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AIにおけるロジスティクス(兵站)とコンテンツ

2021.03.25

Updated by Ryo Shimizu on March 25, 2021, 07:00 am JST

筆者が人生に最も役立った授業と今も感じているのが故・浜野保樹教授の講義だ。
と言っても、そんなに真面目には受けてないのだが、たった一回の90分の講義が自分の人生観を変えることだってあり得る。

浜野先生はメディア論の研究者で、その主なテーマのひとつが「コンテント制作のロジスティックスに関する研究」だった。
コンテントと言う言葉は耳慣れないかもしれないが、contentsの単数系であり、要は映画のような単一の作品を意味する。

浜野先生によれば、日本の映画産業とハリウッドの映画産業を比較すると、日本の映画産業はいかに天才的な才能を持つ作家が居たとしてもそれを支えるロジスティクス面で大きく遅れをとっているのだという。

たとえばハリウッドには、映画会社があるのはもちろんのこと、映画監督を排出するための映画学校、俳優の養成所や、シナリオライターの養成所だけでなく、シナリオライター専門の文具店、シナリオの流通を専門とする代理店、シナリオ専門の分析学、そして各種組合が互いの義務と権利を調整する取り決めを行うといった、ロジスティクス面が充実しているため、高品質の映画を安定的に供給できているのだという。

この講義を聞いたのはもう10年以上も前なので今はまた状況が変わっているかもしれないが、要は「尖ったアイデアだけあってもダメで、それを支えるための全体的な仕組みが必要」ということだと筆者は解釈した。

もちろん、こうしたロジスティクス、エコシステムは一朝一夕には出来上がらない。
誰かが意図をもって作り上げるというよりも、その場所の文化として自発的に行われた行動の連鎖が結果としてエコシステムを形成しなければならない。

筆者が普段、AIの技術と接していて非常に危機感を感じるのは、まだここ数年で急激に立ち上がってきただけのAI業界全体に、ロジスティクスやエコシステムと呼べるものが確立されていないことだ。もちろん、確立されていないことが悪いことなのではなく、このエコシステムに積極的に関わっていくチャンスがあると考えればポジティブなのだが、ことAIに関する限り、技術の追求にロジスティクスが追いついていない例が散見される。

大きな意味でのロジスティクスが確立されていないということは、そうしたことは個別の企業で独自に行わなければならず、これもそれほど効率的とは言い難い。というか、とりわけ我が国では兵站学はしばしば脇に置かれて純粋に技術だけの比較をしたがる人々が多い。しかし技術論というのは、変化が激しくて面白いものの、企業が生き残るための本質論からは程遠い。

いざ兵站学の観点からAI業界を見渡してみると、まだまだ足りてないことの方が多いのではないかと言わざるを得ない。

そして兵站というのは、技術論の対極にある。高い技術を求めることは、兵站を犠牲にせざるを得なくなる。
この原理について、あまりピンとこないかもしれないので具体的な例を示そう。

たとえば、旧ドイツ軍は、技術力で言えば世界でも屈指だった。まさしく天才と呼ばれるような科学者を何人も抱えていたし、とりわけフェルディナント・ポルシェ博士は戦車や自動車で、ヴェルナー・フォン・ブラウン博士はロケットで、世界を牽引する存在だった。小銃においても、ワルサー社とモーゼル社という一流メーカーを抱えていた。

しかし同時にこの技術偏重主義が、旧ドイツ軍の弱点でもあった。
ポルシェ博士は次々と新兵器を発明し、ワルサー社とモーゼル社も競うように精巧な新製品を作った。この工業技術の高さは同時に仇になった。

次々と新しい発明が生まれるので部品の共通化は難しくなり、そもそも戦場で壊れた自動車やら戦車やらを修理するエンジニアの知識と経験が不足した。

これは、高速かつ正確に連写するために専用設計されたマシンガン用の弾薬や、小銃も同じだった。機種が増えるとそれだけサポートが大変になり、最終的には弾薬があってもそれを撃てる銃がなかったり、その逆に銃はあっても適合する弾薬がなかったりして本質的な戦力が掛けたコストほど得られなかった。

一方、第二次世界大戦に参戦したアメリカ軍は、ウィンチェスター社が開発したM1カービン銃の設計をもとに複数のメーカー(ゼネラルモーターズ、IBMなど)に発注し、大量生産と標準化を図った。

旧ドイツ軍は大戦末期に突撃銃、いわゆるアサルトライフルの思想にたどり着き、非常に大きな効果を上げるが生産が追いつかなかった。大戦後はドイツ軍のアサルトライフルにヒントを得た銃器が世界標準になった。つまりドイツは技術では勝っていたが、戦争には負けたのである。

兵站が実際の戦場を支配するという考え方はナポレオン戦争の頃からあるのだが、目に見えにくいので意識されにくい。

なぜハリウッドが強いのかといえば、アメリカ合衆国にあるからだ。アメリカ合衆国という国は、恐ろしく広大な大地で驚くほど短期間に成立していった国なので、必然的に全体の人口密度が薄く、フランチャイズと大量生産をするしかなかった。まさに兵站学の実践の場として、アメリカ合衆国は理想的な環境だったと言える。

