ポケモンGo「ストーリーがないから楽しめない」のは想像力が弱まっているのでは

Imagine no stories,I wonder if you can

2016.07.27

Updated by Ryo Shimizu on 7月 27, 2016, 22:30 pm JST

 早くもポケモンGoに飽きたという声をちらほら聞くようになりました。

 まあ飽きるのは勝手なので、勝手に飽きればいいと思うんですけど、それを聞いて筆者が思ったのは、「大丈夫かな?感性や想像力があまりにもなくなってない?」ということです。もっと簡単にいえば「老いぼれたなあ、ご同輩」という感想を抱いてしまいました。

 曰く「ストーリーがないから」「中長期的な目標がないから」飽きた、ということなんですが、年をとると想像力がなくなっていって、どちらかというと作り手の都合ばかり考えてしまうのではないかなと思います。

 今の40代〜60代までの世代というのは、小説、映画、漫画、アニメ、そしてファミコンゲームで育った世代ですから、「ストーリー」というのがエンターテインメントの根幹にあるのだろうなあということは想像に難くありません。

 でも、実際には世の中で、ストーリーがないと楽しめないゲームというのはむしろどちらかといえば少数派なのです。

 例えば、世界的にヒットしていて、今も日本の子供たちさえ夢中になっているMineCraft。
 MineCraftにも明確なストーリーはありません。

 ただ、生き残るためのルールがあるだけで、プレイヤーは自発的にそれを発見していかなければなりません。

 MineCraftの画期的なところは、全てのマップデータが自動生成されるため、いわゆる「攻略情報」が静的でないところです。

 つまり、攻略本を読んだらどんな人でもクリアできるとか、そういうレベルではなく、「世界のどこかに海底神殿があるらしい」とか、「砂漠があるらしい」とか、「地底をひたすら掘っていくと地下神殿や炭鉱があるらしい」という「うわさ話」しかないわけで、「自分のMineCraftの世界ではどこに地下神殿や海底神殿があるんだろう?」という興味を抱いてひたすら探していくという面白さがあります。

 実はむかしから「コンピュータゲームにストーリー性は必要か否か」という議論はずっとされています。古くはドラゴンクエストかファイナルファンタジーシリーズかという議論もありました。ブロック崩しに誰も必要としていないストーリー性を加えたアルカノイドというゲームもありましたし、シューティングゲームに強いストーリー性を入れた最初の作品は遠藤雅伸による金字塔「ゼビウス」でした。

 ところが、根本的には、ストーリー性を楽しむタイプのゲームは、やはり少数派なのです。

 たとえばコンピュータゲームに限らずゲーム全般に目を向けてみると、テニスや将棋、囲碁といったゲームにはゲームそのものにもストーリー性は設定されていません。

 それをプレイする自分自身と相手の物語こそがまさにストーリーであり、ゲームそのものにストーリー性を敢えて必要としないからです。

 むしろ日本のソーシャルゲームの方がストーリー性を入れにくくて旧来のゲームクリエイターは困り果てたことがあります。ソーシャルゲームは終わってはならず、終わらないということはストーリーがものすごく作りにくいのです。

 むしろストーリー性をいかに薄めて、長い時間プレイしてもらうか、というのがソーシャルゲームデザインの最大の課題のひとつであり、どうしてもストーリーを入れたいクリエイターと、ストーリーなどどうでもいい大多数のプレイヤーとの間での葛藤もあるわけです。

 ちなみに大人はMineCraftにあまり夢中になりません。
 なぜなら「先が見えてる」からです。
 先が見えてるものにいまさら熱中して何になる、と考えるのが年をとった人です。

 「これとこれがああなって、どうせこんな感じで落ち着くんでしょ」という冷めた目でしかゲームを見ていないのです。

 年をとると恋愛にも興味がなくなってきます。あれだけ胸を焦がした日々は一体何だったのか、と不思議に思うほど、どうでもよくなります。年寄りが作る物語はどんどん恋愛の要素が薄まっていきます。興味が無いからです。

 翻ってポケモンGoのことを考えてみましょう。
 まずこれはIngressのポケモン版と言えると思います。

  
 Ingressは確かにストーリーがありました。
 しかしIngressプレイヤーだった筆者にはIngressのストーリーは完全に邪魔でしかありませんでした。

 Ingressの面白さは、ビニールのプチプチを潰す感覚に似ています。
 なんとなく、やりたくなるのです。

 それが壮大に現実世界に広がっていることが面白いのです。

 そして時には国教を超えたダイナミズム、イベントの日には日本列島をまるごと囲むほどのコントロールフィールドができるほどの展開があってそれがまた盛り上がるのです。

 しかしこれは完全に「大人の遊び」でしょう。

 大人はお金があって、余暇を好きな目的に使うことが出来ます。
 自分の判断でどこにでも行けるし、そういう意味ではキャンプをしたりIngressをしたりフェスに行ったりというところでIngressが補助的な遊びとして機能するわけです。

 ところがポケモンGoの主なターゲットは低年齢層を含めた幅広い層です。
 大人だけがターゲットではありません。

 自動車や電車で遠くまでいかないと高得点がとれないコントロールフィールドを小学生が作り始めたらそれこそ社会問題になりますし、メダルを獲得するために人里離れた場所にずっと張り込まなければならないなんていうことも論外です。

 そこでうまれたとりあえずの解決策が、ジムの争奪戦でしょう。

 いまのところ、これがバランスが取れているとは言いがたいですが、それでもIngress式のレゾネータをいくつも取り合うよりはだいぶマシだと思います。

 そしてポケモンGoのストーリーは、夫々のプレイヤーひとりひとりが見つけていけばいいのです。
 

 「草むらに行くと草属性のポケモンがいる」もうそれだけで、子供は大興奮でしょ。というか大人の筆者も大興奮です。想像力のたくましい子供なら、「なぜ草むらに草属性のポケモンがいるんだろう?」と想像力を働かせるでしょう。

