先週ニューオーリンズで開催されたUIST(User Interface Software and Technology)は、全米計算機科学会(ACM)におけるトップカンファレンスのひとつで、ユーザーインターフェース(UI)に関する研究発表が行われる。
6月にグラスゴーで開催されたSIGCHIが、「コンピュータ・ヒューマン・インターフェース(計算機と人間の境界)」という大きなくくりであるのに比べると、UISTはより具体的なユーザーインターフェースにフォーカスした学会であり、多くの動作デモの展示が目玉であると個人的には考えている。
SIGCHIと同様に、この分野は日本人のコントリビューションが高く、UISTは米国人に次いで二番目に日本人の参加者が多いという結果になった。
こうした学会で日本人が強いのは、ゲーム業界と無関係ではないかもしれない。1982年に一度壊滅したゲーム業界は、任天堂を始めとする日本のゲームメーカーたちによって再生したという歴史があり、家庭用ゲームだけでなくゲームセンター向けのゲーム機を開発する会社が多数存在する日本は、自然と「新しいユーザーインターフェースをカネに変える」ことができる場所であり、そこへの投資意欲を持ったゲーム会社と、研究者が共進化できる土壌があるのだ。
二日目の夕方に開催されたデモ展示では、60以上の研究が並んだ。
ここでも、東京大学を始めとして、お茶の水女子大学、明治大学など、日本の研究者達の研究が目立った。他国で目立っていたのは、スタンフォード大学、Google、MIT MediaLabなどだった。
UISTでは、UIとして、「ディスプレイ技術」と「コントローラー技術」の2つの方向性の展示が行われる。
たとえば、ディスプレイ装置として目立っていたのは、お茶の水女子大学が展示していたのは、電気分解を利用してコーヒーの任意の場所に泡を発生させ、文字や図形などを表示する装置。
実用性は不明だが、普通におもしろいので商品化したら流行るかもしれない。ただし、電気分解のために特殊なコーヒーカップが必要になるのでそこを解決しないと難しいだろう。
入力装置としては、たとえばLeap Motionを手の甲に装着し、手の甲の筋肉の変化によってハンドサインを読み取る装置などが面白かった。
手の甲の変化の読み取りには、深度情報と機械学習を利用しており、全部で10パターンのハンドサインを読み取ることに成功していた。
将来的には腕時計型デバイスの横にカメラをつけて同様のことを行いたいそうである。
AI関連の研究者であり実業家として会場を見てみると、もはや機械学習や深層学習はこの分野では完全な道具として消化されており、どう応用して、何を実現するかという方向性に早くもシフトしている。
というのも、UIの分野ではたとえばAR技術の実現のためにかなり早い段階から機械学習や高精度な画像認識を必要としており、従来的な手法の限界も知り尽くした状態であったため、深層学習の発見による恩恵を最もイメージしやすかったのではないかと思われる。
こういう発想でこそ、真に「人に役立つAI」の開発につながっていくと個人的には考えており、こうした学会への参加は非常に重要な意味を持っている。
人工知能とは一見無関係なようでも、組み合わせることで絶大な効果を得る可能性があるシーズとなる技術を探すのも、僕の重要な仕事のひとつだ。
ディスプレイ技術として最も可能性を感じたのは、明治大学の展示である。
この展示では、3Dプリンタで機械を出力し、そのまま3Dプリンタ上で動作する機械を提案している。
AIのようなものは一切使われていないが、この発想そのものにものすごい可能性を感じた。
というのも、古くからのコンピュータ史を紐解けば、人工知能と並んで重要なテーマのひとつが、「機械の自己増殖性」だからだ。
「自己増殖する機械」とはどういうことかというと、要は自分自身を作り出すことができる機械を作ることができるか、というテーマである。
これは数学的には、コンピュータの始祖の1人である、ジョン・フォン・ノイマンが証明していて、彼が始めたこの分野は現在は「セル・オートマトン」として知られている。
