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「迂闊な客」を反面教師とせよ ウイスキーと酒場の寓話(9)

2019.11.25

Updated by Toshimasa TANABE on November 25, 2019, 09:11 am JST

雨の夜、独りで居酒屋のカウンターで飲んでいた。座敷の予約が何組かあったようで、三々五々集まってくるのだが、ほとんどの人が「予約したんですけどー」としか言わない。予約しているのは自分達だけではないのだ。何という名前で何人で予約したか、くらいのことをなぜ最初に伝えようとしないのだろう。

雨なので、傘にポリの細長い袋をかぶせる機械が入り口付近に出ているのだが、これもほとんどの人が傘を閉じただけでヒラヒラしたまま突っ込むから、傘の先の方しか袋に入らない。いちいち「軽く巻いてから通してください」などと店のスタッフに指示されてやり直している。

そしてこういう人たちは、ほぼ例外なく自動ドアの入り口にボケっと突っ立っているので、ドアが閉まらなくて風が吹き込んでしまいカウンターは寒いのであった。

これまでに見つけたり遭遇したりした「迂闊な客」は、枚挙にいとまがない。まったく困ったものである。なかなかに腹立たしいことも多々だったりするものの、これをエンターテインメント、あるいは反面教師と捉えて学ばないと飯が不味くなる一方なので、観察し考察する。あの人たちはどうしてあんな「(大人ともいえない)大人」になってしまったのだろう、あれで良いと思っているのだろうか、あんなことをしていて恥ずかしくないのはなぜなんだろうか、子供はあれを見て育つのだろうから迂闊の再生産ではないか、などと思い巡らせるのだ。前回の「ダメな店」に続いて、今回は「迂闊な客」の話をしたい。

迂闊その1)カセットコンロで独り鍋だが、、、。

カウンターの端で独りで飲んでいる若者がいた。独り飲みは良いのだが、鱈の入った湯豆腐を注文して、土鍋の傾き(傾いた状態で出す方も問題だが)を直そうとして素手で土鍋をつかんで「アッチッチ!」などとやっている。おしぼりか何かでつかんで水平にすれば良いのに、そのまま傾いたままで煮立てている。当然、煮立ってくると傾いた低い方から吹きこぼれるだろう。

そのうち、ガス欠になってしまったらしく「火が点いてない、、、」などと言っている(かなり面白いリアクションだと思う)。

店員を呼んでガスボンベを交換して加熱再開。しかし、強火のまま携帯に夢中で、いつもまでも煮立てている。豆腐も鱈も煮え端が美味いのに、すべてが固くなり、味は抜け、「す」が入ってしまう。結局、店を出るまでに、鱈も豆腐も食べるところを見ることはなかった。

この人、
・土鍋を素手でつかむ
・ガス欠であることが判断できない
・鍋ものの食べ方を知らない
などから、どういう育てられ方をしたのか、と思う。親の顔が見たい(いや、実際には見たくはないが)というものである。そして本人は、その迂闊さや恥ずかしさをまったく自覚していないという点が痛いのである。

迂闊その2)インド料理屋のランチビュッフェで聞こえてきた驚愕の質問

インド料理屋のランチビュッフェを食べていたときのこと。ランチビュッフェは、カレー3種類(チキンと豆が固定で、野菜が日によって変わる)、ライス、ナン、サラダ、パパドが食べ放題で、かつドリンク(たいていマンゴージュースを選択)が付いて880円と良心的だった。ビュッフェではない普通のランチだと、タンドリーチキンやシシカバブを付けられるし、何よりカレーの辛さを指定して作ってもらえるので、たいていは普通のランチで「very hot」にしてもらうのだが、たまに待ち時間ゼロのビュッフェにすることもあるのだった。

インディアンランチ

「芸能人の●●が、テレビですごくイイって言ってたから買ったのぉ」などという阿呆な会話の二人連れが、ビュッフェ用の皿を手に店のスタッフ(インド人のお兄さん)にした質問が驚愕であった。

「これ、どこに何を入れれば良いの?」

皿は、写真のように丸い凹みが3つ横一列に並び、他には四角いスペースが大小で並んでいるものだった。これを見てその質問というのは、どういうことなんだろうか?

