今日、私たちの生活のほぼあらゆる場所・活動が、何らかの消費と切り離せなくなっており、自分が「消費者」たることに何の疑問も持たないことが多いかもしれない。だが、消費者であるとはどういうことなのか、消費の歴史を紐解くことで、消費を通した自分と社会との関係の見方が少し変わるかもしれない。
2025.06.06
宮崎駿は「美少女以外のヒロインは可能か?」という問いに対して、作品を通して「可能だ」と見事に答えてみせた。そのとき、作品は大人の感性に訴える詩情的なアートの志向性を持つことになった。
2025.05.30
選択と集中で大量の資金を一部に投入し、そこだけに膨大な血流が増えても、現場の毛細血管は干上がっているという事態も十分ありえるのだ。実際、こうした交流の場がほとんどない職場を鑑みるに、論文ランキングが落ちるのもやむなしという印象が残る。
2025.05.27
そもそも嘘とは何だろう。この定義の問題からして決して安易に通り過ぎることはできないし、子供の頃から何となくいけない、と聞かされていたのに、意外と定義を意識しないものだ。ただ嘘がいけないこととされている根底には、何かがある。それを考えよう。
2025.05.23
大量生産、大量消費、技術の発達に下支えされた消費資本主義の発展が、全体主義的な管理社会へとつながるという議論は、当時の時代の産物として理解する必要がある。ただこうした議論は、現代の消費社会を考えるための一つの道標として、有用な視座を与えてもくれる。
2025.05.20
21世紀の半ばには高齢者(65歳以上の人)は人口の40%を超え、認知症をもつ人は1,000万人前後と推計されている。そのころ人口は1億人を下回っているのであるから、日本人の10人に1人は認知症をもつ可能性がある。
2025.05.12
宮崎にとっての少女の自立とは、人間関係のなかにある自己を確立することである。それは、自分の才能を信じて、自分の殻に閉じこもることでもなければ、他人と比べて一喜一憂して、自分を見失うことでもない。
2025.05.09
コペルニクスは37歳の時に地動説の梗概を記した小冊子コメンタリオールス Comentariolus を印刷して知人に配布したが「たいへんな騒ぎ」にならなかったし、主著『天体の回転について』の出版を知るのは、彼が死の床に就いていたときであった。
2025.05.07
組織がその内的な欠陥によって生み出す事故のことを「組織事故」と呼ぶ。この研究分野では、リーズン(J.Reason)のいう「スイスチーズモデル」という考え方がよく知られている。
2025.05.02
ホームレスの世界の歴史は貧困と排除の「もうひとつの東京史」であるが、デジタルにはなっておらず、いや紙にすらなっておらず、人々の記憶の中にだけあり、おそらく当事者が亡くなってしまうと消えてしまうナラティブであろう。デジタルトランスフォーメーションの及ばない、外部世界という意味でも興味深いのではないか。
2025.04.30