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宝塚歌劇団100周年に見る経営の本質

2014.09.18

Updated by Ryo Shimizu on September 18, 2014, 08:16 am JST

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 宝塚歌劇団が今年で創立100周年を迎えたとのことで、周囲が盛り上がっているので気分転換に見に行くことにししました。
 ひとつの事業を100年続けるというのはそう容易く出来ることではありません。

 一人の経営者として本当にそれは凄いことだと思います。

 日経の推計によると宝塚歌劇団の売上は300億円、利益は30億円に登るとそうです。
 親会社は阪急HDであり、経営者としての私は、自然にどのような人物がこの宝塚を作ったのかということに興味が湧きました。

 特に今やっている公演は平日の夜にも関わらず満席でチケットがとれないくらいの盛況ぶりで、しかもその殆どが女性。女性といっても、とても若い女性から、とてもお年を召した方まで様々です。

 さらに、入り待ち、出待ちで大行列ができています。

 これほどの人気を誇る宝塚とは、一体なんなのでしょうか?

 
 宝塚歌劇団は、1914年に創立された日本発の未婚女性のみによるレヴューを開始しました。兵庫県の宝塚大劇場と、日比谷の東京宝塚劇場の二つの劇場をメインに公演を行い、年間公演数は1300回、観客動員数250万人を誇ります。

 宝塚歌劇団最大の特徴は、宝塚に入団するためには全員が宝塚音楽学校を卒業しなければならないということです。
 そして一度退団すれば決して再入団が認められないという厳しい規定があります。また、未婚女性に限定されているため、結婚する場合は退団しなくてはなりません。

 宝塚音楽学校への入学資格は満15歳〜18歳に限られ、仮にそのまま卒業しても高校卒業資格を得ることはできません。ただし、向陽台高等学校との提携で、希望すれば高卒資格を得ることもできます。
 それでも毎年20倍もの倍率で応募があるそうです。

 卒業後も、そのまま歌劇団に入れるとは限らず、容姿や技量などで入団を認められないこともあるらしいですから大変です。

 もともとの宝塚歌劇団は音楽学校と一体化した組織だったそうですが、昭和14年に歌劇団と音楽学校を分離して以来、この形になっているようです。

 つまり宝塚歌劇団(および宝塚音楽学校)とは、もともと教育と公演が一体化した組織であり、初期のAKB48に非常に近いシステムを執っていたことがわかります。

 興味深いことに、AKB48の主な顧客は男女問いませんが宝塚歌劇団の顧客は圧倒的に女性です。
 

 それでは宝塚の創始者、小林一三(いちぞう)とはどのような人物であったのか。
 

 実は今回初めて知ったのですが、彼こそは阪急電鉄、そして東宝や宝塚といった巨大企業グループを創設した立志伝中の人物だったのです。

 小林一三の業績は凄すぎてとても一人の人物が一代で成し遂げたものとは信じられません。
 慶應大学を卒業後、三井銀行に34歳まで勤め、周囲の勧めもあって大阪で証券会社を立ち上げようとしますが世界恐慌のあおりを受けて失敗し、いきなり路頭に迷ってしまいます。

 しかし持ち前の人脈と才覚で箕面有馬電気軌道を立ち上げると専務に就任し、社長不在の会社で実質的な経営権を握ります。まあこの辺が既に常人ではないところです。

 さて、しかし世界恐慌で景気が悪い時期に潰れかけの鉄道会社の経営権を握っただけでは話になりません。一三はそこで線路通過予定地の土地を買い、住宅地として販売することで付加価値を高めようとしました。

 この住宅地の反対方向に動物園を作り、動物園に行くために電車に乗り、家に帰るために電車に乗る、というビジネスモデルを成立させます。さらに沿線に宝塚新温泉、そして宝塚唱歌隊(後の宝塚歌劇団)を作り、自社の路線の価値を高めて行くことに成功します。

