画像はイメージです original image: Rawpixel.com / stock.adobe.com
名ドラマーの訃報からアナログを再発見 ウイスキーと酒場の寓話(26)
2020.06.01
Updated by Toshimasa TANABE on June 1, 2020, 11:00 am JST
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2020.06.01
Updated by Toshimasa TANABE on June 1, 2020, 11:00 am JST
ジャズドラマーのジミー・コブが91歳で亡くなった。マイルス・デイヴィスの傑作「Kind of Blue」(1959年)のドラムというだけでレジェンドだ。
さっと出てくるこのCDを聴きつつ、所有しているCDとLPの中から彼が参加しているアルバムを探して、久しぶりにアナログプレーヤを回した。まだあると思うけれど、とりあえずこれくらいから。
左の列の真ん中にあるボビー・ティモンズの「THIS HERE」(1960年)は、かなり好きなアルバムだ。特に「My Funny Valentain」が素晴らしい。その隣の「WYNTON KELLY !」(1959年 邦題「枯葉」)は、1曲目のイントロが最高だ。雨の朝、バイクでツーリングに出掛けるときのテーマ曲である。
そういうわけで、久しぶりにアナログプレーヤをアンプにつないだのだが、まずは2017年に購入した7000円台のフルオートのチープなプレーヤを使ってみた。このプレーヤは、以前使っていたアンプのフォノイコライザーが不調になったので、修理するよりもフォノイコライザー内蔵の安価なプレーヤを買ってしまえ、ということで購入したものだ。
価格を考えると十分だし、実際、そこそこではあるのだが、さすがに抜群というわけにはいかないので、これを購入する前に使っていた古いプレーヤ(写真)につなぎ替える。学生の頃にバイト代で買った1982年製のデンオンのプレーヤで、機能的にはまったく健在なのだが置く場所の関係などでしばらく使っていなかった。
カートリッジはオーディオテクニカとスタントンである。そんなに古いものではないが、それでも20年以上経過しているはずだ。針圧などを久しぶりに調整して、LPレコードを乗せる。CDが出てからは使用頻度が下がったとはいえ、38年前の古いデンオンは何の問題もなく、かなり良い感じでレコードを再生してくれる。
このプレーヤは完全なマニュアル機で、終わってもアームは上がらずそのまま回っている(飲みながら聴いていて寝てしまうと、ただただ針が消耗する)というシンプルなものではあるが、
・ブチルゴムをキャビネットの裏側の至る所に張り付けて防振と鳴き止め
・アンプにつなぐフォノケーブルを「PCOCC」の短いものに交換
などの改造を施してある。
PCOCCというのは、古河電気工業製のオーディオケーブル用の金属素材で、2013年に生産中止になっているようだ。PCOCCのフォノケーブルを買ってきて、自分で基盤にハンダ付けしたのである。ケーブルを短くしたので、アンプの真上にしかセッティングできなくなってしまった(別のケーブルをつないで延長することはできるが、それは本意ではない)。
また一時期は、ターンテーブルシートを外してバキュームシステム(ポンプで空気を吸い出してレコードを完璧に密着させる)を乗せていた。しかし、気密性を保つためのパッキンのゴムが劣化して空気が漏れるようになってしまい、LPの片面の途中でレコード盤が浮き上がるようになったので、現在はノーマルのシートを仕方なく使っている。レコードが反っていなければ、まず問題はない。
という感じで、1982年のプレーヤが思いのほか好調なので、ついアマゾンでオルトフォンのカートリッジを買ってしまった。カートリッジを買うという行為も、20年以上のご無沙汰だ。オーディオテクニカを外して、届いたばかりのオルトフォンで同じレコードを聴いてみると、明らかに今時の音である。歯切れが良くて、高解像度。音にスピード感がある。中高域はちょっと派手な感じで、低域は締まってはいるけれどそれだけに若干細いか、というように感じられた。
プレーヤは健在だし新しいカートリッジも悪くないので、CDでは持っていないアルバムを仕事場兼自宅のアパートで良く聴くようになった。
ジミー・コブが参加しているアルバムはもちろん、ヴィクター・フェルドマン、カーラ・ブレイ、Tボーン・ウォーカー、エロール・ガーナ―、テディ・ウィルソン、ジョン・コルトレーン、ウエス・モンゴメリー、ルイ・アームストロング、レイ・チャールズ、レイ・ブライアント、アル・ヘイグ、エリック・ドルフィー、デイブ・ブルーベック、クインシー・ジョーンズ、ジョークール、スタンリー・クラーク、ステッペンウルフ、ヤードバーズ、ディープパープル、などなどCDでは買い直していないアルバムはたくさんある。
例えば、ジャズ・メッセンジャーズのライブ「KEYSTONE 3」(1982年)は、ブレイキー御大のプッシュを背中に受けて、若き日のウィントン&ブランフォード・マルサリスがフロントで活躍する素晴らしいライブだ。選曲も良い。
