
Public domain
スーパー書評「宮澤賢治のイーハトーヴォ」
『グスコーブドリの傳記』 天候に翻弄される農村と科学
2025.04.07
Updated by Yoichiro Murakami on April 7, 2025, 15:05 pm JST
Public domain
2025.04.07
Updated by Yoichiro Murakami on April 7, 2025, 15:05 pm JST
羽田書店昭和十六年刊の『グスコーブドリの傳記』は、函入り、硬い表紙の立派な書物ですが、装幀、挿画は横井弘三が担当しています。というより、この書物は、それ自体が横井弘三の作品と言っても過言ではないと思われます。先ず函ですが、表も裏も、横井の手になる版画風の多色刷りで、表は巨大な樹木の幹、そしてその切り口に現れた年輪の図、「グスコーブドリの傳記・童話」のタイトル文字、裏には「ミヤザワケンジ・ドウワ」の片仮名をあしらった幾何学的模様の真ん中に、瓢箪型の白抜き部分を置き、そこに「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という賢治の有名な言葉が記されています。
書物本体では、表紙、裏表紙とも二体ずつの「オシシ」が描かれています。「オシシ」というのは、賢治の故郷花巻の伝統文化財とされている「鹿踊り」の際に使われる藁細工を基本にした衣装で、裏表紙には「宮澤賢治先生の故郷花巻のオシシ」の文字も見えます。表紙を見開くと、ざしき童子(ぼっこ)さながら、広い部屋に土地の衣装を着た子供たちの群れ遊ぶ姿に「だいだうめぐり」の文字が読めます。「堂々巡り」とも言われる遊びなのでしょう。おまけに、巻末には、滅多にあることではないように思われますが、装幀を担当した横井自身の文章も載っています。絵を描くに当たっては、「ごまかし繪を描かぬこと、つまり藝術的良心で描く」ことを心に決め、花巻へ出かけ、賢治の弟さんの導きで墓参りをし、「雨ニモマケズ」の碑ではスケッチもし、「力のあらん限りをつくし」て、挿絵を仕上げた、とあります。
この書の最初のページには、横井の工夫になる「雨ニモマケズ」の詩の後半部分(「野原ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ」から「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」までを、詩碑の様相で、描図化したものが掲げられています。面白いことに、「野原ノ」の後に、態々吹き出しを入れて「碑には『松』なし」と注釈が付されています。原文の「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ」を、「ノ」の重複を嫌ったか、紙幅(「碑幅」?)の都合か、実際の碑では省略されていることにも、注意を払っている横井の思いが伝わってきます。次のページは『「詩」(手帖より)』という標題となり、次の見開き二ページに「雨ニモマケズ」の詩全文が再現されています。
さらに、各物語の扉絵、途中に挟まれる様々な挿絵、「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」での見開き二ページに亘る青一色の描図、「よだかの星」の中のよだかや川セミ、はちすずめは態々「オス」と「メス」が描き分けられ、「注文の多い料理店」では、山猫と犬の凄まじさ、「烏の北斗七星」では「ハシブト」と「ハシボソ」とが対比されたり、で、どれも魅力的の一語に尽きる作品になっています。圧巻は「雁の童子」、挿絵は一枚だけですが、テーマもあって、どこか仏法の世界を思わせる絵画となっています。無論最後の長編「グスコー」では「サンムトリ火山」の噴火など、力作が幾つも。
というわけで、賢治の話の前に、横井の作品としてのこの書物の記述が、大きな場所を占めてしまいました。ただ、私事になりますが、字も読めない四歳くらいに、親が渡してくれたこの本は、活字は大きく、読み難い文字には、きちんとルビも振ってあって、字を覚えるということも兼ねて、只管手許で愛玩(愛読までいかなかったときも含めて)の限りを尽くした書物として、自分にとっては、何ものにも代え難いものなのです。
