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ネガティブの経済学03「コンビニと微生物」

ネガティブの経済学03「コンビニと微生物」

2020.04.06

Updated by Chikahiro Hanamura on April 6, 2020, 13:17 pm JST

変な問いかけだが、ゴミは“いつから”ゴミになるのだろう。最初から最後までゴミであるようなものはあんまりない。使っている間はゴミとは呼ばれないからだ。しかし使い終わって不必要になると、それはゴミと呼ばれるものに変わる。だからゴミは元々あるものじゃない。どこかの段階でゴミに「なる」のだ。

例えばコンビニでお弁当を買うとしよう。ご飯とスパゲティーの上に乗った唐揚げの横には漬物が銀紙の小皿に盛られ、緑のビニールのバランで仕切られている。それが乗せられた黒いプラスチックの容器には透明のフタがあり、さらにラップで全体が包まれている。そこにソースの袋が貼られているかもしれない。そのお弁当をレジに持っていき600円を払うと、店員さんはビニール袋に入れてくれるだろう。丁寧にビニールで包まれたお手拭きと箸まで一緒につけてくれる。

1時間後にお弁当の中身を全て食べ終わる。そうすると黒いプラスチックの容器とフタ、丸まったラップ、ソースの袋、お箸とお手拭き、それを包んでいた袋とビニール袋。それらは全部ゴミに変わる。お弁当を包んでいたものは最初から数時間だけ使う目的に作られたものだ。しかし、もう少し長く使うものも、いずれはゴミになる。新しい自転車を買ったとしても、何年か経つと壊れるか必要なくなるだろう。そうなるとゴミにするか、中古自転車として引き取ってもらうかになる。中古自転車になっても、また10年以内にそれがゴミになる確率は高い。

そう考えると最終的には全てものがいつかはゴミになる。ぼくたちが生きている限りゴミは必ず生まれてくる。あらゆるものはゴミになるまでの時間が早いか遅いかの違いだけだ。かつてモノがあんまりなかった時代は、同じものを大事に使ったり、修理していたのでゴミになるまでの時間がかなり長かった。しかし、今はほんの少しの間しか使わずにゴミになるものは生活の中に無数にある。ぼくはお昼に唐揚げとご飯が食べたいだけだが、何かを買うと必ずゴミが出る。そうやって人生の中で一体どれほどのゴミを吐き出し続けてしまうのだろうか。

平均的な日本人が出す家庭ゴミは一日に大体1キロぐらいと言われている。もし人生が70年ぐらいとすると、単純に計算して3万キロのゴミを一生の間に出していることになる。2トントラックで15台分ぐらいだ。そんな人が日本には1.2億人居るのだから、日本全体での一日のゴミの量は12万トン。ジェット機350機ぐらいの重さのゴミが家庭から毎日排出されていることになる。

これに家庭ゴミだけでなく産業廃棄物やオフィスや店舗で出るようなゴミまで加えると、日本全体で出しているゴミは年間で4,487万トンにものぼるという(2015年)。ちなみに日本は世界の中で最も多くのゴミを出している国だが、世界全体だと推定で20.1億トン(2016年)と言われている。そして、さらにこれから30年間で1.5倍以上になると予測されているそうだ。これほど膨大なゴミを出す生物は自然界にいないだろう。

少し見方を変えてみよう。ゴミはいつから“ゴミではなくなる”のだろう。自然界ではゴミという考え方はあんまりない。人間以外の生き物たちにとってのゴミとは一体何なのだろうか。多くの生き物たちが出すゴミとは、排泄物か分泌物かあるいは死骸だ。基本的にはその生き物の身体から生まれるものになる。なぜならば、ほとんど全ての生き物は人間のように膨大なモノを生産することはないからだ。

しかし生き物の身体から出てくるゴミはすぐに消えてしまう。微生物が分解するからだ。微生物にとって、生き物から出てくるものはゴミではなく「資源」だ。自然の循環の中に組み込まれているものにはゴミという考え方はない。ある生き物にとってのゴミは、別の生き物の資源なのだ。だから自然界で見ると人間だけがゴミを生み出している。

