「ケータイさえつながれば何とかなるってみんなが思ってた」──おおふなとさいがいエフエム運営責任者 佐藤 健氏(前編)

2011.10.13

Updated by Tatsuya Kurosaka on 10月 13, 2011, 13:00 pm JST

大地震と大津波が襲い、生活の基盤を全て失った被災者が生き抜くために、現場ではどのような情報伝達がされていたのか。また、最も必要とされた情報は何だったのか。被災者の立場から、臨時災害FMラジオ局で情報発信を続ける、おおふなとさいがいエフエム運営責任者の佐藤 健氏に話をうかがった。
(インタビュー実施日 2011年10月1日 聞き手:クロサカタツヤ)

▼おおふなとさいがいエフエム運営責任者 佐藤 健氏(岩手県大船渡市在住)
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移動もできない、通信もできない

──まずは佐藤さんのプロフィールから教えてください。

佐藤:私は三陸町出身で大船渡在住です。1974年11月生まれで、もうすぐ37歳になります。約10年前から整体の治療院を開業しまして、それから震災日まで営業してました。診療所は大船渡の駅前だったので、跡形もなく全壊して基礎しか残っていないですね。

自宅兼診療所だったものですから、家財道具もすべてなくなった。着るものも、羽織っていた薄手のカーディガンだけで避難したので、寒さには困りました。クルマを持って行けたので、最初はクルマの中で過ごしたりしました。

──避難所が整備されるようになったのは、震災後どのくらいでしたか。

佐藤:避難所は小学校の体育館に、震災当日の夜から人が集まっていました。電気がないので真っ暗な状態で、人だけが集まってきたという感じ。翌日には発電機を回して、照明だけはつきました。

生活インフラがすべてダメで、道路も通れないので移動もできない。移動するとしたら徒歩なので、通常ならクルマで5分で行ける距離を、瓦礫を乗り越えて30分とか1時間かけて移動する状況でした。

通信手段がないので安否確認のために自ら移動したんです。「息子が学校にいるはずだ」と、徒歩で探しに行ったんですね。だから、みんなその時に「電話さえ通じれば安否確認できたのに」と言っていました。

私は家族全員が揃って避難できたので、その点は安心でした。ただ、そうじゃない方もたくさんいらっしゃった。どこにいるかも全然わからない。日中なので仕事で出先にいたりすると、夫婦間でも連絡がとれないことがあった。そういう意味では、うちはまだいい方だったと思ってます。

──徒歩で移動したとのことですが、クルマでの移動はやはりガソリンが問題になりますよね。家族を探しに行かれた方が途中で足がなくなって立ち往生したという話しもありました。お近くでもそういうことはありましたか。

佐藤:自衛隊がはやく動いたおかげで、ある程度は幹線道路が通れるようになっていたんです。なので、ガソリン問題は早くから出ていましたね。

当初はガソリンスタンドにはガソリンがあったけれど、電気が来ないのでポンプが動かないから、タンクからガソリンが汲み上げられない。2〜3日してから手動のポンプで上げ始めたんですけど、その時点でスタンドが大行列でした。

私はクルマで避難して、夜もクルマに行ったり、避難所に行ったりしたんですけど、ガソリンがなくなるから一切エンジンを掛けなかったかったんですよ。でも、エンジン掛けっぱなしで、暖房を付けてクルマの中で寝ていた人たちもいて、そもそもガソリンが買えなくなると思っていた人が少ないんですよ。

だから私も満タンに入っていたらエンジンを掛けていたかもしれません。たまたま自分のクルマのガソリンが少なかったんで、何かあっても移動できるように残しておかなきゃという意識が働いたんです。

──でも、あのときは雪も降ったり、寒かったですよね。

佐藤:寒かったですね。だから被災していないお宅から毛布を借りてきて、子ども達に被せたり、お年寄りに配ったりした。ところが、小学生の子どもに被せていた毛布を、後から避難所に来た大人が取ろうとするんです。それほど過酷な状況でした。そんな状況が1ヶ月くらいは続いていました。

震災を現実として受け止めた人がいる一方で、まだ受け止められない人がたくさんいて、家族を亡くされた方、財産をすべて失った方もいて、混乱期ですよね。あまり表には出ないですけど、盗難・窃盗や性犯罪もたくさんあって、夜は出歩けなかった。クルマも必ず施錠して、駐める場所も考えないと、ガラスを割られて物を取られるということもあった。

3月中はずっとそういう状況が続いていて、ガソリンも買えない状況が続いていた。4月になってからある程度落ち着いてきて、震災から1ヶ月を境に、だいぶよくなったっていう感じはしますね。4月には警察とか自衛隊の支援もかなり入ってきたこともあって、だいぶ落ち着いてきました。

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そもそもみんな、固定電話よりケータイだった

──通信網の復旧はどんな感じでしたか。

佐藤:大船渡のNTT局舎は冠水しましたが、今では稼働しています。地下のケーブル網が断線したのを、一部ずつ戻していったんですよ。完全復旧までにはかなり時間が掛かったんですけど、ちょっとずつエリアごとに復旧していった。

