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晩飯の待ち合わせはバーにしよう ウイスキーと酒場の寓話(33)

2020.07.27

Updated by Toshimasa TANABE on July 27, 2020, 11:28 am JST

誰かと晩飯を食べに行くというときには、「待ち合わせ」というものが必要になる。どこで待ち合わせるかというのは、実はけっこう大きな問題であり、いろいろなことが問われもする。良いレストランやホテルなどには「ウエイティング・バー」というものがあるように、バーで待ち合わせるというのは最も優れた待ち合わせの形ではなかろうか。

以前、独りで晩飯に出かけるときにはバーから始めるのが快適だ、と書いたが(3. 晩飯はまず「バー」からはじめよう)、その日のメンバーが2人、もしくは3人程度であるならば、やはりバーで待ち合わせたいものである。

もちろん、酒は種類や銘柄によらず空きっ腹が一番美味い、ということも理由の一つである。晩飯を共にする相手によっては、先に少し飲んで「下駄を履いた」状態で食事に入ったほうが好都合なこともある。「とりあえずビール」などといって、好きでもない銘柄や劣化した生ビールなどを無理して飲む必要もない。

さらにいえば、待ち人が来たならば、1杯やりつつ今夜は何を食べようかと話をして、それからの食事をどうするかを決めるのが好ましい。「予約」などという無粋なことは、せずに済むならばそれに越したことはないのである。予約をしてしまうと、その店にその時間に「行かねばならぬ」という状況に置かれるわけで、これはかなりの制約事項なのである。その日の夕方になってから気が変わるかもしれないし、同行者の体調にしても常にヘビーなものでも大丈夫とは限らないのである。

また、予約というものは、予約した人の好みや都合が色濃く出たりもする。しかも、予約の内容が今ひとつであったとしても、予約した当人は褒められたいであろうことは容易に想像がつく。自信満々な場合さえある。いずれにしても、楽しく食事をするために「この場は、一応、褒めておくしかない」というのは、なかなかに苦痛なことでもある。気を付けておかないと、将来、再び同じことが発生する確率も高い。

もちろん、事前に相談するなどして誰かに店の予約を任せる、確実に入店できるように席を確保する、人数が多いときは、といったことを否定するものではない。また、店にとっても予約というものは有難いことであるし、予約が基本というポリシーの店もある。そいうことは踏まえたうえでの話である。

待ち合わせという観点からもう少し考えてみると、晩飯を食べる店を予約してそこで落ち合うというのも、実はさほど良い待ち合わせの形ではない。例えば、どちらかが遅刻をしたら、その店で相手を待たせることになる。店側も、予約の時間から始まるように用意しているわけで、それはかなり申し訳ないことなのだ。先にビールを飲んでいようか、止めておこうか、何かを注文してしまう訳にも行かないし、などと考えさせるのも、そう考えてしまうのも、先に到着した方から飲み始めていよう、というバーでの待ち合わせならばまったく必要のないことなのだ。

店というのは、フラッと行っても賑わっているけれど入れる(もちろん人数にもよるが、それは店の性格を考えて客側が考慮すべきことだ)というのが理想である。客の側も、もし満員だったとしても、近所にオルタナティブがある、あるいはブラブラしつつ「ここ、どうかな?」と入ってみる、という振る舞いが大事なのである。それが、思いがけない店との出会いにつながったりもする。不思議なことに「これは失敗、大外れ」ということは滅多にないものだ(そういう店は淘汰されているはずだ)。特にオルタナティブとしての選択肢を持っている、というのが重要だ。いい歳なんだから、多少の持ち駒は確保しておけ、という話である。

これも店によるが、地元の人が毎日来るような、そう大きくはない店を予約するというのも無粋である。常連さんは予約などしない。普段は来ない客の予約のために常連さんが割を食ってしまうのは、常連さんにも店にも申し訳ないことなのだ。金を払う同じ客だ、などというのは、常連さんと店との関係性を一時的にであっても乱すことに鈍感なまったくもって貧乏くさい価値観だ。

