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プログラマー経営者として見たスティーブ・ジョブズ

2013.11.14

Updated by Ryo Shimizu on November 14, 2013, 22:08 pm UTC

 経営者として必要なスキルにはいくつかあります。
 例えば弁護士の言うことだけを鵜呑みにせずに、きちんと契約書に書かれている文章を読み込み、それが法的にどういう意味を持つのか、裁判ではどのように判断されるのか、理解するのも重要な経営能力の一つです。

 ただしこれは、実践を積まないと中々身に付くものではありません。

 先日、ITジャーナリストの林信行さんと一緒に、Podcast、電脳空間カウボーイズの公開録音に行ってきました。
 林さんといえば大のAppleウォッチャーであり、おそらく日本ではもちろん、世界でも最もApple史に詳しい人物、ということで、トークイベント自体は映画「スティーブ・ジョブズ」公開記念として行われました。

 また、この映画の公開にあわせてか、1995年、どん底時代のスティーブ・ジョブズにインタビューを行った貴重な映像、「スティーブ・ジョブズ1995 〜失われたインタビュー〜」にも話題が及びました。インタビューの全文は書籍にもなって公開されています。

 ちょうどサンフランシスコに移動するとき、離着陸の間、電子機器が使えず手持ち無沙汰だったので、この本を読んでいたのですが、意外なことが語られていて驚きました。

 エンジニアとしては普段は全く触れられることのないスティーブ・ジョブズですが、なんと、このインタビューの中では、かつてブルーボックス(Apple設立前にウォズニアックと制作した長距離電話ただがけ装置)を設計する際にプログラミングを行った、というのです。

 それどころか、こうも言っています。

アメリカ人は全員コンピュータのプログラミングを学ぶべきだと思うね。なぜなら、コンピュータ言語を学ぶことによって考え方を学ぶことが出来るからだ。ロースクールに行くようなものだよ。全員が弁護士になるべきだとは言わないけれど、現実にロースクールに通うことは人生に役立つはずだ。一定の方法で物事の考え方を学べるからね

I think everybody in this country should learn how to program a computer. Should learn a computer language because it teaches you how to think. It's like going to law school. I don't think anybody should be a lawyer but I think actually going to law school would be useful coz it teaches you how to think in a certain way.

(スティーブ・ジョブズ1995 〜失われたインタビュー〜」より)

 なんと、21世紀で最も成功した経営者と呼んでも過言ではないスティーブ・ジョブズも、プログラマーやプログラミングを「思考のための訓練」と捉えていたのです。

 個人的に、これはおおいに勇気づけられる発言でした。

 実は、先日から成蹊大学の経済学部でプログラミングを教えているのですが、学生にそもそもなぜ経済学部でプログラミングを学ぶべきか、という説明をする際に、プログラミングはきっと経営にも役立つ、というこの連載の主旨にも関わることを主張したのです。

 その時は、スティーブ・ジョブズがここまで教養としてのプログラミングに肯定的であるということを知らなかったため、プログラマー経験のある成功した経営者の中に彼の名前は入れませんでしたが、次からは入れようと思います。

 ジョブズはプログラミングを学ぶことをロースクール(法学校)で法律を学ぶことと同じく、物事の考え方を学ぶための一手段であると説明しています。

 実は私も、過去、度々プログラマーと弁護士の類似性について指摘することがありました。

 というのも、弁護士もプログラマーも、ともに論理的な思考能力を要求される職業だからです。ですからこの二つの職業のための訓練は、論理的思考能力を鍛える訓練ということになります。

 しかし私は個人的には弁護士になる勉強をするよりもプログラミングを勉強した方がより論理的な思考能力が身に付くと考えています。

 プログラミング能力が高い方が、法知識が多いよりも実際の論理的思考の運用能力は高いのではないかと思っているのです。

 というのも、弁護士の場合、確かに弁論をするのが仕事なので、論理的に説明をする能力は身に付くと思うのですが、その論理が正しいものかどうかはさほど厳密には取られません。

