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「まず現地に来てください」100軒の空き家再生を実現した移住サポートの「現場主義」 - 尾道

「まず現地に来てください」100軒の空き家再生を実現した移住サポートの「現場主義」 - 尾道

2018.03.15

Updated by Yu Ohtani on March 15, 2018, 07:00 am JST

※この記事は「小さな組織の未来学」で2015年7月31日に公開されたものを加筆改訂したものです。

「その空き家、壊すなら私が買って直します!」—空き家再生プロジェクトは帰省した地域出身者の危機感から始まった

豊田雅子さんは尾道出身。NPO法人尾道空き家再生プロジェクトの代表であり発起人です。大阪の大学を卒業後、大阪の会社でツアーコンダクターとして20代を過ごし、海外を飛び回る日々を送っていました。そのなかで、景観を守り受け継ぐヨーロッパの街に感銘をうけ、改めて自身の出身地である尾道のもつ景観の固有性と重要性に気付いたといいます。その後、尾道三山の南斜面である山手地区に空き家が増え、尾道の景観に危機が迫っていることを知った豊田さんは、なんとか空き家を取り壊しから救えないかと2000年ごろから帰省のたびに山手地区を歩きまわり、独自に情報を集めるようになりました。

▼豊田雅子さん
豊田雅子さん

6年ほどそんな生活が続いた後、地元では有名な西側の斜面地にある築70年の空き家、通称「ガウディハウス」が取り壊されるという情報を聞きつけます。所有者に連絡をとって内部を見せてもらった豊田さんは、昭和初期の大工が技工の限りを尽くした建築に圧倒されて一目惚れ。「壊すくらいなら私が買って直す!」と即座に決意し、2007年に「ガウディハウス」を200万円で購入。その後、大工の旦那さんとともに自分たちで少しずつ直し始めました。

▼豊田さんが「衝動買い」したという通称「ガウディハウス」
豊田さんが「衝動買い」したという通称「ガウディハウス」

同時に空き家探しから購入、セルフリノベーションの過程を赤裸々にブログで発信したところ、全国から興味をもった移住希望者が1年で100人ほど連絡をしてきたそうです。豊田さんは「100人の人が1軒ずつ空き家に移住してくれれば、100軒の空き家を救えるじゃないか」と思い立ち、移住者の受け皿になるような活動を本格的に行うべく仲間を集めました。こうして2008年にNPO法人尾道空き家再生プロジェクトが発足します。

空き家探しから地域のつながりまで、「かゆいところ」は移住経験を活かして支援する

NPOの特徴は、その移住者に寄り添ったサポート体制にあります。実際に移住希望者が体験するであろうことを追ってみましょう。

尾道への移住は空き家探しから始まります。しかし、接道がなく建て替えもできない斜面地の空き家は、普通の不動産屋さんでは取り扱われておらず、情報を得ることは簡単ではありません。NPOは市が1999年から行ってきたプログラム「尾道市空き家バンク」を2009年に事業受託し、空き家の所有者と移住希望者とのマッチングを行っています。登録を行うことで、移住希望者は非公開の空き家データバンクにアクセスすることができ、条件に合う空き家を探すことができます。

▼登録者専用の空き家バンクのウェブサイト。空き家の状態(空き家レベル)や特徴について細かく分類されている。
登録者専用の空き家バンクのウェブサイト。空き家の状態(空き家レベル)や特徴について細かく分類されている。

しかし実際は、オンラインで目ぼしい物件にたどり着ける人はなかなか稀です。尾道では足で歩いて情報を得たり、口コミや人的ネットワークをたどるほうが優位であることが少なくありません。NPOではゲストハウスとシェアハウスを経営していて、尾道に住みながら短期から長期まで暮らしを体験しつつ、物件探しもできるようにしています。

▼NPOの発行している「尾道ぐらしへの手引書」という可愛らしい冊子は、坂の町で暮らすヒントがカルタ風に示されている。これは移住希望者に坂の暮らしの覚悟を促す意味もある。
NPOの発行している「尾道ぐらしへの手引書」という可愛らしい冊子は、坂の町で暮らすヒントがカルタ風に示されている。これは移住希望者に坂の暮らしの覚悟を促す意味もある。

良い物件とめぐりあい、いざ移住となっても、建物の状態によっては補修・改修が必要になることが多々あります。工事を外注するのが予算的に厳しい場合、自分の手で直していくことになりますが、素人には手出しできない場合もあります。NPOはリノベーションの技を職人から教えてもらえるワークショップを企画したり、工具・器材の貸し出し、引っ越しやリノベーションのお手伝い、人員の派遣を通じてサポートします。また、リノベーションにかかる費用を補助する市などの補助金を紹介しています。