セル・オートマトンは格子状に並んだ独立した機械が単純な法則に従って相互に関係を及ぼすことで全体として見ると高度な計算を行ったり自然現象に近い振る舞いを見せたりすることから人工生命(A-Life)という研究分野でも主に注目されている。
明治大学の研究では、3Dプリンタによって3Dプリンタそのものを作っているわけではないものの、3Dプリンタそのものを作ることができるようになる可能性を示唆していることは注目に値する。
実際、彼等は3Dプリンタだけで、機械部品を出力するだけでなく、部品を組み立てたり、補助材を除去したりといったことをかなり意識しているようだ。
たとえば、バネを出力するときには写真のような補助材が必要になるのだが、この補助剤にも3Dプリンタのヘッドを差し込む穴がついており、ここにヘッドを差し込んで押し込むと補助剤が破壊されてバネが開放されるなどの工夫をしている。
この方向性で実用化されれば、Amazonのように倉庫に大量の部品を置いて物流をしなくても、この技術の延長上にある3Dプリンタを搭載した無人自動車が住宅街を巡回し、ネット上からの注文に応じて機械を出力して販売するなどのこともできるかもしれない。
また、この研究では、重力さえあればどんな機械でも作れるので、人間が入り込むことが難しい場所などで機械を組み立てたりすることを想定している。おそらく、月面や火星、もしくは海底や危険な放射線によって人間の活動が制限される場所で機械を作り、何らかの目的を果たすことが想定されている。
もちろんそこに至るまでにはまだまだ多くのブレイクスルーは必要であるものの、確実にそちらへ向かおうという意志が感じられた。
AI技術の一つである強化学習とこの技術を組み合わせるのは拍子抜けするほど簡単だ。たとえば現実世界の道具を出力し、実際に使用して性能を測定し、道具そのものを改良し続けるような機械を作ることができるだろう。たとえば無人の恒星間行航船に搭載して、隣の恒星系であるアルファ・ケンタウリに至るまでの間に機械をどんどん自分で改良し続けてより高性能にしていくような発展も考えられる。
AIがロボットなどの機械を作り出すというと、AI脅威論で最初に出てくる映画「ターミネーター」のスカイネットのようなものをイメージしてしまうが、そういう意味ではタイムトラベルで任意の場所にサイボーグを転送できる技術があるのならば、そもそも3DプリンタとAIを送れば、未来の道具がどんどん作り出せてターミネーターにも対抗しやすいはずだ。
最近、AIが人々に理解されるに従って、昔よりもAIが出てくるフィクションはどんどん減っていってる。これは実際に人が月にたどり着いた1980年代以降は宇宙を舞台にしたフィクションが減り、フィクションになる場合も太陽系の外が舞台になることが増えてきたのと無関係ではないだろう。月が全く未知であった19世紀にジュール・ヴェルヌが書いた「月世界旅行」は、大砲の弾丸に乗って月に行き、其の少しあとにH.G.ウェルズが書いた「月世界最初の人間」では、月には空気があり、昆虫のような月人が住んでいる。
ところが科学が進歩し、月が実際には単なる岩の塊に過ぎないことが望遠鏡による観測や実際の探査機などの活躍で次第に解ってくると、月を中心テーマとしたフィクションは減っていき、アポロ計画が始まった時代にロバート・A・ハインラインが書いた「月は無慈悲な夜の女王」では、月は植民地化され、地球からの重税に苦しんだ月の人々が人工知能を駆使して革命に成功する。
この作品の数年後に発表されたアーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの「2001年(2001 A SPACE ODYSSAY)」では、人工知能HAL9000が人間の乗組員相手に反乱を起こすが、なぜ反乱を起こしたのかという点が忘れられ、「AIは怖いもの」というイメージを作ってしまった。
HAL9000が反乱を起こしたように見えたのは、乗組員に知らされていなかった極秘任務をHAL9000だけが知っていたからであり、HAL9000は乗組員と地球司令部の間で矛盾した命令を処理しきれず乗組員の生命を犠牲にしているだけだった。
