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知的情報処理の最前線:D-wave Systemsは止まらない

2017.05.19

Updated by Masayuki Ohzeki on May 19, 2017, 07:00 am JST

随分と記事を書くのをサボってしまい、楽しみにしていた読者には悪いことをした。完全に筆者の怠慢である。 一方で研究者として、ちょっと面白い世界を覗き見ていたのも事実だ。その新しい世界について紹介するために、量子アニーリングをめぐるいまの状況を俯瞰してみよう。

日本人の発想をカナダのベンチャー企業が商用化

機械学習をはじめとして、コンピュータが人間の生活を快適なものへと手助けをする仕組みの背後には「最適化問題」が潜む。その最適化問題の中でも難しいのが「組み合わせ最適化問題」と呼ばれるものだ。パズルを解くのと同じで、ここにあるピースをはめると、他にうまくはまるピースがない。他のはめ方を試してみると、今度はこっちがうまくいかないといった具合で、複数の要素を全体のバランスを考慮しながら、うまい調整を必要とするためだ。

その組合せ最適化問題を解くためのアルゴリズムの一つ、それが「量子アニーリング」だ。

この「量子」という名前には魅力が詰まっている。量子力学と呼ばれる微小な世界を支配するルールに基づき、我々が想像する常識的な振る舞い方とは異なる選択と探索をすることで、パズルを効率的に解いていく。

この手法を提案したのが西森秀稔教授(東京工業大学)と門脇正史氏(エーザイ)だ。筆者が両人に聞いたところ、提案当初は全く反響がなく、学会で発表したとしても量子力学を利用したダイナミクスに詳しい先生や興味を持つ研究者が、わずかなコメントをするだけだったというのだから驚きだ。

だが、学会で発表して反響がないからといってもくよくよしてはいけない。

その手法が提案されて10年以上経過して、カナダのベンチャー企業であるD-wave Systems社が超伝導技術を利用することで、まさに「量子」を利用して、量子アニーリングがいうところの方法をまさに実現して、「量子コンピュータ」を作ることに成功した。しかもそれは商用販売を開始しており、世界中に衝撃が伝わったのだ。

D-Waveに対しては、当初は懐疑的な見方が大半であったが、だんだん風向きが変わり、特にGoogleとNASAが共同購入したあたりから、人々はもしかして本物なのか?という好意的な見方をするようになった。

さらに彼らが検証した結果、既存のコンピュータの1億倍高速に最適化問題を解くという特殊な事例が見つかり、2015年暮れにその事実を強烈にアピールしたことで、さらに拍車がかかった印象がある。

最新研究成果は2017年6月、東京で

この量子アニーリング研究の加熱に伴い、関連した国際会議も開催されている。筆者のような大学や研究所に身を置く研究者が最新の成果を報告して、議論をしあうのだ。2015年から参加をするようになったが、毎年その内容がスピーディに変化していく様子が見られて面白い。

通常、学会や国際会議というものは、学術的な内容についてもちろんトレンドがあるのだが、ある程度ゆったりと普遍的なものがだんだんと浮き彫りになる雰囲気で、そのテーマが急速に変わっていくことは頻繁には起こらない。しかしこの量子アニーリングに関連した国際会議「Adiabatic Quantum Computing Conference(AQC)」は、その中心的なテーマが移り変わっていくのがまざまざと見えてくる。

2015年はスイスのZurichで開催されたが、量子アニーリングをどうやって実際のアプリケーションに適用していくか?が中心的な話題だったように思う。2016年は米国はLos Angelesで開催された。会場はGoogleである。そこでは新しいアーキテクチャを利用した量子アニーリング、どのように性能を上げるかというハードウェア設計に重きが置かれていた。

2017年は6月に東京で開催される。あのリクルートコミュニケーションズがスポンサーにつき、日本で世界最先端の研究成果が披露されて、研究者が一堂に会する。

リクルートコミュニケーションズは、兼ねてより早稲田大学の田中宗准教授と量子アニーリングに関する共同研究を実施しており、手法と適用先について綿密に検討を行ってきた。最近ではD-wave Systemsの量子アニーリングマシンを実際に利用するなど、その研究内容をさらに先鋭化して、日本代表として最新の研究成果を報告する予定だ。

2017年の中心的なテーマは何だろうか。多種多様な企業、大学、研究機関が参加すること、これまでのAQCでもサプライズな発表があったことから、全く新しいアーキテクチャの登場や、思わぬ開発の進展ぶりについて発表される見通しである。日本の企業もリクルートコミュニケーションズに限らず、多くの参加が予定されている。残念ながら参加登録については好評につき、締め切られてしまったが、発表された内容については、ここで記事として報告する予定である。注目していただきたい。