アート・ペッパーの「ROADGAME」は、1981年(亡くなる10カ月くらい前か)のライブだ。最後の「Evrything Happens To Me」がペッパーらしさに溢れていて最高だ。
エリック・ドルフィーの「OUT TO LUNCH !」(1964年)は、なんとも不思議な雰囲気の名盤だが、全曲ドルフィーのオリジナルである。トニー・ウィリアムスのドラムも印象的だ。なお、かつてのテレビアニメ「科学忍者隊 ガッチャマン」の劇伴にこのアルバムの影響が色濃く感じられた記憶がある。もちろん、子供の頃に見ていた本放送で感じたわけではない。多分、30代後半くらいに深夜枠で再放送していたのを見ていて気付いたのだ。
ハーモニカのリー・オスカーの「BEFORE THE RAIN」(1978年)も、十数年ぶりに聴いたけれどやはり素晴らしいアルバムだった。
カーラ・ブレイの「Dinner Music」(1976年)。カーラ・ブレイ・バンドのホーンがニューヨークの腕利きセッションマンのバンドであるスタッフをバックに、というかスタッフがホーンをフィーチャーした、という趣さえあるスタッフ・ファンには堪らないアルバムだ。
クインシー・ジョーンズの「WALKING IN SPACE」(1969年)は、後に先に挙げたスタッフに参加することになるエリック・ゲイルのギターが素晴らしい。ゲイルが一躍有名になったパフォーマンスでもある。
挙げていくとキリがないので、この辺で止めておこう。
写真の下の方にちょっと見えているスピーカーは、1985年製のJBL4312である。2008年3月にネットワークのコンデンサーを自分で交換した。ネットワークを取り出してコンデンサーを外し、秋葉原にあるスピーカーの自作にフォーカスしたお店に持って行って、ほぼ同じ容量のものを買ってきた。その時に、オリジナルは黒だったフロントバッフルを青く塗装した。
・Repairing speaker #1
・Repairing speaker #2
スピーカーというのは、自宅だと使用頻度と音量の関係で、普通はエージングに10年以上かかるので、気に入ったものを長く使うべきだろう。頻繁に買い替えていると、いつもエージング中で本来の実力を発揮しないまま次に行くことになる。
黒いアンプは、この前に使っていたアンプがフォノイコライザーだけでなくもろもろ本格的に不調になったので、これも修理するよりも安い中古を買った方が早いし安いだろうと考えて、秋葉原の中古オーディオ店で購入したもの。マランツのプリメインアンプで2万円しなかったが、鳴らすのが難しいJBLをけっこう良く鳴らしてくれる。JBLを買った1980年代は、国産のプリメインだとそこそこの価格でも、なかなか屈託なく鳴らないものが多かったのだが、意外にもそんなことはないのだった。
アンプの出力は、例えば100Wなどと書いてあるが、これは電圧と電流を掛けた数字だ。同じワット数であっても、電圧を重視したアンプ(昔の国産アンプに多かった)はJBLには向かない。電流を重視した(ピークカレントが大きい)ものが、JBLを良く鳴らしてくれる。
アンプやCDプレーヤは、電子部品が劣化するので何台も買い替えたが、アナログのプレーヤは1982年からずっとデンオンだし、JBLも1985年からの付き合いだ。丈夫なものである。
それにしても、キンキン鳴るワイヤーラックの最上段にプレーヤ、しかも、同じラックにスピーカーを横にして押し込んであるのだから、かなりインチキなセッティングである。我ながら「大人」になったものだと痛感する。スピーカーは何本も自作したし、オーディオにはそれなりに取り組んできたのではあるが、ライフスタイルがすっかり変わってしまったのだ。
もっとも、独り暮らしの狭いアパートなので大音量では鳴らさないし、一応、プレーヤの下には合成樹脂の板、脚の下には防振ゴムくらいは敷いてある。水準器で水平も出してある。実はこのラック、キャスター付きなので、くるっと回せば裏でつなぎ替えたりするのがとても楽というメリットもある。
ジミー・コブの訃報に接して、アナログ再発見ということになった。訃報は、クリスチャン・マクブライド(ベーシスト)のFacebookへの投稿で知った。最近、ミュージシャンの訃報の多くは、SNSへの健在なミュージシャンによる投稿で知るようになった。
ジミー・コブ、ありがとう。安らかに。
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登録はこちら北海道札幌市出身。システムエンジニア、IT分野の専門雑誌編集、Webメディア編集・運営、読者コミュニティの運営などを経験後、2006年にWebを主な事業ドメインとする「有限会社ハイブリッドメディア・ラボ」を設立。2014年、新規事業として富士山麓で「cafe TRAIL」を開店。2019年の閉店後も、師と仰ぐインド人シェフのアドバイスを受けながら、日本の食材を生かしたインドカレーを研究している。