloLensの持っていた欠点はだいたい解消されたように思える。
ユーザーインターフェースは改善され、視野角も申し分ない広さになってきた。デザインも洗練され、軽く小さくなった。

それでも何かが決定的に欠けていると感じざるを得ないことが多々あった。

最大のものは、結局、これをつかう必要性、いわば「大義名分」がどこにも感じられないことだった。

これでなければできないこと、というのが結局なんなのかを示したデモをしているメーカーはひとつもなかった。
何年経っても、「なぜARでなければならないのか」がよくわからないのだ。

ただ、人は昔から、「新しい道具」には興味津々である。ソフトウェア、ハードウェアを問わず、エンジニアやガジェット愛好家であれば当然、新しい道具には胸を踊らされるし、興奮してしまう。

しかし、そこに興奮することで終わってしまうと、結局のところうまくいかない。

同じようなことを人類は何度も繰り返していて、たとえばポケットに入るタッチスクリーン型のコンピュータというのは過去に少なくとも3回以上失敗している。

1989年のソニーが発表した世界初の手書きコンピュータ端末「Palmtop」や、Appleの初代Macintoshチームが開発した「Magic Cap」、そしてジョン・スカリーの「Newton」。これがコンシューマ向けタッチ端末第一世代と呼べるだろう。



これから10年ほどして、MicrosoftがWindowsCEというシリーズを開発する。
これは頑張ったが、やはり短命だった。

その途中に、Palm社のPalm Pilotシリーズも忘れてはいけない。かなり支持されたが、やはり全体には広がらなかった。

そして2002年と2005年のWindows Tablet PC Edition。

これもうまくいかなかった。

結局、最終的にiPadが成功できたのは、「大義名分」の構築に成功したからだと僕は考えている。

さまざまな本によれば、スティーブ・ジョブズ率いる当時のAppleは当初iPadのようなものを最初に作りたかったのだという。
ところが、iPadを作るためにはさまざまな障害があった。

そもそもそれ以前に、当時のAppleは負け組であり、数カ月後には現金が枯渇して倒産が確定しているような状態だった。
そこへのテコ入れから始めて、AppleStoreとiMacを作り、少し一息つくと、次にAppleは音楽プレイヤーであるiPodを発表する。

このiPodの開発を主導したのが、映画「General Magic」にも出てくるトニー・ファデルで、当時既に存在していた音楽プレイヤー市場に切り込む大胆な作戦で「iPodを買う」という大義名分を生み出した。

iPodの勝因と呼ばれるものはいくつかあるが、もともとAppleファンという確たる固定客を獲得していたことと、iTunesの使い勝手の良さが最初の原動力になったのは間違いない。当時、最大のライバルと考えられたソニーは、シリコンオーディオにおいてiTunesにあたるSonic Stageというソフトを提供していたが、MP3形式に対応していないことや、そもそも動作が不安定で使い勝手が悪いことが原因で高い評価を得られなかった。Sonic StageがMP3に対応したのは2004年で、それまでの間にiPodは最初からMP3に対応していて2003年にはMusic Storeを開始してさらにWindowsにも対応し、一気にユーザーを拡大した。

iPodがヒットしたことで、トニー・ファデルは次の戦略に繋げやすくなった。2007年のスティーブ・ジョブズの伝説的なキーノートスピーチは、世界中が固唾を呑んで見守った。

このスピーチに至るまでの間、巷間の噂では、Appleが新しいiPodを発表すると言われていた。新型のiPodと、ビデオ機器と、それからもう一つなにかを発表するのだと。それはひょっとすると電話かもしれないと言われていた。

そして実際にスティーブ・ジョブズは最初に3つの製品を発表すると言い、1つ目は「Wide Screen iPod with touch controls(タッチ制御のワイド画面iPod)」だと発表している。

この一言だけでiPodのファンはみんなこう思った。「それはどんなものであろうと絶対に買おう」と。あとは簡単だ。

続いてジョブズは、「Revolutionary Mobile Phone(革命的携帯電話)」と、「Breakthrough Internet Communicator(革新的インターネット端末)」の2つの製品を用意していることを発表する。