半年経った現在、固定電話は復旧しました。浸水地域に関してはまだ手が付けられない場所がありますが、それ以外はほぼ復旧しています。光回線も徐々に復旧してきてますし。

各家庭への引き込み工事が立て込んでいて遅れてはいるんですけど、それも人海戦術で進めてもらっています。半年を境にだいぶ良くなったという気はしますね。

──通信業者や行政などの調査では、かなり早く通信回線が復旧していると喧伝してました。中には5月の時点で90パーセント以上が復旧と喧伝してましたが、実際はどうでしたか。

佐藤:いや、そこまで復旧は早くないですよ。なにを基準に9割といっているんでしょうね。

4月頃を振り返ってみると、まだ市役所にも電話回線がなくて衛星でやっていました。市庁舎がある街の中心部でさえも復旧していなかったんです。役所の各課では、固定電話の替わりに携帯電話があてがわれました。

▼大船渡商工会議所付近で倒れている防災無線(2011/10/01 岩手県大船渡市)
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──大船渡で今回被災された方々の市民生活に、固定電話の普及が遅れたことの影響はありましたか。

佐藤:自宅が流出したら固定電話は使えないですが、そもそもみんな携帯電話なんですよ。今回はそのケータイが繋がらないからパニックが起きたんです。若い人が一人暮らしするときに固定電話を引かないですが、私らも一緒です。

私は事業をやっていたから固定電話が必要なだけで、プライベートはすべてケータイです。私自身は固定電話がないことで、不便とかはなかったですね。だから、とにかくケータイさえ繋がってくれれば、なんとかなるってみんな思っていた。

お年寄りも、らくらくホンみたいな電話がかなり出回って、使い方はよくわからないけど、上の3つのボタンを押せば娘や息子につながるからと、持たされていた人たちもかなりいた。やっぱりケータイ普及率は高かったですよね。

──そのケータイが、3月11日の時点では使えなくなりましたよね。震災後、一番混乱していた時期にケータイがまったく使えなかったということで、どんな課題や障害がありましたか。

佐藤:ケータイがギリギリ通信手段として使えるかなと感じたのは、1週間から10日後くらいですね。それも、電波が届く場所も限られていた。ケータイなのに、電話が通じる場所まで行かなきゃいけない状態でした。

ケータイが通じないと、家族を探すために足で移動するじゃないですか。それで怪我をした人がかなりいた。瓦礫で足を切ったりとか、釘が足に刺さったりとか。それは通信さえできていれば回避できたと思うんですね。

あとは、他の地方にいる親族との連絡が一切とれなかった。神奈川に弟がいるのですが、連絡とれたのが1週間10日たってからだったので、死んだと思われていた。テレビで家の近辺の映像がかなり流れたんですよ。それを見て、ダメだと思ったらしいです。

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ガソリンや冷蔵庫と同じ必需品

──通信障害に伴う避難生活の機能不全や不便はありましたか。

佐藤:大船渡市内は広いので、ガソリンの販売情報がやりとりできないんですよ。たとえば三陸町からガソリンを買いに行って、ガソリンを使い果たしても買えなかったら帰れないんですよ。そのときに通信網があれば、どこでガソリンの在庫があるのか確認できる。

でも、確認できないから、一発勝負で当てずっぽうで来るしかない。なけなしのガソリンを使って来たのに買えなかったり、買えても10リットルの制限で、もともと入っていた方が多かったということもあった。ほかの買い物にしてもそうですよね。通信網がないから実際に見に行かないとわからない。

──通信網が壊れただけでなく、そもそも端末を無くした方も多かったと思いますが、再入手される方は多かったですか。

佐藤:増えました。3月後半に携帯電話会社のオフィシャルショップが再開したら、どこのショップも長蛇の列で、整理券を配っていました。朝並んでも、買えるのが夕方とかという状況で。それがたぶん連休明けまで続いていた。

固定電話も復旧していないので、ケータイの需要と言うより、依存度がさらに上がりましたよね。持っていないと不安でしようがないっていう状況なので。金銭的には厳しい人もいましたが、やっぱり生活の中にケータイは必要で、ガソリンや冷蔵庫のように無いと困る必需品という感覚で、皆さんケータイを求められた。

あと、小・中学生にも持たせる親が増えましたね。すぐに連絡がとれるように、常に持っていなさいと。普段から連絡を密にとるという家族が増えてるはずなんです。

▼大船渡市中心部の復旧風景(2011/10/01 岩手県大船渡市)
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──携帯電話網の復旧が進んで、ある程度使えるという状況になってからは、大きな課題はありませんでしたか。

佐藤:つながってしまえば問題ないですね。ただ、各会社ごとに復旧スピードがぜんぜん違ったので、そういった意味では契約を考えるとかありました。

うちの町内で一番復旧が速かったのはauなんですよ。次にドコモが復旧したけど、ソフトバンクは音沙汰なしで。大船渡にはソフトバンクのショップがあって、iPhone4もそこそこ普及していたので、そういう人たちの間では「ソフトバンクってなんなの?」みたい感じがありました。