さて、この書の標題にもなっている『グスコーブドリの伝記』(今後は、新漢字を使います)という作品は、賢治の童話のなかでも、その長さという点でも、また扱っている主題という点でも、特別な意味を持っていると考えられます。この書では一四九ページから二二四ページ、実に七五ページを費やす長編童話で、賢治の作品の中では「風の又三郎」と並んで図抜けた長編ということができるでしょう。
ところで、賢治の作品に関して、よく知られている厄介な事実があります。つまり決定稿は何か、という問題です。そもそもタイトルが一定せず、内容も、ゲラの段階でも、文章に変更があったとされるので、言わば「賢治問題」が発生します。その校異を具に扱った研究書もあります。この作品は、一九三二年『児童文学』第二号に発表されたものが初出ですが、構想は約十年前に遡るようです。同じ雑誌の第一号には、「北守将軍ソンバーユ」(本書の最初に置かれている作品)が発表されていますが、その時の原稿の裏には、「グスコー」の一部が書かれている、というような状況があり、その頃のタイトルは「グスコンブドリの伝記」であったと思われます。内容に直接関係の少ない詮索は、これまでにしますが、賢治は、自分の作品に関して、「完成」という意識を持ちにくい人ではなかったか、と感じられます。
さて、内容ですが、この作品には、全体として賢治の作品のなかでは非常に珍しい、「長い時間軸」に立ったストーリー性とでも表現できる特徴があります。ブドリと妹のネリが言わば主人公ですが、書き出しの頃の年齢は、「幼児」という表現に相当するものだったと思われます。第一章「森」の二ページ目に「そして、ブドリは十になり、ネリは七つになりました」という文章が見えることからする推測です。最終章の「カルボナード島」の途中には、「そしてちやうどブドリが二十七の年でした」が現れますから、この物語は、ほぼ二十年間という時間の流れのなかで起こった事柄が描写されていることになります。例えば賢治のもう一つの長編童話である「風の又三郎」では、小学生たちの日常が主題ですから、設定されている時間軸は精々数年と思われますから、「ブドリ」の描く時間の長さは、圧倒的です。
物語の主題は、米(この作品のなかでは「オリザ」とされています)を主に扱う日本の農村が、天候に決定的に左右され、その中で育った主人公が、最終的に、それを科学の力で救おうとする、そこには自己犠牲という深刻な問題が絡む、そんなテーマです。温暖化が環境問題の最大の課題となっている今日でさえ、東北地方の太平洋側では、夏季、オホーツク海から吹き下ろす冷たい風(やませ)が、低温と日照不足による激しい「冷害」を引き起こし、現在でも完全に克服されたとは言えない事情があります。東北地方の農業に生涯をかけたと言ってもよい賢治の時代、その冷害による飢饉の深刻さは、譬えようもなかったでしょう。
それを直接描くことを憚って、人名や土地名など、すべて片仮名、つまり「とつくに」(外国)の話に置き換え、米もオリザとするなどの工夫が凝らされています。なお「オリザ」というのは、イネの学名<Oryza sativa>からとられたものと思われます。
例によって、森や小鳥たちの住む自然の魅力あふれる描写の中で、ブドリとネリは過ごしていました。しかし、その年、襲った冷害は極端で、オリザは全く実を結ばなかった上に、翌年も同じような傾向が続きそうでした。ある日父親がいなくなり、それを追うように母親もいなくなりました。二人は辛うじて残されたそば粉のようなもので、飢えを凌いでいたある日、人さらいの男がやってきて、ネリを連れ去ってしまいます。
独りぼっちになったブドリは、不思議な機縁から、イーハトーヴォ「てぐす」工場というところで働き始めます。「イーハトーヴォ」というのは、賢治生涯のキーワードで、少しずつ違った色々な表現があるようですが、賢治が農村の理想郷として、故郷の岩手の上に思い描いた架空の地名で、「イハテ」の変形という説が有力のようです。「てぐす」は漢字では「天蚕」と書き、ヤママユガの繭からとった糸のことで、ここでは一種の生糸産業類似の仕事として描かれますが、あるとき、火山の噴火に伴う降灰によって、この産業も壊滅します。
