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あなたはもう現代アートがわかっている

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あなたはもう現代アートがわかっている

July 1, 2026

八十雅世 masayo_yaso

情報技術開発株式会社 経営企画部・マネージャー 早稲田大学第一文学部美術史学専修卒、早稲田大学大学院経営管理研究科(Waseda Business School)にてMBA取得。技術調査部門や新規事業チーム、マーケティング・プロモーション企画職などを経て、現職。2024年4月より「シュレディンガーの水曜日」編集長を兼務。

現代アートがわからない気がするのは、おかしくない

私は大学で美術史学を学んだせいか、ときどき友人から「一緒に美術館に行って解説してほしい」と頼まれます。その言葉の裏には、「美術を知りたい。でもハードルが高い」という気持ちが見え隠れしているように思います。

思えば、初対面の人に趣味を聞かれて「アート鑑賞です」と答えると、「ご高尚ですね」と返され、どこか心のシャッターを下ろされてしまう経験が何度もありました。私自身、就職活動の面接でこの空気になり、会話が急に冷え込んで焦ったことがあります。どうやら「アート」というものは、多くの人にとって身構えてしまう対象らしい。まして「現代アート」となると、その前には分厚い鉄扉が立ちはだかっているようです。

ここで、現代アートの定義についてあらためて確認しておきましょう。定義の仕方はいろいろありますが、一般向けにざっくり説明するなら、「戦後、新たなテーマや価値観を提示した作品群」と捉えるのが無難でしょう。(そもそも「現代アート」とはなにか

私は長く現代アートを楽しんできたので、「難しくないよ」「誰でも楽しめるよ」と気軽に言ってしまいがちです。しかし冷静に考えると、確かにハードルは高い。作品解説文はもちろん、展覧会のタイトルからして抽象的で耳慣れない言葉が並んでいます。

とはいえ、「理解できない言葉がそこかしこにある」からといって、「自分は勉強不足だから現代アートがわからないのだ」と思う必要はありません。大丈夫です。長年現代アートを見てきた私でも、わからないときはわかりません。もう一度言います。本当にわからないときは、まったくわかりません。

みなさんは音楽やファッションに対して、「流行しているものはすべて理解しなければならない」と考えるでしょうか。そんな人はほとんどいないはずです。「これは好きだけれど、あれはよくわからない。でも好きな人がいるのは理解できる」。多くの人はそう割り切っています。

ところが不思議なことに、美術館に展示された作品に対しては、「理解できなくてはならない」という焦燥感を抱くことがあります。美術館というある種の権威が、作品に特別な正しさを与えているように見えるのかもしれません。しかし、そんなことはありません。たとえパリコレに出た服であっても、自分の好みでなければ着ませんよね。業界の評価と、自分が感じる価値は一致しないことがある。その当たり前のことを、アートと向き合うときにも思い出してほしいのです。

ということで、みなさんが現在、音楽やファッションを自分なりの価値基準で楽しんでいるならば、すでに現代アートを楽しむ素養がある、ということです。ですので、「美的センスがない」「知識がない」なんて嘆く必要はありません。現に、小学校低学年のわが子は、何の前提知識もなく現代アートを見て楽しんでいます。難しい解説は読めず、作品の背景もわかりません。それでも面白がれるのです。そこに必要なのは、ほんの少しの好奇心だけです。だから、あなただってもう現代アートがわかっているはずなのです。

現代アートの説明は、あえて小難しい

私は、小難しい説明はあまり気にせず、まずは作品を見てほしいと思っています。ただ、なぜ現代アートには難解な解説が付きがちなのか。その背景を知っておくと、作品鑑賞の解像度が少し上がるかもしれません。

理由のひとつとして、まず「言葉で説明することの限界」が考えられます。現代アートは、しばしばまだ十分に言語化されていない感覚や問題意識を扱います。時代の先を行くがゆえに、既存の言葉では捉えきれないものを作品として提示することがあるのです。そのようなものを言葉で説明するのは簡単ではありません。それは、日本語に存在しない概念を外国語から翻訳しようとする作業にも似ています。

以前、あるミュージシャンが「インタビュー時に新曲について説明してくださいと言われるのが困る」と語っていました。「言葉で説明できないから音楽にしたのに」と。現代アートも同じです。説明よりも先に、「見れば伝わる」ことがあるのです。

もうひとつの理由は、少々俗っぽい話になります。難しい説明には、市場価値を支える役割がある、ということです。

現代アートは作品であると同時に商品でもあります。マーケットの中で流通する存在です。アート産業は大量生産型ではなく、付加価値型のビジネスです。他にはない価値を示し、その希少性によって価格が形成されます。その構造は、ハイブランドのバッグやジュエリーとどこか似ています。だからこそ、「なぜこの作品が存在するのか」「どのような問題意識から生まれたのか」という物語が求められます。

現代アーティストである村上隆氏は、“今の芸術の世界の中心地はアメリカ”であるとし、“欧米の美術市場における芸術作品の制作の必然性には「自分自身のアイデンティティを発見して、制作の動機づけにする」ということ”があると指摘しています(『芸術企業論』)。近年はアジアのコレクターも増えていますが、作品の背景やストーリーが重視される傾向は大きく変わっていないでしょう。

結果として、何らかの語るべき背景をもった作品が、美術館にも集まりやすくなります。

私たちは外食をするときでさえ、料理の味だけで判断しているわけではありません。「江戸時代創業の老舗」「ミシュラン掲載店」といった物語込みで価値を感じています。アートもまた、そのような人間的な営みの延長線上にあります。

もちろん専門家の解説は有益ですし、敬意を払うべきものです。しかし、自分が感じたことを脇に置いてまで、専門家の言葉だけを崇拝する必要はありません。

こんなことを偉そうに語る私も、著名な現代アーティストとハイブランドがコラボレーションしたバッグを持っています。「本物の作品を買うよりは安い」と自分に言い聞かせて買いましたが、その奥に隠しきれない虚栄心があることを否定できません。

アートはしばしば崇高なものとして語られますが、同時に私たちの生活に地続きの、きわめて人間くさいものでもあるのです。
(八十雅世/情報技術開発株式会社 経営企画部・マネージャー)

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