ただ、日数的な差はありますけど、すべての携帯電話会社が止まったことには変わりないので、同じなんですよね。

──通じにくかった時、110番や119番の通報はどうしていました。

佐藤:消防車両には無線が搭載されているので、それで呼ぶんです。各地区に消防団が動いていて、その団員に救急車呼んでというと、無線で呼び出してくれる。それが一番でした。デジタルがまったくダメで、すべてアナログ。それでギリギリなんとかなりました。

──今では110番・119番等の緊急通報は、過半数が携帯からです。だから、携帯が不通になったときどうするのかは課題です。

佐藤:命に関わるものですからね。今回の震災で、不幸中の幸いだと思ったのは、被害があったのが昔からのコミュニティが残っている地区だったことです。隣近所が顔が知れていて、消防団員が地元の人間で一声掛ければ連絡してくれるという状況が残っている地区だった。略奪が起きなかったのはコミュニティができているから。

そういった意味ではコミュニティの形成というのも、災害時かなり必要なものじゃないかと思いました。

昨日たまたま神奈川の弟から連絡が来て、東南海地震が心配だと話していました。そこで弟が「俺は地震よりも津波よりも暴動が怖いよ」と言うんです。でも、それは都市部では切実なんだろうなと思いました。

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回線と端末があっても「使えない」人が取り残される

──周辺で、ネットを使って震災後の生活を改善しようとか、状況を良くしようとされている方はいらっしゃいましたか。

佐藤:結構いますね。外部のボランティア団体との連携や、物資のやりとりはネットを使うのが早かったですね。TwitterであったりFacebookでつながって支援物資をいただきました。ただ、みんなが使えるものではないので、一部の方々が早く動き出して、やっていました。

避難所自体は年配の方がリーダーだったもので、避難所全体でネット回線を使ってというのはあまり無かったですね。私らみたいにもともとネットを使っていて、今回もポケットWi-Fiとか使って個人的にやったり、とかがほとんどでした。

ただ、アクティブな人は、避難所から飛び出して動き出すのが早いんですよ。やっぱり情報収集に長けている人はフットワークが軽いのでどんどん動いて、取り残されるのはあまり使えない人。ネットの回線だけあっても「どうやって使うの」という人が残っちゃうのが、なかなか難しいところだなと思います。

支援する方はパソコンや物資を送れば完結かもしれませんが、実際の現場はパソコンが来ても、使いこなせなければ場所をとる邪魔な箱になってしまう。それをマッチングして必要で使える人の所に行かないのかなと、思っていた。

今回も、業界団体や通信事業者から、ピカピカのパソコンが避難所にたくさん送られて来ました。でも先ほどの通り、避難所のリーダーはパソコンと無縁の人たち。だから片隅に追いやられていました。一方で私はパソコンで情報を取得したかったので、「ああ、あれが使えれば...」とよく感じていました。

▼インタビュー中の佐藤氏(左)とクロサカ氏
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──使える人、使うべき人の所に行き渡らないというのは通信周りの話だけじゃなくて、今回の震災の特に大きな傾向だと思います。行政だけでなくNGO/NPOにも、画一的・自制的な動きになってしまっていたところはあります。

佐藤:被災者の側も、支援依存というのが起きています。現地の私が言うのもなんですけど、貰い慣れしているんですよね。自立する気が無い人が増えているのは事実で、失業保険も給付期間が延長になったことで、求人を出しているのに応募が来ないという、変な悪循環が生まれているんです。

企業はひとりでも雇用したい。雇用することのメリットは企業にもあって、助成金や補助金が出る。とにかく「仕事がないならうちに来て」という企業があるにも係わらず、雇用保険、失業保険の延長で「とりあえず満額貰ってから動きだす」という人が増えている。

危機感を感じてる人は失業保険を当てにしないで、動き出しているんですよ。一方で依存状態になって、パチンコ屋で義援金を全部すっちゃったって人もいます。私はそういう状況がすごく嫌で「一歩踏み出そう」という話しをよくするんですけど。

──でも、そういう人を責めることは、できないと思います。どうしても易きに流れてしまうところが人間にはありますし、ご本人もいまだ混乱状態なのでしょうから。むしろ、支援する側がもっと考えないといけないところですね。

(後編に続く)

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クロサカタツヤ(くろさか・たつや)

株式会社企(くわだて)代表。慶應義塾大学・大学院(政策・メディア研究科)在学中からインターネットビジネスの企画設計を手がける。三菱総合研究所にて情報通信事業のコンサルティング、次世代技術推進、国内外の政策調査・推進プロジェクトに従事。2007年1月に独立し、戦略立案・事業設計を中心としたコンサルティングや、経営戦略・資本政策・ M&Aなどのアドバイス、また政府系プロジェクトの支援等を提供している。

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