▼空き家再生合宿。実際の空き家を改修することで、プロの職人から直接、技術を学ぶことができる。
空き家再生合宿。実際の空き家を改修することで、プロの職人から直接、技術を学ぶことができる。

無事に引っ越しを終えて尾道での生活が始まると、人との繋がりが鍵となります。NPOは空き家を改装した子育て支援のための空間や井戸端サロン、カフェ、バーなど、移住者と旧住民の双方が利用できる施設を生み出してきました。また、移住者自身も自分でビジネスを立ち上げたり、店を持ったりと、様々な活動を行っています。こうして移住の「先輩」が次の世代の生活の受け皿になっています。また、建築や都市に関する調査研究を行う研究機関や、同じく空き家問題を抱える全国の地域など、尾道以外の地域とのつながりもNPOを軸に育まれています。

▼NPOが再生した「北村洋品店」の二階には、子供服や育児グッズのバザーが常設され、子連れ家族の情報交換の場所となっている。
NPOが再生した「北村洋品店」の二階には、子供服や育児グッズのバザーが常設され、子連れ家族の情報交換の場所となっている。

NPOが再生した「本の家」。アーティストや研究者の作業場として使われている。

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「私自身、空き家探しに苦労したので、移住者がぶち当たる問題や、必要としていることがよくわかります」と豊田さん。豊田さんを始め、NPOメンバーたち自身の経験をもとにした「かゆいところに手が届く」移住者サポート体制が行われているのです。これが功を奏し、2009年からの6年間で、「空き家バンク」によって62軒の空き家が再生され、100人以上の移住者が尾道にやって来ました。NPOが独自に再生した物件も含めると、これまでに山手地区を中心に約100軒の空き家が再生されてきました。NPOの役割も徐々に大きくなり、市が大型の空き家の再生を依頼してくるようになってきます。こうなってくると、補助金に頼っていたそれまでの経営手法では非効率で、NPO自身が採算性のある事業を行う必要が出てきました。そこで2012年、NPOはそれまで全く経験がなかったゲストハウス事業に乗り出したのです。

▼2008年に東京から尾道の空き家に引っ越してきた漫画家つるけんたろう氏が、尾道で悪戦苦闘するさまを描いた漫画『0円で空き家をもらって東京脱出』。こちらも移住に関する情報満載。
2008年に東京から尾道の空き家に引っ越してきた漫画家つるけんたろう氏が、尾道で悪戦苦闘するさまを描いた漫画『0円で空き家をもらって東京脱出』。こちらも移住に関する情報満載。

補助金経営が非効率になった時に訪れた、ゲストハウス経営という転機

豊田さんいわく、当初は「こそこそと山側の路地でアンダーグラウンドにやるつもりだった」NPO法人尾道空き家再生プロジェクト。しかし徐々に認知され活動が広がるにつれ、それまでの主な活動資金源だった毎年更新のひも付き補助金に頼る経営では、あまりに非効率になっていきました。ちょうどその頃、市から駅前商店街の空き店舗を再生しないかというオファーが2012年に舞い込み、豊田さんらは以前から温めていたゲストハウスの経営に乗り出す決断をします。

▼回収したのは呉服屋として建てられてという明治時代築の長屋
回収したのは呉服屋として建てられてという明治時代築の長屋

▼20mにおよぶ通り土間が貫く独特の空間
20mにおよぶ通り土間が貫く独特の空間

物件は駅から徒歩10分ほどのところにある商店街に面した、間口3.6メートルに対して奥行きが40メートルもある明治時代に建てられたという細長い長屋。初の収益事業であり、資金調達のためにNPO始まって以来、初めて借り入れをしました。「あの時はプレッシャーで白髪が増えましたよ」と豊田さんは笑って当時のことを振り返ります。NPOのメンバーを中心に自分たちで工具をふるい、近くの廃校からもらってきた小学校の建具や廃材を用いた手作り感あふれる空間づくりが、約9ヶ月にわたって行われました。

▼改修中の様子 (c)NPO法人尾道空き家再生プロジェクト
改修中の様子 (c)NPO法人尾道空き家再生プロジェクト

2012年に晴れて開業。瀬戸内海の名物である穴子から名前を取り、屋号を「あなごのねどこ」としました。毎日国内外から宿泊客が訪れ、商店街側に併設したカフェは地元の人にも利用されるとともに、定期的にイベントが行われるようになります。

