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プラハ、1740、1942

辺境の建築史01「プラハ、1740、1942(前篇)」

2020.01.15

Updated by Sugeno Yuko on January 15, 2020, 13:14 pm JST

美術作品が展覧会のために世界を巡回したり、音楽が演奏会やCDで聴けるのとは違って、建築は向こうから近づいてくれることはない。そのため、どうしても旅行に出かけることが多くなる。2年前にはトゥーゲンハット邸という20世紀の名住宅が見たくて、チェコのブルノまで行った。ところが、着いて地図を見ていたら、Žďár nad Sázavouいう町が意外と近いことに気づいたので、さらに足を伸ばして行ってみることにした。そこに17世紀にイタリアからチェコへ移り住んだ建築家の子孫Jan Blažej Santini Aichel (Giovanni Biagio Santini)の作品がいくつかあって、いつか見てみたいと思っていたからだ。電車とバスを乗り継いで着いてみると、とても小さな町で、周囲には人気もほとんどない。目当ての一つ、4つの小屋が結びつけられたような建物は、扉が閉まっていたけれど、窓から中庭をのぞくと、太陽の光の下で手を取り合って踊っているように見えてとてもかわいかった。いったいどうしてこんな不思議な形を思いついたのだろう。こういう建物に旅先で出会うと、建築史の表舞台には出てこなくても、世界には魅力的な建築がたくさんあるものだと思わずにいられない。

[上]Jan Blažej Santini Aichel (Giovanni Biagio Santini), Dolníhřbitov (Žďár nad Sázavou)入口にあたる小屋の窓から、中庭をのぞき込んだところ。4つの小さな小屋が、互いに伸ばした両手をつなぐようにして中庭をとり囲んでいる。(2017年9月、筆者撮影)

Jan Blažej Santini Aichel (Giovanni Biagio Santini), Dolníhřbitov (Žďár nad Sázavou)
入口にあたる小屋の窓から、中庭をのぞき込んだところ。4つの小さな小屋が、互いに伸ばした両手をつなぐようにして中庭をとり囲んでいる。(2017年9月、筆者撮影)

[左]Jan Blažej Santini Aichel (Giovanni Biagio Santini), Dolní hřbitov (Žďár nad Sázavou)塀の外側から見たところ。丸みを帯びた塀のカーブや、2段になった屋根の造形がかわいらしい。(2017年9月、筆者撮影)[右]Jan Blažej Santini Aichel (Giovanni Biagio Santini), Dolníhřbitov (Žďár nad Sázavou)4つの小さな小屋が、仲良く向かい合っているように見える。図版出典:Mojmír Horyna: Jan Blažej Santini ‒ Aichel, Univerzita Karlova, 1998

[左]Jan Blažej Santini Aichel (Giovanni Biagio Santini), Dolní hřbitov (Žďár nad Sázavou)
塀の外側から見たところ。丸みを帯びた塀のカーブや、2段になった屋根の造形がかわいらしい。(2017年9月、筆者撮影)
[右]Jan Blažej Santini Aichel (Giovanni Biagio Santini), Dolníhřbitov (Žďár nad Sázavou)
4つの小さな小屋が、仲良く向かい合っているように見える。図版出典:Mojmír Horyna,Jan Blažej Santini ‒ Aichel, Univerzita Karlova v Praze, 1998

ところで、建築はさまざまな分野と関連があると言われることがある。そういう話で、最初に思いつくのは、たぶん美術との関係だろう。たとえば、20世紀ドイツのバウハウスという美術学校では、建築と美術が総合的に関連づけられた教育プログラムが組まれていた。音楽と建築にも、さまざまな関わり方がある。コンサートホールは、それ自体が一つの楽器と言ってもいいくらいだ。あるいは、おもしろい例では、20世紀のクセナキスは、音楽家であり、建築家でもあったという人で、自分の作曲した音楽の楽譜をもとに一棟のパヴィリオンを設計した。でも、このような特別な例を探してこなくても、さまざまな建物を訪ねていくと、他の世界へのつながりはたくさんあることに気づかされる。実際、建築を見に行っても、気づくとそこから別のことを連想していることがよくある。