つまりHAL9000は最大限、地球司令部の司令を優先しようとしただけであり、乗組員の生命は司令部の命令よりも重要度の低いものであり、意味もなく発狂したわけではなかった。
さらにその後に作られたスターウォーズでは、AIを搭載したロボット(ドロイド)は人間に寄り添うパートナーであり友達として描かれた。実際にルークとR2-D2の関係は友達以上のものであり、本来意思疎通ができない機械音と英語でそれぞれ意思疎通をしている。
宇宙に夢を見いだせなくなった80年代に入ると、フィクションのなかの絶対的な悪はとりあえずAIということになった。1984年の「ターミネーター」と1999年の「マトリックス」では、AIが人類の敵として描かれる。ターミネーターのスカイネットは、遠い未来に人類に勝利を目前としたAIであり、なぜスカイネットが人類を滅ぼそうとしているのかは明かされていない。要するに「悪いやつならなんでもいい」ので理由は何でも良いのだ。
マトリックスはもう少し複雑で、モーフィアスの語りで、AIと人類が戦争になったという話が出てくる。そもそもAIに人類を滅ぼしたい積極的な理由があるわけもないので、ここの動機もほぼ語られていない。人類はAIへの電力供給を経つために気象兵器で太陽光を遮り、その報復としてAIは人類を電池として消耗するマトリックスを作った。
しかし、マトリックスの中には、複数のAIが同居しており、たとえばオラクルやアーキテクト(という名前のAI)は、むしろ人類を助けようと主人公たちに力を貸すし、最終的には「エージェント」の1人でしかなかったスミスが、人類とデウス・エクス・マキナ(マシン・シティのボスとなるAI)の共通の敵になり、最後は力をあわせてスミスを倒すというストーリーになっている。
どちらも対立構造を成立させる便利な舞台装置としてAIというマクガフィンを使用しているに過ぎない。
そしてAIというものがどういうものかわかりつつあるようになってきた現在において、AIを絶対悪として描くにはもう少し詳しい説明が必要になるので、むしろAIを仲間として描く、もともとの姿に近くなってきた。たとえば2013年の「her/世界でひとつの彼女」は、音声アシスタントに恋をする話であり、2017年の「ブレードランナー2049」では、AIは主人公のパートナーであるジョイしか出てこない。ジョイは既製品であるがカスタマイズが可能で、独自の記憶を持つこともできる。
2015年の「エクス・マキナ」などの例外はあるが、これは低予算のスリラーものという事情を考えれば、AIに対する認識がやや遅れていたとしても仕方がない。
2018年の「デトロイト ビカム ヒューマン」に至っては、ブレードランナーのレプリカントのようなバイオノイドではなく、明らかにロボット工学的に作られた家庭用ロボットたちが人権を求めて反乱を起こすというストーリーになっている。
AIに対して人格や人権をどこまで認めるかというのは、これからの時代にAIと人類とかどのように接していくか考える上で長い議論が必要になるだろう。
とはいえ、無生物に人格を与えるのは、たとえば法人といった形で既に前例がある。
AIは当面の間は、自動車と人間のように、人間に紐付いて管理されることになるだろうが、無人自動車が衝突事故を起こした場合はおそらくその無人自動車の所有者に責任が行くのか、それとも製造者に責任がいくのか、まだまだ議論され尽くしていない。
SF化される、ということは最新科学が「理解される」ということも意味する。我々科学者はフィクションの作者たちから想像力の余地を奪い、より遠くへ大胆な想像力を発揮させようと仕向け、作者たちは科学者に対して、「ひょっとしてこの技術の延長線上にはこんな問題が起きるのではないか、こんな可能性が広がるのではないか」と逆にインスピレーションを与えてくれる。
SFと科学が共生関係にあることで、人類はおそらくこれからもずっとワクワクしていられるだろう。
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登録はこちら新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。