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美食家が脱サラして始めた飲食店が失敗しがちな理由

2022.06.13

Updated by Ryo Shimizu on June 13, 2022, 07:48 am JST

ベンチャーの経営幹部を経験し、ひと財産築いて脱サラした知人が、飲食店を経営し始め、失敗して財産を失う。下手をすれば借金を背負う。
長く生きていると、そんなパターンが少なくない。

サラリーマン時代はずいぶん優秀な人だったのに、どうしていざ飲食店をやることになるとうまくできないのか。
先日も知人がお金を出し合って東京の一等地に共同出資で居酒屋をオープンさせたが、開店以来ずっと赤字が続いているという話を聞いて、僕も実際にそのお店に行ってみた。

ただ行くだけでは何も学べないので、都内で居酒屋のオーナーとして10年以上の実績を持つ経営者と行くことになった。

すると、お酒は安いし料理はそこそこ美味しい。だけどお客さんが我々以外に一人だけ。店内は席数30席くらいなのでこの稼働率の低さはなかなか厳しいように思えた。

不利な条件がなくもない。
一等地ではあるが路面店ではなく階段を登らせなければならないという点が最大の不利な点だ。
ただ、それ以外にもいくつも原因はありそうだ。

筆者の友人はIT系・ゲーム系が多いので、どうしても飲食店の経営経験を持っている人というのはいない。
あったとしても、学生時代に飲食店でバイトしたとか、元々そこそこうまく行ってる飲食店の運営を手伝ったとか、そのくらいのもので、ゼロから飲食店を立ち上げるというのは、ゲームをプレイすることと、ゲームを開発することくらいの差があることになかなか気づかない。気づいた時には大金を失ってるというパターンをいくつも見てきた。

かくいう筆者も、飲食店、特にバーや居酒屋は大好きなので、友人の飲食店を手伝ったり、コラボしたりということをこれまではしてきた。
しかし、いざ自分で経営してみようと思うと、さまざまな困難にぶつかるだろうことは想像できる。

筆者のよく知る友人で、グルメ雑誌での編集者としての経験があり、幾つものヒット企画を飛ばし、業界内外にも食通として知られるHという人がいた。

彼が都内の繁華街にちょっとした店を出すと聞いた時、「大成功はしないだろうが大失敗もしないだろう」と誰もが思った。
ところがいざそのお店に行ってみると、料理は不味くないしお酒は安くて美味しい。その上、料金は手頃で楽しめた。

世界各地の珍しい食材を手に入れ、美味しいワインと料理で楽しめる気がした。

ただ、このお店には一つ問題があった。
酒も料理も、提供するのに時間がかかりすぎたのだ。

乾杯しようと思ってとりあえずおすすめの「手搾りレモンサワー」を注文すると、最初の一杯が来るのに20分かかった。
いくらなんでもかかりすぎである。

料理はもっと時間がかかり、注文してから最初の料理が届くまでに40分、お通しが来たのはさらにその後だ。
そしてそんなに時間がかかったにも関わらず、料理は冷めていて食べ頃を逸していた。

後で聞いた話だが、七時に入ったコース料理の予約客のデザートが提供されたのが日付が変わる頃だったという。
よくぞ怒らずに最後まで待ってくれたものだ。

この失敗の本質は二つある。
一つは、食通として知られるHが、「食通の名に恥じないよう美味しいものを出したい」という気持ちがはやるあまり、料理にも酒にも手間暇をかけすぎてしまったことだ。

手搾りレモンサワーはみると文字通りHが自分で手で搾って提供していた。
手搾りのレモンサワーが飲みたいというよりも、手っ取り早くレモンサワーが飲みたかっただけなので、手で搾るという手間は明らかに不要なのだが、「美味しいものを」という気持ちが彼にレモンを絞らせた。

もう一つは、業界の内外に顔が広いHが、「友達からぼったくりだと思われたくない」と思うがあまり、すべてのメニューがちょっとした高級居酒屋程度の価格になっていたことだ。

8品も出るコース料理が6000円。一品あたりの原価率を考えたら悪夢のようである。
手で搾るレモンサワーも600円。
レモンの原価も、酒の原価も、もちろん労働力も、これで賄える感じがしない。
その上、一等地で家賃もかかってしまう。

客が増えれば増えるほど手搾りに時間を取られ、厨房をとてもシェフと二人では回せなくなる。
しかし人を雇えばさらなる悪循環が待っている。

このあたりのことには、全くマニュアルというものがない。
飲食店を成功させるノウハウなんて人に教えるものではない、というのがどうやらその理由らしい。

我々ソフトウェア業界の人間は、「自分が仕事の経験を経て得た知識は、社会全体に共有するのが当たり前」という価値観で生きているのだが、こと飲食店に至ってはその原則は通用しないようだ。

飲食店というのは基本的に非常に身近な商売である。
身近だからこそ、誰もが飲食店を持ちたいと考えるし、そこで自分なりの差別化がしたいと考える。

飲食店や小売店が確実に儲かるノウハウを持っている場合、それはチェーン展開できる。
誰でもその通りにやればいい、というマニュアルができた場合、そのマニュアルはフランチャイザーが高額なロイヤリティと引き換えにフランチャイジーに渡す。当然これは門外不出である。