▼ゲストハウスに併設された「あくびカフェー」
ゲストハウスに併設された「あくびカフェー」

▼ゲストハウスの受け付け。廃材や古材などを組み合わせている。
ゲストハウスの受け付け。廃材や古材などを組み合わせている。

ゲストハウス事業により、NPOの収益は狙い通り安定しました。現在では総収入の3500万円のうち、ゲストハウスの収益が2500万円を占め、あとは他の物件の家賃収入、市からの「空き家バンク」の受託金、個人会費・寄付金、グッズの販売、講演会や見学の謝礼などになっています。現在、NPOの常勤が6名、ゲストハウスでアルバイトしている人が10名、うち4人はゲストハウスで生計を立てており、尾道に移住してきた若者にとっては、絶好の働き場所となっています。さらに2016年には、山手地区にある眺望抜群の元別荘の改修が終わり、ゲストハウス「みはらし亭」として生まれ変わりました。尾道におけるNPOの果たす役割はますます大きくなっています。

現場で顔を突き合わせて考える―「現場あわせ」という尾道らしさ

NPOのウェブサイトには、いくら探してもE-mailアドレスが見当たらず、電話番号だけ表示されています。豊田さんに理由を問うと、「文字のやりとりではなく、電話で連絡を取り合い、尾道にとにかく一度は来てもらうようにしています」とのこと。まずは現場に来てもらって、お互いに顔を突き合わせ、信頼関係を築くことを何よりも重視しているのです。時には大都市の企業や投資家が、カネに物を言わせて尾道の物件を利用しようとコンタクトを取ってくることもあるそうです。豊田さんは「そういう依頼はことごとく拒否しています」と語気を強めます。尾道に住みながら、まちづくりに協力してくれる人と「尾道らしさ」を考え、ここにしか無い価値を守っていくことが非営利団体としてのNPOの役割。「尾道らしさ」を無為に都会に売るようなことは避けたいと話す姿に、長年、尾道の景観行政に市民の立場でかかわってきた豊田さんの信念が垣間見えます。

▼空き家再生合宿の様子。全国から集まった参加者とともに空き家を改修していく。(c)NPO法人尾道空き家再生プロジェクト
空き家再生合宿の様子。全国から集まった参加者とともに空き家を改修していく。(c)NPO法人尾道空き家再生プロジェクト

「尾道のほとんどの空き家には設計図がありません。複雑な起伏や条件のある土地ですから、大工さんは昔から現場合わせで建物を作っていました。ですから改修するときも当時の大工さんの考えをたどりながら、その場その場で皆で知恵を絞って作業していきます」と豊田さん。手を動かしながら考え、考えながら手を動かす。NPOの活動自体もまた、状況に応じてあるものを組み合わせ、様々な人を巻き込み、問題にしなやかに対応することで成長してきました。それはまさに設計図のない木造民家を改修していく作業と同じ感覚。この「現場あわせ」こそ尾道というまちが培ってきた文化であり、これを現代的に継承することで尾道らしさが保たれていくのです。

[2018年近況 - 情報提供:吉岡春菜さん(尾道在住)]

・みはらし亭
山手地区にある眺望抜群の元別荘の改修が終わり、2016年よりゲストハウス「みはらし亭」として営業開始。NPOの経営するゲストハウスとしては2軒目。茶園建築という背景をいかし、ライターズインレジデンス、尾道茶園倶楽部 (茶道、着物など和文化関連のイベントをみはらし亭を会場に開催) などの文化的な活動を行なっている。宿泊料金はあなごの寝床と同額なので、大きな客層の違いはないが、日本人・外国人にかかわらず、「ザ・尾道」な眺望をもとめて来てるゲストが多い。千光寺の参道に面しているので、参拝客のカフェ利用も多い。

・ガウディハウス
2017年11月に 期間限定の一般公開が行なわれた。本格始動はまだ先。

・本の家(現在は「旧本の家」)
現在は個人のキッチンとアトリエとしてほぼ完成。

【参考URL】
NPO尾道空き家再生プロジェクト
あなごのねどこ

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大谷 悠(おおたに・ゆう)

NPOライプツィヒ「日本の家」共同代表。ドイツ・ライプツィヒ在住。東京大学新領域創成科学研究科博士課程所属。1984年生まれ。2010年千葉大学工学研究科建築・都市科学専攻修士課程修了。同年渡独。IBA Lausitzにてラオジッツ炭鉱地帯の地域再生に関わる。2011年ライプツィヒの空き家にて仲間とともに「日本の家」を立ち上げる。ポスト成長の時代に人々が都市で楽しく豊かに暮らす方法を、ドイツと日本で研究・実践している。