アメリカ合衆国において、兵站は人々の生活の生命線である。
だから兵站を最初に考えるというクセがあるのではないかと筆者は想像する。
つまり、新しい町を「開拓」するとき、どこから道路を引くか、その道路に一日何回の隊商が行き来するか、水はどこから汲んでくるか、などなど、広さがあるがゆえに考えることは多いがどの町でも考えるべきことはパターン化されている。だからアメリカの田舎町はどこにいっても、同じような形をしている。

たとえばアメリカ合衆国で14000店舗もあるマクドナルドが、もしも14000店舗のそれぞれが個性あふれるメニューや接客マニュアルで対応していたらどうだっただろうか。とても成立していないに違いない。これは同じ商品、同じサービスだからこそ、1万店舗以上の展開ができるのであって、それぞれが個性を主張したら価格も品質も下がってしまう事になる。

大量生産、という考え方はイギリスで生まれたが、それを完成させたのは1914年のアメリカのフォード社だったと言われている。

この、性能を犠牲にしてでもメンテナンス性を高めて品質の平準化を行う、という考え方は大量生産にもフランチャイズにも共通する兵站学的な発想である。

ハリウッド映画は良くも悪くもどれもが似たようなものに見える。でもそこそこの品質で、それなりの満足感が得られるから安定して稼ぐことができ、安定してワールドワイドで稼げるから制作費も積み上げることができるし、時々冒険することもできる。

この安定感を作り出しているのは、ヒト、モノ、カネといった、言ってみれば技術論とは無縁の、根本的な部分である。これを兵站と呼ぶ。

ハリウッド映画制作におけるヒトとは、脚本家、監督、俳優、プロデューサー、大道具、小道具、美術、そのほかといったもので、まずは人材の安定供給ができることが第一優先になる。ハリウッドには、映画学科を持つ大学が多く、俳優学校もシナリオ学校も多数ある。従って、新しい才能が次々と生まれ、育つ環境が用意されている。これがヒトの供給。

ハリウッド映画制作におけるモノとは、機材や脚本、スタジオと言ったものだが、これもハリウッドには全て揃っている。脚本が流通する市場があり、スタジオも機材も借りることができる。

そしてカネだが、ハリウッドには映画に投資する映画会社が多数あり、映画への投資が積極的に行われている。

一方でAI産業はどうだろうか。
現在のところ、AIに対する投資は非常に活発に行われている。
つまりカネが先行している。

ところが、AIに関する人材供給は圧倒的に不足しており、AIが流通するような市場はまだ影も形も見えていない。

研究者向けのコミュニティとして、各種学会やgithub、arxivなどの動きは活発だが、研究者というのは元来、ロジスティクスと無縁なものなので(技術を追求すれば兵站から離れる)、研究者向けのコミュニティだけが突出していても産業は追いついてこない。

さまざまな企業が、標語として「AIの民主化」を掲げるが、それが実際にはどういう意味なのか、言ってる本人もわかっていないのではないだろうか。少なくとも筆者はそれをきちんと具体的に説明できる人に出会ったことがない。

たとえば、AzureやGoogle Cloud Platform、Amazon AWSが「AIの流通する市場」かと言われたら、それはかなり疑問だ。それはまるで、空っぽのUSBメモリのようなものだ。それを使って流通することは確かに可能ではあるが、それそのものではない。

AI業界の人材交流は活発というよりもむしろ停滞しているように見える。国内は特にその傾向が強い。
一つは、いまだにAIがよくわからないものだと思われていることに原因があるだろう。

ITですら黎明期には「よくわからない」と言われていて、普通の人に浸透するまで半世紀以上かかっていることを考えると、AI(ここではニューラルネットワーク)の実用化の兆しが見えたのが2012年で、まだ9年しか経ってない。だいたい研究者コミュニティで考えられた研究は10年経ってようやく実用化されるという法則があるので、本格的な実用化はこれからだ。この時点で「AIよくわかる」と思っていたら相当変わった人なので、AI業界には変わった人が多いのかもしれない。

角川アスキー総研の遠藤諭氏によれば、IBMの社長だったトーマス・ワトソン・シニアは1943年に「コンピュータの需要は世界に五台くらいだろう」という有名な台詞を残している。ところがこの当時、世界にコンピュータは一台もなかったそうだ。

この時のIBMはパンチカードによる集計機(タビュレーティングマシン)がビジネスの柱で、集計機のオプションとしてより高度な機能を持つコンピュータを使えばいい、という捉え方をしていたとすれば、この発言はそれほど的外れには感じない。当時のパンチカードの収入はIBMの収入の1/3を占めていたそうである。仮にこれが全部電子化されるとなれば、IBMは大きな収入源を失うことになる。