建築を専門としているので、ふだんの旅行はもっぱら建物を見に行くことが目的だが、前回プラハをおとずれたのは、ある小説に登場する舞台を訪ねてみたかったという理由も大きかった。ローラン・ビネというフランスの作家による、『HHhH』という不思議なタイトルの歴史小説で、第二次世界大戦中のある暗殺事件を主題にしたものだが、これまでこういったテーマに特段の興味を持っていたわけではないのに、なぜかこの小説には夢中になってしまった[1]。

左から順に、ローラン・ビネ『HHhH』高橋啓訳、東京創元社、2013年.Laurent Binet, HHhH, Grasset & Fasquelle, 2009.Laurent Binet, HHhH, Éditions France Loisirs, 2010.Laurent Binet, HHhH, traduzione di Margherita Botto, Einaudi, 2011.Laurent Binet, HHhH, traduzione di Margherita Botto, Einaudi, 2014.Laurent Binet, HHhH, Traducción del francés por Adolfo García Ortega, Buenos Aires: Seix Barral, 2012.Laurent Binet, HHhH, Trans. Sam Taylor, Vintage, London, 2013.劳伦·比奈(Laurent Binet) , HHhH, 刘成富,张靖天 译, 上海人民出版社, 2015

左から順に、ローラン・ビネ『HHhH』高橋啓訳、東京創元社、2013年.
Laurent Binet, HHhH, Grasset & Fasquelle, 2009.
Laurent Binet, HHhH, Éditions France Loisirs, 2010.
Laurent Binet, HHhH, traduzione di Margherita Botto, Einaudi, 2011.
Laurent Binet, HHhH, traduzione di Margherita Botto, Einaudi, 2014.
Laurent Binet, HHhH, Traducción del francés por Adolfo García Ortega, Buenos Aires: Seix Barral, 2012.
Laurent Binet, HHhH, Trans. Sam Taylor, Vintage, London, 2013.
劳伦·比奈(Laurent Binet) , HHhH, 刘成富,张靖天 译, 上海人民出版社, 2015

舞台は1942年のプラハ。ナチスの高官ハイドリッヒを標的として、二人のパラシュート部隊員による白昼の暗殺計画が実行される。これは〈類人猿作戦〉とも呼ばれ、すでに何度か映画化されたこともある有名な事件らしいが、私が興味を持ったのは、事件そのものより、この本で著者が歴史をいかに書こうとしているかという、その手法の方だった。

一般的な歴史小説では、著者は、自分の目で見たわけではない歴史上の出来事を「物語化」していく。それは歴史小説ではふつうのことだ。ところが、この本の著者ビネは、そういった創作をひたすら拒否して、こう言う。「そもそもナチズムに関して何かの創作をして、どんな意味があるのだ?」

とはいえ、嘘を一切書けないとしたら、どのように歴史の物語を書けばよいのだろうか。ビネは絶えず自問自答を続けながら書く。その場に居合わせられなかった後世の人には、歴史を語ることなどほとんど不可能ではないか、そもそも歴史的真実とは何なのだろうか、と。そうして、その不可能に取り組もうと、あの手この手の、思いつく限りのやりかたを総動員するのだが、その試行の中で、歴史をいかに書くかということの、さまざまな方法がみせられる。そして、それらを読むことで、人間が過ぎた時間といかに向き合えるのかということについて考えさせられるのだ。

たとえば、第6章。ここでは、暗殺に関わったパラシュート部隊員が、ナチスの報復による非業の死を遂げた地下納骨堂を、著者が初めて訪れたときのことが語られる。彼はそれまで知らずに「何十回も」この教会の横を通っていたのが、ある日、その建物がその事件の場所だったことに気づいたのだという。

