AI 教育

AI隆盛時代のエリートを作るこれからの教育

The Door into AI era

2016.10.11

Updated by Ryo Shimizu on 10月 11, 2016, 11:32 am JST

 最近、筆者が興味を持っているのはサイボーグです。
 サイボーグと言っても、攻殻機動隊に出てくるような、人間と機械が物理的に神経接続され、融合されたものではありません。

 人間は生まれながらのサイボーグである、という主張が英国の哲学者、アンディ・クラークによって成され、「Natural-Born Cyborgs: Minds, Technologies, and the Future of Human Intelligence(邦題:生まれながらのサイボーグ: 心・テクノロジー・知能の未来 春秋社)」が発売されたのは2003年でした。

 2015年になってようやく春秋社から邦訳が出て、この考え方は日本でも知られるようになってきました。

 この本の中心的な主張はどういうことかというと、人は機械と直接融合することなくても、ごく自然に鉛筆やノートを使い、メガネを使い、ノリやハサミを使い、ノコギリと金槌で建物を建て、インターネットで知識を拡張することが出来ます。これはすなわち、道具を使いこなす人間にとって、道具は身体の一部であり、人間は生まれながらのサイボーグであると言えるのではないか、ということです。

 こういう視点は、まさしくこれからの世の中を読み解いていこうとするときに大変役立ちます。
 

 筆者はしばしば、時代によってエリートの条件が異なることを指摘してきました。
 たとえば、有史以来の長い間、エリートとは、良い両親を持つ人のことでした。その人個人の能力がどれだけ高くとも低くとも、特殊な例外を覗いては良い両親の元に育った人だけがエリートとして特別な教育を受けたり、特別な地位につくことが許された時代があります。

 その後、血筋だけでなく実力でエリートの地位を勝ち取る仕組みが世界各国で同時多発的に試行されます。
 これも突然起きるのではなく、長い時間を掛けて少しずつ試行錯誤を重ねながら、血脈主義と実力主義の混在状態が長く続きました。未だに血脈主義の組織もありますから、完全に血筋だけがエリートの条件ではなくなってしまったものの、今もそれは残っています。

 実力主義の時代でも、実力を意味するものの意味が時代とともに変化しています。
 戦国時代では実力とはすなわち武力であり、武力の中には一部の知力を含むといっても、それはあくまでも軍事的才能に限定されていました。

 しかし時代が進み、戦乱の時代が落ち着いてくると、今度は圧倒的に財力を生み出す知力が重要視されるようになり、反対に武力は野蛮なものという考え方が支配的になりました。

 その後、財力を生み出す知力に関しても細分化され、金融や商売のような資本を回転させてカネがカネを生み出す仕組みを考え、実行する者、作家や評論家、教師のように、知識を吸収、整理し、他の人に伝えることで情報に価値を生み出す者、そして知識を実際に活用し、全く新しい技術や科学的発見を行う科学者やエンジニアといった者、さらには人々の行動規範となる法律を立法し、政府を動かす官僚や政治家といったエリートに分かれていきます。

 政治や商売の世界ではいまだに血縁エリートが強く残っていたり、反対に科学や作家の世界では血縁とは無関係にその人個人の努力や幸運を掴み取る力が重要だったりします。

 日本における20世紀前半のエリートは、一部の政治家や実業家を除くと、レールの上にしっかり乗った人、を意味していました。明治以降、教育システムと人材の選抜システムが整理され、士族の生まれでなくても平民が努力次第では出世していく道筋が整備されたからです。

 これに当てはまるのは、軍人や政治家、官僚といった人々です。

 しかし太平洋戦争を経て、20世紀が後半に入ると軍人としてのエリートは徹底的に弾圧され、ひとつのレールが破壊されました。この時代で唯一エリートとして認められるためには、学歴社会というピラミッドの頂上を目指すレールに乗り、振り落とされないように競争に打ち勝つ必要があります。

 これは一億総ガマン大会とでもいうべきもので、普通に生きていたら興味が持てないようなどうでもいい事柄や、大半の人が実社会ではほとんど一生役に立てることのない知識を詰め込み、いかに型通りの人間になれるかを競ったものです。