 大人からみても「体重のパラメータはどう影響するの?」「進化ってどうすれば効率いいの?」と謎は沢山あります。想像力がたくましければ、そこからいろいろ考えることもできるはずです。その想像力というのは、時に作り手のそれを遥かに超えます。

 そして、なぜそこに草むらがあるのか、ということにも目が向くでしょう。
 さらに、どうやったら、全世界の草むらを開発元が把握してこのようなゲームを実現できたのか、そういうことにも興味が行くはずです。

 と考えると、ポケモンGoは素晴らしい教材です。

 普段は出不精なお父さんも、ポケモンGoをきっかけに「なあ、週末は家族で山に行ってキャンプでもしようか(岩属性のポケモンいるかもしれないし)」という気分になるかもしれません。

 それは子供にとって一生の思い出になるでしょう。それがストーリーです。

 キャッチボールの道具はボールとグローブだけですが、キャッチボールほどストーリーの生まれるゲームがあるでしょうか。

 筆者も父親とキャッチボールをした記憶を、今でも覚えています。
 ある土曜日、早く仕事を終えた父がグローブを持ってきて「キャッチボールでもしようか」と行ってきて、近くの公園で何も言わずにキャッチボールをした経験があります。

 父から投げられるボールがグローブの中の手を叩き、また、投げ返したボールを父がしっかりと構えて受け止める。ただこれだけのコミュニケーションだというのに、この思い出は一生のものです。

 それ以来、一度もグローブを使っていないわけですが、親子の思い出ほど素晴らしいストーリーはありません。

 ポケモンGoは、まさしく、そうした親子世代がコミュニケーションをとるのにうってつけなツールと言えるでしょう。

 親子や恋人でルアーモジュールを使ってポケモンを探したり、「海へ行ったら水属性のポケモンがいるかも!」と、普段外出の嫌いな子供も外に飛び出すキッカケになるでしょう。

 ポケモンGoのストーリーは、それぞれのプレイヤーが作り出すものなのです。筆者はゲーム開発者の一人として、そう解釈していますし、その前提でポケモンGoを大いに楽しんでいます。

 いま、筆者は世界最大のコンピュータグラフィックス学会、SIGGRAPH2016のためにカリフォルニア州アナハイムに来ています。

 ディズニーランドの位置するアナハイムは、あちこちのポケストップに桜の花びらが散っているように見えます。誰かがたえず有料アイテムのルアーモジュールを挿しているのです。

 「Pokemon!」

 子供の歓声が聞こえます。
 うしろからお父さんもスマートフォン片手に歩いてきます。

 夏休みにパパとママとディズニーランド、そしてポケモン、ディズニーランドのアトラクションに行列している間もポケモンを探しているのでしょう。パークのポケストップには常にルアーモジュールが刺さっているようです。
 

 これほど素晴らしいストーリーがあるでしょうか。
 むしろ中途半端なストーリーはポケモンGoにとって邪魔なのです。
 「そこにピカチュウが居るよ!」という台詞は、ゲームを遊んでる人だけでなく、周りの人も巻き込めます。原始的なカメラパススルーによるARも、ゲームを遊ばない人に対するアピール力は抜群です。かなりテキトーな合成でも、まさに「そこに居る」ように見えるからです。

 女優の伊藤麻衣子さんは、ポケモンGoの遊び方がよくわからないから旦那さんとポケモンがARで絡む写真を撮ってソーシャルネットワークでシェアされていました。それもまた素敵な遊び方だと思います。

 今更言っても遅いのですが、セカイカメラもタグではなくキャラクターが現実世界に居るような仕組みが最初から用意されていたら反応も違ったのではないかと思います。

 与えられたストーリーの素晴らしさもたしかにあります。
 ですが残念ながら、与えられたストーリーというのはゲームにとって本質的にそこまで重要なものではないのです。

 ゲームにストーリーが与えられる場合、ストーリーはゲームを先に進めたいと思わせる動機付けにしかなりません。ゲームそのものが充分面白い場合、ストーリーは不要なのです。

 そして本当にストーリーが優れているものならば、ゲームではなく漫画や小説や映画で表現すればいいのです。実際、ストーリーが優れているゲームは、すぐに映像化されたりノベライズされたりします。

 これはゲームという表現形態がストーリーの表現手段として消去法的に選ばれた結果であってイレギュラーです。

 その意味では「ポケモンGo」は、ストーリーがゲームのドライブ手段として用いられた「ポケモン」とは明らかに別種のものかもしれません。

 しかし、プレイヤーによって条件が異なるため、ストーリー進行に強い制約のある位置情報ゲームとしては、非常に上手いゲームデザインをしたなという印象です。

 今後、Ingressのようなストーリー要素も足されていくことは予想されますが、それも決して今のゲーム性を損なわない、ファンのためのフレーバーとなることでしょう。

 最初に「ブームだから」「流行りそうだから」と寄ってきた大人たちが飽きてからがポケモンGoの本領が発揮されるようになるのではないでしょうか。

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清水 亮(しみず・りょう)

ユビキタスエンターテインメント代表取締役社長CEO。1976年新潟県長岡市うまれ。6歳の頃からプログラミングを始め、16歳で3DCGライブラリを開発、以後、リアルタイム3DCG技術者としてのキャリアを歩むが、21歳より米MicrosoftにてDirectXの仕事に携わった後、99年、ドワンゴで携帯電話事業を立上げる。'03年より独立し、現職。'05年独立行政法人IPAより天才プログラマーとして認定される。

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