WirelessWire News Technology to implement the future

by Category

変数と式、そして鉄

2024.02.21

Updated by Atsushi SHIBATA on February 21, 2024, 15:52 pm JST

「鉄」ほど私たちの生活にとても深く根付いた金属はありません。工業製品から建築物、日用品に至るまで、幅広い用途で利用されています。私たちが享受している便利で文明的な生活は、安価で豊富に手に入る鉄なしには成り立ちません。

鉄がこのように「ありふれた」金属になった過程を掘り下げてみると、二つの大きな理由に行き当たります。一つは、宇宙や地球上に鉄が豊富に存在すること。そして、19世紀以降、冶金の技術が急速に発達し、安価に工業利用できるようになった、というのがもう一つの理由です。

今回は、冶金の技術的発達と数学的思考の関係について考えてみたいと思います。まずは「鉄のそもそも論」からはじめましょう。

鉄はどのように生まれたか

宇宙は、約138億年前に爆発とともに誕生しました。いわゆるビッグバン宇宙モデルによると、初期の宇宙は光や電子、素粒子などが渦巻く高温の火の玉でした。その中で、「反物質」よりわずかに多かった「常物質」が対消滅から生き残りました。そして常物質の粒子同士が衝突し、水素やヘリウムのような軽い元素が最初に生まれました。「原子」の誕生です。

宇宙が膨張を続ける中、原子は互いに集まり、やがて密度の高い部分が生まれます。中心の重力が高まると核融合が起こり「恒星」が誕生します。恒星内部では水素からヘリウムが生まれ、さらにヘリウム核融合が起こってより重たい炭素や酸素のような原子が生まれます。

恒星が生まれて死ぬ、というサイクルが何度か繰り返されるうち、重い原子が集まってさらに質量の大きな恒星が産み出されます。我々の太陽より8倍大きな恒星の中心では、ネオンやマグネシウムの原子が作られ、12倍の恒星ではシリコンや硫黄が作り出されます。中心の温度が30から40億℃にもなるさらに巨大な恒星では、カルシウムやチタン、鉄のような重い原子が作り出されます。

年齢が積み重ねられて行くに従って、純粋だった宇宙はいろいろな元素によって「汚染」されてゆく、というのが現在考えられている宇宙のモデルです。身の回りの物質や我々の体を構成している原子は、元を辿れば遠い昔に恒星中心の強大な重力によって産み出されたものなのです。

地球と鉄

Wikipediaの「太陽系の元素組成」というページに、原子の含有量を示した下記のグラフがあります。

縦軸が対数のグラフなので注意して見て欲しいのですが、水素(H)やヘリウム(He)のように、初期の宇宙で産み出された原子が数多く存在していることが分かります。そして重い原子の中でも鉄(Fe)の量が飛び抜けて多いことが分かります。宇宙的に見ても、鉄は「ありふれた」原子なのです。ベリリウム(Be)のような不安定な原子は、恒星内部で生まれても長く存在し続けることはできません。鉄は安定で、恒星の中で急速に生成されるため、より多く残存します。

地球型の惑星の「核」は鉄でできていると考えられています。核は高温で、鉄が対流するため、地磁気が生まれます。マントルにも豊富に鉄が含まれています。

北欧には湖底から鉄鉱石の取れる湖があります。地下水に溶け出した鉄が湖底の岩石に付着することで、次々と鉄鉱石を産み出し続けます。中世の頃は、このようにして得られる鉄鉱石を使って製鉄が行われていました。

現在採掘されている鉄鉱石は、シアノバクテリアによって産み出されたものです。原始の地球で最初に光合成をはじめたシアノバクテリアは、海中で大量の酸素を産み出しました。酸素は海中の鉄と結合して酸化鉄となり、重くなって海底に沈みます。降り積もった酸化鉄は、地殻の活動によって長い年月をかけて地表に露出します。こうして鉄を多く含む赤茶けた大地ができあがります。オーストラリアや中国では、大型の重機を使って安価に大量の鉄鉱石が露天掘りで採掘され、輸出されてゆきます。