 軍事エリートが蔓延っていた頃に重視された体育は義務教育の中ではレジャーとなり、体育の成績が悪くとも進学に影響なしということで受験科目でない科目はどんどん軽視されていきました。

 その結果、多少は創造性に欠けても、集団活動の中で交換可能な部品として活躍できるエリートが多数養成されました。これはこれで必要なことです。

 20世紀の日本が幸運だったのは、軍事エリートや実業エリートが前半に養成され、後半は部品としての学歴エリートが量産されたことです。

 20世紀前半に養成された軍事エリートや実業エリートが年を取り、戦争を乗り越えていよいよ商才を発揮できるタイミングで大量の学歴エリートが入ってきたため、彼らをよく使い、爆発的な力を発揮しました。

 本田宗一郎が小学校しか出ていないのに、ホンダが世界有数の技術を身につけることが出来たのは、彼の下に大量の大卒エリートが揃っていたからでしょう。ホンダの歴史を紐解くと、本田宗一郎は一介の技術者としては優れたセンスを持っていたものの、主張そのものはかなりトンチンカンなことがあり、現場のエリートたちはそういうボスを騙し騙ししながら、なんとか高度な技術開発を成功させてきたことが伺えます。

 中卒なのに内閣総理大臣になった田中角栄も同様でしょう。

 20世紀の前半と後半で求められるエリート像が異なっていることから、21世紀に入っても、再び求められるエリート像が変化していくことは当然考えられます。

 たとえば20世紀のエリートには必須とも思われた外国語の運用能力です。
 20世紀前半では主に科学的知識や哲学的知識はドイツやフランスから入ってきました。当然、当時のエリートはそうした言葉に精通している必要がありました。また、半導体やITの世界ではアメリカが大きくリードを奪っていることから、英語を話すことが出来なくても読むことが出来ないと話になりません。これは現在でもほとんど変わっていません。

 たとえAIの世界であっても、世界中、誰が書いても論文は基本的に英語で書かれ、英語で発表されます。
 

 ということは、当然、AIの最先端の研究を知るには、英語を話すことはともかくとしても、読めなければなりません。

 また、英語で書かれた論文を読むというのは、英語の教科書にあるような例文を訳すのとはわけが違います。当たり前ですが、当該分野に関する専門的な知識がなければ全く翻訳できません。

 10年後にもこの状況はほとんど変わっていないことが考えられます。
 大半の文章はAIによる高度な自動翻訳が行われるでしょうが、専門的な内容を翻訳するにはまだまだデータが足りなくてできない、ということが有りえると思います。

 より難しいのは専門的な内容の「要約」です。詳しい内容はともかく、その論文がどんなもので、どれくらいの効果が期待されるかということを読む前に要約できたら、なんと素晴らしいでしょう。

 これにもまだ少し時間がかかると思います。
 

 AIの挙動を理解するためには、地道な実験を繰り返すのが遠いようで最も早い道です。
 実験とは、AIを組み立て、学習させて、その傾向やクセを感じ取ることです。

 AIには個性があります。全く同じプログラム、全く同じ学習データセットから教育された双子のようなAIでさえ、個性があります。

 それはAIが学習の初期状態を乱数状態から始めるからです。

 同じプログラムから生み出されるAIは、それぞれ兄弟程度には似ています。
 しかしやがて計算資源が充分になれば、AIそのものをAIが作り、評価する、遺伝的AIプログラミングがごく普通にできるようになるでしょう。

 ある学習タスクを効果的に学ぶAIの構造を考えることは今の機械学習人工知能研究者の最後の仕事と思われていますが、おそらくそれ自体もAIを使って敵対生成学習をした方が効果的に学べるでしょう。

 それはあたかも囲碁という極めて人類の知能の高いレベルでなければ戦えなかった領域を、我々プログラマーが勝手に聖域だと思っていたところに、AlphaGoのような、ある意味でかなり単純な仕組みで人間の想像を遥かに凌駕してしまったということにも似ています。