そんなことは、人に決めてもらうことではないのだ。野菜がたくさん食べたければ、野菜を一番大きなところに、で良いのである。こういうビュッフェスタイルでプレートを渡されたら、他人に決めてもらうのではなく、自分の好きなようにすれば良いのである。

盛り付けられていないと食べられないのだろうか? こういう人達が作る弁当などを見てみたいものだ(これも、実際には見たくはないが)。

インド人のお兄さんは、「お好きなようにどうぞ」というような答えだったが、かなりびっくりしたのではないだろうか。

迂闊その3)入店後、ずっと電話で喋っている

焼き鳥屋のカウンターで飲んでいたら、隣に座った「先輩」(年上の男性)が、座るなり電話をかけ始めて「相撲の桝席が取れたんだけど、一緒に行かない?」と大きな声で誘っている。しかし、ことごとく断られてしまい、知り合いという知り合いに次々に電話をかけ続けるのだった。

さすがにカウンターの隣でこれをやられると、我慢にも限界がある。それを注意しない店にも呆れたので、露骨に嫌な顔をしてすぐに勘定を済ませて店を出た。電話の先輩が何かを食べたり飲んだりしたのを見ることはなかった。つまり、入店してからただただ電話をかけ続けていたのだ。店主と顔見知りの様子だったので、この人にはもう二度と会いたくないと思い、その後、その店には行かなくなった。

迂闊その4)「お茶漬けない人」

料理は美味しくワインは目が利いている、というとても良いフレンチのお店で、メインディッシュを食べ終えたときに「お茶漬けないの?」と言ってしまった人がいた。私がやっていた店でスパゲッティやシチューがメインだった頃、「カツ丼ないの?」と言われたこともある。ビストロのカウンターでコートを着たまま、焼酎のお湯割りだけを飲んでいた先輩もいる。

こういう場を弁えない人、常識のない人のことを「フレンチでお茶漬け」の例とその語呂の良さから「お茶漬けない人」と呼ぶことにしている。こういう人は、ファミレスもビストロも寿司屋も蕎麦屋も何も区別がない。和食の店でコーヒーを欲しがったりするのである。その「お茶漬けなさ」たるや、まったく話にならない。

迂闊その5)居酒屋や焼き鳥屋をファミレス使い

特別なイベントなどでもない普段の夕食であるにもかかわらず、居酒屋や焼鳥屋に子どもを連れてきたり、クルマで集まってきたりする人たちは多い。ファミレスとは異なる「酒を飲む大人が集まる空間」であること(それを前提としたビジネスモデルでもある)を全く意識していない人は、世の中にけっこう存在するものだ。外食といえばファミレスしか知らず、ファミレスで許されることならばどこでも許される、と思い込んで疑うことを知らないのである。

店のことを少しでも考えたら、駐車場4台の焼き鳥屋にクルマ5台で5人で来て、各人ウーロン茶1杯と「やきとりお任せ10本セット」(それで1人前なんだが)を全員でシェアしてお終い、あとは延々と喋っている、などという行為は、絶対にやってはいけないことの一つだと思うが、平気な人はいる。

一時期、焼き鳥屋のスタッフがSNSで「串から外さないで」と発言して議論になっていたが(こんなことが議論になること自体が困った話だが)、そう言いたくもなるだろう。一生懸命刺したのに、穴から冷めてしまう、などという話もあったと記憶するが、本質はそこではないのだ。

商売をしていると、8人で来て注文は4つ、ドリンクオーダーなしで水8つ、取り皿8枚、スプーンとフォークを8組、おしぼり8本を要求して平気な人が来店したりする。こういうことを疑わずにしてしまう人が、世の中には確実に存在するのだ。最低限のオーダーはしたいものである。外での振る舞いについて何も教えなかった親が悪いのだとは思うが、そんな人でも既に親だったりするのである。

迂闊その6)とにかく注文が迂闊

迂闊な客がどういう注文をするのか、というのも耳ダンボで注目してしまう。食べるものというのは、どういう生まれ育ちなのか、どんな家庭環境だったのかを色濃く反映する。以前に東京都内の某居酒屋で飲んでいたら、田舎から東京に来てたった今着いた、という様子の先輩が入ってきた。席に着くなり「この居酒屋すげぇ! 塩辛、焼き鳥、冷奴、オレの好きなものが全部揃ってる!」と大きな声を出してしまったのがカウンターの端まで聞こえてきて、ビールを吹いたことがある。

まともな定食屋で、真夏に「カキフライ定食!」と叫んでしまった先輩は、夏はカキフライはやってない、と女将さんに知らされて意気消沈していた(やっぱりなかったか、というリアクションではないのが痛い)。そんな常識のない人は、ちゃんとした定食屋ではなく、ファミレスなどに行くべきなのだ、季節に関係なく何でも年中ある。

無知、常識がないといえば、「紹興酒って蒸留酒?」という質問も聞いたことがある。さらに、
「お飲み物はどういたしますか?」
「ウイスキーの水割り」
「シングルとダブルがございますが」
「それ、値段、一緒?」
という迂闊な質問をしている先輩もいた。