そして最後に、これらは3つの別れた製品ではなく、たった一つのiPhoneという製品なのだと明かすのである。

iPodを毎日使っているユーザーからすれば、「次のiPodにいつ買い換えようか」と考えながらこのキーノートを見ていたはずで、それがごく自然に携帯電話とインターネット機能のついたものへと正常進化していくのである。

iPhoneが普及したあとは、それがただ大きくなるだけで需要を喚起できると見切りをつけて2010年にiPadを発表し、ジョブズはその一年後にこの世を去った。

それからApple Watchが2015年に発売された。
僕も買ったのだが、今は使うのをやめてしまった。Apple Watchは明らかにとってつけたようなもので、なくても困らないものだった。

僕が買ったのはちょうどジョギングをしたいと思っていた頃に発売されたNikeモデルで、「これを買えばジョギングが楽しくなるのではないか」と考えて買い、実際にジョギングに行くようになった。

ところがジョギングをやめて、筋トレを始めるようになると同時にApple Watchをつかう理由がなくなってしまった。

つまり僕にとって、Apple Watchを「買う大義名分」はあったとしても、「使いつづける大義名分」がなかった。
逆に、女性はApple Watchを使い続ける傾向が比較的強いような印象がある。
それは、スマートフォンの本体をバッグなどに入れたまま、SNSの通知などを受取るという大義名分があるようだ。
しかしこれも、「どうしてもApple Watchを使わなければならない」というケースはかなり限られる。

同じように、ARグラスにはいまのところこれといって「ないと困る」という状況が想像しにくい。
本当はあるのかもしれないが、誰も「ないと困る」という状況を示してはくれない。

少なくともCESでARグラスを展示している企業では、「これができるからARグラスが必要ですよ」というユースケースを示した会社がほとんどなく、「ARグラスがあるとこんなことができますよ」という、主従が逆転した主張以外は見られなかった。

たとえばARゲームは、本当にARグラスでやる必要があるのだろうか。
ゲームデザイナーとしての経験がある僕から言わせてもらえば、ARゲームのゲームバランスのコントロールはほとんど不可能か、不可能でないにしろかなり難しい。

というのも、見慣れた自宅やオフィスの壁や床から敵が現れて撃つタイプのゲームは、そもそも壁がどのくらいの距離なのか、床は見えているのか、などに大きくゲーム性が左右される。だから、ゲームの面白さを維持しようとすると、制約が大きく、ゲームデザイナーとして高いモチベーションを持つことができない。

まだ、完全没入型のVRならばゲームの作り方というのはいくつも考えられるが、ARだとすると難しい。
遊ぶ側にしても、一度遊んでしまえば物珍しさは急速に色あせてしまうので、夢中になって何度も遊ぶものになりにくい。

実用性のあるものであればこの制約はもっと厳しく効いてくる。
果たしてHoloLensのデモのように天気予報を見たり時間を見たりするのに、わざわざリビングのテーブルに視線を落とすのは便利なのだろうか。

もし、ARにチャンスがあるとすれば、現実感(Reality)を拡張するのではなく、能力(Ability)を拡張することではないだろうか。

たとえば、AppStoreにあるアプリでAR Kitを使ったものの一番多いものは、メジャーである。
つまり、カメラを使って部屋の広さを測ったりするツールだ。

これはしかし実際には精度の問題から来る誤差を考えると実用性はまだまだ低い。

翻訳のような用途にしても、海外旅行をする際など特殊なケースでは、実は有効かもしれない。
たとえば中国の少し都会から離れた観光地などでは全く英語が使えなかったりするし、メニューもすべて中国語でなにが出てくるかわからないという状態に陥りがちなので、目に見えるものがすべて翻訳されるようなメガネがあれば安心だろう。

もちろんこれは今のスマホでもできるし、そっちのほうが手軽である。
スマホでもできることをどうしてメガネでやらなければならないのか、やはりそこには新しい「大義名分」が必要なのである。

もしチャンスがあるとすれば、まずスマホでARを使った、ARでなければできない、何らかの能力拡張(Arugmented Ability)があり、それがあまりにも便利なので常時使用したいというモチベーションにつながり、結果としてARグラスに行くというシナリオだろう。

そしてAbilityの拡張には何らかのAI技術が不可欠であると思う。自動翻訳はひとつの例に過ぎず、実際にはもっと日常的な必要性が高くてもっと感覚的でもっと中毒性の高いものになるはずだ。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。

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