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頭の中に数学の地図を作ろう

Make a mathematical map in your head

2023.07.03

Updated by Atsushi SHIBATA on July 3, 2023, 10:16 am JST

今回紹介する書籍:『数学と文化』赤 攝也(ちくま学芸文庫、2020)

抽象化の重要性

小学生の長男の勉強を見てやっていると、算数の教材に「□×4-3-5=8」のような問題が出てきます。「穴あき算」「虫食い算」と呼ばれる計算です。この種の課題は、大人が見ると四角をx(エックス)に見立てた方程式に見えるので、数を移項して「x=」の式にすることで答えを出そうとします。

この「移項をすると符号が反転する」というのを、小学生くらいの子供に教えるのはとても大変なのですが、子供に理解してもらうには、計算を手順に分解して教えます。「最後に5を引いて8になったのだから、その前は13だったはずだね」というように、左辺の後ろから見て行くように教えると納得します。表面上やっていることは同じはずなのですが、問題の見方と解き方が、大人と子供ではまるで違うのです。

大人が移項の時に符号を容易く反転させさせられるのは、マイナスの概念を知っているからです。マイナスを使うと、「-3-5」は「+(-3)+(-5)」のようにして「足し算の組み合わせ」として式をより「抽象的」に理解できます。それぞれの符号を反転して移項すると「+3+5」になり、右辺が16になって未知数が4であることがわかります。

似たような話として「和差算」と呼ばれる問題の解き方も、大人と子供では異なります。「大小2つの数があり、その和は90、差は14である。二つの数を求めよ」という問題は、大人には未知数2個の連立方程式に見えます。子供は、「差が14なのだから、和の90に14を加えた数は大きい数の2倍になる」という計算手順を教わります。他に、「つるかめ算」や「旅人算」、「消去算」、「還元算」などいろいろな計算方法があって、子供はそれぞれ個別の計算手順を覚えることで対処します。大人がいろいろな問題を方程式として「抽象化」して対処するのと対照的です。

大人と子供では、数や式の理解の仕方の「抽象度」が大きく異なります。抽象化は、私たちをより広い世界に連れて行ってくれます。数や式をより抽象的に見られるようになることで、人間は「数学ができる」ようになって行くのかも知れません。

人間の歴史と数学

「数学の発達」と「抽象化」の間にはとても深い関係があります。抽象化が進むと「できること」が増えるのです。一見簡単に見えるけど、ちょっとした工夫をしないと解けない計算というのがあります。「1÷6+1÷3」を小学校で習う四則演算の手順そのままで解くと、「1÷6」と「1÷3」が循環小数になってしまい答えが出ません。足し算の前後をそれぞれ「1/6」「1/3」のように分数にすると、0.5という答えが出ます。「割られる数を逆数にすると割り算をかけ算にできる」という「抽象化」をうまく活用しないと、計算ができないのです。数学は、人間が世界を見るために使う「目」のようなものです。

9世紀頃、方程式という抽象的な計算手法を持っていたイスラム世界は「黄金時代」と呼ばれるほどの隆盛を極めていました。その頃後進国だったヨーロッパでは、中世になるとイスラムの計算手法を輸入して会計に使うことで交易が発達します。ダヴィンチやガリレオの研究成果の多くは、イスラムの算術書から産み出されたと言われています。

当時は「数学」といえば「作図」のことでした。目盛りのない定規やコンパスを使って概念を可視化することが数学だったのです。デカルトは作図の手順を単位と文字によって抽象化することで計算と同じように扱い、放物線のような曲線を描く手法を編み出しました。これは微分の基礎で、放物線を描けるようになると、防壁を壊すのに必要な大砲の角度や火薬量を、事前に予測できます。デカルトをはじめとした当時の数学者は、数学を軍事に応用し、軍事顧問として重宝されていました。

求積法として独自に発達していた積分と、微分との間に「対称性」があることを見いだしたニュートンは、万有引力の法則を発見しました。微積分の発明は、その後のヨーロッパの覇権を決定づける大きな武器になりました。ルネッサンス期から現代まで続く科学技術の基礎は、様々な物理現象を数理的に抽象化することでもたらされたのです。

数学の地図

現代を生きる我々にとって有用な数学も、同じように記述したい現象を抽象化して扱います。抽象化の分野も手法も種類がとても多いので、すべて学ぶには寿命を全て費やしても足りません。そこで、AIや経済、あるいは株の予測といった具体的な目的を定め、特定のゴールを目指して学ぶことになります。そのとき、「数学の地図」が頭の中にあると大きな助けになります。勉強するためのアタリがつくようになるからです。