身も蓋もない話ではあるが、夏の北海道でイクラを食べて褒めちぎっている、などというのもかなり迂闊である。イクラは秋のものであり、夏に出回っているのはほぼ例外なく去年のものだ。北海道の夏は、ウニとアワビなのである。最近は、イクラとして提供されているものには、鮭の子よりも粒が小さい鱒の子も多い。もっとも、ひと昔前の人造イクラ(食べると悪酔いした)よりは、はるかにまともではあるのだが。

迂闊その7)帽子をかぶったまま食事する

男性は屋内では、特に食事のときは帽子を脱ぐ、ということさえ知らない人がとても多いのにも驚かされる。野球帽を斜めにかぶったまま、ニットキャップをかぶったまま、中折れ帽を得意気に、などという御仁は多いものだ。本人、イケているつもりなのかもしれないが、単にマナーや常識に疎いだけ、とすぐにバレてしまう。コートやオーバーなどの「外套」を脱がずに飲んでいたり飯を食べていたりする人も多い。

信頼するバーテンダーは「頭に大きな傷があるような場合でない限り、当店では男性には脱帽をお願いしております」とはっきり伝えている。帽子を被ったままで飲もうとして「男性は脱帽で」と指摘された客が、「なぜ、この店では帽子はダメなのか!?」と言い出してしまう、ということもあった。そういうことをはっきり指摘する店は少ないものだ。ちょっと考えれば、自分に非があったのかもしれない、と気付くのが普通だろう。素直に帽子を脱げば良かったのだが、そうできないところに迂闊さが滲み出てしまうのだ。

ローリング・ストーンズの「Waiting On A Friend」という曲(サックスソロは、ソニー・ロリンズだ)のプロモーションビデオには、帽子をかぶったミック・ジャガーが、キース・リチャーズと2人でパブに入っときに即座に帽子を脱ぐ、というシーンがある。これが、普通なのである。

バーには、どこかの小売りチェーンの標語をもじったといわれる「ルール」がある。

Rule1:Bartender is always right.
Rule2:If bartender is wrong. See Rule1.

バーテンダーから脱帽するよう指摘されたマナーを知らない客は、このルールも知らなかった、ということになる。もっとも、「常に正しい」バーテンダーがいるような店はとても少ない、というのも事実ではある。

立ち食いそば屋に野球帽をかぶったまま食べている先輩がいた。そばの汁を啜ろうとして、帽子のつばを思い切り丼の中に浸していた。ニットキャップにダウンジャケットで熱燗で湯豆腐を食べて汗だくの人もいた。

この手のマナーについては、時代が変わった、昔とは違うなどという話も散見するが、基本を知らないことをそういう論理で誤魔化してはいけない。基本は押さえたうえで、状況を見て考えて振る舞うようにしたい。

このような食べる以前の常識のない振る舞い、あるいは食べるものに対する常識やセンスのなさ(注文の仕方ですぐ分かる)は、「人生経験の欠落感」「考えずに年を取ってきた感」につながる。例に出してきた話は、すべて実際にあったことである。しかも、やらかしているのは「先輩」がとても多いのである。

またまた口うるさいことを書き連ねてきたが、ここで大事なのは「周りの客が馬鹿に見えても(実際、たくさんいるものだが)偉そうな態度を取らない」ということだ。もし目に余るようだったら、注意したりせずに(それは店の役割だし下手をすれば喧嘩になる。店が注意しないということは、その店はそういう客を容認しているということでもある)さっさと会計を済ませて、別の店で飲み直すのだ。そういう場からは、速やかに離脱するのが肝要だ。

ちょっと余談になるが、迂闊の再生産についての傑作な例を最後に。某チェーン(券売機ではないところ)で牛丼を食っていたら、塾帰りの小学生が入ってきた。腕組みをしながら口を尖んがらせて店のスタッフ相手に「んーー、で、このお店、お勧めは何?」と言ったのが忘れられない。明らかに、自営業の父親が息子の教育に失敗したケースだ。「領収書、あて名は上でお願い」などと言い出しそうで怖い。


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出版社
平凡社
著者名
田邊俊雅、メヘラ・ハリオム
新書
232ページ
価格
820円(+税)
ISBN
4582859283
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田邊 俊雅(たなべ・としまさ)

北海道札幌市出身。システムエンジニア、IT分野の専門雑誌編集、Webメディア編集・運営、読者コミュニティの運営などを経験後、2006年にWebを主な事業ドメインとする「有限会社ハイブリッドメディア・ラボ」を設立。2014年、新規事業として富士山麓で「cafe TRAIL」を開店。2019年の閉店後も、師と仰ぐインド人シェフのアドバイスを受けながら、日本の食材を生かしたインドカレーを研究している。