(前編はこちら)
放送業界は、約10万世帯が当日までの地上デジタル放送への対応が間に合わないと予測していた。これは日本の全世帯数に占める割合としては0.2%。数字だけを見れば、何らかの視聴困難な条件があるところ以外はクリアしたように見える。しかし実態はそう単純ではなさそうだ。
調査会社(マクロミル)の自主調査では、一週間前(14〜16日)の段階での未対応者は4%だった。そして今回実施した直前調査(21〜22日)では、「現在まだなにも対応していない」が4.8%に上った。これは業界の予測よりかなり大きい。さらに興味深いのはその内訳だ。いずれも一桁の人数なので比率は厳密に言えばあまり意味があるものではないが、「近々対応するつもり」7名(2.2%)、「今後も対応しないつもり」5名(1.6%)「よくわからないのでそのままにしている」3名(1.0%)と見事に割れている【前Q2,Q3】。
▼地上デジタル放送移行に対応した時期(事前調査Q3)
事後調査(8月4〜5日)ではどうだっただろう。「7月24日までに対応」と答えた者は全体の92%。「そのままの状態で見続けることができた」6名(1.9%)と、「その他」の回答した実質対応者4名を加えると95.2%。ほぼ事前調査の数値と重なる。対応しなかった者のその後も、「(7月24日以降)調査までに対応」は2名(0.6%)、「近いうちに対応する」6名(1.9%)、「今後も対応しないつもり」3名(1.0%)に加え、「その他」の中に「もともとテレビを所有していない」が3名。実にさまざまである【後Q1】。
▼地上デジタル放送移行への対応状況(事後調査Q1)
「意識的に」対応をしなかった人は確かにいたが、それはごく少数であった。むしろ彼らは「この機会に」離脱したのではなく、とっくにテレビを捨てていたとみることもできる。とするならば、今回「対応」した人の中にも、テレビ離れ予備軍はいると考えたほうがよさそうだ。
それを予感させる理由はいくつかある。一つは行動の遅さである。当初から地デジ移行の周知がなかなか進まないことは、関係者の悩みの種であった。地上デジタル推全国会議が2005年に行った調査では、「2011年アナログ放送終了」の認知度はわずか9.2%に過ぎなかった*。しかし2006年度、全国の都道府県で送波が開始されると、周知も徐々に進む。今回の調査でも2009年4月までには70.2%の人が「対応が必要」なことを知るに至る【前Q6】。ところが、行動はなかなか進まない。同じ時期までの対応率は32.1%。残り一年を残す昨年7月末時点でも、なんと40.7%が未対応のままであった【前Q3】。
こうした非積極性は全般的な傾向なのかといえば、必ずしもそうでもない。「地上デジタル放送移行のことを知って積極的に対応した」と答えた人が44.4%に上っているのも事実。新しいテレビを購入して「対応」した人は全体の3分の2を占める(回答数計211※複数回答含【前Q2】)が、この機に対応のために購入した台数は一人当たり約1.8台(383台)。短期間に複数台購入した人も多い【前Q1】。
▼地上デジタル放送への対応方法(事前調査Q2)
反面新しくテレビを購入せずに乗り切った人も相当数いる。特に「既存のアンテナ・受像機のまま受信可能」と答えた人が17.3%もいたことは驚きだ【前Q2】。その多くは何らかの共同受信設備、あるいはケーブルテレビなどを利用しているとみられるが、「デジアナ変換」が2015年までの暫定処置であることを考えると、間に合わなかった人を含め、「地デジへの移行」は、実はまだまだ完了していないという実態が浮かび上がってくる。
* 地上デジタル推進全国会議総会(2005年12月1日)配布資料より。
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直前調査対象者に確認したテレビの保有台数は調査対象者合計で713台、一世帯あたり2.28台である。この中で7月24日以降映らないものは146台。この中には新しいテレビを購入したため不要になったものも含まれるだろうが、少なくとも家庭におけるテレビの台数は以前より少なくなることは間違いない【前Q1】。
そうなると、高画質大画面モニターの「メインテレビ」による家族視聴の復活がおこる...という推測をしたくなるが、ことはそう簡単ではない。現段階で地デジ対応をしなかった受像機がある人のうち、「廃棄する」と明確に答えたのは約36%(複数回答のため誤差あり)。新たに外付けチューナーを買って見られるようにしたい(16.6%)、ゲーム機やビデオのモニターとして使用する(28.8%)など、別の用途がイメージできている人もいる【後Q3】。いずれにしても旧来の個別視聴や多メディア生活の傾向の中での回答結果である。