炭素と鉄

地上の鉄は酸素と結び付き「錆びた」状態で存在しています。利用価値を高めるために、還元して鉄を取り出す「冶金(やきん)」を行います。このとき利用されるのが「炭素」です。

炭素と鉄の間にはとても深い関係があります。鉄鉱石の還元を行うには高温が必要です。木炭を燃やし、さらに「ふいご」を使って空気を送り込むことで1000℃以上の高温を産み出します。長時間にわたり大量の空気を送り込む必要があるので、製鉄はかつては恒常的に強い風が吹く谷間で行われていました。

炉の中で高温が産み出されると、木炭から大量の一酸化炭素が発生します。そして鉄鉱石が還元されてゆきます。鉄に炭素が染み込むことで融点が下がることも、高温を得るのが技術的に難しかった古代人にとっては幸運なことでした。溶けた鉄は炉の内部を流れて固まってゆきます。そうやってシリコンやケイ素などからなる不純物(ノロ)と利用価値の高い鉄を分離して取り出す、というのが冶金の基本的な原理です。

変数と式

古典的な冶金法で作られた鉄には4%から5%の炭素が含まれていて「銑鉄(せんてつ)」と呼ばれます。銑鉄はそのままでは脆く、叩くと割れてしまい利用価値があまりありません。鉄には、炭素が多く含まれると固くなり、含有量が少なくなるとしなやかになるという性質があるのです。有用な鉄を取り出すためには、炭素の含有量をうまくコントロールしてやる必要があります。

現代の製鉄で作られる鉄のうち、炭素含有量が6.7%から2.1%のものを「鋳鉄」、2.1%から0.02%のものを「鋼鉄」、それ以下のものを「純鉄」と呼びます。それぞれ固さが異なり、機能に合わせて異なった目的で使われます。

例えば、日本刀の刃の部分には鋼鉄が使われます。固い方が刃こぼれがしづらく都合が良いのです。それ以外の部分は純鉄が使われます。しなやかな方が折れにくくなるからです。

炭素含有量を「変数」とし、「式」によって計算をすると「固さ」という「答え」が得られる、という関係が成り立っているわけです。

現代では鉄の炭素含有量をコントロールする技術が発達しています。銑鉄から「脱炭」をして炉から鋼鉄を連続して作り出したり、焼き入れを行って硬度を高めるなど、目的に応じて「変数」を変化させながら、目的に適った鉄を作り出しているのです。

数学的思考の効用

鉄ついて調べてみると、面白いことに冶金の基本は古代からあまり変わっていません。製鉄の技術を独占して繁栄したヒッタイトの時代から、炉に鉄鉱石と炭素源を混ぜて入れ、還元しながら鉄を溶かし出す「製法」が使われ続けています。

古くは「炭素源」として木炭がよく使われました。石炭は硫黄分を多く含み、鉄の品質を下げます。中世の人々は元素についての知識は持っていませんでしたが、製鉄には使いませんでした。石炭が鉄を脆くすることを知っていたからです。鉄鉱石内で還元に必要な一酸化炭素が生まれることを知らせる「しじる音」や、鉄鉱石から鉄が溶け出すことを知らせる「沸き花」などは、仕事をうまく進めるための重要な「しるし」でした。「野生の思考」で自然に立ち向かっていたのがその時代です。

近代に入り製鉄に科学が導入されはじめると、一種の「革命」が起こりました。製鉄の過程を化学式で表現するようになったことで、解決すべき課題がより明確になりました。元素の含有量や炉の温度、硬度などを数値化し、変化する量として捉えることで、沢山の「変数」と「式」が産み出されました。ここで微積分(「なぜ、微積分は役に立つのか」を参照)が活躍するわけです。