今のAIは、この時代の「コンピュータ」と限りなく近いイメージで捉えられていると感じる。

リックライダーはコンピュータによる個人の能力拡張を模索すべきだという論文を1960年に発表し、それが結果的にダグラス・エンゲルバートの研究へと発展し、1967年にマウスとハイパーテキストが発明された。アラン・ケイはエンゲルバートの研究にヒントを得て、ユーザー・イリュージョンという概念を構想した。インターフェースに目を奪われがちだが、むしろそれは錯覚であることを意識せよというのである。

AIにおいても、普通の人がAIを使うようになるためには、まずインターフェースより前にイリュージョンから考えなければならないだろう。
そう考えると、アラン・ケイのコンセプトをさらに発展させ、心と身体もまたユーザーイリュージョンで説明できると考えた哲学者のノーレットランダーシュの理論まで行くと、そもそも知能そのものがイリュージョン(錯覚)であるという指摘に到達する。

こうした研究への発展は、AIがより一般化していくプロセスにおいては不可欠だが、それだけではロジスティクスを構成しえない。
これは要素であって環境ではないからだ。

ロジスティクスとまで行くためには、もっとインターフェースが統一され、そこで多くの人々が自由に参加し、価値を創造してお金を稼ぐことができることが大事なのだ。ありていにいえば、プラットフォームである。

たとえばメルカリでは誰でも出品できる。メルカリの出現で驚いたのは、単に身の回りのいらないものを売る人だけでなく、自分でデザインしたカバンなり財布なりを売る人が現れたことである。こうした商品の出現は、Amazonでもヤフオクでもなかったものだ。その意味でメルカリは新たなクラフトのエコシステムを出現させた市場と言える。

同じように、メルカリは「モノ」のプラットフォームだが、たとえば「note」は「言葉」のプラットフォームと言えるかもしれない。
多くの人が売り手としても買い手としても参加できて、盛り上がることが必要条件だ。

こうしていろんな商品が流通する市場ができてくると、ヒトも集まってくる。商品がヒトの想像力を刺激し、新たな商品、新たな発想に繋がっていくからだ。

と言うことで振り返ると、今はまだAIを使った商品で普通の人が気軽に使えるものというのが少ないか、AIを使っているというメリットがわかりにくいものが多いようだ。

数少ない例外は、自動翻訳だろうか。Google翻訳は非常によく使われているし、ポケトークも非常によく売れていると聞く。
ただしこれは、まだロジスティクスとして成立していない。コンテンツとインターフェースが一体になっているからだ。

たとえばアーケードゲームではゲームセンターがロジスティクスの重要な部分を担っていた。
ゲームセンターに行けばいろんなメーカーのいろんなゲーム体験を買うことができた。ほとんどの顧客は意識していないが、買ってるのはゲームそのものではなくゲーム体験だった。

ゲームセンターも、ゲームメーカーもこのエコシステムでお金を稼ぐことができたのである。それがゲーム業界にヒトとカネを集め、それがあったからこそ家庭用ゲーム機という新しいプラットフォームが生まれ、「ゲームを買う」という文化が定着したのである。

AIにおいては、今のところ「AI体験を買う」ことも、「AI能力を買う」ことも、できなくはないが非常に特殊なケースに限られる。
いわば「AIコンテンツ」ともいうべき要素が不足しているからだ。

トランジスタが発明された直後、あまりにも使い道がわからなかったので、ヘルメット型の補聴器が開発されたそうだ。
トランジスタにとって最初のキラーコンテンツはラジオだが、1947年にトランジスタが発明されてからラジオに出会うまでには7年を要している。

翻訳も一つのAIコンテンツだが、本来はもっとたくさんあるはずである。たとえば美肌アプリも写真を漫画するアプリも一つのコンテンツと数えられる。それぞれ単発のアプリや単体のWebサービスとしては存在しているが、それでは目先の違うアプリに過ぎない。もっとAIに相応しいプラットフォームがあるはずだ。つまりこの部分に関しては、イリュージョンが足りてない気がするのである。

いつものようにとっ散らかってしまったが、まとめておこう。

ビジネスを展開する上でロジスティクスやエコシステムの構築、ヒト、モノ、カネは最初から意識しておくべきであるが、現状のAI業界は国内外を問わず、そうした視点を欠いたまま念仏のように「AIの民主化」を標榜しているように見える。一方、世界中の研究者コミュニティでは意見交換が活発に行えるようになっているが、研究の先端は、ロジスティクスの対極にある。しかし先端研究と実用化を同時にやろうとしているように見える会社が国内外を見渡すと少なくない。実用化を考える上では性能(精度)よりも広い意味での実用性、つまりメンテナンス性や流通性(=ロジスティクス)を優先すべきであるがそういう議論がなされているところをあまりみたことがない。

そして圧倒的に不足しているのは、AIにおけるコンテンツである。ラジオの番組がニュースだけだったら果たしてこれほど普及しただろうか。AIのコンテンツが翻訳だけだったら、多分そこで終わってしまう。もちろんそうではないはずなのだ。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。

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