今から六十年以上前にこの納骨堂で起こった惨劇の跡が、そこには恐ろしいほど生々しく残っていた。外から見える地下の採光窓の裏側、数メートルにわたって掘られたトンネル、壁と丸天井に残るたくさんの弾痕、二つの木のドア。またパラシュート部隊員の顔写真もあり、チェコ語と英語で記された説明文の中には裏切り者の名前もあるし、レインコート、鞄、自転車が一か所に集められて展示されているし、肝心なときに働かなかったステン短機関銃ももちろんあるし、(中略)タイヤのパンクした黒のメルセデス、運転手がひとり、虐殺者がひとり、ひとつの棺を囲む高官たち、遺体を覗き込む警官たち、恐るべき報復の数々、崇高と狂気、弱さと裏切り、勇気と恐怖、希望と悲しみがあり、わずか数平方メートルの部屋に集められた、人間のありとあらゆる情熱があり、戦争と死があり、(中略)ボヘミア、モラヴィア、スロヴァキアがあり、いくつかの石に封じ込められた全世界史があった。

外には七百人以上のナチ親衛隊がいた。
(ローラン・ビネ『HHhH』高橋啓訳、東京創元社、2013年、13-14ページ)

ここで不思議なのは、章の冒頭で「そこには恐ろしいほど生々しく残っていた」という時点は、著者が納骨堂を訪れたその日 -- わからないけれど、1990年代か2000年代の初めころだろうか -- についての回想だったはずだ。ところが、最後の一文「外には七百人以上のナチ親衛隊がいた」では、1942年の話になっている。しかし、その途中を読んでいても、文章のどの時点で、現代から1942年へと時間が移り変わったのかはわからない。つまり、著者は、歴史的事件の舞台である地下納骨堂の中に入り、さまざまな痕跡を見ているうちに、いつの間にか意識が1942年へ飛んでしまっているのだ。この章ではそんな人間の感覚が見事に再現されていて、読んでいると一気にその時間の旅に連れて行かれてしまう。読みながらまったく違和感がないどころか、だまされたことにすら気づかないほどだ。

時間についてのそういう感覚は、原文のフランス語を読むと、さらに鮮やかに体験できる。なんとこの章の文章は、すべて、' il y avait ... 'から始まる、まったく同じ構文で書かれている[2]。フランス語の' il y avait ... 'という文型は、対象が人でもモノでも、また、それが単数でも複数でも動詞が変化することはなく、つまり「 ...があった」でも「...がいた」でも、まったく同じ形で表現できるからこんなことが可能になるのだ。この6章では、' il y avait ..., il y avait ...' と読み進めていくと、同じ動詞が指し示す過去が、いつのまにかどんどん遠くへ延びてきて、まるで同一の構文でできた時間のトンネルをくぐりながら、60年以上を隔てた時へと送り込まれてしまうかのようだ。

この事件があった納骨堂は、プラハ中心部の聖カルロ・ボッロメーオ教会の地下にある[3]。実はこの教会には10年以上前にもすでに一度行ったことがあった。というのは、ボヘミアの有名な建築家が携わった作品だったからだ。ただ、最初の訪問のときは事件のことを知らなかったので地下にも入らなかったし、プラハの個性的なバロック建築の一つとして記憶していただけだった。だから、本を読み終わってしばらく経ったある日、ふとそれが同じ建築だったと気づいたときには、思いがけない偶然に驚かずにいられなかった。

[2]6章の文章はすべて、il y avait …で始まっている(Laurent Binet, HHhH, Éditions France Loisirs, 2010, pp. 16-17)[3]プラハの聖カルロ・ボッロメーオ教会。この地下に、事件の舞台となった納骨堂がある。なお、この教会の名称は、現在は聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂というらしい。(2017年9月、筆者撮影)

[2]6章の文章はすべて、il y avait …で始まっている(Laurent Binet, HHhH, Éditions France Loisirs, 2010, pp. 16-17)
[3]プラハの聖カルロ・ボッロメーオ教会。この地下に、事件の舞台となった納骨堂がある。なお、この教会の名称は、現在は聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂というらしい。(2017年9月、筆者撮影)

プラハは建築の歴史においても興味深い都市で、特に17世紀から18世紀にかけては、実に多くの個性的な建築が誕生している。この教会もその一つで、1730年にJohann Christian SpannbruckerとPaul Ignaz Bayerによって建設が始まり、途中からボヘミアのバロックを代表する建築家キリアン・イグナツ・ディーンツェンホーファー(1689-1751)が加わって1740年に完成したものだ。外観に見られるボヘミアのバロック建築特有の造形は、この都市の建築文化がとりわけ輝いていた時代の記憶である。そして、その納骨堂が、1942年に悲劇の舞台となった。