人間が生み出すゴミのバリエーションは本当に沢山ある。生ゴミ、プラスチック、ゴム、金属、布、木材、コンクリート、繊維、ガラス、油、煙、紙、化学物質...。元々は全ての素材が自然の中から集められてきたものだ。しかしもう一度自然の中へ戻っていくのには時間がかかり過ぎる。分解されるまでの時間はずっとゴミとしてそこにあることになる。

つまりゴミとは自然の循環のリズムから外れたもののことだ。循環の中にある限りゴミというものはない。しかしわたしたち人間が問題なのは自然の循環から外れたモノばかり生み出すことだ。しかもかなり大量に。

すべてのモノは循環している。ずっと同じ状態でとどまっているものなんて何一つない。だからその自然の循環の中でほんの少しの間だけ、わたしたちはモノをお借りして生きている。でも人間はそのリズムの中で回るモノを、自分のところへたくさんとどめておくためにどうすればいいのかを模索してきた。腐ったり、分解されたり、削れたり、消耗されずに長く持続する耐久性の高いもの。そんなものを求めて素材を開発してきた。

プラスチックもその一つだ。軽くて腐らなくて丈夫な性質。加工もしやすく様々な用途に使える。こんな便利な素材は歴史上なかっただろう。使うのにはとても便利だけど、ゴミになると、自然の中でずっと残ってしまう性質は厄介だ。自然の循環のサイクルから外れているので、大量に生産されて、一斉にゴミになると問題になるのは当たり前だ。

この数十年の間に人間が吐き出し続けて来たプラスッチックゴミが、太平洋に無数に浮いている。日本列島の面積の5倍ぐらいの海域がプラスチックゴミに覆われているという。中には細かく砕かれて、魚や他の海の生物の体内に入り込んでいるものもある。ずっと分解されずに残るので、大量の生物がそのせいでたくさん死んでいる。目に見えないほど小さなプラスチックが身体の中に入った魚。それを食べてしまうと、結局はわたしたちの身体の中にも分解されないプラスチックがずっと残ることになる。自然の循環の中で生きている以上、その循環に乗せたものは必ず返ってくる。

かつて人間は自然の循環のリズムにちゃんと寄り添っていた。人間が食べて残ったものは、他の生き物が食べていたし、わたしたちの身体から排泄されるものも、虫や微生物が分解して他の生き物の肥やしになっていた。そしてどんな生き物でも死ぬと、その死体を他の生き物に差し出して、他の生き物の身体の材料にするルールがある。でもわたしたち人間だけは死んだら焼いて灰にしてしまって、他の生き物には何も渡さない。

こうやって、必要なものを他の生命に渡さずに、不必要なゴミばかり出しているぼくたちを自然が受け入れてくれるだろうか。ゴミは汚いもの、不必要なものとして人間は生活空間の外に追いやっている。それを微生物はじめ他の生命が資源として受入れてくれるから循環の中に戻って行くことができる。でもそのリズムが合わないとゴミはずっと増え続ける一方だ。

自然の循環のリズムにゴミが組み込まれないなら、「人間の循環」の中に組み込むしかない。だからこれからゴミがとても重要なビジネスになるだろう。ゴミだと思われているものをいかにして資源に変えていくのかが新しいビジネスの鍵になる。ある所で要らなくなったものと、他の所で必要としているものとをうまくマッチングすること。そうした智恵が必要になる。みんなが嫌がって見たくないようなゴミを扱う仕事が、これから最も貴い職業になるにちがいない。きっと芸能人やスポーツ選手よりも憧れられるだろう。