 ドラマ「リーガルハイ」では、堺雅人扮する主人公の古美門弁護士は必要ならば時として事実を握りつぶしたり、罠を仕掛けたりして勝利に拘ります。

 弁護士同士の争いで要求されるのは論理性の正しさではなく、自らの主張をもっともらしいと表現する論理的表現力です。

 そしてまた裁判にかかる日数も長く、ある論理が破綻するのか、それとも整合性を保ったまま勝訴できるのかは非常に長い時間がかかります。これでは論理性を鍛える訓練には向いていません。また人間が判断する以上、結局は論理的整合性だけではなく情実も含まれ、常に論理的な判断が下されるとは限りません。

 プログラミングの場合、最小はごく簡単で小規模なものからスタートします。
 たとえばクマを画面に表示して、左右に動かすといった、わずか数行のプログラムですら、論理性が完璧でなければ思った通りに動作しません。

 完全な初心者が、プログラミングに挑戦したとき、論理的整合性がないとプログラムが全く動かないと気づくまでにかかる時間は数分〜数十分でしょう。なぜなら人間が論理的誤謬(ごびゅう)を引き起こしたとしても、コンピュータは演繹的な動作しか原理的にできないようになっているからです。プログラムに誤謬があった場合、コンピュータは正常に動作しません。プログラマはこれを繰り返すことによって自らの論理認識を常に修正することができるのです。しかも一日に何度も。多いときは数十回も指摘されます。

 ところが弁護士の弁論で自らの論理的誤謬を指摘されるのにはその数倍から数百倍の時間がかかるはずです。

 論理的思考法の中枢をなす推論は、演繹意外の推論法では誤謬が発生する可能性があるという性質を持っています。

 しかし、論理的誤謬は通常の会話では見過ごされることも少なくなく、なにより論理的整合性を武器として戦うはずの弁護士ですらしばしば誤謬を引き起こすことがあります。

 ビジネスの世界で、誤謬の発生がないように何度も読み返されるのが契約書です。

 私は経営者として、会社法や労働法について基礎的なことを知識として学び、またこれまでの経営経験の中で無数の契約書に目を通してきました。契約書は、先方の会社とこちらの会社が交わす最も重要な書類です。

 仮になんらかのトラブルが起きた場合、裁判で争点になるのは必ず契約書です。

 ですから、経営者は少なくとも契約書を読む能力だけは絶対に必要になります。この点は弁護士と同等ではないにせよ、法の精神とその運用実態について一通りは知っている必要があります。私はたまたま子供の頃、裁判を傍聴する趣味があったので、弁護士が裁判の中で法律を実際にはどのように運用しているのか一通りは見ているつもりです。実際にはドラマのような激しい口論や戦いはほとんど発生せず、検察も弁護も頭の中では落としどころが見えていて、裁判官も含めて全員で落としどころを探す、という退屈な裁判の方が圧倒的に多いです。検察側が被告に同情的だったり、裁判官が被告を説教したりといったことも、微罪の裁判ではよく見る光景です。

 しかし会社間契約となると全く違います。これは本当のバトルです。
 普通は裁判までいかず内容証明を送った段階で決着が付きます。たとえば商標権の侵害とか、そういうものに関しては相手は戦うだけ損(客観的に絶対に勝てない場合が多い)なのですぐに対応されるケースが多いです。私も裁判まで起こさずに内容証明だけで済ませたことの方が圧倒的に多いです。

 そうならないように、重要になってくるのが契約書です。
 契約書に曖昧な部分があるとすぐに隙を突かれます。そしてまた、契約書を締結する時にはこの攻防戦がかなり激しく行われます。

 相手の会社が大きければ大きいほど、提示される契約書のドラフト案は、巧妙にしかも手堅く書かれています。そしてたいてい、向こうの会社にとって一方的に有利な条件になっています。

 もちろん、そうと気づかせないように様々な罠を仕掛けるのが企業法務弁護士の腕の見せ所です。時には大きな顔をして意図的な誤謬を引き起こすような書き方(詭弁)をしていたり、企業倫理的にも法的にもかなり無茶な条件の契約条項がある場合もあります。

 否認されることを覚悟で、ある明らかに飲めないような条件を提示しておいて、その実、別の条項に罠を仕掛けておき、実質的にはより多くの利を得るようなトリックなどもあります。