 そうして充分な体力をつけたあとで、路線を神戸まで拡張して行くことを機に社名を阪急電鉄と改めたのでした。

 さらに日本で初めて「駅ビルデパート(ターミナルデパート)」を実現するため阪急百貨店を梅田駅に設置。鉄道会社がデパートを経営した例は世界初で、これもまた一三の非凡な才能の現れと言って良いでしょう。

 そして東京宝塚劇場、東宝映画を設立し、その後の発展は皆さんご存知の通りです。
 
 また、非公式に東急電鉄の経営にも関与していて、阪急と同じビジネスモデルで東横線を作ったと言われています。
 その後、第二次近衛内閣に商工大臣として就任。それが理由で戦後はGHQから公職追放で追い出されてしまいます。

 しかし、宝塚歌劇団はその大人物である小林一三が自ら手がけた娯楽事業のひとつであり、これだけの大事業を成し遂げながらこれほどの組織を作り上げたという事実にまず脱帽します。

 宝塚歌劇団は今でこそ黒字を出しているものの、なかなか黒字が出せずに苦しんだ時代もあったと言いますが、どんな形にせよこれだけ人々を熱中させるエンターテインメント事業を一世紀に渡って維持し、なお黒字を達成しているというのはとてつもない所業です。

 しかも、凄いなと思うのは強力なリピーターの存在です。

 私の知人でも、宝塚の大ファンの人たちは毎週公演に通ったりとか、朝と夜両方の公演を見たりとか、出待ち、入り待ちをしたりとかでもの凄く盛り上がっています。

 また、もしかすると興行では常識なのかもしれませんが、ファンクラブ経由でチケットを入手すると絶対に席を埋めなければいけない。仮に急な予定が入ってその日どうしても行けなくなったら、他の人にタダでチケットを渡してでも席を埋めなければならない、と言ったような強烈な責任意識が発生しているように思えることです。

 それは、ファンクラブ経由でチケットを販売すると、どの生徒(宝塚では音楽学校の生徒と歌劇団の団員を両方とも生徒と呼びます)のファンクラブが販売したチケットなのか解るらしく、「ご贔屓の子に恥ずかしい思いをさせてはいけない」というファンの心理でなされていることのようです。

 一時期は宝塚の人気にもかげりが見えたことがありましたが、特にここ数年は人気が復活していて新しいファン層をどんどん取込んで行くことに成功しています。

 宝塚のファン心理をテーマにしたコミック作品「ZUCCA×ZUCA」もありますので、宝塚に興味を持った方はご一読をお勧めします。

 さて、こうして改めて宝塚歌劇団を振り返ってみると、教育との一体感を最大の武器として発展して来た組織であることが解ります。

 それを支えているのは、阪急電鉄という革新的かつ現実的なビジネスでした。
 宝塚歌劇団のおおもとの発想は、都市計画にありました。行楽地と住宅地を分け、住宅地と勤務地を分けるという考え方です。

 鉄道会社は住宅地と勤務地を結ぶことで運賃を得て、さらに週末遊びにいく行楽地を積極的に作ることで鉄道で移動する需要を創りだしたのです。

 さらには駅ビルをデパート化したり、東宝映画で映画コンテンツそのものを作ったり、とビジネス的な相乗効果を上げて行きます。

 小林一三といえば、昭和恐慌のあおりで景気が急激に落ち込む中、梅田阪急百貨店の食堂でライスだけ注文してソースをかけて食べる、俗にいう「ソーライス」というものが問題になったこともあるそうです。このとき、「ライスのみご注文はご遠慮下さい」と根を上げる百貨店や食堂が出るなか、一三は「当店はライスだけのお客さまを、喜んで歓迎いたします」という広告を出し、自ら食堂に立ち、ライスのみ注文した客にはサービスの福神漬けを多めに出すなど、過剰とも言えるサービスを行って阪急百貨店は多いに賑わったという逸話もあります。

 「損して得とれ」の精神を本当に持ち続けた偉大な経営者だったのだなと改めて思いました。
 

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。

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