再び独りになったブドリは、今度はかなり山師気分の抜けない大百姓に雇われて働き始めます。そこでもオリザに病気が出てしまいます。主人は病気対策だと言って田に石油を流し始めます。賢治にとって、農村の産業は、どれも自然の力を利用させて貰って成立するがゆえに、自然の負の力にも基本的には無力で、人間は常に不幸に晒されている、という認識を生んでおり、それに対応できるとすれば、自然の持つ力に関して、充分な知識を蓄えること(それが「科学」ということになります)によって、少しずつでも、負の効果を減少させることができるはず、という、近現代の我々にとっては極真っ当な思想を、詩的世界にも持ち込もうと、生涯かけて努力したのが賢治であった、と言えましょう。
石油の効果はなかったようで、オリザの代わりに植えた蕎麦が辛うじて食を提供してくれた末に、ブドリは、その親方から譲り受けた参考書で農業の理論を勉強することになります。その中には、クーボーという博士の書いた書物に惹かれるブドリでしたが、その年のオリザに発生した病気には、ブドリの立てた対策が見事な成功を収めました。しかし結局、親方は農業を辞め、ブドリに幾何かの金を与えて解放しました。ブドリは念願のクーボー博士を訪ねることにします。紆余曲折の末に、博士の紹介でイーハトーヴォ火山局に仕事を得、ペンネン技師という大先輩の指導の下で働き始めます。
そこは、地域全体の自然環境が一目で見渡せるような装置が準備されていて、特に火山の活動状況に関する時時刻刻のデータが総覧できるようになっていました。ブドリとペンネン技師とは、サンムトリという山に注目します。クーボー博士もやってきます。地震が頻発します。そして警戒する中、予期した形でサンムトリは噴火します。
四年後、ブドリたちの奮闘で、火山活動や、それに伴う気象の変化に関して、かなりな知識の蓄積と対応とが実行できるようになりました。秋の収穫も、過去十年には得られなかったような豊かなものとなりました。ところがある地域にブドリが差し掛かったとき、農家の一人が、ブドリたちの天候管理のために収穫が台無しになった、と激しく攻撃され、乱暴され、一週間ほど入院することになります。その土地の農業指導者の一人が、誤った情報を伝えたがための誤解でしたが、その入院の報を見て、ひとりの女性が病院を訪ねてきました。人さらいに攫われて生き別れになっていた妹のネリで、そこで二人は再会を果たします。
それから五年ほど、ブドリにとっては平和で幸福な日々が続きます。ところがブドリが二十七歳になった年、春から気象の異変が続いて、凶作は既定の事実のようになりました。ブドリは、大気中に炭酸ガス(今風に書けば二酸化炭素です)を増やすことで、危機を回避できないか、と考えます。カルボナード火山島を噴火させることで、その方法を実行することを決意したブドリは、最後まで島に残って自ら犠牲にならなければならない人間に志願します。その後のことを、賢治ははっきりとは書いていません。ただ、その年の気候は無事回復して、人々は幸福に暮すことが出来た、という短い文章が、この長い物語の終わりに置かれているだけです。
賢治の殆ど全ての童話が、自然が見せる短い輝きの瞬間を、穏やかな筆致で描き攫みつつ、人間や動物が、その瞬間に、そっと顔を覗かせる、といった風情を伝えることに終始していることを考えると、このブドリの物語は、全く異色です。むしろ人間が主役、ブドリもネリも、人さらいも、山師の百姓の主人も、テグス工場の親方も、飛行船で行き来するクーボー博士も、ペンネン技師も、ブドリを襲う百姓さえ、それぞれ個性を持ったキャラクターとして、ひどく人間臭く描かれ、その人間臭さが、物語を動かす原動力に使われている、そんな物語です。文字通り、言わば普通の「小説」そのものです。
そして、再び横井弘三です。彼がこの書の装幀、挿画を引き受けたことによって、賢治の作品としては極めて異色の、この「人間臭さ」、「小説臭」をどこかへ吹き飛ばす役割を演じていることに気付かされます。羽田書店のもう一つの単行本『風の又三郎』(表題作のほか、「貝の火」、「蟻ときのこ」、「セロ弾きのゴーシュ」、「やまなし」、「オッペルと象」の六作品を所収)とは、かなり違った印象を与えるこの書物のユニークさが、少しは読者の方々に伝わったでしょうか。
上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。