 そうして仕掛けられた無数の罠を精査し、逆にこちら側から地雷除去をするかの如く注意深くドラフトの修正案を出す必要があります。

 ところがこれがきちんと運用できる経営者は意外と多くありません。なにしろ95%以上の会社が10年以内につぶれるわけですから。契約でミスれば経営はすぐ行き詰まります。

 私は職業柄、たくさんの法学部出身者や弁護士、日本国内だけでなく欧米やアジアの弁護士と話をすることがありますが、基本的には彼らは知識は豊富でも論理的知識の運用能力に問題がある(例えば希望的観測で物事を進めてしまう、相手の善意を信じてしまう、こちらをナメてかかってる)場合が多いです。大事なのは、相手がこっちをナメてるとしたら、それを正しく指摘することです。結局のところ、自分者の身を守ることができるのは自分だけです。

 ナメた契約とは、例えば「乙は成果物の知財その他権利について甲に対し一切の主張をしない」というような条項があります。これは単純作業の下請けなど、代替が効く場合にしか有効でない契約条項で、例えばゲーム開発やアニメ等、なんでもいいのですが、そういうクリエイティブな仕事をする契約にこの条項を盛り込まれた場合、これはこちら側(乙)の知的財産創出能力を不当に低く見くびった契約条項であり、当方は他社で代替できない特殊な創作価値を想像するのだから著作物の使用許諾は与えるが著作権は放棄しない、と突っぱねる必要があります。そう言われては、向こう(甲)の弁護士は先方の経営者や契約担当者と話をするしかありません。

 その上で、これが通らなければ契約そのものはナシにしよう、ということになるのであれば、それはそれで会社の価値そのものが認められていないということなのです。これぞ交渉です。

 この契約書を読み、交渉するという極めて重要なスキルは、ロースクールを出たからといって簡単に身に付くものではありません。

 スティーブ・ジョブズの映画を見るとすぐにピンと来るのは、ジョブズの交渉センスの高さです。
 iTunes Storeの件でも、マイク・マークラの件でも、ジョブズは巧みな交渉術を操ります。

 また、ジョブズはNeXTがうまくいかず、ピクサーが赤字を垂れ流し続けている間にも、ディズニーと契約し、しかも契約途中でどんどん有利な契約に切り替えて行きます。このピクサーとディズニーの契約上の立場の逆転こそ、本来は経営者スティーブ・ジョブズの真骨頂とも呼べるべき大逆転劇ですが、残念ながらどちらの映画も劇中でこれについては語られません。

 もともとディズニーは、ウォルト・ディズニーが創設したカリフォルニア芸術学校の一期生で、天才的センスを持つ映画監督ジョン・ラセターが所属するピクサーに興味を示し、その映画化に投資することを決定します。しかし最初の映画TOY STORYがなかなか完成せず、ジョブズは私費を投じてなんとか制作を続けるのですが、資金が底を尽きそうになります。この時、天涯孤独となったジョブズの立場は弱いので、ディズニーの言いなりにならなければならないところですが、彼は決して最も重要な権利を手放そうとしませんでした。

 それから、TOY STORYのラッシュが完成し、試写を行ってマスコミの大絶賛を受けると、突然、それまで下手に出ていたジョブズはディズニーに対して法外な要求を突きつけるのです。

 もちろんこれはジョブズがやったから、ディズニーが従ったのではありません。ディズニーは契約上も、実務上も、ジョブズの言いなりになるしか道がないところまで追い込まれていたのです。そして紆余曲折のあげく、ついにはジョブズはディズニーを実質的に支配下に置きます。つい十年前まで下請けとして喘いでいたジョブズが、アメリカで最も歴史あるコンテンツ企業を手中に収めたのです。これこそがスティーブ・ジョブズの持つ希有な交渉力と言えるでしょう。

 ジョブズがAppleに復帰し、ギル・アメリオとマイク・マークラを追い出したのも、もしかすると描かれていない高等な戦術の賜物だったのかもしれません。それくらい、この時代のジョブズは冴えていました。だって普通、考えられないてことですよ。自分を招いたCEOを、自分の作戦で追い出すなんてことは。ジョブズはAppleが苦境にあり、それを救うことが出来るのは自分だけだと自覚していたのではないかと思います。そのためにお膳立てをして、向こう(アメリオ)の方から自分に話をもってくるよう仕向けた、と考えるのは、ちょっとやりすぎでしょうか。しかしいずれにせよ、見事な手腕です。

