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とんかつ 調理 イメージ

「絶妙に丁度良い」とは何か? 横浜・勝烈庵 ウイスキーと酒場の寓話(21)

2020.02.26

Updated by Toshimasa TANABE on February 26, 2020, 14:28 pm JST

横浜には「勝烈庵」というとても好ましいとんかつ屋がある。就職した頃、休みの日は毎週のように横浜の中華街や馬車道の辺りに出掛けていて、その頃に初めてここのとんかつを食べたのだが、40年近く経った今も、変わらず素晴らしい。創業は1927年(昭和2年)である。

勝烈庵は、馬車道(写真は勝烈庵馬車道総本店)や横浜駅西口地下のレストラン街など、横浜に住んでいた頃の立ち回り先にあるので、手広く展開しているかと思いきや、実は飲食店としての店舗は横浜3店舗と鎌倉の計4店舗しかない。惣菜や弁当を売る業態の店は、勝烈庵フーズという別会社が運営している。

勝烈庵馬車道総本店

看板商品というかメニューの筆頭にあるのは、屋号を冠した「勝烈定食」というヒレかつの定食なのだが、いつもロースかつ定食にしてしまう(理由は後述)。銘柄豚の上級バージョンもあるのだが、いつもベーシックな普通のロースかつ定食だ。定食は、メインの料理にみずみずしいご飯と上品なしじみの味噌汁、大根の漬物で構成されていて、キャベツとご飯はお代わりができる。

実に普通のとんかつなのであるが、油の質とキレが良くてまったくもたれたりしない。皿の上に金網を置いてその上にとんかつを乗せて出してくる店があるが、そんなことをしなくても、ここのとんかつは皿に油が落ちたりはしない。肉が厚いことを売り物にしている店もあるが、常識的な厚みの肉で柔らかく食べやすい。

ヒレかつは、さっぱりしていて赤身の味わいがよく分かるとは思うものの、ロースの脂身が捨てがたいし、何よりロースかつ専用の「辛口ソース」を出してくれるので、いつもロースかつを選ぶのだ。卓上にはソースが置いてあるが、これはヒレかつや海老フライなど、ロースかつ以外の揚げ物と千切りキャベツに使うことが想定されている。

自家製のこのソースは、この店ならではであってとても美味しいのではあるが、ロース用の辛口ソースは、甘みを控えめにしてキリッとした味わいに仕上げてあるのだ。唐辛子などで辛いわけではない。

ヒレかつあるいはロースかつ以外の別の揚げ物にも、ロース用の辛口ソースが欲しくなることもあるだろうが、そういう時に辛口ソースを所望してしまうのは、ちょっと違うと思うのだ。何というか、あまりに正直に過ぎるというか、人生にはちょっとした制約があって、それはむしろ楽しむべきものなのだ。定食には、ちょっとだけ醤油がかかった、しょっぱくはない大根の漬物が付いている。そして、卓上に醤油はない。これも、醤油を所望したりしてはいけない類のものである。

勝烈庵は、寒い時期には「かきフライ」がある。2月いっぱいくらいで終了してしまうし、昼時を過ぎるとその日の分は完売だったりするので、なかなか食べられないのではあるが、1個から注文できる独り客にはありがたい季節の追加メニューだ。ロースかつ定食に2個かそこら追加(写真)すると、まったくもって丁度良いのである。

ロースかつとかきフライ

ここのかきフライは大振りで、1個のかきフライの中に牡蠣が2つか3つ入っている。そう、かきフライというのは、牡蠣1個で1つに仕上げてはダメなのだ。それほど大きくはない牡蠣を2つか3つ、これを上手くまとめて1個のかきフライに仕上げるのが本格である。「美味い!」と思うかきフライは少ないものであるが、ここのは美味しい。見た目は普通のゴロンとした茶色い揚げ物だし、断面はちょっとグロテスクなので、なんとも写真が「映えない」のが唯一の問題だ。

カウンターに座ってまずは、燗酒とかきフライを注文する。かきフライ用の「藻塩」、燗酒、昆布の佃煮が出てくるので、ロースかつ定食を追加注文する。これは、既に決めているのだけれど、ロースかつ用の辛口ソースが、かきフライと同じくらいのタイミングで出てくるようにするための時間差注文なのである。最初から全部注文してしまうと、辛口ソースとかきフライを別々に持ってきてもらうことになる。初めに辛口ソースだけが出てくるのも、落ち着かない。店のオペレーションに何ら割り込みや例外処理を入れずに、自分が最も快適と思えるようにする、ということであって、こういうことが通用するお店自体が既にかなり少ないので、これはこれで楽しみのひとつなのだ。

