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②生物が観る世界、自動車が見る世界

2017.02.20

Updated by Youichirou Miyake on February 20, 2017, 06:00 am JST

人工知能は生物と環境の関わり方を探求する学問とも言えます。関わり方、と言っても、二つのものの関係というよりは、生物は環境の中にいて行動するわけですから、海流の中で魚が泳ぐように、「一緒に一体となってダンスする関係」と言うこともできます。

第一章で紹介した「エージェント・アーキテクチャ」はエンジニアリングの視点から、かなりソリッドな(堅い)アーキテクチャになっています。しかし、今回は視点を変えて、生物の世界に深く分け入りながら人工知能について考えてみましょう。そうすることで、エンジニアリングの堅い視点からは見えてこない、新しい車の可能性が見えてきます。

生物は客観的に世界を視ることはできません。たとえばリンゴを見ると唾液が出ます。これは意識的な行動ではありません。世界を解釈している無意識の部分がすでにリンゴを「食べるもの」と判断しています。生物である限り、世界を食べるものと、食べられないものを明確に区別する必要があるのです。ではなぜその必要があるかと言えば、我々には身体があり胃袋があるからです。物を食べて生きるという生態があります。ですから、生物は自分の生態に応じて世界を主観的に見ているのです。そしてその主観は決して意識的にコントロールできるわけではありません。ネコは特定の動きに反応しますし、犬は匂いに反応します。生物の知能は身体を通して積極的に世界との関わりを主体的に構築しているのです。

こういった考え方を定式化したのが20世紀初頭ドイツの生物学者のヤーコブ・フォン・ユクスキュルです。ユクスキュル(1864 - 1944)はもともと解剖学者だったのですが、戦争で実験資金などが困難になり、それまでの知見を集めて生物の新しい理論「環世界」を提唱するようになります。その根底には同時代の新しい哲学「現象学」があります。「現象学」も「環世界」も共通するのは、人間や生物を「環境に埋め込まれた存在」として見ようとすることです。つまり、まず環境という生物も世界も一体となった全体があり、そこから存在を考える、という視方です。これは生物学としても、哲学としても大きな転換点でした。この波はかなり遅れて人工知能の分野にも来つつあります。

環世界は無限の世界の中で有限な生物がどのように自分を世界に埋め込むか、ということが大きなテーマとなります。まず、生物は世界から自身の生存に必要な特定の情報に反応するようになっています。匂い、動き、視点などです。次にその情報に対して、そこから世界の特定の場所に向かって自分の中の特定の運動のシークエンスが起動されます。たとえばダニは生物が発する湿気に対してそこに飛び乗って血を吸ったり、カメレオンはアメンボの特定の動きに反応して舌を伸ばしたり、密林のチーターは小動物の色や動きに反応して駆け出します。それぞれの生物は長い進化の中で、世界の特定のパターンに対して特定の運動を展開する関係が構築されている。それが環世界の考え方で、これよって生物は環境の中に埋め込まれているのです。

図:環世界のフレーム(ユクスキュル、クリサート『生物から見た世界』岩波文庫)

図:環世界のフレーム(ユクスキュル、クリサート『生物から見た世界』岩波文庫)

車はどのような「環世界的視点」を持ちうるか?

自動車は鉄の鎧に覆われて風をきって走ります。それはまるで外界を遮断し、ひたすら前へ前へと自分を進みます。エンジンを駆動し、ただ前へ前へと進めるだけで、世界に対して孤立しているように見えます。しかし、車は複雑な内部構造、つまり身体、生態を持ちますから、本来、環世界的視点が十分にフィットするはずです。より「生物的な車」を実現するには何が必要でしょうか? 車の生態とは何でしょうか? もちろん、普通に考えれば車は機械だから生態などないでしょう。しかし、私がゲームのキャラクターに生態を実現しようとして来たように、車が生態を持つためにはどうすればいいかを考えましょう。

車はガソリンで動きます。電気自動車ならば電気で動きます。これは生物が食べ物を食べてエネルギーを得るのと似ています。ただ車が生態らしくないのは、ガソリンも電気も注入される、つまり自主的に取得するわけではない、ということです。しかし、やがて車が人工知能を持つことで、燃料がきれそうになることを、まるで空腹感のように感じ、自身でガソリンスタンドや電気スタンドへ行くようになるでしょう。燃料を注入する具体的な操作を車自身ができるようになれば、その行為に人は一つの生物の印象を受けるようになるでしょう。人間が燃料を与える、から、車が燃料を求める、ことに変化するわけです。