 こうした交渉センスを実現するには、彼が並の弁護士よりも遥かに契約書を上手く扱える人間である必要があります。本当に、並の弁護士というのは思いのほか頼りにならないもので、難しい契約になると平気で根を上げます。

 その中で、根気よく、相手の弁護士や法務担当とやりあい、こちらの意図がハッキリと反映されるような契約書を作らなければなりません。時には弁護士よりも論理的思考能力が高いことが経営者には求められます。

 また、相手との力関係で仮に正当な契約ができなかった場合、その契約にどういうリスクがつきまとうのか完璧に理解した上で相手との仕事を進めて行く必要があります。

 経営者は常に最悪の事態とは何かを意識し、想定しながら仕事を進めなければなりません。

 たとえば少し前にこんな契約の話がありました。

 ある会社が私の会社に仕事を発注する見返りとして、それに関わる我が社の特許や知的財産の全てを無条件かつ半永久的に引き渡せ、というとんでもない条項がまぎれていたのです。

 こんな条項は論理的におかしいと主張しても、向こうの弁護士は「当然の権利だし、税務上の問題がある」という完全に法的根拠の曖昧な主張を繰り返して平行線です。本当に税務上の問題があると言うならば、今度は税務署を呼んで税理士とも話をしなければなりません。どんな契約を結んだとしても、実際に裁判になるまでは何も解りません。そんなことは時間の浪費でしかありません。根比べです。

 仕方がないので私は先方の責任者をそこに呼んでもらい、こう言いました。

 「この条項は不当です。しかし、あなたがこの条項をどうしても飲めと言うならば、飲みましょう。ただし、この条項がある限り、私たちはあなた方のために最高の仕事をすることができなくなります。私たちは奪われたくない重要な特許や知的財産のたぐいを一切このプロジェクトに使うことをせず、二線級の人材による間に合わせのアイデアと、やっつけのプログラムであなたに納品することになります。それでよろしいですね?」

 この条項は先方の経営陣によって直ちに撤回されました。

 大企業の顧問弁護士というのは、いついかなるときでもこういう無茶な主張をゴリ押しすればするほど、点数を稼げるのです。下請けの側に法的知識が乏しかったり、最初から及び腰で交渉を行っていてはいいようにやられるだけです。

 どんな場合でも、契約というのは企業間の取引において最大の証拠であり、ここで手を緩めればあとで酷い目に遭うことは目に見えています。

 
 アメリカは日本より遥かに訴訟社会です。
 この世界では契約書の持つ効力は大きく、従って交渉とは論理的整合性の戦いです。

 スティーブ・ジョブズが卓越した交渉力を持っていた背景には、彼に多少なりともプログラミングの見識があったことも一役買っていたのかもしれませんね。

 もっともこれは、断言することはできません。

 一連の議論は枚挙的帰納法「スティーブ・ジョブズはプログラマーである」「スティーブ・ジョブズは卓越した経営者である」という前提から、「プログラマーは卓越した経営者である」という結論を導いているため、論理的誤謬を引き起こしています。

 警句めいた文章にはこうした論理的誤謬が書き手の意図に関わらず数多くまぎれます。
 書き手も受け手も解っていればひとつのジョークや考え方、可能性の指摘として帰納法は有効な道具ですが、実際にはこれを演繹的に説明することが出来ない限り、確実なことはなにもない、ということになります。

 しかし弁証を目的としないエッセイのような文章では、しばしばこういう「(明らかに誤謬を含んだ)仮説をにおわせる」結びが多いのもまた事実です。また、帰納法による考え方は新たな仮説を生み出し、示唆する場合には有効です。

 ですから、ここでは敢えてこう結びたいと思います。

 優れたプログラマーは、どこかしら優れた経営者になる素養を持っているのかもしれません。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。プログラマーとして世界を放浪した末、 '17年にソニーCSLとWiL LLC.とともにギリア株式会社を設立し、「ヒトとAIの共生環境」の構築に情熱を捧げる。 '17年より東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼務。著書として「教養としてのプログラミング入門(中央公論社)」「よくわかる人工知能 (KADOKAWA)」「プログラミングバカ一代(晶文社)」など。