 ただし、これを試すには充分な計算資源が必要です。
 この場合の「十分な資源」というのは、たとえば深層学習用サーバが100や200じゃどうにもならない規模です。

 ひとつの仮説(として作られたニューラル・ネットワーク構造)を試すのに最低でも1台のマシンを使用するとすると、100や200ではどうしても同時に100か200くらいの仮説しか試すことが出来ません。しかし、AIの持つパラメータの自由度はそれどころではありません。簡単に万単位になります。

 AIが自ら仮説AIを組み立て、試し、適切に改良するようにするためにはまだまだ時間が必要なはずです。

 この「適切に改良」というところがミソで、おそらく筆者は古典的な遺伝的アルゴリズムである程度はうまくいくと考えていますが、この筆者の立てた仮説が正しいかどうか誰にも証明できません。

 もし、時間のある人が居たら、ぜひ身の回りにある環境でMNISTのような単純な問題を解くニューラル・ネットワークを自動生成するニューラル・ネットワークの実験をしてみることをお勧めします。古典的な遺伝的プログラミングを使った場合、こんな感じの設計になるはずです。

      ニューラル・ネットワークの接続構造やハイパーパラメータを遺伝情報として有限ビット数でランダムに表現する
      ↑で得られた遺伝情報をもとにニューラル・ネットワークを自動生成し、特定の問題(この場合はMNIST)を学習させる
      一定時間学習が進んだら、lossの減り具合や正解率を評価する。
      同様のランダムな遺伝情報を複数回試行し、最も正解率の高かった個体(ニューラル・ネットワーク)の遺伝情報上位4つをランダムに交配する。その際、遺伝情報にランダムなノイズを与える
      得られた遺伝情報を元にニューラル・ネットワークを生成し、繰り返す

 書いていてあまりにも簡単なので自分でも試したくなりましたが、もしこのやり方でMNISTのような単純な問題を最適に解くようなニューラル・ネットワークが自動的に得られるとすると、より複雑な問題に対しても自動的にこのようなプログラムで最適解を見つけることができるようになる可能性があります。

 
 そしてここで示したような古典的な遺伝的プログラミング自体も、ニューラル・ネットワークによってさらに効率的な進化のさせかたが発見されるでしょう。

 計算資源が充分になるまで、何も座して待っている必要はなく、小さい問題から実際に試してみればいいのです。

 こうしたアイデアは何も目新しいものではなく、古くは1994年頃から言及されています(Combining Genetic Algorithms and Neural Networks:The Encoding Problem)。

 この分野は誰でもやれば簡単にできそうなので、あんまり実験してる人がいないだけでしょう。

 今のところは、アルゴリズムを考えるのは人間の方が鋭いと言われていますが、この先そうも言ってられなくなります。先日紹介した蒸留という考え方ひとつとっても、アルゴリズムの中身よりもむしろ学習用データセットをどう定義するかという問題の方が大きいのです。

 と、こうなると、21世紀のエリートとなる人たちの姿がぼんやりと浮かんできます。
 

 筆者の考えでは、21世紀のエリートは、人工知能を上手く使いこなし、自分の目的に応じたAIを作り出し、自分の知的能力を拡張できる人間を指します。

 それは自分が英語が苦手なのに英語の知識が必要ならば英語を翻訳するAIを作り、自分が数学な苦手ならば、数学のAIを作って自分の能力を文字通り拡張し、サイボーグとして自分自身を強化できるということです。

 そのために子どもたちがいち早く学ぶべきなのは、「教育の方法」ということです。
 教育を受ける側の子どもたちが「教育の方法」を学ぶことの意味はあるのか、という当然の疑問があると思います。

 筆者が何を言いたいかというと、これからのエリートにとっては、「身近な知能が成長する過程、それを正しく導く方法を知る」ことが重要ということです。

 今、都会っ子が増えているので、家で動物を飼う人が少なくなっています。
 また、一人っ子も増えています。

 むかしは大家族だったり、近所や親戚に一匹はペットが居たりして、小さな生物(弟や妹、ペットなど)と接する機会が減っています。

 けれども、ペットなどの原始的な脳がどのように進化・成長していくかを知っておくことはこれからの未来、子どもたちが成長するときに最も重要なことかもしれません。

 なぜならAIを教育するというのは、弟や妹に遊びを教えるのに似ているからです。

 「これ読みな」「このゲームやろうぜ」「将棋やらない?ルールなら教えてあげるから」「トランプしようぜ」

 もし皆さんに弟や妹がいたら、こんなふうに一緒に遊ぶことを教える機会があったと思います。

 これは下級生でも同じです。
 自分より若い知能が、どのようにして新しい知識を獲得し、自分のものにしていくか、ということを間近に観測することは非常に意義のあることです。