2000量子ビットマシンを完成し、さらに素子数を増やすための資金調達を実施

とどまることを知らない量子アニーリング研究、そして開発の動向について、もう少し踏み込んでみよう。2017年5月15日付でウォール・ストリートジャーナルにD-wave Systems社が次世代量子アニーリングマシンの製作のために3億ドルの調達をしたというニュースが出た。

彼らは現在、その最適化問題の計算を行うための素子の数、いわゆるビット数を多くすることに注力している。2017年の初頭には公約通りD-wave 2000Q、2000量子ビットのマシンを完成させた。それまでのD-wave 2Xでは約1000量子ビットほどが安定動作していたことから、倍の計算素子数となった。そして今回の調達で、さらにその素子の数を増やすというのだ。

単純に計算の素子数を引き上げることで、利用できる応用範囲が広がるということは想像できるだろう。商用販売を開始した時に、未来の顧客が注目するのは、その利用範囲だ。さらに自分たちの抱えている問題の解決になるかどうか?である。勇気のある顧客は、まずは使ってみよう、面白い、やってみようと思うかもしれないが、経済原理が働く商売であるから、利益とならねば意味がない。どこまでの範囲を見据えているかは、各人それぞれ異なるものの、やはりそのまま利用できるのか、既存のコンピュータとの置き換えが可能なのかといったことに注目が集まる。

おそらくD-wave Systems社自身も顧客との対話を通して、扱える問題の規模を大きくしてほしいというニーズが非常に大きかったのだろう。その期待に応えて順調に動作できる素子数を伸ばしている。この期待に応えられる力がD-wave Systems社が他の開発チームや技術を持つ企業や研究機関との違いだ。

量子ビットと呼ばれる「量子」の力を利用できる舞台は、それこそ日本も基礎技術の開発に貢献している。しかしその集積化と安定動作をさせるところで、運命の分かれ道があった。

量子ビットの開発は、その操作性はさることながら、寿命を伸ばすことが至上命題である。一つの量子ビットが長寿命であったとしても、集積化をして超伝導により作成された量子ビットを積み重ねたチップとして動作をさせてみると、寿命が尽きるのが早く、期待通りの動作をしないことが常である。

D-wave Systems社が開発した量子ビットは、そこまで驚異的な寿命を持った顕著なものではなかったそうだ。しかし試しに作ったチップがたまたま「うまくいった」というのだから驚きだ。もしかしたら裏では言えないノウハウもあるだろうが、彼らに聞くとそう答えるくらいに偶然の産物と努力の賜物が入り混じったものなのだ。

機械学習への適用は失敗から生まれた応用

そうした偶然を経ながらも、現在では着実にビット数を伸ばしているD-wave Systems社。次なるターゲットはどこだろうか。大きく分けて3つあげられる。

1.現状でも高速に動作しているように思われるその計算速度をさらに高速化すること。
2.最適化問題を解くことのできる範囲をさらに広げること
3.真の量子コンピュータに向けての発展

1については現状、理想通りの量子アニーリングが実行できていないという報告があることを受けた方向性である。量子ビットの寿命とはまた別に、その計算途中で量子ビットがコンピュータの動作温度による影響を受けて、うまく制御がされていないという問題がある。

この温度による影響は、幸か不幸か、量子アニーリングマシンの新しい利用法を生み出すことに貢献した。機械学習への利用である。機械学習の一部の手法においては、複数の解の候補を高速に生み出すことを要求される。サンプリングと呼ばれる技術である。D-wave Systems社が開発した量子アニーリングマシンは、非常に高速に何度も同じ問題を解くことができるが、先ほど指摘した通り、温度による効果で結果がまちまちになるという欠点がある。

当初は最適化問題に特化した方法である量子アニーリングを実行するマシンとしてアピールしてきたが、この失敗を成功に変えるべく彼らは一時期、機械学習への適用が可能だという猛烈なアピールをしていた。最適化問題を解くためであれば、この複数の解から最も良い結果を採用すれば良いし、機械学習への利用法として、この複数の解を生成する特徴を利用する場面も出てくる。失敗を成功に変えるという力強いエピソードだ。この開き直りにはかなわない。