ところがよく知られている通り、チェーン展開しているお店は、基本的にそんなに美味しくない。
材料費もかかっていないし、何か特別なものが出されているわけではない。

美食家と呼ばれる人は、だから自分でお店を作ることは考えても、決してフランチャイジーとして店舗をやろうとは考えない。

ここに、美食家が脱サラして自分なりの理想の飲食店を立ち上げて失敗しがちな構造上の原因がある。

しかし本当の勝利の方程式は、「良質で美味しいものを出して儲ける」ことではなく、「そこそこ美味しいが、めちゃくちゃ美味しいというほどではなく、繰り返し食べるのが嫌になるほど不味くもない」ものを出して繰り返しお店に来てもらう構造を作ることだ。

その日の市場で偶然仕入れることができた最上級のフォアグラなんかを急に出されても、価格帯が違いすぎて食品ロスになってしまう。そういう贅沢が許されるのは、高級寿司屋のように新鮮なネタを新鮮なうちに捌く代わりに、大将のおまかせが原則のお店とか、メニューそのものがなくて毎日コースが時価で供されるようなお店だけだ。

渋谷のセンター街にチェーン店ばかりが並んでいる理由は、チェーン店くらい儲かる構造をしっかり持っていないと、渋谷の一等地ではやっていけないからだ。

これは新宿東口の駅前や歌舞伎町にも古くからあるお店を除いてはほとんどがチェーン店であることからもわかる。

では本当に味で勝負する店はどこにあるのかというと、少し不便な場所、西麻布や六本木や、銀座の雑居ビルの中といった「行くのが面倒臭いけれどもそのかわり家賃は安い」店になるのである。

確かに、駅の目の前にある店が名店であることは滅多にないことを考えれば、儲けの構造がチェーン店の方が遥かに優れていることは疑いようもない。

そしてチェーン店の食べ物というのは、「ありふれているが、どれも一定レベルは確実に美味しい」ものなのである。
チェーン店の料理は美味しくするために旨味調味料を使うのが当たり前になっている。これも美食家は嫌う人が多いので、それが全体の味をぼやけさせる根本的な理由にもなってしまう。旨味調味料に頼らずに旨味を引き出すには、本当に良い材料を吟味して、本当に丁寧に時間をかけて素材の味を引き出すしかないが、そんなものは「ちょっとした高級居酒屋」程度の価格では出せない。

要は、「俺のやりたい理想のお店」の構造そのものがそもそも儲けを出すことに向いていないのだ。

知人がほとんど全て、飲食店経営に乗り出して失敗しているのをみると、他人事とは思えなくなってくる。
筆者も最近、飲食店の真似事を初めてみたが、今のところは色々特殊な事情があってかろうじて借金をこしらえるようなこともなく運営できている。しかしこれを本格的にビジネスにしていくのは大変・・・というかほとんど無理だろうなと感じている。

その理由は、友人のHが一年の間に三度も飲食店を潰すという離れワザをやったときと同じで、「自分の見栄」から来てる食事のレベル感と、価格体系のバランスの悪さに起因していると思われる。

飲食店というのはこれでなかなか、かなり奥が深い世界だ。
これからもIT業界や他業界から飲食店に進出しようという人は続々と出てくるだろうが、特にIT業界とは違い、飲食業界の実践的なノウハウはかなりクローズドな世界で、それを知ってる人が身近にいるかいないかで全然違ってくる。

むしろなんでもかんでもgithubで公開するIT業界の方が世界全体では珍しいのかもしれない。

ただ、業界全体で進歩や進化をしていきたいなら、知識の共有はとても有効な手段だ。
飲食業を少しだけ研究してわかったのは、IT業界に比べて共存共栄という考え方が浸透していないことである。

筆者は以前にも似たような状況を経験していて、それは90年代のゲーム業界だ。
当時の日本のゲーム業界は、ゲーム業界の中で争うことに腐心していて、ゲーム開発のノウハウを他者と共有するなどもってのほか、という考え方だった。

しかしハードウェアが高度化したことで、ゲーム開発が複雑化し、一社内で全ての技術トレンドを追いかけることが現実的ではなくなった。
そのため、今は日本のゲーム業界でも技術交流が盛んになり、制作の裏話などが共有されるようになった。

このムーブメントは作り手の裾野を広げ、結果的にゲーム業界全体を盛り上げることに貢献した。

IT/ゲーム業界以外の業種にとっても、昔ながらの修行や人間関係に依存した一子相伝の技術継承ではなく、githubや勉強会などの仕組みがあれば、業界全体として共存共栄していけるのではないだろうか。

コロナ以前の世界であれば、飲食店というのは忙しすぎてそんなことに興味も関心も持たなかったと思うが、今、まだまだ飲食店はどこも苦しい状況にある。ライフスタイルが一変し、テレワークが常態化してくると、人の動き全体が変わった。

ゲームやITの世界は環境の変化が激しい。今、主流である技術が、数年後には陳腐化し、新しい技術を習得しなければ競争できなくなる。
こうした環境変化の激しい業界の仕組みをもっと他の業界に浸透することはできないか。

そんなことを考えたりするのだ。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。

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