しかし燃料だけではやや足りない気がします。つまりそれは食べ物を食べるだけの生物みたいなものですから、世界の情報を自分の生態に応じて集める、という側面をより車が持つようになることが必要です。車に感覚を与えてやることが必要なのです。たとえば、車のボディにソーラーパネルを入れて発電することができるようにするとします(このエッセイは思考実験として意味を持つので、エンジニアリングの観点から振動や強度の問題があるかもしれませんが、今はその点を留保して、これがどんなことになるかを考えてみましょう)。ソーラーパネルのどこにどれだけの太陽が当たっているかをセンシングできるようにします。すると、その車は電気が減って来れば、移動しながら日の当たり具合を「感じる」ことで日が当たりやすい場所に行くことができるようになります。晴れた日のネコのように、自動車もガレージから日向に出て来るようになるわけです。そして、今度は自動車に眼を与えてみましょう。そこに移るのは車の前の風景かもしれません。しかし、今や自動車は暖かい場所が自分にとって必要なことを知っていますから、世界は平坦ではなく、日の当たっているところを良い、当たっていない場所は悪い、といったように見えて来るでしょう。次第に車の主観世界が形成されようとしているのです。

人を経験できるように車を設計する

しかし車は単独で生きるものではありません。搭乗者と一緒に運動します。すると、そもそも車にとって搭乗者とは何でしょうか? ひいていえば、人間とは何でしょうか? 車に人工知能を入れるなら、車の人工知能の人間に対する認識を実装する必要があります。それは車の人工知能にとって最も重要な認識です。人間が燃料を注入してくれるなら、ドライバーは車にとってなくてはならない存在です。歩行者は車にとってなんでしょうか? 或いは、他の車はその車にとって何でしょうか? 車に知能を与えるのであれば、この三つの問いが中心的な問いになるでしょう。つまり、車にとって世界、人間、(他の)車とは何か? という問いです。

もちろん便宜的な機能としてルールを与えることはできるでしょう。人間は大切、車は仲間、車間距離は1m以上、人には危害を加えない。しかし、ここで議論しているのは車の生態というものです。車が車自身の知能として、外から与えられるものではなく、内側から世界を、人間を、車をどう捉えるかという問題です。車がこの世界を生きる中で人間とは、車とはという姿が、どう自然に浮かび上がって来るか、という現象なのです。それが環世界的なアプローチです。そして、その鍵を握るのが、車の内部構造であり生態なのです。

犬はなぜ飼い主を大切にするのでしょうか? 猫はなぜ舐め合うのでしょうか? 犬にとって飼い主との経験があり、猫にとって他の猫との可能なインタラクションがあるからです。

同じように車が生きる世界の中に人間がどのような存在としてあるかを決定するのは、人間と車の関係によります。そしてコミュニケーションは双方向のものです。人間と車の接し方で人間と車の関係は決まるでしょう。しかし現在は「車=運転するもの」という単的な関係です。これでは車と人間の関係が淡白なものにならざるを得ません。何か人間と車がそれ以外の関係性を築く方法はないでしょうか? 

車好きな方は、自分の車にべたべた触られるのは嫌なことかもしれませんが、車と人間の触れ合いによるコミュニケーションを考えてみましょう。たとえば、車の鼻の部分を人間がなでてあげる、ボディをこすってあげるといった愛情表現です。もちろん今の車は触覚など持ちません。ですが圧力センサーなどで触覚を持たせることを考えてみましょう。車は人をそういうことができる相手として見るようになります。その時、車にとって人ははじめて車の経験の中に入って来ます。触角だけではなく、映像などからも認識できれば、人間の形を学ぶようになるでしょう。マルチなセンサーから学ぶことは多いでしょう。人間はゆっくりとしか動けないことも学習できます。そのような積み重ねによって、人間は車にとってある特別な存在として浮かび上がってきます。また車と人の協調した運動を、ゆっくりとした運動から確立して行きます。人が車を避けてあげれば、車もまた自然に人を避けてくれるようになるかもしれません。

車が人をどのように経験するか、そこから始めるのが環世界のアプローチで、かつ現象学のアプローチです。それは外側から一機にルールを押し付ける方法よりも、ずっと「もどかしい」アプローチです。しかしトップダウンからは抜け落ちてしまう知能の本質がそこにはあります。車が人を経験できるように、車を設計する。たとえば車に音声装置を入れて、人の言葉を聴けるようにする。また車が話せるようにする。人というものは何かを一つ一つ車の経験の中に蓄積していく。そこから人と車の関係を樹立していく。車と人のやさしい関係をゼロから作っていく。人の意図を理解し、人の行動を予測し、最後は人の感情、人という存在を理解するようになれば、車社会はより新しい体験を我々に提供してくれることでしょう。

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三宅 陽一郎(みやけ・よういちろう)

京都大学で数学を専攻、大阪大学大学院物理学修士課程、東京大学大学院工学系研究科博士課程を経て、人工知能研究の道へ。ゲームAI開発者としてデジタルゲームにおける人工知能技術の発展に従事。国際ゲーム開発者協会日本ゲームAI専門部会チェア、日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員。著書に『人工知能のための哲学塾』(BNN新社)、森川幸人との共著に『絵でわかる人工知能』(SBクリエイティブ)がある。