そもそも"地デジ化で何かがおこる"というイメージ自体が乏しかったのかもしれない。2003年のスタート時こそ、新しいサービスへの期待喚起がPRの主題であったが、遅々として進まない「周知」で、徐々にメッセージは「期限までに対応しましょう」の一点張りになっていった。その中で「新しい端末・サービス」、すなわち利用者メリットに関する情報量は相対的に減少していった。
結果、7月24日時点で、「新しい端末」によって対応したのは3分の2。残りの約3分の1は、とりあえず受信不能状態は回避されたけれど、基本的には以前のテレビと何も変わらない状況にある。事前調査の結果に「積極的に対応した」との回答が一定数ある一方で、「美しい画像」(10.4%)や「データ放送」「デジタル録画」などの新機能に対する期待(8.1%)はあまり高く表れていない【前Q4】。
事後調査でも、地デジの一番基本的な利点であるにも関わらず、「高画質高品質」の体験者は61.5%に止まっている。さらに地デジならではの新サービスの体験率は、軒並み一桁〜30%台の低い数字になっている。その中で意外に健闘しているのが「ニュースや天気予報などのデータ放送」(体験した:60.6%、便利/役に立つ:43.9%)である【後Q4】。しかしこの数値も、「dボタン」を押した経験に純粋に支えられたものとは言いにくい。例えば震災などでL字型の字幕放送を目にする機会が多かったことが、関係してないとはいえないだろう。
▼地デジの新しい機能の中で体験したもの・役に立ったもの(事後調査Q4)
今回、事前と事後でほぼ同じ項目を用い、「テレビとあなたとの付き合い方」について直前の展望あるいは期待と「節目」を経た実感の比較ができるようにした。まず気が付くのが、複数回答にもかかわらず回答数、すなわちイメージの総量が乏しいことである。最大のものでも「双方向・データ放送など地上デジタル放送の新機能」の38.1%しかない。しかもこの項目が、事前事後のギャップが一番大きい(38.1→14.7%)【前Q9】【後Q7】。
「とりあえず録画してから見る、タイムシフト視聴がますます増える」が最も前後の差が小さい(27.2→22.8%)、また「その他」の回答の多くがほぼ「変わらない」あるいは「テレビ離れ」を示唆するものであった(「その他」のうち事前調査の2/3、事後調査の75%が「以前と変わらない」)。
▼テレビとのつきあい方の変化(事前調査Q9・事後調査Q7)
このあたりを見ると、視聴者には新しい機能よりも、現状維持あるいは現行機能が少し便利になる程度が地デジのリアルであったといえる。
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日本中の家庭に新しい端末を導入し、それを通じて新しいサービスを提供することをもって、周波数帯の再編を行い、デジタル技術に支えられた新しいメディア環境のベースを構築する―これが「地デジ化」10年のシナリオであった。
アナログ放送終了に伴うトラブルについては、コールセンターに寄せられた苦情の件数を見る限り、何とか大きな問題にならずに乗り越えられたといえる*。今回の調査でも不具合の件数はわずかで、しかも機器の調整レベルものが大半であった【前Q5】【後Q2】。
確かに電波を途絶えさせないという意味での「移行」は"ほぼ間に合った"。しかしそれは当初構想していたシナリオに照らして、どうであろうか。「周知」の遅れ、そしてそれに伴うPR戦略の変更、デジアナ変換などに頼ったこの滑り込みセーフな状況を、どう総括すべきなのだろうか。
今回の調査で視聴者は、告知や情報提供について、移行支援策にやや不満が残るにしても「ほぼ十分だった」と認識している(84.6%)【後Q5】。しかしその一方で、そもそもの「地デジ化の理由」については、ほとんど理解が得られていない。事前、事後調査とも約7割が「あまりよく知らない」「知らない」と回答しているのだ【前Q7】【後Q8】。では彼らは何をもって十分だと思ったのだろうか、それは"これまで通り、テレビを見続けるために必要な情報"というレベルで十分だったという意味ではないだろうか。