このように、一つの建築が、誕生してからの長い長い時間の中で数奇な運命をたどることは決してめずらしくない。とはいえ、同じ建築がこれほどの明と暗、両極の歴史と交差したという事実に直面すると、やはり胸を衝かれてしまう。地上と地下とで担う歴史の意味がこれほど大きく引き裂かれていても、それは一つの建築として存在しているのだ。

次回はこの教会を訪れたときのことについて書いていきたい。

[4]プラハのヴィシェフラツカー通りとトロイツカー通りの交わる交差点。小説『HHhH』は、この場所で聞こえる路面電車の軋み音とともに始まる。(2017年9月、筆者撮影)

[4]プラハのヴィシェフラツカー通りとトロイツカー通りの交わる交差点。小説『HHhH』は、この場所で聞こえる路面電車の軋み音とともに始まる。(2017年9月、筆者撮影)

[5]Einaudi社のイタリア語訳版は、独自の編集で、オリジナルのフランス語版にはない資料がいくつも付けられている。本文中に計23点の写真図版が挿入され、巻末には用語集や、本文で引用された文献についてのイタリア語版の書誌情報も掲載されている。[6]Einaudi社のイタリア語訳版。プラハの地図上で、事件に関係ある場所が赤く塗られている。

[5]Einaudi社のイタリア語訳版は、独自の編集で、オリジナルのフランス語版にはない資料がいくつも付けられている。本文中に計23点の写真図版が挿入され、巻末には用語集や、本文で引用された文献についてのイタリア語版の書誌情報も掲載されている。
[6]Einaudi社のイタリア語訳版。プラハの地図上で、事件に関係ある場所が赤く塗られている。

[7]Einaudi社のイタリア語訳版より。[8]Einaudi社のイタリア語訳版より。教会の地下納骨堂の内部。

[7]Einaudi社のイタリア語訳版より。
[8]Einaudi社のイタリア語訳版より。教会の地下納骨堂の内部。

[9]Einaudi社のイタリア語訳版より。消防のホースが地下納骨堂の採光窓に差し込まれている。[10]Einaudi社のイタリア語訳版では、クライマックスの襲撃の場面にも、当時の写真が添えられている。こういった図版があるのとないのとでは、小説を読む体験はだいぶ違うのではないか。

[9]Einaudi社のイタリア語訳版より。消防のホースが地下納骨堂の採光窓に差し込まれている。
[10]Einaudi社のイタリア語訳版では、クライマックスの襲撃の場面にも、当時の写真が添えられている。こういった図版があるのとないのとでは、小説を読む体験はだいぶ違うのではないか。

参考文献
ローラン・ビネ『HHhH』高橋啓訳、東京創元社、2013年
Laurent Binet, HHhH, Éditions France Loisirs, 2010
クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ『後期バロック・ロココ建築』加藤邦男訳、本の友社、2003年
Jiří Burian, Prager Kirchen / Prague's Churches, Mladá fronta,1992
Mojmír Horyna: Jan Blažej Santini – Aichel, Univerzita Karlova, 1998
Mojmír Horyna, Jaroslav Kučera, Dientzenhoferové, Akropolis, 1998
Erich bachmann, Erich Hubala, Barock in Böhemen, Prestel-Verlag München, 1964

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菅野裕子(すげの・ゆうこ)

横浜生まれ。横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院特別研究教員。博士(工学)。西洋建築史専攻。1991年横浜国立大学工学部建設学科卒、1993年同大学院修了、2006-07年フィレンツェ大学建築学部客員研究員。著書に『建築と音楽』(共著、NTT出版、2008年)、『14歳からのケンチク学』(共著、彰国社、2015年)、『READINGS: 1建築の書物/都市の書物』(共著、INAX出版、2000年)、『図面でひもとく名建築』(共著、丸善出版、2016年)、『天井美術館』(共著、グラフィック社、2019年)他