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知的情報処理の最前線:D-waveマシンの本当のところ

Reality in D-Wave quantum annealer machine

2016.09.21

Updated by Masayuki Ohzeki on September 21, 2016, 07:00 am JST

好評をいただいて引き続き、いわゆる「量子アニーリング」という計算方式について不定期に連載を続けている。特にビジネス的にも注目の集まる世界初の商用量子コンピュータと言われるD-Waveマシンについては、読者の皆さんの関心も高いようだ。

もともと量子アニーリングと呼ばれる方法は、最適化問題を解くためのものである。

最適化問題というのは、多種多様な要求に応えつつ、その中でも効果を最大限高めるように、またはリスクを最小限にとどめるという目的を数学的に定式化して、計算を通して解決をする。

その計算を自然のプロセスに任せるというのが、量子アニーリングと呼ばれる方法であり、それをコンピュータシミュレーションではなく、本当に実行させるためのマシンがD-Waveマシンである。

「自然のプロセスに任せよう」という発想は、自然科学の分野由来の方法ならではである。筆者を始め、物理学者にとってはありふれたアイデアかもしれないが、最適化問題そのものを工夫を凝らして速く的確に解くという立場とは一線を画するユニークなものかもしれない。

もともと物質というものは、周りの環境に応じて多様な姿を見せる。たとえば水は温度の低い環境であれば、氷と呼ばれる固体となるように安定的な形態をとる。それは温度が低い環境にあるものは、エネルギーの低い形態をとるように自然法則が成り立ち、氷の形をとることが、水の分子にとって心地の良い安定した形態となるためだ。

「水分子が取れる形の範囲で、エネルギーが最も低くなるようにせよ」

これが自然に与えられた最適化問題であり、自然はそれを自律的に解いていると考えたわけだ。

その際に、冷凍庫に入れたコップの水が、ちょっとした刺激で急に凍るように、外からの刺激を与えることで効率的に氷へと誘導する。すなわちエネルギーが最も低い状態へ誘導するというのが量子アニーリングの根本的なアイデアである。

D-Waveマシンの中身は、希釈冷凍機と呼ばれる想像も絶するような低温環境を作り出す機械の中に、計算を行うチップを置き指令を与えるという極々単純な仕組みでできている。

* * *

さて量子アニーリングがなぜうまくいくのか?その保障を与えるのは理論である。

理論というのは時に理想化をすることで、余計なことを一切考えず可能なことを追求する。

その理論の中では、実は冷凍機の存在は仮定されていなかった。いわば真空状態で周囲の環境とも全く接触のない状況で、物質に刺激を与えながらエネルギーが低い状態を追い求めるという方法であった。

そうっとコップの水を動かしても水がこぼれないように、余計な動きをさせないようにすることでエネルギーを上げずに、物質に解きたい最適化問題に見合った刺激を与えることで自然に答えを教えてもらおうという発想であった。

しかし、である。

実際に出来上がったD-Waveマシンでは、そのような理想的な環境にはない。冷凍機があり、冷やしていることでエネルギーの低い状態へ移行する傾向にあるものの、量子アニーリングの理論に基づくものとは実は全く異なるのだ。

そのため低いエネルギーの状態、最適化問題の良い解は得られるものの、思ったほどの性能ではない、というのが実際のところである。

しかも良い解の出方が期待していたものと全く異なるのだ。

実際にD-Waveマシンが登場して以降、様々な検証が行われ、その理屈がしっかりと認識されたのは比較的最近であり、2015年頃のことである。

そこで二つの方向性が考えられる。

いいじゃないか?良い解が得られているなら、という方向性と、良い解の出方にどんな特徴があるのか?ということを突き詰めてそれを利用するという方向性である。

どちらの方向性もなかなかの開き直りである。

いいじゃないか?という方向性で、Googleは現行コンピュータの1億倍の性能があるということを引き出し、どんな特徴があるのか?ということを突き詰めてNASAは機械学習への適用を試みて、その潜在的な性能を引き出している。

前者の方向性で金融への利用が加速されて、後者の方向性で機械学習への利用が進み、D-Waveは顧客の拡大、サービスの展開に成功している。

* * *

やはり失敗を恐れず物を作ってみて、実際蓋を開けてみたら全く異なるものであっても、その出来たものをしっかりと育てるという形で責任を取れば良いのだと思う。

その意味で日本発の量子アニーリングマシン、量子コンピュータの開発に期待したい。

量子アニーリングマシンのアイデアそのものは日本人の脈々と続く研究による発想であったものの、残念ながら先に開発したのはカナダの企業であった。

しかし、まだ始まったばかりの開発競争である。巻き返しのチャンスはまだまだあることに気づいたのではないだろうか?

アイデアそのもの通りのものはできていない。それでも良いとサービスを展開していくか、それとも理想的なものを追求するか、まだまだ道はある。

先日(2016.9.15)に日本物理学会にて量子アニーリングを含め、日本国産の最適化問題を解く専用マシンの過去、現在、未来について議論するシンポジウムが開催された。

この研究分野の成熟ぶりと隆盛ぶりを感じるにふさわしい内容であった。そして何より日本人の強い期待感と、興奮を感じた。

海外発のものに日本が遅れて真似をするという時代は終わり、日本発のものを海外が真似ているという時代だ。ならもう一度日本のアイデアで、彼らが見ていない未来を見せてやろうではないか。

 

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大関 真之(おおぜき・まさゆき)

1982年東京生まれ。2008年東京工業大学大学院理工学研究科物性物理学専攻博士課程早期修了。東京工業大学産学官連携研究員、ローマ大学物理学科研究員、京都大学大学院情報学研究科システム科学専攻助教を経て2016年10月から東北大学大学院情報科学研究科応用情報科学専攻准教授。非常に複雑な多数の要素間の関係や集団としての性質を明らかにする統計力学と呼ばれる学問体系を切り口として、機械学習を始めとする現代のキーテクノロジーを独自の表現で理解して、広く社会に普及させることを目指している。大量の情報から本質的な部分を抽出する、または少数の情報から満足のいく精度で背後にある構造を明らかにすることができる「スパースモデリング」や、次世代コンピュータとして期待される量子コンピュータ、とりわけ「量子アニーリング」形式に関する研究活動を展開している。平成28年度文部科学大臣表彰若手科学者賞受賞。近著に「機械学習入門-ボルツマン機械学習から深層学習まで-」、「量子コンピュータが人工知能を加速する」(共著)がある。

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