余談だが、世の中には「予約が取れない店」というものがあるらしい(コロナ禍の今はどうか知らないが)。そんな店はこの世に存在しないも同然、と考えることにしている。仮に、たまたま直前のキャンセル(ドタキャンなどと省略するようだが)があったなどで入れたとして、不覚にも気に入ってしまったとしても、次の予約は取れないのだ。だから、予約の取れない店に行ったなどといって自慢気な人、当日の夕方に電話すれば直前のキャンセルで入れる可能性もあるなどとしたり顔の人は、何も分かっていないのである。評価軸が、予約で埋まっている(だから良い店のはず)ということだけに依存してしまっていて、そこに自らの価値観による判断がないからだ。予約して押し寄せている客層について信頼しすぎでもある。

予約といえば、某サイトで呆れた記事を見たことがある。「予約の宴会は2時間までという人気の店なので、予約せずに先に1人か2人だけで行って、席だけ確保するのが良いかも」といった趣旨だった。店や他の客についてまったく配慮の無い、本当に貧乏くさい振る舞いである。こんなことを恥じずに書く輩も、平気で掲載している某サイトも話にならない。こういう連中は「消費するだけで、自分さえ良ければそれで良い自分」というものに余りに無自覚だ。この店は良いな、あるいは変わらず続いて欲しいなと思ったら、こんな行為はできないはずだ。

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待ち合わせの話に戻ると、駅の改札前で待ち合わせるなどというのは、少しでも相手のことを考えたら無粋にも程があると思い至るはずだ。天気のことを考えたら、屋外というのもダメである。社会人ならば、諸事情でやむを得ずちょっと遅れるといったこともあるのだから、快適に待つため、あるいは気持ち良く待たせるために、ぜひともバーで待ち合わせよう。そして、バーでのひと時を楽しい晩飯への第一歩とするのだ。

バーは敷居が高い、という場合もあるだろう。そういうときは、ここまで書いてきたようなことに対応できるバーに準じた店、ということで良いのである。都会であれば、ダイエーの創業者が英国に行って感化されて作ったという庶民的なアイリッシュ・パブ・チェーンなどは、とても良いのではなかろうか。待ち合わせの相手が酒が苦手なら、酒類も出すカフェなどでも良いだろう。もっとも、ちゃんとしたバーであれば、アルコールの弱い酒やソフトドリンクに困ることはまずない。

最近は、誰もが携帯電話を持っているので、遅れても連絡が取れるという安心感があるようだ。それが、待ち合わせについてのルーズな感覚につながっているようにも感じられる。待ち合わせという概念自体が非常に希薄で、合流場所が流動的という状況が継続し、歩きながら携帯電話で話をしつつ「あー、いたいた」などということもある。しかし、この「合流場所が流動的という状況が継続」という無駄な時間をバーで過ごしたいのだ。携帯電話に依存した待ち合わせには、稀に携帯電話を持っていない人もいる、その日に限って忘れてきた、移動中などで実際には使えない、といった問題もある。落ち着いて待ち合わせるために、バーは格好の場所なのである。

歳を取ってくると、常に早め早めに行動するようになる。待ち合わせの1時間も前に現地に到着しているということも珍しくはない。そんなとき、バーで待っているのは悪くないものだ。老人は、相手を待たせることはほとんどないが、いつも待っているのだ。待ち時間に相手に対してイラつかないことが肝要だ(勝手に早く到着しているわけでもあるし)。そのためにも、バーあるいはバーに準じた、快適に時を過ごせる店の持ち駒は大事にしたい。バーで過ごしているのであれば、待っている、あるいは相手が遅刻して待たされているなどにかかわらず、それに起因するネガティブな感覚に陥ることはまずない。

ただし、店選びで一つだけ気を付けたいことがある。世の中には、注文に対するバーテンダーの反応で、あるいは出されたものをひとくち飲んだだけで、それと分かってしまうダメなバーが、数は少ないものの確実に存在する。バーで待ち合わせをするなら、初めての店は避けた方が良いだろう。


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田邊 俊雅(たなべ・としまさ)

北海道札幌市出身。システムエンジニア、IT分野の専門雑誌編集、Webメディア編集・運営、読者コミュニティの運営などを経験後、2006年にWebを主な事業ドメインとする「有限会社ハイブリッドメディア・ラボ」を設立。2014年、新規事業として富士山麓で「cafe TRAIL」を開店。2019年の閉店後も、師と仰ぐインド人シェフのアドバイスを受けながら、日本の食材を生かしたインドカレーを研究している。