そもそも人々は「地上デジタル放送への移行」をどのように受け止めていたのか―今回の調査では事前・事後を通じて「時代の流れで、仕方がないと思っている」が最も多い回答だった(43.6,46.2%)。次いで「方針については理解できるが、国民に負担を強いることは問題」(32.4,31.4%)、それ以外は10~20%前後に止まり、ほとんどの項目が順位的には事前・事後で変化はない【前Q8】【後Q9】。
▼地上デジタルに移行することに対する考え(事前調査Q8・事後調査Q9)
但し、「理由を理解し、納得している」(21.2→14.4%)「国策だから、従わなければならないと思う」(21.2→16.3%)といったポジティブな回答のスコアは事後の落ち込みが大きく、その一方で「マスコミを保護する政策で、問題」「インターネット中心になる時代なのに、理解できない」など政策自体にネガティブな反応が、わずかではあるが数を伸ばしている。7月24日という「節目」を越えて、やや状況に対してクールになっているのかもしれない。
2011年7月24日。マスメディア時代の黄昏において初めて迎えた大規模な技術革新は、総じていえば「静かに」過ぎていったといっていいだろう。しかしこの静けさこそ、重要な意味を持つ。人々は、薄い関与と少しのネガティブ感を伴いながら、「流れ」に逆らうことなく、この変化を受容していった。この「感覚」は、社会システムに対するものというよりも、むしろ「環境」に対する認識や態度に近い。あって当たり前。快適さを保持したいという極めて素朴なプライオリティが、人々の行動のベースを支えていたのだ。
「テレビとは、水道のようなものだ」と言った人がいた。蛇口を捻れば水が出る。この楽チンさが当たり前になった瞬間、その水がどこから運ばれて来るのか、どうやって安全が保たれているのかに無頓着になる。テレビは、半世紀を超える歴史の中で、情報メディアというよりもむしろ生活インフラに近い位置づけに後退していった―そう考えると今日のややエキセントリックな「テレビ不要」論も、その逆反応として理解することができる。
しかし、まさにわれわれの生活環境をなすインフラ部分こそ、今日技術に支えられる無意識の罪が問われている領域はない―例えば「電力」。かつてこれほどまでに、それが何によって生み出されるか、議論がなされたことがあっただろうか。翻って考えるに、この「環境」部分の社会的な構築シーンほど、議論が要求される場面はないのだ。
仮に、見た目すぐには変わらなかったにしても、番組を送り出す技術が根こそぎ入れ替わったのだ。それを受け入れ続ける我々の感性は、おそらく今後、確実に変化していくはずだ。当初、構想された「地デジ化」では、人々の受容とともにその意識や行動が変化していくことが想定されていた。しかし、結果それは「先送り」されることになった。そう考えると、7月24日以降こそが大事になってくる。単なる物理的インフラではなく、コミュニケーションを支える「民主主義」のインフラとしての機能を、今後も「テレビ」に期待するのならば。
この日、正午を挟んでいくつかの局では特別番組が放送された。嬉々としてカウントダウンをするバラエティ番組もあれば、この機会に「テレビ」の歴史を振り返ろうとした番組もあった。残念ながら「放送技術」の掘り下げは乏しかったが、それでも1953年2月1日からこの日までを一つの時代ととらえる意識を芽生えさせるきっかけにはなりうるものではあった。驚くべきは、36.5%がいずれかの番組を視聴していたという事実である【後Q6】。反応は様々であったが、少なくともこれだけの人が「テレビのことを考える」メタな経験をしたことの意味は大きい。7月24日は、とりあえずのインフラ・ベースを整えたに過ぎない。ある意味、積み残した課題は、そのインフラ上で番組によって少しずつ問いかけ続けるべきものなのだ。
半世紀以上「マスメディア」システムを支えてきたテレビが、新しいデジタル環境の中で、他のメディアとの関係をどのように構築し、新たな「社会システム」としてのかたちをデザインしていくのか。全くもってそれは、これからのテレビと視聴者との振る舞いにかかっている。
* 2011年7月25日付の報道資料によると24日のアナログ放送終了関係の問合せ・入電件数は、総務省:12.4万件、NHK:35,429件、民放連:20,087件だった。
文・水島 久光(東海大学文学部教授)
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