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「恒例行事」をどんどんそぎ落としていく ウイスキーと酒場の寓話(28)

2020.06.17

Updated by Toshimasa TANABE on June 17, 2020, 17:16 pm JST

ちょっと前のことではあるが、2018年は「ボジョレヌーヴォー」と「ひやおろし」を買うのをやめた。新酒とその季節を味わうという悪くない趣向ではあれど、残念ながらまったくどうでも良くなってしまった。時間も肝臓のアルコール処理能力も限られているし、今、飲むべき酒は別にあるのだ。この手の恒例モノをそぎ落としていくことは、意外に大事なことではなかろうか。


人によって優先度は様々だろうが、記念日、命日、ひやおろしやボジョレーなどという毎年回ってくる「恒例行事」の類が妙に多くなってきて、気付いたらそれに振り回されているというか、惰性で続けているというか、やめるにやめられない、という状態になってくるのが年を取るということの一側面だろう。

覚えていなくて良いことまで覚えているメモリーはないはずだし、今やるべきことは恒例とは別にあるにもかかわらず、その優先順位の付け方を間違えてしまうのが問題なのだ。恒例行事を追いかけているうちに1年が終わってしまうようでは、新しいことややりたいことに取り組むことはできない。

恒例行事というのは、花見や忘年会といった季節の宴会の類、命日やお彼岸の墓参り、「●●会」といった傷の舐め合い系の集まり、周年記念パーティー、同窓会、定期的な健康診断、夏休みには毎年●●温泉に行くなどいろいろあるかと思う。とにかく、こういった毎年の恒例モノに振り回されるのはやめることにしたのだ。

冒頭にも書いたように、2018年は「ボジョレヌーヴォー」と「ひやおろし」を買うのをやめた。ウイスキーにも毎年恒例の新商品というものがある。例えば、シングルモルト・スコッチでは、グレンモーレンジィのプライベートエディションなどが該当する。蒸留責任者のDr. ビル・ラムズデンが、毎年工夫をこらした説得力のあるウイスキーを出してくる。国産のウイスキーにも「●●ヘヴィリー・ピーテッド」などの毎年恒例のものがあったが、最近はあまり見かけない。

これらのウイスキーは出荷される数も少ないので、どこでも飲めるという訳ではない。都会から離れたということもあるが、是が非でも今年のバージョンを飲むというよりは、馴染みのお店に行って運良くあったら1杯飲んでみる、くらいの感じになった。

季節の食といえば「土用の丑の日」に鰻を食べる、などもあるが、これに至ってはもう論外である。そんなことにわざわざ割り振る時間はないし、鰻なんてものは食べたいときに食べれば良いのである。並んでまで食べるものでもない。

鮎の解禁日に釣りに行く、山開きの日に山に登る、海開きの日に海水浴などなど、冷静に考えてみると、多くは何かの都合でそうなっているだけで、何もその日に行く必要はない。

「富士山初冠雪」というのも、一時期は気になっていたのだが、下らない定義(山梨の気象台からの目視チェックを以てオフィシャルな初冠雪とする。静岡側から雪が見えても無視するが報道では「初雪化粧」などとお茶を濁している)に呆れて以来、まったく気にならなくなった。自分が見たときに白かったらそれで良いのである。

以前は、桜の季節は落ち着かなかったものだが(一人で気に入った場所の桜を見るだけではあったが)、最近はそういうことはなくなって「のどけからまし」である。

自分の誕生日や結婚記念日など、いわゆる記念日系もすべて忘れたことにしている。SNSでも、誕生日は非公開にしているし、他人の誕生日にも反応したりしない。子供の誕生日くらいは覚えておくようにしているが。

親の命日やお彼岸に墓参りに行くという行為も、墓が遠いという事情もあるが、まったくその気になれずに今に至っている。20年くらい前に両親が立て続けに亡くなって以来、何かのついでに墓参りに行くことはなくはないものの(夏競馬のついでになど。主たる目的は競馬である)、いわゆる法事などというものは一度もしたことがない。そもそも生きていれば、覚えなければならない命日は増える一方だ。お彼岸だって年に2回もある。

毎年やってくるという意味では競馬もそうではあれど、これはちょっと例外だ。それは、自分とは非同期に季節とともに勝手に進んでいくからだ。買いたいレースの馬券だけをネットで買えば良い。今年もダービーだなぁ、などと思うことはあるけれど、ダービーだからといって何か特別なことをするわけでもなく、単に普段通りに馬券を買うだけだ。一時期、青葉賞と毎日王冠は東京競馬場で観る、暮れの大井競馬場に東京大賞典を観に行く、と決めていて毎年繰り返していたのだが、競馬場から遠いところに引っ越した、それによってその日は他の予定が入れられなくなる、などの理由ですべてやめた。

冒頭でも書いているけれど、恒例行事に振り回されているうちにあっという間に1年経過、というのが年を取るということの一つの側面だと思う。油断していると、年月とともに恒例モノはどんどん増えていく一方だ。そうでなくても、あっという間に1年が過ぎ去るのだから、もうこれまでに何回も体験していることをさらに繰り返す気にはならない、ということもある。

例えば、二十四節気というものがある。これには、その時期が来たら何をすると良い、といった地域ならではの知恵(ローカルナレッジ)が潜んでいるとも思うけれど、土地によってそれは異なるだろうし、既にそれに従っていることでリスク回避になるような仕事や生き方をしているわけでもない。農業を営んでいるような方には、大変申し訳ない物言いかもしれないが。

もちろん、仕事には継続性ということが重要であり、繰り返し同じことをするからこそ金が回る、という側面はある。そういう継続があっての恒例のそぎ落とし、でもある。

会社の決算、確定申告、車検や定期点検、賃貸契約の更新、定期的な納品業務など、社会的な恒例行事はなくなりはしない。しかし、この手の必要に迫られての受け身の話と、能動的に自分は毎年これをやることにしている、という話はちょっと違うのだ。

後者の能動的なものは、往々にして惰性だったりするし、実はそれによって失っているものがけっこう大きかったりもするのだ。そのネガティブな面に無自覚な場合も多い。これらをどんどんそぎ落として、別の何か面白そうなこと、あるいは本来やるべきであろうことに時間と体力を使おうではないか、という話なのだ。

そういう意味では例えば、引っ越しをする、やったことがないことをする、行ったことのない所に行く、というようなことが、それまでの惰性に気付くきっかけになることもあって意外に大事だったりする。いわゆる「断捨離」はモノに限らないのだ。そして今年のコロナ禍は、行動の断捨離、生き方の断捨離を考える絶好の機会でもあるはずだ。

※「42/54」に掲載した記事に加筆・修正しました。


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田邊 俊雅(たなべ・としまさ)

北海道札幌市出身。システムエンジニア、IT分野の専門雑誌編集、Webメディア編集・運営、読者コミュニティの運営などを経験後、2006年にWebを主な事業ドメインとする「有限会社ハイブリッドメディア・ラボ」を設立。2014年、新規事業として富士山麓で「cafe TRAIL」を開店。2019年の閉店後も、師と仰ぐインド人シェフのアドバイスを受けながら、日本の食材を生かしたインドカレーを研究している。