 中学生、高校生くらいになると、こうしたことをさらに強く意識しだします。
 中学二年生に上がると、下級生から「先輩」と呼ばれるようになります。不思議なんですが、小学生の頃は呼ばれません。

 同じ部活や委員会の下級生に仕事を割り振る。ミスを嗜め、成長を促す。慕われる、同じ目標に向かってみんなを引っ張っていく。

 こうしたスキルは、20世紀後半以降のエリートには必須技能とは思われていませんでした。受験科目にないからです。

 組織のトップに立ったことがあるとわかると思いますが、組織のトップにとって組織とは、自己の拡張装置に他なりません。それは部活動でも委員会活動でも企業活動でも同じです。そして組織の一員にとっても、組織を自分の拡張装置として使いこなせることもあれば、専ら誰かの拡張装置として部品に徹するかという立場を求められます。

 そして、実はこうしたスキルを磨く機会というのは、学生時代にしかありません。
 組織に入ってしまったら、その時点から、後輩を鍛えるスキル、上司同僚の能力をフル活用して自己の能力を最大化するスキルの有無によって、一生の評価が決まってしまいます。

 社会に出てしまってから、組織と自分のスキルにアンバランスな乖離があると、組織を飛び出して自分自身で新しい組織を作らなければなりません。

 大組織で活躍できる人というのは、基本的に学歴関係ありません。大組織に所属するときには学歴が必要になるかもしれませんが、入ってしまえばあまり関係ないのです。

 そしてAIが隆盛するということは、誰でもポケットの中に自分だけの大組織を作れる時代が来るということです。
 

 そうした自分だけの大組織で自分の能力を上手く拡張できるよう、自分のためにAIを教育し、組織し、活用できる人間こそが、21世紀のエリート像になっていくでしょう。

 筆者自身は、教育を生業としているわけではありませんので、このような主張はいささか無責任に感じられるかもしれません。

 ただ、AIを研究開発・活用する立場として、このままAIが予定通り発達していくと、遠からずこのような時代がやってくることを予感してしまうのです。

 そしてそれこそが今、日本の多くの人々、大学生や親御さん世代の人が知りたいことではないでしょうか。

 というわけで、アスキー・メディアワークスからの新刊の発売にあわせて、来る10月17日、第一線の教育者である、品川女子学院の漆志穂子校長先生をお招きして、トークショーを開催させていただきます。

「人工知能は教育をどう変えるか?」品川女子学院 漆校長×清水亮 -『よくわかる人工知能』発売記念セミナー

 漆先生は教育者としても大変な実績を持たれており、品川女子学院では常に先進的な授業を取り入れるスタイルで常に生徒および卒業生の未来をどうすべきか思索を重ねておられる方です。

 筆者の拙い教育観をこの場で漆先生にぶつけさせていただいて、お叱りを受けるかもしれませんが、これからの教育、社会に求められる人材像について、ぜひとも議論を交わしたいと思い立ちまして特別にお願いしました。

 大変貴重な機会ですのでぜひご参加ください。

WirelessWire Weekly

おすすめ記事と編集部のお知らせをお送りします。(毎週月曜日配信)

登録はこちら

清水 亮(しみず・りょう)

1976年新潟県長岡市うまれ。6歳の頃からプログラミングを始め、16歳で3DCGライブラリを開発、以後、リアルタイム3DCG技術者としてのキャリアを歩むが、21歳より米MicrosoftにてDirectXの仕事に携わった後、99年、ドワンゴで携帯電話事業を立上げる。'03年より独立し、現職。'05年独立行政法人IPAより天才プログラマーとして認定される。

RELATED NEWS

RELATED TAG