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VR 想像力 表現 イメージ

自動翻訳の最後の難問

2020.02.09

Updated by Ryo Shimizu on February 9, 2020, 09:16 am JST

Virtualという言葉は長らく誤解されている。

僕が最初にVirtualという言葉が「仮想」を意味しないのだと聞いたのは、東京大学の大学院で受けた、舘暲(たちすすむ)先生の授業だった。

Virtualという言葉は、オックスフォード辞典によれば、「almost or very nearly the thing described, so that any slight difference is not important(説明されているものにほぼまたは非常に近いため、わずかな違いも重要ではない)」という意味になる。舘先生の説明では、「Virtual」とは「Essence」、つまり実質、本質である、と説明されていたが、あまりにもコンピュータ業界での使われ方が多いので最近は改訂された。

Virtualは日本では「虚構」とほぼ同等の意味で用いられているが、これがそもそも間違いである。虚構は「Imaginary」のほうが近い。
Virtualが「実質的に」を意味する例文にはこんなものがある。

Analysts said the deal was a virtual certainty.(アナリストは、この取引は事実上確実であると述べた)
She was a virtual unknown when he cast her in the film.(彼が映画で彼女をキャストしたとき、彼女は事実上未知でした)
The stunning battle sequences almost make up for the virtual absence of a plot.(見事なバトルシーケンスは、プロットが事実上存在しないことをほぼ補います)

すなわち、Virtualという言葉には「仮想」のような誤解を招きやすい造語を用いるべきではなく、かなり注意深く扱わなければならない。

その意味で「Virtual Reality」を舘先生は「人工現実感」と呼ぶべきと主張した。しかしこの「人工」という言葉も、本質的にはウソではないが正確ではないと僕は思った。
なぜそんなふうに思ったのか。

4月に大きなイベントがあって、そのイベントに向けた企画コンペが終わったところだった。
決定したブースレイアウトは、ある多角形の構造をベースとしていたのだが、これが図面ではなかなか大きさがつかみにくい。

そこで、実際に寸法通りの多角形を作って大きさを掴むことにした。
Unityで実寸大のVRモデルを作ることも検討したが、セットアップが面倒くさいので会社のカフェに実寸大の多角形を養生テープで描いた。

そして思ったのだ。「あ、これぞVRだな」と。

VRとARは本質的には同じものだ。だから全部をひっくるめてXRと呼ぶのが最近の流行りらしい。
でも本当はVRで統一すべきだと思う。つまり、その言葉だけで実質的な現実感をすべて表現できるはずだからだ。

「実質的なリアリティ」というニュアンスであれば、海外のVR作品がどんどんシンプルな表現の方向に行くのは納得できる。つまり、シンプルにすることこそがより実質的なリアリティに近づくからだ。

ところが日本人はVRを「仮想現実感」だと想っているので、どんどんリアルなモデルを作り込んでいく。
根本的には誤解が根底にあるのだが、それはそれでいい。

むしろこうした「誤解」こそが人類を前に進める原動力なのではないかと思う。
その意味で、ぼくは最近、自分が日本語話者であることを非常にありがたいと思っている。

なにげなく使っている言葉の一つ一つ、その語源までをも含めて、何度も誤解したり再考したりするチャンスがあるからだ。誤解と再考というのは、根本的には想像力の拡張である。つまり想像するチャンスがネイティブの英語話者よりも遥かに多い。

外国の単語と日本語の単語を完全に一対一で紐付けることはできない。
だからこそ想像力が刺激され、誤解によって独自の文化が発展する余地がある。

ほとんどの外来語は誤解によって成り立っている。おそらく日本人にとってもっとも一般的な外来語である「LOVE」ですら、正しく輸入されていないはずだ。
loveの定義のうちにはこういうものがある「the strong feeling of pleasure that something gives you(何かがあなたに与える強い喜びの感覚)」非公式なイギリス英語では「a word used as a friendly way of addressing somebody(誰かを示す簡単な方法としてloveをつかう)」ということもある。「a hard task that you do because you want to, not because it is necessary(必要に迫られたわけではなく自ら進んで挑む困難な仕事)」

I fell in love with the house.(ぼくは家にいるのが最高に楽しいんだ)
Can I help you, love?(なにか手伝いましょうか?あなた)
Writing the book was a labour of love.(本を書くことは大変だが無常の喜びだ)

したがって、「love」は「誰かや何かを愛すること」だけを意味するわけではない。
これほど外国語と日本語の感覚は違う。

話しをvirtualに戻そう。
これほど誤解されている英単語もないと思うが、それはかつて「hacker」がコンピュータ犯罪者と同一視されたのと同じだ。

コンピュータ業界の用語は急激に大量に輸入されたため、十分な咀嚼や検討が行われることなく大量の誤訳が導入された。
その結果、無理に訳語をつくるよりも、外来語をそのままカタカナとして輸入することにした。だから最近輸入されたコンピュータ用語はカタカナなのである。
テンプレート、フレームワーク、モジュール、サーバーレスなど、わざわざ日本語があてられていないのはそのためである。

ところがvirtualはかなり初期の方に輸入されてきたために誤解がそのまま残っている。

しかし我々はvirtualを「仮想」と誤解していたことによって、むしろvirtualという概念の拡張に成功している。
virtualのある面を強調し、それが結果的に全世界に逆輸出されてvirtualという言葉の意味が拡張された。

そして再びvirtualのもとの意味に立ち戻ることで、新しい解釈を考えることができる。
これが日本語と英語を交互に省みることの価値ではないかと思う。

英語しか喋れない人は、このように言葉の概念を拡張することは難しい。
言葉の摩擦が想像力を刺激し、概念を拡張していくメカニズムはダイナミックな驚きに満ちている。

おもしろいのは、誤解が多い言葉ほど、Google翻訳でちゃんと翻訳できないことだ。
先程の例文は、Google翻訳では正しく翻訳できない。翻訳文全体を注意深く読むと誤訳だと解るが、単に一文だけを訳したら誤訳していること自体に気づかないだろう。

なぜこうなるのかといえば、Google翻訳では元にしている文章の対応関係を学ぶからである。
つまり、日本語で書かれた「love」という言葉は、殆どの場合、多くの日本人がイメージする「愛」、すなわち「誰かを愛する」ことを意味する。

これを学習データとして学習しているので、本来の意味からは遠のいてしまう。
これが統計的学習の今のところの限界であるとも言える。

想像力をふくらませるとすれば、それぞれの母国語の言語辞典を理解した上で翻訳する学習エンジンを作ることができれば、或いは人間よりも翻訳の精度を高めることができるかもしれない。そしてそれは全く不可能とは思えないのだ。

本当のチャンスは、翻訳は対訳を学ぶだけでは不十分であるという単純な事実に欧米の研究者が気づくことができるかどうかだ。
もしくは、その前に日本人の研究者がそれを上回ることができるか、あるいは、中国やインドの研究者に先を越されるかだ。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。

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