かきフライは、先の方をちょっとかじってから、藻塩を断面に振る。フライの衣の上に振っても、塩がパン粉に埋もれてしまって塩気が感じられないので断面に振る。まずは藻塩で味わってから、辛口ソースを少し垂らす。レモンは付いてくるが、タルタルソースなどという全部タルタル味になってしまうものが付いてこないのも好ましい。人ぞれぞれに好みはあるだろうが、かきフライにタルタルというのは、タルタルを食べたいがためにかきフライを利用する、といった本末転倒感があるのではないだろうか。

燗酒とかきフライは、かなり幸せな組み合わせだ。とんかつにも燗酒がよく合う。そして、酒には辛口ソース、なのである。夏はさすがにビールも飲みたいとは思うものの、揚げ物に冷たい飲み物というのは、よく考えると実はいまひとつの相性ということもいえる。年を取ったせいか特に最近は、焼き鳥、焼き肉などについても、同じようなことを感じている。

今でも、東京出張の帰りなどにたまに食べに行くのだが、最近ではとんかつチェーンの「かつや」で覚えた「おろしポン酢」を勝烈庵でも追加注文して「おろしかつ」にしてしまうこともある。ロースかつ用の辛口ソースとおろしポン酢を6:4くらいの感じで使い分けてロースかつを食べる。ビールなど酒類を注文すると出してくれる昆布の佃煮も、大根おろしの上に移動させて酒肴とする。

キャベツをお代わりして、ご飯を軽くお代わりすると、腹八分目。後に仕事が控えている昼飯ならビールはなし。ビールを飲むときは、ご飯はお代わりしない。何とも丁度良い、思い描いていたものがその通りに過不足なく、というとても幸せな食事が楽しめる。

とんかつを始めとする揚げ物が美味しいのはもちろんであるが、勝烈庵はフロアスタッフと店のオペレーションが素晴らしい。気になることが皆無の見事なオペレーションとちょっとした気遣いがあって、気持ちよく食事ができる。こういう店は少なくなった。

例えば、生ビールと何か一品注文したところで、携帯に仕事の電話がかかってきたことがある。店の外での電話が終わって席に戻ってくると、生ビールを注ぐのを待っていてくれた。ありがたい気遣いである。即座に出されていて戻ったときには泡が消えている、などということはよくありがちだ。これくらい普通ではないかという話もあるだろうが、それができていない気の利かない店はとても多いのだ。

先に書いたような「かきフライと燗酒を注文して、燗酒が来たらロースかつ定食を追加」なども、店のオペレーションがしっかりしているからこその楽しみであって、それが感じられることに価値があるのだ。

休日の夜などに行くと、家族連れがひきも切らず来店するのが勝烈庵だ。いまどき、親子三代で8名様などという客もいたりする。カウンターで独りで飲んでいる身としては「休みの日にとんかつを家族みんなで食べに行く、というのは知らない世界だなぁ、、、」などと他人ごとながら嬉しくなる。

何が嬉しいのかというと、8人もの家族が一緒に外でとんかつを食べられる、というその家庭の経済的な状況や皆の健康状態。それに加えて、家族間の感情や関係性などが一緒に食事に出掛けたくなる程度に良好、といったもろもろが何となく伝わってくるような気がするからである。そして、こういう客が付いていて、それに応えている勝烈庵にも感心するのである。

この家族の例などにも感じられるが、勝烈庵には「絶妙な丁度良さ」というものがある。家族や友人・知人とのちょっと贅沢な、でも構えずに気軽に食べられる丁度良さ。定食は1600円から、ビールを1本飲んでも2000円ちょっとである。その食事の満足感、あるいは妙に寂しい気持ちになったりしないことなどを考えると、内容と価格、料理の見た目、店の雰囲気なども含めて、もろもろが本当に丁度良いのである。いつも賑わってはいるが、並んで待っている人がいたりすることはまずないし、一人ならほぼ間違いなくカウンターに座れるのも良い。待っている人がいる状況で食事をするのは、大変に落ち着かないものだ。そういうわけで、また行きたくなる店の典型例のひとつが勝烈庵なのである。

吉野杉の箸

最後に箸の話をしておこう。勝烈庵の箸は吉野杉の端材・間伐材で作ったものである。箸袋に入れて持って帰ることを推奨している。当たり前だが、コンビニなどの箸より数段高品質である。持ち帰ってから洗って使用するが、洗うときにはかすかにソースの匂いが残っていて、また食べたくなるという効果もある。自宅ではこの箸(たくさんある)を愛用しているので、コンビニなどでは箸は断るし、長いこと塗り箸の類も買っていない。


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田邊 俊雅(たなべ・としまさ)

北海道札幌市出身。システムエンジニア、IT分野の専門雑誌編集、Webメディア編集・運営、読者コミュニティの運営などを経験後、2006年にWebを主な事業ドメインとする「有限会社ハイブリッドメディア・ラボ」を設立。2014年、新規事業として富士山麓で「cafe TRAIL」を開店。2019年の閉店後も、師と仰ぐインド人シェフのアドバイスを受けながら、日本の食材を生かしたインドカレーを研究している。