その失敗を今度は改善するという方向で、最適化問題を解くマシンとして再度挑戦するというものだ。理想的な量子アニーリングを実行することができれば何度も同じ問題を解くことなく、1度きりで確実に正解を得ることができる。そうなれば我々が期待する以上に、超高速な最適化問題を解く専用のマシンが登場する。そうなれば世界が変わる。解決したい問題を最適化問題に焼き直すプログラムさえ介入すれば、瞬時にどのような課題も回答することができる。

真の「量子コンピューター」実現に近づけるか

次に2についてだ、量子ビットが最適化問題を解くための計算を行う上で、他の量子ビットとの結合させる必要がある。その設計にかなりの工夫が必要だ。2016年に行われたGoogleでのAQCに際しては、GoogleがD-wave Systems社のアーキテクチャとは一線を画するチップを製作していることを、量子ビットの形を示しながら表明した。これに負けていられないというわけだ。

現状ではその量子ビットの結合に制限があるために、量子ビットのいくつかを、「解く」ためではなく、最適化問題を「載せる」ために利用している。その犠牲もあり、量子ビットの数を増やすことはD-wave Systems社のマシンにとって必要なことでもあった。この問題を解決することができれば、彼らの現状成功している2000量子ビットの数の威力を最大限活用することができる。

最後は真の量子コンピュータに向けての方向性だ。量子アニーリングでは、量子力学特有の「重ね合わせの状態」を利用する。複数の可能性について同時に保持した状態を実現することができる。最適化問題はパズルのようなものだと冒頭で述べた。量子アニーリングでは、あるピースをはめる時に、別の場所ではめる可能性も保持したまま、どちらが良いのかを探るということが可能だ。これが量子力学を最適化問題に適用する際に優位な点である。

この「重ね合わせの状態」の利用の仕方が、現状の量子アニーリングマシンでは、まだ単純なものにとどまっており、さらに工夫の余地があるのだ。つまり現状の量子アニーリングは、まだ量子の真の威力を利用していない。その意味では、量子アニーリングは量子コンピュータのおもちゃにしか過ぎない。

量子コンピュータの威力に期待をするきっかけとなったのが「素因数分解」が高速に行えるというShorのアルゴリズムの発見である。このShorのアルゴリズムを現状の量子アニーリングマシンでは実行することはできない。急速な進歩を見せる量子アニーリングに関する研究開発動向だが、量子コンピューターの真の威力を発揮するには、まだまだ発展途上である。

これをどう見るかは読者に任せたい。量子アニーリングは大したことはないな、と思う人もいるかもしれない。量子アニーリングの研究が進むことで量子コンピュータの実現に着実に近づいていると見る人もいるかもしれない。ただ少なくとも、その歩みは止めていないのだ。

世界各地で、量子コンピュータ研究・開発が巻き起こっている。お隣の中国では「10量子ビットの量子コンピュータの開発に成功した」と学術論文やメディアで発表をして、我々の度肝を抜いた。

そうこうしていたらGoogleのJohn Martinisが2017年5月16日付の"People of ACM"によれば、22量子ビットのチップを製作してその実験を進めているようだ。

IBMは2017年5月17日付で17量子ビットの量子コンピュータを公表した。これはそのままIBMが展開していた量子コンピュータのクラウドサービスに利用されるそうだ。つまり「使える」のだ。

日本発の量子コンピュータはいつできるのだろうか。
モノづくりは敗北したとしても、量子コンピュータを利用した、イかれた発想やイカしたサービスが出てこないだろうか。

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大関 真之(おおぜき・まさゆき)

1982年東京生まれ。2008年東京工業大学大学院理工学研究科物性物理学専攻博士課程早期修了。東京工業大学産学官連携研究員、ローマ大学物理学科研究員、京都大学大学院情報学研究科システム科学専攻助教を経て2016年10月から東北大学大学院情報科学研究科応用情報科学専攻准教授。非常に複雑な多数の要素間の関係や集団としての性質を明らかにする統計力学と呼ばれる学問体系を切り口として、機械学習を始めとする現代のキーテクノロジーを独自の表現で理解して、広く社会に普及させることを目指している。大量の情報から本質的な部分を抽出する、または少数の情報から満足のいく精度で背後にある構造を明らかにすることができる「スパースモデリング」や、次世代コンピュータとして期待される量子コンピュータ、とりわけ「量子アニーリング」形式に関する研究活動を展開している。平成28年度文部科学大臣表彰若手科学者賞受賞。近著に「機械学習入門-ボルツマン機械学習から深層学習まで-」、「量子コンピュータが人工知能を加速する」(共著)がある。