そういう目的で読む本として「数学の歴史」はとても優れた書籍です。数学の発祥から現代数学に繋がる道のりを、とても短くバランス良くまとめてある書籍だからです。とにかく読みやすいのです。とかく抽象的になりがちな数学の発達を、人間の営みとしての文化とからめながら書いてあるからだと思います。アマゾンのレビューに「数学を分かった気になる」と書いてあるのは、とても良い褒め言葉だと思います。

今回のこの記事で書いたことは、書籍の80ページくらいまでがネタ元になっています。ここまで読んだ頃には、読者の頭の中には古典数学の地図が形成されて、「高校数学が基本なんだな」と納得できるようになるはずです。その後は、「投射幾何学」や「非ユークリッド幾何学」、「公理主義」と章を挟んで、「確率論」の話になります。

「確率論」の章は「集合」の解説から始まります。集合は現代の数学にとって抽象化のための重要なツールです。離散数や連続数、無限なども、集合を使って抽象的に再定義されます。古典と現代を分ける壁として、この場所に集合の解説があるのは、理にかなっているのです。

確率の後は、群論を通ってブルバキの「数学的構造」の話題に移ります。この「構造」も抽象化のツールの一種です。この章「構造主義と数理科学」が、個人的にこの本で一番楽しいパートでした。数学者が構造を見つけた結果、世界の数理化が急速に進んで、科学と文化の距離が一気に縮まってゆく過程を、ダイナミックに描写してあるのがとても良い。

コンピュータと数学

抽象化によって産み出されたという点では、コンピュータも数学の営みの一部と言えます。コンピュータは数や情報を「0」と「1」を使って抽象的に表現します。計算や命令のような手順は、「足す:1」「引く:2」のように数として抽象化することで表現します。このような抽象化が可能になったのも、シャノンが{0,1}という集合を使って情報を数理モデル化し、チューリングが集合を使って計算手順を離散的にモデル化したからです。

コンピュータは、データと手順を数で表現した「機械語」と呼ばれる「言葉」を読み込むことで計算手順を実行しています。機械語は抽象化が行き過ぎていて普通の人間が読んだり書いたりするにはとても不便なので、たいていは人間が読み書きしやすいように考え作られた「プログラミング言語」を使います。

いろいろな事象が数理的に定義される現代においては、コンピュータはとても重要な役割を果たします。無数にある方程式をプログラムで計算させることでシミュレーションを行い現実を模倣することができますし、データを元に将来を確率的に予測することもできます。原価や価格のような数値の変化を数式として「モデル化」して抽象的に扱い、最適解を導き出す手法として書籍に解説がある「計画数学」は、AIやデータサイエンスに興味のある人には「数理最適化」と書いた方か理解してもらいやすいかも知れません。

これもこの本の良いところだと思うのですが、数学の発達と地続きのストーリーの中でコンピュータについてきちんと書いてあるのです。数学の歴史についての書籍は何冊も読みましたが、コンピュータについてこんな風にちゃんと書いてある書籍は本当に少ないのです。

この本は1988年に筑摩書房から発売された書籍を文庫化したもので、さすがに人工知能などの記述は時代を感じるところではあります。数理モデルを元にプログラムを作り実行させる、という時代がコンピュータの誕生以来長く続いていて、当時はまさにそういうパラダイムの最中にありました。21世紀に入り、パラメータが沢山あるクソデカ写像アルゴリズムが爆誕すると、データを元に数理モデルのパラメーターをプログラムで決めるという「学習」のパラダイムがもてはやされるようになりました。これまで人間がまるっと作っていたプログラムの一部を、今ではコンピュータが(部分的にですが)作っているといっても差し支えない状況になっています。

2019年、文庫化の後書きを書かれた翌日に他界された著者の赤 摂也先生が、AIが文章や絵まで作り始めている現状を見たらどんなことを考えるのでしょうか。もしかしたら、連立方程式から行列の話に繋がる、線形代数の章を挟んでいたのかも知れません。

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柴田 淳(しばた あつし)

株式会社マインドインフォ 代表取締役。東進デジタルユニバーシティ講師。著書に『Pythonで学ぶはじめてのプログラミング入門教室』『みんなのPython』『TurboGears×Python』など。理系の文系の間を揺れ動くヘテロパラダイムなエンジニア。今回の連載では、生成AI時代を生き抜くために必要なリテラシーは数学、という基本的な考え方をベースにお勧めの書籍を紹介します。