スウェーデンでは年間200万トン以上のゴミが家庭から排出されている。日本の20分の1ぐらいの量だ。これだけでも随分とゴミを出す量は少ないが、そのゴミの99%は資源として活用されている。半分がリサイクルされて、残り半分は焼却されて発電に使われているのだ。さらに近くの国々から年間80万トンのゴミをわざわざ輸入して、燃料にしている。そうやってゴミによる発電で25万世帯もの電力をまかなっているという。

人間の中で生み出したモノを人間の中で資源に変えて循環させていく生態系をつくること。一方で、人間の中でどうしても処理出来ないことは自然の循環にお願いすること。この両方がきっとこれから先の人間の重要な仕事になっていくにちがいない。

そのためには技術だけじゃ足りない。その循環を当たり前に実行する文化や意識が欠かせない。わたしたちたちは生命のネットワークの中で生きていて、そのネットワークから外れては生きていけないのだから。

でも何よりも一番大切ことは、必要以上に作らないことだ。人間は作ること、増やすことはとても得意だ。しかし消すこと、減らすことは苦手だ。だから後でゴミにしなくてもいいように必要なものを必要な分だけ作ることにした方がいい。そして必要とは本当に最小限でいいということ。ゴミがゴミである時間をできるだけ短くするような生き方。必要な時に必要なものを必要なだけ使う人生。それが本当に頭の良いスマートな生き方だと思う。

でも今の社会ではそれはとっても難しい。ぼくはゴミを出したくないのだけど、コンビニでお弁当を買うたびに、1時間しか使わないものもたくさん付いてくる。それを取っておくわけにはいかないから、やっぱりゴミにしてしまう。毎日その繰り返しだ。もちろんコンビニのお弁当は単なる一例で、問題の本質はぼくらの生き方の問題だ。そこに問題があるのは分かってはいるけど、社会はその生き方を許さないぐらいモノの誘惑に溢れている。モノを簡単に作る誘惑に溢れ、モノを簡単に買う誘惑に溢れ、モノを簡単に捨てる誘惑に溢れている。それに打ち勝つには勇気と想像力が必要だ。ぼくも毎日その誘惑と戦っていて、時には敗れてしまうこともある。それでも一人一人が考えて行動することで大きな力になっていくし、誰かの行動に勇気をもらえることもあるのだ。

あなたも自分の周りを見渡してみて、何が本当に必要で何が実は必要じゃないのか考えてみよう。あなたの生活になくてもいいモノがたくさんあるはずだ。そして今の自分の生活から何がマイナス出来るのかを試してみよう。捨てるだけじゃない。誰かにあげたり、再利用したり、作り変えたり。一度分解してみてもいいだろう。一つのモノがどれだけたくさんの部品で出来ているかが分かる。

そして自分がゴミ箱に捨てたモノがその後どうなるのかを想像してみよう。あなたが出したゴミはあなたの目の前からは消えるかもしれないけど、この社会から忽然と消えたりはしない。わたしたちは自分の部屋からそれがなくなってしまうと、それがどうなるのかをもう考えなくなる。燃やされるのか、埋められるのか、溶かされるのか、砕かれるのか。そんなことも知らずにいる。だからゴミがどうすれば循環していくのかを考えてみよう。わたしたちのゴミ箱は地球に繋がっているのだ。

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ハナムラチカヒロ

1976年生まれ。博士(緑地環境計画)。大阪府立大学経済学研究科准教授。ランドスケープデザインをベースに、風景へのまなざしを変える「トランスケープ / TranScape」という独自の理論や領域横断的な研究に基づいた表現活動を行う。大規模病院の入院患者に向けた霧とシャボン玉のインスタレーション、バングラデシュの貧困コミュニティのための彫刻堤防などの制作、モエレ沼公園での花火のプロデュースなど、領域横断的な表現を行うだけでなく、時々自身も俳優として映画や舞台に立つ。「霧はれて光きたる春」で第1回日本空間デザイン大賞・日本経済新聞社賞受賞。著書『まなざしのデザイン:〈世界の見方〉を変える方法』(2017年、NTT出版)で平成30年度日本造園学会賞受賞。