変数を変化させる手法が開発されると、「結果」をより求める状態に変化させることができます。「工学」によってもたらされる最大の恩恵は「効率化」です。適切な温度管理、歩留まりの向上、単位生産量あたりの使用エネルギーの最適化など、効率化によって得られる効用は、数え上げたらきりがありません。

様々な事象を「数の変化」として捉え、入口となる「変数」を動かすことで、「結果」もコントロールし、より目的に近い状態に変えることができます。これは「数学的思考」がもたらす最も実用的な利点です。

人類は数学によって野生の思考を越えたのです。冶金の過程を数学的に捉え、たくさんの効率化が行われてゆきました。そしてついに、鉄は安価でありふれた金属になりました。やがて世界の隅々にまで行き渡り、現代文明を足元で支えるようになったのです。

「変数をいじれば結果が良くなる」と一言で書くと、まるで魔法のように響きます。実際、中世の人々から見ると現代科学は魔法のように見えるはずですが、このようなことが可能になった裏側には、膨大で地道な積み重ねがあったことは追記しておきたいと思います。この「地道な積み重ね」は、一般的に「基礎研究」と呼ばれています。

新理論

現在、世界で主流となっている製鉄は、ヨーロッパを源流とする冶金法を元にしています。一方で日本の製鉄は、独自の過程を辿って発達してきました。日本独自の製鉄は「たたら」と呼ばれます。「もののけ姫」などにも出てくるので知っている人も多いと思います。

オーストラリアや中国と異なり、新期造山帯に含まれる日本の土地では鉄鉱石があまり採れません。奈良時代には採掘し尽くしてしてしまったと言われています。磁鉄鉱を使って集めた砂鉄を使った「たたら製鉄」が行われてきたのはそのためです。

鉄鉱石を使った製鉄と砂鉄を使った製鉄との大きな違いは、たたら製鉄の方が不純物の含有量が少ない、という点です。木炭を使って還元を行う手法は同じですが、使用量が少なくて済むため、たたらはより「エコな製鉄」なのです。

製鉄は宿命的にNOxを産み出しますが、たたらを参考にした環境負荷の低い新しい製鉄法が研究されています。電子レンジの仕組みを応用して鉄鉱石から鉄を融解させ、還元に必要な分だけコークスを使う、エネルギー効率が良くNOx排出量を抑えた新しい製鉄法です。

基礎研究を重ねることで効率を上げる方法が見付かり、このような新しい理論に基づく製鉄法が、やがては旧来の製鉄を置き換えて行くのかも知れません。

今回の記事は、二つの書籍が元になっています。前半部分の詳細は「鉄学 137億年の宇宙誌」という書籍に書いてあります。タイトルにある通り、現代から宇宙の誕生へと遡り、鉄の歴史をコンパクトにまとめた書籍です。岩波科学ライブラリーのシリーズはどれも読みやすく、この本もとても面白いのですが、絶版プレミア本です。私は3倍の値段を払って買ってしまいましたが、みなさんは最寄りの図書館で借りるのが良いでしょう。

冶金や製鉄法の詳細を知りたい人は、もう一冊の「人はどのように鉄を作ってきたか」を読んでください。たたら由来の新しい製鉄法についても巻末に書いてあります。こちらの書籍は鉄板のブルーバックスで、リアル、またはネット書店で手に入れやすいと思います。

WirelessWire Weekly

おすすめ記事と編集部のお知らせをお送りします。(毎週月曜日配信)

登録はこちら

柴田 淳(しばた あつし)

株式会社マインドインフォ 代表取締役。東進デジタルユニバーシティ講師。著書に『Pythonで学ぶはじめてのプログラミング入門教室』『みんなのPython』『TurboGears×Python』など。理系の文系の間を揺れ動くヘテロパラダイムなエンジニア。今回の連載では、生成AI時代を生き抜くために必要なリテラシーは数学、という基本的な考え方をベースにお勧めの書籍を紹介します。

RELATED TAG